万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

自民党は分党すべきでは?-二重人格化する自民党

2019年04月26日 10時38分34秒 | 日本政治
国民民主、未明の両院総会で自由党との合併了承
報道に拠りますと、昨日4月25日、日本国では国民民主党と自由党との合併が決定されたそうです。国民からしますと、これら両党の政治信条や政策における違いや特色は分かり難く、野党乱立の中での両党の合併は自然な流れのように思えます。敢えて別々の政党である必要性が感じられないからです。その一方で、日本国の政界には、分裂すべき政党も存在しているように思えます。それは他でもない、安倍政権の与党であり、日本国最大の政党でもある自民党です。

 本日の新聞の紙面を眺めて眩暈がした読者も少なくなかったはずです。紙面の一角に、欧州諸国を歴訪している安倍首相の動向を伝える記事として、訪問先で対中を軸とした結束を訴える姿が掲載されている一方、そのすぐ傍らには、中国を訪問している二階自民党幹事長が、中国の習近平国家主席と握手している写真が載せられているのですから。両者とも自民党に属しながら、首相であり自民党総裁である首相は反中の、そして、党内を取り仕切る幹事長は親中の方針を示しており、両者は全く以って逆方向を向いているのです。これでは自民党は、二重人格者となったかのようです(国家レベルでは二重外交…)。

 二階幹事長に至っては、日本政府としては慎重姿勢を崩していない一帯一路構想への参加について、党レベルでは協力が可能と言った言質まで中国側に与えているそうです。ここに政府と与党の不一致という問題も生じるのですが、二階幹事長の思考回路では、日本国も中国と同類の一党独裁体制、あるいは、複数の政党が存在しながら共産党のみに国家を指導する役割を保障していた旧東欧タイプの社会・共産主義体制とみなしており、自民党を‘日本の共産党’と勘違いしているのかもしれません(野党の日本共産党とは別の…)。それ故に、‘党レベルの協力’といった突飛な言葉が飛び出してくるのでしょう(あるいは、中国、あるいは、その支持勢力側が同氏に台本を渡してセリフをしゃべらせているのかもしない…)。

 それでは、この状態で、国政選挙が実施されるとしますと、どのような事態が起きるのでしょうか。端的に申しますと、自民党の内に“反中保守党”と“親中共産党”が一つの党の中で同居する二重人格化は、有権者に計り知れない混乱をもたらします。有権者は、投票用紙を前にして頭を抱えることになりましょう。何故ならば、自民党の候補者、あるいは、自民党の政党名を記入しようとしても、同政党の防衛・外交・安全保障上の基本方針が反中なのか、親中なのか、判断しかねるからです。従来、外政は票にならないとされながら、近年の中国や朝鮮半島における軍事上の緊迫化から、これらの分野に対する国民の関心が高まってきており、同分野における各党や候補者の政策方針を投票に際しての判断基準に据える有権者も少なくはありません。となりますと、自民党の二重人格状態は有権者から選択肢を奪うに等しく、民主主義の原則にも反してしまうのです。

 このように考えますと、自民党は、少なくとも親米路線を引き継ぐ一派と親中路線に切り替えた一派とに分かれるべきなのではないでしょうか。自民党が二つの政党に分かれれば有権者の対中政策を軸とした選択はより容易になります(もっとも、親米派が‘保守’とも限らない…)。また、幹事長は選挙に際しての立候補者の選定に一定の権限を有しますので、二階幹事長がその職にある限り、時間の経過とともに自民党は親中派一色に染まる可能性もないわけではありません(選挙の度に自民党の親中色が強まる…)。言い換えますと、自民党は、速やかに分党に向けた動きを開始しなければ、やがて親中派に占められ、手遅れとなるかもしれないのです。もっとも、党の分裂を回避するために二階幹事長を同職から解任するという方法もありますが、仮に同党が、自党をその名の通りに自由と民主主義を尊重する政党であると自認するならば、国民を惑わし、国家をも危うくする二重人格状態は放置するべきではないと思うのです。

 よろしければ、クリックをお願い申し上げます。

にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする