今月15日、IMFは、デジタル通貨に関する報告書を発表しました。念頭にあるのはフェイスブックが発行を予定している「リブラ」なのでしょうが、同報告書の分析には首を傾げたくなる部分も少なくありません。本日の日経新聞朝刊によれば、IMFは、デジタル通貨に関するシナリオとして、「共存」、「補完」、「乗っ取り」の3つのケースを想定しているそうです。
「乗っ取り」のシナリオとは、通貨システムの脆弱な新興国等において「リブラ」が自国通貨を駆逐し、通貨発行権から金融政策の権限に至るまで全てを‘乗っ取る’というものです。可能性は低いとしながらも、通貨崩壊に見舞われたジンバブエのみならず、自国通貨の信用下落によって外国通貨が国内で流通するに至ったケースがないわけではありません。また、経済規模の小さなミニ国家などでは、協定などに基づいて近隣の大国の通貨を自国通貨として使用する事例もあります。こうした事例を考慮すれば、「乗っ取り」は、決して可能性の低いシナリオではないように思えます。また、「リブラ」の基本コンセプトは国境を越えた送金の円滑化にありますので、新興国や途上国から先進国への移民が増加すればするほど、同シナリオの実現性は高まることでしょう。
かくして「乗っ取り」シナリオはあり得るのですが、「共存」と「補完」についても、IMFの認識は甘いようにも思えます。デジタル通貨が登場すれば、既存の銀行預金の一部がデジタル通貨に換金されて流出する、あるいは、主要な預入先がデジタル通貨の発行主体に移るため、民間銀行の融資機能が低下することが予測されます。このことは、民間金融機関とネットワークで繋がることで金融政策を実施してきた国家の中央銀行の影響力も低下することをも意味します。そして、デジタル通貨の発行主体が獲得した既存通貨を直接に運用する、即ち、‘銀行業’を開始すれば、既存の銀行は存亡の危機に立たされるのです。こうした‘銀行淘汰’の事態を避けるために、同報告書では、デジタル通貨の発行主体がユーザーから得た既存通貨を銀行に預け入れる、すなわち、還流させれば、両者は「共存」あるいは「補完」し得るとしています。
実のところ、銀行への再預金案は、IMFによる既存銀行とデジタル通貨発行主体の両者に示した‘妥協案’であるのかもしれません。しかしながら、この‘妥協案’よく考えても見ますと、やはりまやかしがあるようにも思えます。何故ならば、既存の銀行に再預金するのは、あくまでもデジタル通貨の発行主体であり、ユーザー自身ではないからです。つまり、既存銀行の口座はデジタル通貨の発行主体の名義となりますので、既存通貨との交換で得た巨額の通貨発行益の運用を、デジタル通貨発行主体が既存の銀行に任せるに過ぎないのです。この案では、民間企業であるデジタル通貨発行主体が、誰もが納得するような合理的な根拠もなく、莫大な通貨発行益を得る点においては変わりはありません。
IMFは、ビット・コインが登場した際にも、国際社会に対して積極的に議論を喚起することもなく、既成事実としてその存在を黙認してしまいました。今般のリブラ構想にあっても、IMFは、もっともらしい‘妥協案’を提示しつつ、ビット・コインと同様に民間企業によるデジタル通貨の発行を認めようとしているように見えます。今般、フランスでG7財務相・中央銀行総裁会議が開催されますが、国際機関であるIMFのスタンスとは異なり、自国経済や国民生活を預かる国家の視点から、民間企業への通貨発行権や政策権限の移譲に伴うリスクについて議論を尽くしていただきたいと思うのです。
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「乗っ取り」のシナリオとは、通貨システムの脆弱な新興国等において「リブラ」が自国通貨を駆逐し、通貨発行権から金融政策の権限に至るまで全てを‘乗っ取る’というものです。可能性は低いとしながらも、通貨崩壊に見舞われたジンバブエのみならず、自国通貨の信用下落によって外国通貨が国内で流通するに至ったケースがないわけではありません。また、経済規模の小さなミニ国家などでは、協定などに基づいて近隣の大国の通貨を自国通貨として使用する事例もあります。こうした事例を考慮すれば、「乗っ取り」は、決して可能性の低いシナリオではないように思えます。また、「リブラ」の基本コンセプトは国境を越えた送金の円滑化にありますので、新興国や途上国から先進国への移民が増加すればするほど、同シナリオの実現性は高まることでしょう。
かくして「乗っ取り」シナリオはあり得るのですが、「共存」と「補完」についても、IMFの認識は甘いようにも思えます。デジタル通貨が登場すれば、既存の銀行預金の一部がデジタル通貨に換金されて流出する、あるいは、主要な預入先がデジタル通貨の発行主体に移るため、民間銀行の融資機能が低下することが予測されます。このことは、民間金融機関とネットワークで繋がることで金融政策を実施してきた国家の中央銀行の影響力も低下することをも意味します。そして、デジタル通貨の発行主体が獲得した既存通貨を直接に運用する、即ち、‘銀行業’を開始すれば、既存の銀行は存亡の危機に立たされるのです。こうした‘銀行淘汰’の事態を避けるために、同報告書では、デジタル通貨の発行主体がユーザーから得た既存通貨を銀行に預け入れる、すなわち、還流させれば、両者は「共存」あるいは「補完」し得るとしています。
実のところ、銀行への再預金案は、IMFによる既存銀行とデジタル通貨発行主体の両者に示した‘妥協案’であるのかもしれません。しかしながら、この‘妥協案’よく考えても見ますと、やはりまやかしがあるようにも思えます。何故ならば、既存の銀行に再預金するのは、あくまでもデジタル通貨の発行主体であり、ユーザー自身ではないからです。つまり、既存銀行の口座はデジタル通貨の発行主体の名義となりますので、既存通貨との交換で得た巨額の通貨発行益の運用を、デジタル通貨発行主体が既存の銀行に任せるに過ぎないのです。この案では、民間企業であるデジタル通貨発行主体が、誰もが納得するような合理的な根拠もなく、莫大な通貨発行益を得る点においては変わりはありません。
IMFは、ビット・コインが登場した際にも、国際社会に対して積極的に議論を喚起することもなく、既成事実としてその存在を黙認してしまいました。今般のリブラ構想にあっても、IMFは、もっともらしい‘妥協案’を提示しつつ、ビット・コインと同様に民間企業によるデジタル通貨の発行を認めようとしているように見えます。今般、フランスでG7財務相・中央銀行総裁会議が開催されますが、国際機関であるIMFのスタンスとは異なり、自国経済や国民生活を預かる国家の視点から、民間企業への通貨発行権や政策権限の移譲に伴うリスクについて議論を尽くしていただきたいと思うのです。
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