‘ペンは剣よりも強し’という有名な格言があります。この言葉、イギリスの政治家であって小説家でもあったエドワード・ブルワ=リットンが著した『リシュリュー、あるいは陰謀』という題の戯曲において、フランス王国の宰相であったリシュリューのセリフとして登場します。それでは、どのような文脈においてリシュリューは、このように語ったのかと申しますと、それは、自らに対する部下達の暗殺計画を知った際に、先手を打って同計画を阻止した時のことです。ペンによる許可証への署名の効力が、暗殺者の剣よりも優っていることを周囲の者たちに説き聞かせた時の言葉なのです。出典では法治国家における法令の効力を言祝ぐ言葉となり、極めて政治色が強いのですが、同じような言い回しの格言は、キケロが‘武器は説得に屈する’と述べたように古代から世界各地で散見されますし、現在では、暴力に優る言葉の力を示す格言として広く一般的に使われています。
ところで、香港では、昨日8月4日、林鄭月娥行政長官が「逃亡犯条例」を正式に撤回し、懸念されていた北京政府による香港市民に対する暴力的弾圧は一先ずは回避されました。このケースでは、暴力ではなくペンによって事態の収拾が図られたこととなり、‘ペンは剣よりも強し’の具体例の一つに数えることができましょう。しかしながら、条例が撤回されたものの、香港の危機が完全に去ったわけではありません。条例撤廃は、民主派の示してきた5つの要求の一つに過ぎず、残る4つの要求については、同長官は、以前として拒絶する姿勢を崩してはいないからです。となりますと、今後、残された4つの要求をめぐって事態が急変しないとも限りません。
そこで再び心配されるのが、北京政府による暴力的な介入です。4つの要求には普通選挙の実施も含まれており、建国以来一党独裁体制を堅持し、香港までも同体制に組み込みたい北京政府は、人民解放軍を投入してでも同要求の実現阻止に動くと予測されるからです。となりますと、香港問題については、最終的に‘ペンは剣よりも強し’に行き着くかどうか予断を許さず、多くの人々が不安な眼差しで香港を見つめているのです。それでは、香港の人々は、どのようにして北京政府に対峙すべきなのでしょうか。
未来を閉ざされる危機に直面している香港の学生さんは、授業のボイコットを以って抗議の意思を表明しております。日本国では、学生運動が盛んな時期に学生生活を送った人々は、闘争に明け暮れたために他の世代と比較して知識や学力において劣ってしまったという苦い経験をしております。この悪しき前例からしますと、授業ボイコットは自らを傷つける行為となるのですが、インタビューに答えた学生さんの‘勉強しても自分たちに未来はない’と語る姿を目にしますと、言葉を失い‘授業ボイコットはやめた方がよい’とは言えなくなります。そして、授業ボイコットを続けるにせよ、止めるにせよ、ペン、即ち、知力を以って北京政府に勝つ努力、つまり、暴力に打ち勝つだけの知力を磨くことだけは続けていただきたいと願うのです。
それには、一党独裁体制が、何故、自由・民主主義に劣るのかを精緻に分析し、誰もが納得するように共産主義を丁寧に論破する必要があります。ソ連邦の崩壊等が既に示すように、その実証は、それほど難しい作業ではないはずです。否、議論しては敗北が確定的であるからこそ、北京政府は、自らの体制維持のために‘ペン’ではなく‘剣’を使おうとしているのかもしれません。また、北京政府の暴力を効果的に封じ、香港を第二の天安門としないためには、如何なる方法があるのか、具体的な作戦や戦略を練る必要もありましょう。
『リシュリュー、あるいは陰謀』では、‘ペンは剣よりも強し’と述べた後、そのセリフの最後を‘そんなもの(剣)がなくとも国家は救われる!’で結んでいます。劇中におけるシチュエーションとは異なるものの、学生さんのそして一般市民の知力こそが、香港を暴力の危機から救うかもしれないと思うのです。
よろしければ、クリックをお願い申し上げます。
にほんブログ村
ところで、香港では、昨日8月4日、林鄭月娥行政長官が「逃亡犯条例」を正式に撤回し、懸念されていた北京政府による香港市民に対する暴力的弾圧は一先ずは回避されました。このケースでは、暴力ではなくペンによって事態の収拾が図られたこととなり、‘ペンは剣よりも強し’の具体例の一つに数えることができましょう。しかしながら、条例が撤回されたものの、香港の危機が完全に去ったわけではありません。条例撤廃は、民主派の示してきた5つの要求の一つに過ぎず、残る4つの要求については、同長官は、以前として拒絶する姿勢を崩してはいないからです。となりますと、今後、残された4つの要求をめぐって事態が急変しないとも限りません。
そこで再び心配されるのが、北京政府による暴力的な介入です。4つの要求には普通選挙の実施も含まれており、建国以来一党独裁体制を堅持し、香港までも同体制に組み込みたい北京政府は、人民解放軍を投入してでも同要求の実現阻止に動くと予測されるからです。となりますと、香港問題については、最終的に‘ペンは剣よりも強し’に行き着くかどうか予断を許さず、多くの人々が不安な眼差しで香港を見つめているのです。それでは、香港の人々は、どのようにして北京政府に対峙すべきなのでしょうか。
未来を閉ざされる危機に直面している香港の学生さんは、授業のボイコットを以って抗議の意思を表明しております。日本国では、学生運動が盛んな時期に学生生活を送った人々は、闘争に明け暮れたために他の世代と比較して知識や学力において劣ってしまったという苦い経験をしております。この悪しき前例からしますと、授業ボイコットは自らを傷つける行為となるのですが、インタビューに答えた学生さんの‘勉強しても自分たちに未来はない’と語る姿を目にしますと、言葉を失い‘授業ボイコットはやめた方がよい’とは言えなくなります。そして、授業ボイコットを続けるにせよ、止めるにせよ、ペン、即ち、知力を以って北京政府に勝つ努力、つまり、暴力に打ち勝つだけの知力を磨くことだけは続けていただきたいと願うのです。
それには、一党独裁体制が、何故、自由・民主主義に劣るのかを精緻に分析し、誰もが納得するように共産主義を丁寧に論破する必要があります。ソ連邦の崩壊等が既に示すように、その実証は、それほど難しい作業ではないはずです。否、議論しては敗北が確定的であるからこそ、北京政府は、自らの体制維持のために‘ペン’ではなく‘剣’を使おうとしているのかもしれません。また、北京政府の暴力を効果的に封じ、香港を第二の天安門としないためには、如何なる方法があるのか、具体的な作戦や戦略を練る必要もありましょう。
『リシュリュー、あるいは陰謀』では、‘ペンは剣よりも強し’と述べた後、そのセリフの最後を‘そんなもの(剣)がなくとも国家は救われる!’で結んでいます。劇中におけるシチュエーションとは異なるものの、学生さんのそして一般市民の知力こそが、香港を暴力の危機から救うかもしれないと思うのです。
よろしければ、クリックをお願い申し上げます。
にほんブログ村