フランスでは、遂に、「衛生パスポート」の導入という形で、ワクチンの接種が、事実上、全国民に拡大されることとなりました。PCR検査や抗体検査による陰性証明が併用されつつも、48時間以内のものに限定されているため、同制度は、国民に同パスポートの発行要件とされた二度のワクチン接種を迫ることとなったのです。このため、フランス各地では、同制度の導入に反対するデモが起きていると報じられております。
そもそも、ワクチン・パスポートは、世界最速でワクチン接種が進んだイスラエルにあって「グリーン・パスポート」の名称で始まったものですが、今では、上述したようにフランスを初め、ユダヤ系の影響の強い国や地域に拡大を見せています。EUにあっても旅行者向きに7月1日から「グリーンパス」制度が施行されていますし、アメリカのニューヨーク市でも、ワクチン接種証明書を提示する「Key to NYC Pass」プログラムの実施が決定されています(「ワクチン・パスポート」とは違うとも説明されている…)。
その一方で、治験の段階で緊急措置として承認された、これらの諸国で接種が推進されている遺伝子ワクチンは、全世界にあって数十億人が既に接種を完了した今日、’治験’の結果が判明しつつあります。その結果は、と申しますと、従来株にあっては一定期間の感染を防ぐ効果はあっても、デルタ株といった変異株に対する感染防止効果は薄い、というものです。つまり、たとえ二度の接種を済ませたとしても、自らが感染すると共に、他者をも感染させてしまうのです。むしろ、接種者の方が感染率が高いとするイスラエルの報告もありますし、東京オリンピック・パラリンピックを機に来日した選手団の感染者、あるいは、陽性者の報告を見れば、この事実は否定のしようもありません。
ワクチン接種は、変異株に感染した場合でも重症化や死亡を防ぐ効果はあるとされていますが、この効果も、ワクチン接種者にあって重症化した事例もあり、また、デルタ株が弱毒化した可能性も否定できず、確証があるわけではありません。また、再三指摘されていますように、ADEのみならず、脂質ナノ粒子、修飾されたmRNA、並びに、スパイク蛋白質などが自然免疫や獲得免疫、あるいは、身体に与える中長期的な影響は不明です。感染防止効果も限られており、かつ、最悪の場合死亡リスクもあるワクチン接種を前提とした「ワクチン・パスポート」の導入は、どの角度から見ても非合理的であり、反理性的な制度のように思えます。
「ワクチン・パスポート」がワクチンに対する絶対的な信仰に基づいているとすれば、この現象は、天賦の自由、並びに、平等を求めたフランス革命が、あろうことかロベスピエールの独裁に至ってしまった歴史の流れを思い起こさせます。ロベスピエールによる恐怖政治の特徴は、迷信や蒙昧を排し、理性の尊重から出発したはずが、’理性’そのものが非合理的な信仰の対象となってしまったというパラドクスにあります。恐怖政治を支配していたのは、知性としての理性ではなく、’理性信仰’という別物であったのです。このため、人々は、’理性信仰’を強要され、それに抗う者は悉く反革命分子としてギロチン台の露と消えることとなったのです。
今日、フランスにおいて起きているワクチン接種の事実上の義務化は、’ワクチン信仰’の果てのロベスピエールの恐怖政治の再来に見えてきます(ワクチン信仰というよりも、デジタルによって人々を完全に管理し得ると信じる’デジタル信仰’かもしれない…)。歴史とは、人類にしばしば教訓を残すものですが、「ワクチン・パスポート」の導入とは、やはり、人類史にあって繰り返してはならないはない誤りではないかと思うのです。