今般、アフガニスタンで発生したタリバンによる首都カブールの制圧に対して、日本国を含む世界各国の反応は、一先ずはアフガニスタンの内政問題ということのようです。半ば当事国とも言えるアメリカにあっても、同国からの撤兵の理由が、’アメリカが多大なコストを負担してまで外国の問題には介入しない’ということなのですから、その基本的スタンスは、アフガニスタンのことはアフガニスタンに任せる、ということなのでしょう。
2001年9月に発生した9.11事件、すなわち、アルカイダの犯行とされた同時多発テロに始まるアメリカとアフガニスタンとの関係は、同組織を擁護していた当時のタリバン政権に対する開戦という、究極の’内政干渉’とも言える形で始まっております。国際社会もまた、テロ組織による攻撃を国際法における正当なる戦争事由として認め、国連にあって軍事力の行使を認めるための安保理決議が採択されると共に、NATOもまた結成以来はじめて条約の第5条に規定されていた集団的自衛権の発動を決定したのです。当時、タリバンは、グローバルなイスラム原理主義ネットワークと繋がるその国際性ゆえに、他国からの’内政干渉’を招いたと言えましょう。
その一方で、今般のタリバンの首都奪還に際し、アメリカは、上述したように、タリバン政権の誕生は国内問題として捉えています。9.11事件から20年の月日が経過し、もはやアメリカ本土にあってテロ組織からの攻撃を受ける怖れは殆ど消えていますので、タリバンは、アフガニスタン国内における反政府武装勢力の一つとして位置づけられているのです。平和的な解決が望まれるものの、国際社会では、国内の勢力が武力を以って国家権力を争うケースは内乱と見なされ、一先ずは、その国の内政問題として扱われるからです。内政問題とされた以上、国連といった国際組織も諸外国も、内乱に対して介入することは原則としてご法度となります(もっとも現実には、この原則はしばしば破られますが…)。
タリバンに対する国際社会の認識は、20年前と今日とでは180度転換しているのですが、ここに、’タリバンとは、本当に純粋な国内勢力なのか’という問題が残ります。ISの活動にも見られるように、もとよりイスラム原理主義は国際ネットワークを形成しており、タリバンもその一翼を担っております。そのメンバーの多くは、アフガニスタンにあって多数派となるパシュトゥン人とされていますが、外国出身者も少なくないことでしょう。しかも、タリバンの思想的基盤はテオバンド派にあるとされています。同派は、インドがイギリス領であった19世紀に同国のウッタル・プラデーシュ州(テオバンド)に始まったスンナ派イスラム改革運動を起源としています。外来思想である共産主義を国家イデオロギーとする中国の体制と同様に、タリバンが依拠する思想にあっても外来性が認められるのです。
こうした側面からしますと、タリバンを純粋に国内勢力と見なすのは難しくなるのですが、仮に、タリバンを’国際性を帯びた国内勢力’とする視点から見ますと、この問題は、アフガニスタンのみならず、日本国を含む全世界の諸国に対して、これまで意識の表面に上ることがなかった重大な問題を浮かび上がらせることになりましょう。それは、国内組織を装った海外勢力、あるいは、国際勢力による国権の掌握という問題です。表面に現れている姿が’国内組織’である限り、それが武力であれ、民主的選挙を経たものであれ、国際法に照らして侵略’認定を受けることもなく、国内問題として放置されてしまうことを意味するからです。
この問題は、国際社会における間接侵略、あるいは、間接支配の黙認問題とも言えるのですが、果たして、こうした問題に対する解決策は存在するのでしょうか。少なくとも今般のタリバンによるカブール奪還の場合、これを平和を脅かす重大な国際問題と認定し、第二次アフガン戦争を闘うべきなのかと申しますと、早急には回答は出ないように思えます。民主的、かつ、平和的な手段としては、如何なる外部勢力のコントロール下に置かれていない真の国内組織を結成し、改めて国造りを行うことが最も望ましいのですが、このためには、国民に政治的自由が認められる必要がありましょう。
何れにしましても、目下、急ぐべきは、タリバンという組織の背後関係の解明なのかもしれません。そして、タリバンの背後に蠢く関係諸国、並びに、そのさらに深奥に隠れている超国家・グローバル勢力の全貌の解明こそ、あらゆる諸国が直面している間接支配問題の解決に向けた基礎的作業となるのではないかと思うのです。