先行してワクチン接種が進んだ諸国の中には、イスラエルのように既に三度目のワクチン接種が開始された国もあります。その主たる根拠とされているのが、二度の接種で生成されたワクチンで抗体の減少、並びに、変異株の出現です。その一方で、三度目のワクチンには、不透明感が漂っているように思えます。何故ならば、誰もが、政府からも製薬会社からも、同ワクチンが何をターゲットとして準備されているのか、詳しい説明を受けていないからです。
国内にあっても、ワクチン接種から3か月で抗体量が4分の1に減少するとする研究結果が報じられており、多くの人々は抗体減少を懸念しております。抗体量の変化や効果の持続性はワクチンのメーカーによって違いが見られるそうですが、自然感染であれ、ワクチン接種によるものであれ、生成された抗体は、その必要性がなくなる、つまり、ウイルウや抗原が体内から消えれば自然に減少してゆく運命にあります。抗体量の減少は、治癒の面からすれば望ましい生体反応なのですが、抗体量=感染・重症化・死亡の防止効果と捉えるならば、免疫力の低下を意味します。そこで、三度目のワクチン接種で抗体量を増加させ、抗ウイルス効果を維持しようということなのでしょう。’ブースター・ショット’という表現が抗体量の’再増産’という側面をよく表現しています。
誰もがこの説明で納得しそうなのですが、抗体の減少は、必ずしも感染、重症化、並びに、死亡のリスクを高めるわけではありません。リンパ節等にあってメモリーT細胞やメモリーB細胞等の記憶細胞が保存されていれば、次回感染時には素早い免疫反応が起きて抗体を大量に産生し、ウイルスを撃退してしまうからです(二度の接種が必要となるのも、抗体量を増加させるためでは…)。そして、この獲得免疫の「二度なしの原理」を利用したのが、ワクチンに他なりません。言い換えますと、ワクチン接種によって獲得免疫が備わるならば、そもそも3度目のワクチン接種は必要ないということになりましょう。
このことから、仮に政府もワクチン・メーカーも、3度目のワクチン接種が必要と主張するならば、ワクチンを接種しても獲得免疫が働かないことを認めざるを得なくなります。獲得免疫が作用しないならば、人々は、一定の抗体量を維持するために、生涯にわたってワクチンを定期的に打ち続けなければならない状況に置かれます。初回は無料でしたが、今後は、自己負担となる可能性もありますので(初回無料ビジネスのよう…)、ワクチン接種に対するインセンティヴは著しく低下することでしょう(しかも、昨日の記事で指摘したように、ワクチン接種には、抗体そのものが有害となるADEのリスクも伴う…)。
ここまでのお話は、新型コロナウイルスが変異していないことを前提としていますが、実際には、武漢を発祥の地とする従来株はアルファ株からラムダ株まで、様々な変異を見せています。三度目の接種の第二の理由は、従来株用に作られたワクチンでは、メーカーによる違いこそあれ、変異株に対する効果が低下するというものです。実際に、変異株に対する効果の低下は世界各国で報告されていますし、今後は、従来のワクチン効果を無効にするような’耐性変異種’の出現も’予言’されています。変異種への対応のための三度目の接種という説明にも、多くの人々が納得することでしょう。
仮に、変異が出現する度に新たなワクチンを接種する必要があるならば、変異株の数だけワクチンを接種し続けるか、あるいは、混合ワクチンを製造する必要があります。耐性丙種が出現しても、mRNA技術を用いれば即座に対応できるとファイザー社のCEOは自信を見せています。しかしながら、第三次接種を実施、あるいは、予定している諸国の政府、並びに、製薬会社は、新たに準備されるワクチンがデルタ株やラムダ株用に改良されたものであるとは説明していません。このため、目下、第三次用に用意されているのは、新たに改良された変異株対応型ではなく、従来株用のワクチンであると推測されるのです。つまり、高い健康被害のリスクを背負ってまで三度目のワクチンを接種しても、変異株に対しては殆ど効果がない可能性も否定はできないのです(今日、従来株よりもデルタ株の比率が高くなっており、従来株用の抗体の生成は、むしろインプリント型のADEの引き起こしかねない…)。
以上に述べた諸点を考え合わせますと、3度目の接種が必要なのかどうか、甚だ怪しくなります。辻褄の合う、論理一貫した説明に欠けているからです。3回目の接種が求められる状態で「ワクチン・パスポート」を導入すれば、社会的な分断や差別の問題のみならず、深刻な健康リスク並びに莫大なコストが国民の肩に重くのしかかることでしょう(しかも、そもそもワクチン接種では自身、並びに、他者への感染さえ防ぐことができない…)。そして、日本国内にあってワクチン関連死が疑われるケースが1000件を超え、新型コロナワクチンのリスクについて多くの人々が認識するに至った今日、ワクチン接種の推進そのものをも見直す必要があるのではないかと思うのです。