敵地攻撃能力という名称の反撃能力への変更は、図らずもミサイル時代、あるいは、核ミサイル時代における反撃能力という極めて重大な問題を提起しているように思えます。何故ならば、ミサイル並びに核兵器の登場は、人類の戦いの歴史における反撃能力の転機ともなっているからです。
ミサイルが出現する以前の時代にあっては、戦争は、どちらが先制攻撃を仕掛けたとしても、凡そ攻撃を受けた側にも反撃の機会がありました。例外的な事例としては奇襲攻撃がありますが、体勢は極めて不利でありながらも、奇襲を受けた側にも応戦したり、避難する時間がなかったわけではありませんでした。ところが、第二次世界大戦を機にミサイルの開発と軌を一にするかのように、一都市を丸ごと破壊し尽くしてしまう核兵器も登場するようになります。すると、戦争における攻守のバランスは、大きく攻撃側に有利に傾くことになるのです。
第二次世界大戦にあって、日本国がポツダム宣言の受託を決意するに至った要因として、しばしば広島、並びに、長崎への原子爆弾の投下が指摘されています。核兵器の凄まじい破壊力がもたらした被爆地の目を覆うような惨状が、日本国側に戦意(反撃の意思)の喪失をもたらしたという説明です。もっとも、第二次世界大戦にあっては、核兵器の運搬は爆撃機を用いざるを得ず、仮に、日本国側が自国領空の制空権を維持していたとしたら、原爆投下は防ぎ得たことでしょう。そして、連合国側が、日本国の首都である東京に原爆を投下していたとしたら、人類の歴史は大きく変わっていたかもしれません(もっとも、既に東京は激しい空襲を受けており、その大半が焼け野原となっていましたが…)。
人類最初の原爆投下から既に75年以上が経過した今日では、大陸間弾道ミサイルといった長距離ミサイルも開発されており、撃墜される可能性がある爆撃機を用いずとも、敵国に核攻撃を行うこともできるようになりました。このことは、核ミサイルによる先制攻撃が、一瞬にして戦争の勝敗を決してしまう可能性を示しています。先日も述べましたように、核ミサイル時代にあっては、相手国の首都、国家中枢、あるいは、ミサイル基地に対して核攻撃が加えられれば、先手必勝となってしまうのです。反撃能力が消滅してしまうのですから。
核ミサイル時代の移行は、あたかも中世の決闘と西部劇の決闘との違いのようです。中世にあっては、日本国でも先ずは名乗りを上げ、正々堂々と闘いに臨みましたし、ヨーロッパにあっても、決闘の流儀に従って勝負を付けました(必ずしも命まで奪うわけではない…)。双方は対等の立場にあり、双方の攻めと守りがせめぎあいつつ決着がつくまで時間を要します。その一方で、西部劇の世界では、素早くピストルの引き金を引いた側が、一瞬にして相手を倒してしまいます(打たれた側は、その場でこと切れてしまい、反撃は不可能…)。弾丸の速度が同じであり、射撃の命中精度が高ければ、拳銃による決闘では先手必勝となるのです(しかも、拳銃による決闘では、盾がないに等しい…)。
こうした核ミサイル時代を迎えた今日の反撃能力の喪失問題を認識しますと、各国とも、他国に自国を攻撃させない状況の整備、即ち、抑止力を可能な限り高める必要性を痛感することでしょう。抑止力の強化という面からしますと、一部の国にのみ核兵器の保有を許すNPT体制は事態を一層悪化させますし、日本国の敵地攻撃能力を反撃能力に限定しようとする方針も、現実の脅威から目を逸らしているように見えます。昨日の記事で用いた先制防衛という言葉が過激であるならば、‘反撃’という条件付けをせずに、単純に長距離ミサイルの保有でも構わないのかもしれません。
そして、反撃能力の瞬時の消滅が核の抑止力そのものを弱めるリスクをも考慮しますと、たとえ全ての諸国による核保有が認められた後にあっても、万が一に備え、核ミサイルによる先制攻撃を受けた場合の反撃力の維持についても、真剣に検討すべきではないかと思うのです。