万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

怪物化するグローバリスト-ルソーの洞察

2024年07月18日 10時17分00秒 | 国際政治
 今日、全世界で起きている不可解な出来事の背後には、怪物と化したグローバリストのシルエットが浮かび上がっているように思えます。13日に発生したトランプ前大統領暗殺未遂事件についても、クルックス容疑者と世界最大の資産運用会社であるブラックロック社との関係が取り沙汰されても、今や誰もが驚かないかも知れません。むしろ、点と点がつながり、線となったように感じた人の方が多いことでしょう。グローバリストの隠然たるマネー・パワーは暴力としても顕在化しており、テクノロジーによる強制力も加わって、誰もが手を付けられない‘暴君’と化しているようにも思えます。

 古代ギリシャの時代から、人々は暴君(僭主)の出現を恐れてきたのですが、民主主義の時代に絶対君主さながらの‘暴君’が出現したのは、余りにも皮肉なことなのです。今日に至るまで、多大なる犠牲を払いながらも民主的な制度が発展してきた理由の一つは、他者の生殺与奪の権を握り、権力の私物化と濫用により人々を苦しめる暴君の出現を防ぐ必要性があったからに他なりません。民主的選挙とは、国民が為政者の人事権を持つことによる暴君出現阻止制度としても理解されるのです。ところが、現代民主主義国家のモデルとされ、草の根デモクラシーが根付いてきたアメリカにあっても、知らず知らずの間にマネー・パワーに浸食され、民主主義は風前の灯火のような状態にあるのです。

 かつての暴君とは違い、現代の暴君は、政治の表舞台で君臨するのではなく、姿を見せずに忍び寄る‘ステルス暴君’でもあります。しかしながら、その貪欲な支配欲という本質は変わりなく、また、その支配の手段や手法も似たり寄ったりなところがあります。このため、同問題を考えるに際しては、過去に書き記された暴君を分析した書物や文献も大いに役立つのです。この点、最近、ジャン・ジャック・ルソーが残した『人間不平等起源論』という書物の中に、興味深い一節があることに気がつきました。同書自身は、ルソー自身は否定してはいるものの、“原始時代の自然状態を人類の理想郷と見なした”と解されたため、出版当初より批判を浴びています。また、その‘不平等の起源’そのものや、論理構成にも重大なる難があるのですが、人間社会に対するルソーの鋭い洞察力と分析だけは、人類に警告を与えたという意味で評価されるように思えます。

 それでは、このルソーの分析とは、どのようなものであるのかと申しますと、「・・・自分の利益のためには、実際の自分とはちがったふうに見せることが必要だったのである。あること(存在)と見えること(外観)がまったくちがった二つのものとなった。・・・そして、事実上または表面上、彼の利益のために働くことが自分たちの利益だと思わせるように努めなければならない・・・」というものです。この文章は、取り立てて暴君批判の文脈として書かれたわけではないのですが(人間の一般的な心理傾向として指摘している・・・)、今日のグローバリストの行動様式に照らしますと、まさしくこの指摘が当て嵌まっているように思えてきます。

 今日、日本国を含め全世界の諸国の国民の多くが、政府やマスメディアの誘導によってグローバリズム礼賛の風潮にすっかりと乗せられています。デジタル化は人類に幸福な未来を約束し、地球温暖化問題についても、再生エネルギーへの転換を促進し、ゼロ・エミッションを達成すれば、住みよい地球を人類に約束すると説いています。国連主導のSDGsも、未来に向けた人類の達成目標を設定しており、大きな流れを造っています。そして、何よりも、国境をなくし、あらゆる財、人、サービス、マネー、テクノロジー、情報などが行き交う世界こそ、人類の理想郷であるとアピールしているのです。

 しかしながら、ルソーの警告に耳を傾けますと、グローバルな近未来ビジョンの提示や全人類が協力して取り組むべきグローバル・イシューの設定こそが、グローバリストが自らに利益が転がり込むように経済の流れを誘導すると共に、自分たちが他の人類から礼賛を受けるように仕向けた偽装戦略なのではないか、とする疑いが生じてきます。現状にあって、多くの人々がグローバリストに共鳴し、自らこの目的達成のため自発的に協力しているのですから。

 歴史上の英雄とは、自らを犠牲にしても人々を圧政や魔の手から救う存在でした。ところが、今日、マスメディアが持ち上げる時代のヒーローは、IT大手の創業者やCEO達、あるいは、セレビティーと呼ばれる人々です。サービスの提供者ではあっても、人々のニーズに応えるサービスや製品は他にも数え切れないほどありますので、特別な存在ではないはずにも拘わらず・・・。マスメディアが特別の存在として扱う理由は、その資金力による莫大な‘宣伝費’の投入に加え、デジタル技術や環境・エネルギー利権等が、経済や社会全体を自らの未来ビジョン、すなわち、世界経済フォーラムが描くグローバリストへの集権・集利権構造を固定化する手段でもあるからなのでしょう。

 ルソーが指摘したように‘存在’と‘外観’は違うのであって、この違いを見抜かないことには、人類は、心理操作によってグローバリズムの信奉者にしてグローバリストへの奉仕者にされてしまうかもしれません。人類が大事に育ててきた民主的制度をも食い散らす怪物と化しているグローバリストの暴政から抜け出すには、強固に構築されてきた人類支配の仕組みを冷静に解明すると共に、人類そのものが、知性や倫理性においてグローバリストに優る必要があるのではないかと思うのです。

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