万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

世界支配と王族・皇族との関係は?

2022年07月22日 12時42分05秒 | 国際政治
 今日、不思議なことに、毎日のようにイギリス王室の話題が日本国内でも報じられています。日本国民にあってそれほど関心が高いようにも思えないのですが、イギリス国内のイベントへの出席といった些細な出来事まで、ファッション情報などを交えて報じているのです。あたかも、芸能人のような扱いなのですが、イギリスの王室のみならず、日本国の皇室にも同様の傾向が見られます。

 戦前にあっては、王族や皇族はほとんど国民の前に姿を現さないのが一般的であり、それ故に、超越性を帯びた権威としての威厳や崇高性が保たれてきた感があります。しかしながら、今日にあっては、マスメディアが敬称を付けてうやうやしく報じる一方で、当の王族や皇族のメンバーは、いたって普通の人です。一般の国民との間に差異がないため、むしろ、メディアの畏まった報道ぶりがお芝居じみていて滑稽にも見えてしまうのです。

 それでは、何故、王室や皇室は、かくも奇妙な状況に置かれているのでしょうか。しかも、この現象は、王族や皇族が存在する諸国においておよそ共通しているのです。これまで、本ブログでは、世界支配の問題を扱ってきましたが、世界支配の観点から見ますと、同現象も不思議ではなくなり、その目的も見えてきます。

 現代という時代にあっては、民主主義という価値が尊重され、国家の統治権力は君主の手を離れています。英国でも、近代以降にあっては‘君臨すれども統治せず’と言われるように、少なくとも建前としては、国王は為政者ではありません。しかしながら、権威というものだけは世襲制をもって子孫に引き継がれており、国民に対しては一定の影響力を保持しています。世界支配の観点からすれば、これほど利用価値のある存在もないと言えましょう。少なくない国民が、その一言でひれ伏してしまう、あるいは、受け入れがたい要求であっても、自発的に応じるからです。○○様がおっしられるのならば、あるいは、△△様がなさっておられるので、私も・・・となるのです。新興宗教団体をしのぐほどの、最大の同調圧力装置ともなり得るのです。

 その一方で、超国家性を特徴とする世界を支配したい側は、王室や皇室を中心に国民が一致団結することも、その国が培ってきた伝統や文化が大事に保持されることも望みません。全人類を言葉巧みに誘導して画一化し、国家という枠組みを融解させると同時に、世界全体を一元的に支配したいからです。となりますと、同権力体にとりまして、王族や皇族という存在は、自らのシナリオ通りに‘王族’や‘皇族’を演じればよい、ということになります。本物であっても、偽物であっても構わず、そのメンバーを自らのコントロール下に置くことが重要なのです(しばしば、皇族は、時と場所によって同一人物に見えないとする指摘がある・・・)。王族や皇族の‘芸能人か’も、この文脈にあって理解されましょう。そして、最も望ましいのが、王族や皇族を自らの身内に変えてしまい、かつ、取り巻きも身内やメンバーで固めてしまうことであることは、言うまでもありません。

 このため、今日の王族や皇族の行動は、‘時代の先端をゆく’こととなります。宮廷や朝廷に伝わる古式ゆかしい生活をおくるわけでも、伝統的なモラルに従った敬虔にして慎ましやかな生き方をするのでもなく、むしろ、権力体が望む‘今風’であることが求められます。言い換えますと、今日の王族や皇族は、一般の国民からは伝統の継承者、あるいは、高潔な人柄であるよう期待される一方で、‘上司’である権力体からは、その逆に伝統の破壊者であることを命じられているのです。しばしば両要求は激しくぶつかるのですが、権力体にとりましては、たとえ国王や天皇が廃止されたとしても、むしろ一元的世界支配にとって煩わしい存在がなくなりますし、存続すれば存続したでその利権を含めて利用できるのですから、どちらであっても構わないのでしょう。

王族や皇族の振る舞いはどこか一貫性がなく、‘ちぐはぐ’な印象を与えるのも、これらの存在の二重性に起因しているのかもしれません。例えば、最近、日本国内でも、連日のごとくに皇居内の紅葉山御養蚕所にて行われている養蚕の行事の様子が‘伝統の継承’として報じられていました。この‘儀式’は明治期に始まったことを思い起こしますと、かくもメディアが同行事をクローズアップする理由が容易に理解できます。皇統の継続性の問題は別としても、明治以来の近代天皇とは、開国をもって日本国を清国に代わる絹糸や絹布の一大生産国としたい権力体によって擁立されているからです。日本古来の‘伝統’はいつの間にか消されてしまい、権力体が決めた‘伝統’にすり替えられてしまっているのです。

そして、新興宗教団体もまた、同権力体が所有する装置の一つであるとしますと、社会全体は、上下から中間層とも言える一般の人々を挟み込む形で、一定の方向に誘導されてしまう、ということになりましょう。両者が揃ってこそ、権力体が望む権威主義体制が維持されるからです。

現実に観察される様々な奇妙な現象や入手し得る情報に基づいて以上のように世界支配の王室・皇室利用を推測しますと、一般の国民は、今日、深刻な危機に直面しているように思えます。仕掛けられている罠に嵌まらないためには、まずもって、世界支配の‘からくり’に気付く必要があるように思えるのです。

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