万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

‘新世界秩序’はバベルの塔か?

2018年08月25日 15時08分25秒 | 国際政治
 本日の日経新聞朝刊の「読書」欄に、ジャック・アタリ氏の近著『新世界秩序』が紹介されておりました。グローバリズムの先に現れる世界統治機関を以って‘新世界秩序’と表現し、アタリ氏は、人類の救済を同構想の実現に託しているかのようです。

 アタリ氏が提唱する世界統治機関の設立に至るまでの経緯は、論理展開としては単純明快でもあります。‘経済が主導するグローバル化の進展は、各国の主権を無力化する。その結果、世界同時的に人々が治安の悪化と混乱に見舞われてしまう。ところが、もはや国家の統治機能が失われているので、人類は、犯罪者の為すがままとなる。そこで、統治機能の不在問題を解決するためには、世界規模の統治機関を設立しなければならない’という筋立てであるからです。この展開、理路整然としている故に、論理的に正しく、かつ、合理的なようにも思えてしまいます。

 しかしながら、しばし頭の中で氏の主張を吟味してみますと、自ずと疑問も湧いてきます。経済分野におけるグローバリズムの深化が政治分野における国民国家体系を侵食しているとする現状分析が正しくとも、それが、必ずしも‘新世界秩序’なる国民国家体系に取って替る世界統治機関を帰結するとは限らないからです。つまり、結論部分において必然性が見当たらないのです。

 例えば、アタリ氏は、‘新世界秩序’を以って「民主主義的な世界秩序」と見なしているそうですが、全世界的レベルおいて民主主義は成り立つのでしょうか。善き民主主義を実現するためには自由闊達な議論が許される環境を要します。しかしながら、人類の言語の多様性はこの条件とは合致しません。エスペラント語のような共通語を創設するのでしょうか、あるいは、グローバル化の時代にあって最も使用頻度の高い英語を共通語として定めるのでしょうか(もっとも、この問題は、高性能の自動通訳機の出現で解決されるかもしれませんが…)。また、自由討論の要件は、‘新世界秩序’の創設に先立って、中国といった言論弾圧を是とする国家体制を崩壊させる必要性をも要請します(アタリ氏には、是非とも、中国に対して体制移行の必要性を説いていただきたい)。

 加えて、民主主義体制では、統治に関する決定に際し、原則として多数決が採用されています。仮に、世界レベルで民主的な統治を行おうとすれば、人口に優る集団が決定権を握ることとなります。民族集団からすれば、全世界に移住した華僑も併せて中国人が最大の政治勢力となりましょうし、宗教集団であれば、イスラム教徒が‘世界政治’を左右するかもしれません。‘数の力’にものを言わせれば、世界統治機構に付与された強制力を以って、特定の宗教や慣習等、さらには、財政移転さえ他の人類に強要することができるのです。

 こうした疑問点を踏まえますと、喩えアタリ氏が提唱するように、‘民主的な世界統治機構’が設立されたとしても、そこにあるのは、本来の意義を失った空虚で危険に満ちた民主主義に過ぎないように思えます。また、治安の悪化が世界統治機構設立の根拠であるならば、世界各地で頻発する犯罪や紛争を力で抑え込むことのみを任務とする、警察国家ならぬ‘世界警察機構’の設立こそ、同著の結論となるはずなのです。

アタリ氏の主張が非現実的である理由は、同氏が、共産主義的な発想に基づく政経一元論の立場にあるからなのでしょう。一元論から離れ、多元主義的な観点に立脚すれば、‘新世界秩序’とは別の人類の未来が描けるはずです。それは、国家の、そして、国民国家体系の消滅でもなく、政治体系と経済体系とが相互に調和した、‘善き世界秩序’ではないでしょうか。かくして、‘世界統治機構’という名の現代のバベルの塔は、崩壊するように思えるのです。

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4 コメント

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あえて理想へと果敢に (のま)
2018-08-29 07:07:08
経済主体に国境はありません。施しや正義と呼べるもの、ま、企業にとっての正義は利潤追求のみ。それ故とても乱暴であり破壊的な側面があります。

先生もご存知のようにそれを正して再分配や福祉を行うのが政治ですが、国を自由に移動する多国籍企業に対してかつての国家権力のようにコントロールできません。

それが人類史上空前の巨大格差を世界に産みだしており、この課題を見過ごすことはなんともやり切れないというのが私の思い。

話は変わりますが、政治や軍事の人は「地政学」とか「国益」「相克する民族群」のように展開しますね。
経済脳の人は、お金をくれる人は誰でも神様ですからあまりそのようなことには頓着しない。

イギリスの保守党と労働党、アメリカの共和党と民主党。かつてほど政策に差はなく、そしてソ連のような計画経済を望む人はほとんどいません。
政治、経済において、昔ほど激しい極端な意見の対立が見られない今、大方正解に関するコンセンサスができているのではないでしょうか? 今すぐというと倉橋様のおっしゃる通り問題山積していますが、アタリ氏の世界の実現可能性は少しずつ前進しています。

経済的相互互恵関係を軸に人権を重んじて福祉を世界的に最適配分する。
今その実現可能を感じる予兆はどこにもありませんがこの動きは未来の選択肢の一つとして無くさず誰かが言い続けてほしいと思っています。

独断的夢想ですが遠い未来のある日に実現するとするならば、ポピュリズム的民主政治の側面を後退させて、世界的未来のコンセンサス、人類の英知を信仰する新しい各国の秀才官僚主導のものとなるのでは? そうでなくてはまとまりますまい。

アタリ氏の世界政府構想に関しての私の最初の感想は、突飛だなというものでしたが、今はいつの日かそんなことが、あるいはこれが国連の強化へと影響を与える源泉になったら面白いかなと見ています。

今の風景は大戦前の帝国主義国民国家の匂いが強く、ひたすらエゴイスティックで利己的であり、かつ感情的で、とても古臭くてつまらない。しかし現実的であることは認めてはいますが、さらに違う思想が深まり成長していくことをおもしろく見ています。
とってかわらずとも現実世界のリアリズムに少しでも影響を与えてほしい。

つまり、欠点を指摘するのはたやすいですが、人類みなでこの途上の構想を育てていきたいなと私は思うのです。
国を越えて民族を超えて助け合い、認め合い、仲良くなり・・・人間は理想に思いをはせるから他の動物と違う人間なんだと思っているのです。
その日が近いとは思っていませんが。

倉橋さんは故頭山満翁のご親族なのですね。最近のライトウイングの人はこの大巨人の名を知っているのでしょうか。私もそんなに高齢ではなく倉橋様よりだいぶ年下なので、知っていることがもう珍しいのかもしれませんが。
お写真興味深く拝見させて頂きました。
頭山氏?あ!と声が出ました。
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のまさま (kuranishi masako)
2018-08-29 08:50:09
 コメントをいただきまして、ありがとうございました。

 長期にわたる人類の分散定住の結果、今日、地球上には歴史、伝統、慣習、宗教などが異なる様々な人種や民族が住んでおり、今日の国民国家は、多民族国家という例外はありつつも、凡そ、この民族的な枠組みを原則としております。歴史的経緯等の違いによって国民性にも違いがあるのですから、こうした枠組みをなくすことが人類の’理想’とは思えないのです。私は、”ポピュリズム的民主政治の側面を後退”させるのではなく、ポピュリズム的な民主主義を対外的には相互尊重へ、対内的には国民思いの政治に変えてゆくことではないかと考えております。

 些か複雑になるのですが、父の母(祖母)の実家が菟田家と申しまして、福岡遠賀の出であるその父茂丸(曾祖父)は、橿原神宮の宮司等を務めておりました。茂丸には芝芽男と申す兄がおり、この兄のもとに頭山家から嫁いできたのが頭山満翁の夫人の実妹という関係です(頭山満翁は筒井家から婿養子に入っております)。世の中の動きが慌ただしくなる中、頭山翁の生きた激動の時代を、あらためて見つめ直す必要があるのではないかと、感じる今日この頃です。

 ところで、私は、倉橋ではなく、倉西と申します。ご訂正をいただけましたならば、幸いでございます。
返信する
とんでもないことを申し訳ございません (のま)
2018-08-29 21:51:50
なんとも失礼なこととなってしまい、血の気が引く思いを致しました。
大変申し訳ございませんでした。
正確に倉西雅子様であることは存じているのに間違えてしまいました。

丁寧で足腰の強い論陣に敬服し、面白く拝読させて頂いている敬意の一方で、なぜこんな失礼なミスをしてしまったのかと我ながら驚いています。

しゃべるような長いコメントを投稿しているあいだに、つい。
申し訳ございませんでした。お詫びいたします。言語道断な間違いに恥じ入っております。

返信する
のまさま (kuranishi masako)
2018-08-30 07:32:33
 どうぞ、お気になさらないでくださいませ。こちらこそ、ご丁寧なコメントの返信をいただき、大変、恐縮いたしております。
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