万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

ワクチンは両刃の剣?

2021年08月10日 17時37分58秒 | 国際政治

 新型コロナウイルス感染症につきましては、諸外国と比較して日本国内での感染率、重症化率、並びに、死亡率が相対的に著しく低いレベルにありながら、既に国民の凡そ3割程度が二度のワクチン接種を終えているとされています。その一方で、厚労省の発表によりますと、ワクチン接種との関連性が疑われる有害事象の数が7月30日の時点で919名にも上っており、1000を数える日も近づいております。身近な方が亡くなるケースもあり、’ロシアン・ルーレット’とも称されるように、国民にとりましては、ワクチン接種は命がけの危険行為になりつつあります。

 

 もっとも、’ワクチン・リスクはデマ’とする政府の基本的スタンスは変わっておらず、接種促進に邁進こそすれ、ワクチン・プロジェクトを見直す気配は感じられません。また、ワクチン接種の先導役を務めているマスメディアのみならず、ネットにあっても、ワクチン推進派の人々は、盛んに安全性を強調しつつ、ワクチン懐疑派の人々を非科学的な愚か者、あるいは、身勝手で反社会的な人々とするレッテル貼りに余念がありません。こうしたワクチン接種派の人々の主張にあってしばしば目にするのが、’何故、ワクチン懐疑派は、ワクチンを接種すれば不妊になるなどと騒ぎながら、同じリスクを感染に対して言わないのか?スパイク蛋白質のリスクは同じはずなのに、感染時のリスクとしては聞いたことがない。’というものです。

 

 確かに、新型コロナウイルスのエンベロープはスパイクに覆われていますので、スパイク蛋白質に有害性があるとすれば、ウイルスのものでもワクチン由来のものであっても変わりはないはずです。この点において、ワクチン推進派の主張は頷けるのですが、感染率は1%以下に過ぎないにもかかわらず、ワクチン接種のリスクは、健康な人を含めて接種者全員に及びます(100%接種が実現すれば、100倍以上に…)。この他にも、仮に、ワクチン・リスクの方が高い理由があるとすれば、それは、ワクチンの方が、スパイク由来のペプチドに対して特定の抗体が抗原特異的に一度に大量に生成されてしまうことにあるのではないでしょうか(なお、脂質ナノ粒子や人工mRNAを細胞内のTLR等がどのように認識するのかも不明…)。

 

 通常の免疫反応ですと、樹状細胞などのマクロファージは、細胞内で飲み込んだウイルスをペプチドレベルに細かに分解するそうです。つまり、スパイク蛋白部分も抗原となる一方で、他の様々な部位も抗原となり、そのそれぞれに抗原特異的に抗体が生成されることとなります。自然感染の場合には、分解された各種ペプチドを抗原とする様々な種類の抗体が造られますので、スパイク・ペプチドに特化した抗体は全体からすれば一部ということになりましょう(もっとも、全体からすれば少ないものの、スパイク部分も複数の抗原に分解され、ADE抗体を含む数種類の抗体が生成される…)。

 

そして、ファイザー社を初めとする遺伝子ワクチンを製造する製薬会社がスパイク部分を標的としたのも、同部分が、ACE2受容体と結合し、感染の経路となる部分であったからに他なりません(もっとも、今日では、ワクチンによる感染防止の効果は否定されている…)。スパイク部分のみに特化した人工mRNAをヒトの体内に投与し得る技術を開発したからこそ、同ワクチンは、スパイク部分に免疫反応する大量の抗体を造り出すことに成功したのです(もっとも、同時に’悪玉抗体’のADE抗体も産生してしまう…)。そしてそれは、極めて効率的である故に、人体にとりましては両刃の剣ともなり得るのでしょう。

 

しかも、ワクチンの場合には、脂質ナノ粒子の高浸透性により、ACE2受容体が存在しない場所の細胞にも人工のmRNAが入り込み、スパイク蛋白質を生成します。体内の細胞から大量に発生した全てのスパイク蛋白質を免疫システムが完全に処理するとは限りませんので、残存してしまったスパイク蛋白質が血栓の形成や臓器への蓄積などにより、それが短期的であれ、長期的であれ、様々な有害事象を引き起こすリスクは否定できないのです。一説によれば、ウイルス由来よりも、ワクチンによって体内に投入された人工mRNAやそれが造り出すスパイク蛋白質の方が分解され難いとも言います(ウイルスの場合、スパイク部分は細胞侵入の際の足掛かりであるため、この役割が終われば速やかに消滅するのでは…)。また、スパイク蛋白を生成する細胞がキラーT細胞やナチュラル・キラー細胞から攻撃されたり、自己反応性T細胞や同B細胞が活性化されれば、自己免疫疾患を引き起こすかもしれません。

 

加えて、遺伝子ワクチンはピンポイント的な抗原特異性なので、変異株に対して極めて脆弱という弱点もあるのですが、今後、効果の低減や変異株の出現によりワクチン接種を3度4度と重ねるとしますと、スパイク蛋白質等による健康被害や免疫システムの過剰反応のみならず、ナイーブT細胞といった免疫細胞の‘浪費’や‘消耗’という問題も起き得るのかもしれません。加齢による免疫力の低下は、ヘルパーT細胞が慢性感染や持続的な異物の侵入により、過剰な細胞増殖が誘導されることで老化することに起因するとする説もあります。

 

ファイザー社のワクチンの機序に関する説明からしても、以上のリスクは大いにあり得るのですが、不思議なことに、ワクチン推進派の人々は、誰もこうした素朴な疑問に答えてはくれないのです。Q&A方式にあっても、「○○のようなことはありません」、あるいは、「××は起きないとされています」という表現の回答が殆どであり、言葉だけの否定では真偽の判断も使用がありません(将来のことなので、本当のところは、誰も、安全証明も断言もできないはず…)。国民の多くがワクチンに対して警戒感を抱くようになった今日、政府やマスメディアは、むしろ正直に徹してリスクはリスクとして認めるべきなのではないでしょうか。沈黙や情報の隠蔽は、国民の不安を募らせるのみではないかと思うのです。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京オリンピック閉会式の選手退場はボイコット?

2021年08月09日 12時32分07秒 | 国際政治

 昨晩、混乱に次ぐ混乱の末に開催された東京オリンピックは、閉会式を迎えることとなりました。ところが、この閉会式にあって珍事が発生したというのです。それは、IOCのバッハ会長と東京大会組織委の橋本聖子会長が登壇した途端、示し合わせたかのよう選手たちが次々の退場してしまったというものです。この事件、一体、何を意味するのでしょうか。

 

 同記事を報じるメディアの解釈によれば、開会式におけるバッハ会長、並びに、橋本会長のスピーチの長さがその原因なそうです。開会式のスピーチに費やされた時間は、バッハ会長が13分、橋本会長が7分でした。このため、実際にネット上では、両者に対して「話が長い」「校長先生のようだ」「選手らが疲れている」といった批判的な声があったそうです。しかしながら、二人分の時間を合わせても20分であり、学校の事業時間が45分である点を考慮しても、耐え切れない程に‘長い’と感じる時間であるとも思えません。同批判を受けて、閉会式ではバッハ会長8分、橋本会長5分と短めで切り上げたとされていますが、‘話が長い’ことが、退場の主要要因であったとは思えません。

 

 そして、ここで思い起こしますのは、’ボイコット’というものです。学生時代、不満のある先生に対して生徒たちが結託し、’先生が教室に入ったらそこには誰もいなかった’、という’いたずら’をした経験のある方は少なくないのではないかと思います。遊び心半分、抗議の気持ち半分なのですが、とりわけ立場が’上’の人に対して何かを伝えたいときに、言葉ではなく行動で暗に示すこともあるのです。

 

 本当のところは選手たちの真意は確認のしようもないのですが、仮に、選手たちが一斉に会場から退場を始めたとしますと、あるいは、それは、IOCの上部に対する不満表明であったのかもしれません。’五輪貴族’とも揶揄されているように、幹部たちの金満体質には目に余るものがあります。’ぽったくり男爵’とまで書かれたバッハ会長に至っては、一泊300万円ともされる豪華なホテルの一室で滞在していたとも報じられております(フェイスニュースかもしれませんが…)。幹部に対する’おもてなし’ぶりは、選手たちの宿泊用に用意された選手村の簡素な部屋とは雲泥の差です。近代オリンピックとは、表向きはアマチュア精神の発露とされていますので、手弁当で参加する選手と幹部との待遇差は埋めようもないのです(選手に対しては厳しい行動制限を課す一方で、バッハ会長は、閉会式の翌日には銀座を散歩していたという…)。

 

 大会時における’格差’のみならず、近年、オリンピックには幹部汚職や開催費用の中抜きなど、ダークな噂が付きまとっております。好感度も低下傾向にあるのですが、選手たちが、IOCに対してボイコットという形で自らの不満を行動で示したとしてもおかしくはありません。今般の東京オリンピックの閉会しは、水面下において静かに進行していたIOCと選手たちとの間の亀裂が露わにしてしまったともいえましょう。

 

 次回のオリンピックの開催都市はフランスの首都パリとなりますが、果たして、IOCが描いたシナリオ通りに開催されるのでしょうか。パリでは、歴史的な建物も競技会場とされ、女子馬術に至ってはベルサイユ宮殿で行われるそうです。最初は、フランスらしい’粋な計らい’と感心したのですが、女子馬術には、マイクロ・ソフトやビル・ゲイツ氏の長女やアップル社のスティーブ・ジョブ氏の末娘といったデジタル時代のセレブ達の参加も見込まれ(両者とも、練習用に広大な牧場を保有…)、FOC側の特別待遇であったのかもしれません。その一方で、ニューヨークのブロンクス区においてアフリカ系やヒスパニック系の若者のヒップホップ文化から始まったストリートダンスが、2024年から正式種目に採用されています。こちらの方の会場は、フランス革命にあってバスチーユ監獄襲撃に住民の多くが参加したパリ下町のフォーブール・サン=タントワーヌ地区なのでしょうか。

 

今日のオリンピックは、かのフランス革命に負けず劣らずの矛盾、欺瞞、偽善に満ちており、その存在意義が根底から問われているように思えます。そして、閉会式での出来事を見ますと、どこかで限界を迎えてしまうのではないかと思うのです。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二階幹事長の言う’国民’とは誰のこと?

2021年08月06日 12時42分23秒 | 日本政治

 先日、自民党の二階俊博幹事長の発言が、またも炎上する事態となりました。その発言とは、「菅首相は『続投してほしい』の声が国民の間にも強い」というものです。菅内閣の支持率は、東京オリンピック・パラリンピックが開催された後も低下傾向にあり、お世辞にも国民の間で続投を望む声があるとは言えない状況にあります。現実とのあまりの認識の‘ずれ’が炎上の原因なのですが、こうした発言をさらりと言ってのける二階幹事長の世界観は、おそらく、一般国民とは著しく違っているのかもしれません。

 

 ここで思い起こすのは、共産主義国家における’人民’という言葉です。そもそも共産主義の理論にあって人類が最終的に到達すべき体制とは、革命を経てプロレタリアート(労働者階級)が全権力を掌握する一種の独裁体制でした。もっとも、同思想が体制を支える国家イデオロギーの座に就くに当たって、プロレタリアートは、体よく’人民’という言葉に置き換えられます。この結果、’プロレタリアート独裁’は、プロレタリアート以外の人々全てをも独裁支配する’人民独裁’と凡そ同義となり、ここに共産主義国家は、人民民主主義の看板を高らかに掲げることとなったのです。’我々は、人民の人民による人民のための国家を樹立した’として。共産主義国家こそ’人民’の国家であるとする意識は、中華人民共和国、あるいは、朝鮮民主主義人民共和国といった共産主義国家の国名においても確認することができます。

 

 しかしながら、この’人民’という言葉は、今日、自由主義国にあって一般的な用いられている国民とは決して同義ではありませんし、’人民民主主義’も’民主主義’の本来の意味とは違っています。否、この言葉を正確に理解するためには、共産主義特有の’ダブル・シンキング’を前提とした解読作業を要します。’ダブル・シンキング’とは、かのオーウェルのディストピア小説『1984年』に登場するの用語なのですが、ソ連邦をモデルとする独裁国家「オセアニア」では、国家が使用する用語には表と裏があり、表の意味が’偽’であるとすれば、裏の意味こそが’真’です。例えば、’平和省’と名付けられた国家組織の真の姿は、戦争を遂行する機関です(他の2つの大国との間の、体制引き締めのための’八百長’なのですが…)。こうした’ダブル・シンキング’の事例は、小説の世界のみならず現実の共産主義国家においても散見されるのです。

 

 ’ダブル・シンキング’の思考回路から読み解きますと、’人民’の表の意味は自由主義国で使われる’国民’と変わりはないのですが、裏の真の意味は、共産党ということになります。共産主義国家にあっては人民を代表するのが共産党であり、それ故に共産党一党独裁こそが人民独裁に他ならないとする詭弁がまかり通っているのです。かくして、表看板としての’人民民主主義’の下で、’一党独裁’という民主主義とは真逆の国家体制が出現してしまうこととなったのです。

 

 もとより共産主義思想は矛盾や欺瞞に満ちているのですが、日本の政界にあって二階幹事長が親中派の代表格である点を考慮しますと、同氏が共産主義にシンパシーを感じていることは想像に難くありません。そして、この視点から同氏の発言を聴きますと、’国民’とは、決して日本国民一般ではなく、中国共産党、日本政界内の親中派、あるいは、中国の背後に潜む超国家権力体を意味するかもしれないのです。仮に、二階幹事長の背後勢力が菅政権の継続を望んでいるとしますと、日本国民は、警戒したに越したことはないと思うのです。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

家計部門66%CO2削減の行方とは?

2021年08月05日 14時45分42秒 | 国際政治

 去る7月26日、日本国政府は、16年ぶりに地球温暖化対策計画案の改定案を公表しました。菅政権誕生と同時に脱炭素に向けた取り組みが加速化されたことを受けての改定ですが、同案では、2030年度までに2013年度比で二酸化炭素の排出量は産業部門で37%、家計部門では66%の削減が目標値として設定されたそうです。産業部門と比較して家計部門での削減率の高さが目立つのですが、66%という数値だけ見ても削減目標の達成が容易ではないことは、誰もが感じることでしょう。凡そ、僅か10年の間に現在の凡そ半分以下に減らさなければならないのですから(もっとも、2013年頃をピークとして、電力使用量は減少傾向にはある…)。

 

 今年の3月に公表された環境省の「平成31年度(令和元年度)家庭部門の CO2排出実態統計調査 調査の結果(確報値)の概要」によれば、公表時での削減目標は2013年度比で4割と記載されています。つまり、今回の改定案では、削減目標率がさらに2割増しにアップされたこととなるのですが、一体、政府は、どのような政策手段を以って家庭内での排出量を激減させようとしているのでしょうか。

 

 上記の調査によりますと、家計部門におけるエネルギー種別のCO2の排出量は、電気66.2%、 都市ガス14.7%、 LPガス5.9%、 灯油13.2%なそうです。そして、CO2の削減とは、即ち、エネルギー消費量の削減と凡そ同義ですので、66%の削減目標とは、家庭内で使用されるエネルギーを大幅に減らすことを意味するのです。暖房 冷房 給湯 台所用コンロ 照明・家電製品等の消費量を半減させなければ達成できないのです。政府としては、国民のさらなる省エネ行動に加え、家電類の省エネ化、LED照明使用の拡大、二重サッシや複層ガラス窓の普及などに期待しているようですが、これらの措置を既に完了してしまっている家庭も少なくはありません。家電メーカーの多くも、長年にわたって製品の省エネ化を進めてきましたので、画期的な省エネ技術が開発され、かつ、実用化されない限り、劇的な削減が実現するとも思えないのです。

 

また、政府は、脱炭素の流れにあって石油や天然ガスから再生エネルギーへの転換を目指しており、住宅のオール電化も進めることでしょう。しかしながら、北海道や東北地方において暖房用のエネルギーを全て電力に切り替えるとしますと、冬場にあっては莫大な電力を要しますし、それを全て再生エネで賄えるとは思えません。また、大雪によって停電が発生すれば、多くの人々の命にかかわることでしょう。

 

 このように考えますと、家庭部門でのCO2削減率66%の目標設定とは、日本国政府による’国民苛め’にも思えてきます。政府が闇雲に数値目標の達成を目指せば、国民の生活レベルの向上どころか、著しい低下を招く可能性さえあるからです(電力消費量に制限が設けられるとすれば、家電製品も使用できなくなる…)。仮に、政府が国民生活に何らのマイナス影響も与えずに10年以内に容易に66%削減を達成できると見なしているならば、国民に対してその具体的な道筋を丁寧、かつ詳細に説明するべきなのではないでしょうか。現状からしますと、66%という数字はあまりにも非現実的ですし、国民に対する悪意さえ感じられるのです。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ワクチン義務化は恐怖政治?

2021年08月04日 14時44分20秒 | 国際政治

 フランスでは、遂に、「衛生パスポート」の導入という形で、ワクチンの接種が、事実上、全国民に拡大されることとなりました。PCR検査や抗体検査による陰性証明が併用されつつも、48時間以内のものに限定されているため、同制度は、国民に同パスポートの発行要件とされた二度のワクチン接種を迫ることとなったのです。このため、フランス各地では、同制度の導入に反対するデモが起きていると報じられております。

 

 そもそも、ワクチン・パスポートは、世界最速でワクチン接種が進んだイスラエルにあって「グリーン・パスポート」の名称で始まったものですが、今では、上述したようにフランスを初め、ユダヤ系の影響の強い国や地域に拡大を見せています。EUにあっても旅行者向きに7月1日から「グリーンパス」制度が施行されていますし、アメリカのニューヨーク市でも、ワクチン接種証明書を提示する「Key to NYC Pass」プログラムの実施が決定されています(「ワクチン・パスポート」とは違うとも説明されている…)。

 

 その一方で、治験の段階で緊急措置として承認された、これらの諸国で接種が推進されている遺伝子ワクチンは、全世界にあって数十億人が既に接種を完了した今日、’治験’の結果が判明しつつあります。その結果は、と申しますと、従来株にあっては一定期間の感染を防ぐ効果はあっても、デルタ株といった変異株に対する感染防止効果は薄い、というものです。つまり、たとえ二度の接種を済ませたとしても、自らが感染すると共に、他者をも感染させてしまうのです。むしろ、接種者の方が感染率が高いとするイスラエルの報告もありますし、東京オリンピック・パラリンピックを機に来日した選手団の感染者、あるいは、陽性者の報告を見れば、この事実は否定のしようもありません。

 

  ワクチン接種は、変異株に感染した場合でも重症化や死亡を防ぐ効果はあるとされていますが、この効果も、ワクチン接種者にあって重症化した事例もあり、また、デルタ株が弱毒化した可能性も否定できず、確証があるわけではありません。また、再三指摘されていますように、ADEのみならず、脂質ナノ粒子、修飾されたmRNA、並びに、スパイク蛋白質などが自然免疫や獲得免疫、あるいは、身体に与える中長期的な影響は不明です。感染防止効果も限られており、かつ、最悪の場合死亡リスクもあるワクチン接種を前提とした「ワクチン・パスポート」の導入は、どの角度から見ても非合理的であり、反理性的な制度のように思えます。

 

 「ワクチン・パスポート」がワクチンに対する絶対的な信仰に基づいているとすれば、この現象は、天賦の自由、並びに、平等を求めたフランス革命が、あろうことかロベスピエールの独裁に至ってしまった歴史の流れを思い起こさせます。ロベスピエールによる恐怖政治の特徴は、迷信や蒙昧を排し、理性の尊重から出発したはずが、’理性’そのものが非合理的な信仰の対象となってしまったというパラドクスにあります。恐怖政治を支配していたのは、知性としての理性ではなく、’理性信仰’という別物であったのです。このため、人々は、’理性信仰’を強要され、それに抗う者は悉く反革命分子としてギロチン台の露と消えることとなったのです。

 

 今日、フランスにおいて起きているワクチン接種の事実上の義務化は、’ワクチン信仰’の果てのロベスピエールの恐怖政治の再来に見えてきます(ワクチン信仰というよりも、デジタルによって人々を完全に管理し得ると信じる’デジタル信仰’かもしれない…)。歴史とは、人類にしばしば教訓を残すものですが、「ワクチン・パスポート」の導入とは、やはり、人類史にあって繰り返してはならないはない誤りではないかと思うのです。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

巨大ITとイノベーションのパラドックス

2021年08月03日 12時33分07秒 | 国際政治

 コロナ禍という追い風も受けて過去最高の増収を記録しつつも、今日、巨大ITに対する風当たりは強くなる一方です。デジタル化推進の旗振り役であったかの日経新聞でさえ、経済のみならず社会全体に対する支配力への警戒感から、規制強化に向けてIT大手を取り巻く空気が変化してきているアメリカの現状を報じています。

 

 もっとも、巨大ITに対する規制強化の動きは今に始まったわけではなく、数年前から活発な議論がなされてきており、政治サイドでも、CEOの議会招致から始まり規制強化のための立法化へと至る一連の流れが見られます(規制強化のための大統領令の発令も…)。いわば、既定路線化しているとも言えるのですが、守勢となった巨大IT側が自らを弁護する’魔法の杖’としてしばしば’一振り’するのがイノベーションという言葉です。イノベーションとは、シュムペーターによって最初に理論として定義化され、今日では、誰もが知る現代用語の一つとなったのですが、この言葉を聞くと、巨大IT批判はトーンダウンしてしまいます。巨大ITは、規制強化をすれば、イノベーションを阻害すると主張しているからです。

 

 それもそのはず、今日のデジタル社会とは、巨大ITによるイノベーションの結果であるからです。そもそも、実のところ、イノベーションは様々な場面で多義的に使われてはいるものの、基本的には、新しい技術や考え方の出現によって、既存のシステムや社会通念などが一新されてしまう現象をとして理解されています。狭義には’破壊的イノベーション’と表現されるのでしょうが、この定義に照らしますと、今日のデジタル社会の出現とは、ネット空間にあってPCやスマホ等を繋ぐプラットフォームを構築し、これを基盤として様々な新たなビジネス・モデルを提供してきた巨大ITこそ、イノベーターと言えましょう。全世界の人々の生活様式を一変させることになったのですから。そして、イノベーターとしての自負があるからこそ、今なお、巨大ITは、卓越したイノベーション力を以って自らの存在を擁護しているのです。

 

 しかしながら、イノベーションが本質的に’既存のものの破壊’という意味を含んでいる限り、巨大ITが創り出した社会もまた、その誕生と同時に、壊されるべき’既存のもの’となる運命にあります。しかも、上述したように、巨大ITがもたらす様々な側面におけるマイナス影響や弊害は、一般の人々の忍耐の限界を越えようとしているようにも見えます。中国において既に顕在化しているように、人々の生体情報から言動、あるいは、脳内の思考活動に至るまでその全てをデジタル情報化し得るテクノロジーの発展の先には、それが政府であれ、私的集団であれ、完璧なる監視社会が待っていることに人々が薄々気付くようになったからです。目に見えない監視付きの檻の中にあって、内面の自由さえも侵害され、私的空間が剥奪された状態に、果たして、人々の精神は耐えられるのでしょうか。他者の視線とは、高い認知能力、あるいは、感受性を有する故に、人というものにはストレスなのです。

 

 このように考えますと、デジタル社会の限界点が見えてきた今日にあって、真に人々が願っているイノベーションとは、巨大ITが構築してきた監視型システムの破壊や刷新であるのかもしれません。そしてそれは、デジタル化を’進歩’とする立場からすれば’退化’に見えるとしても、政府や私的組織から支配されることも、巨大ITに利益が集中することもない、より分散的であり、個々の主体性や自由な空間が護られる新たなシステムであるのかもしれないのです。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ワクチン・パスポート」は巨大IT企業のため?

2021年08月02日 11時11分16秒 | 国際政治

 政府の掛け声の下で、どの国も国民へのワクチン接種が進んでいます。この動きに合わせるかのように、海外への渡航条件のみならず、「ワクチン・パスポート」を国内においても積極的に同制度を活用すべしとする声も聞こえるようになりました。「ワクチン・パスポート」の仕組みは、デジタル・データであれ、紙面であれ、過去におけるワクチン接種を証明し得る人のみ、あらゆる施設を利用したり、官民が提供する各種サービスを受けられるというものです。果たしてこの制度の真の目的は、どこにあるのでしょうか。

 

 政府の説明によれば、同制度の導入の狙いは、経済や社会の正常化にあります。特に、ロックダウンを実施した諸国では、「ワクチン・パスポート」は、部分的であれ、営業停止を余儀なくされていた事業者の営業再開を意味します。コロナ禍以前と凡そ同様の状態に戻れますので、小売業、観光業、サービス業、イベント業などからは歓迎する声も少なくないのです。

 

 経済並びに社会の正常化を第1の目的としますと、第2の目的は、非接種者に対する接種圧力です。同調圧力が集団心理的な圧力としますと、「ワクチン・パスポート」は、利益誘導型の物質的な圧力です。非接種者は、公共の場におけるあらゆる公共サービスや民間サービスを利用できませんので、日常生活にも不便を来しますし、従来の交友関係からも排除されてしまいます。友人や知人と会食したり、一緒にイベントに参加することもできなくなりますので、「ワクチン・パスポート」は、ワクチン接種に向けた強い動機となるのです。そして、この目的は、同時に、集団免疫の実現でもあるとも言えましょう。同圧力が行きわたれば、最終的には、凡そ全員がワクチンを接種することとなるのですから。

 

 もっとも、これらの目的の達成は、同時に、「ワクチン・パスポート」の存在意義を消滅させることとなります。何故ならば、理論上にあっては、集団免疫が成立すれば、感染リスクが著しく低下し、とりたてて感染防止策を講じなくとも、誰もが平常の生活を送ることができるようになるからです。言い換えますと、「ワクチン・パスポート」とは、集団免疫が成立するまでの過渡的な措置に過ぎないのです。

 

 政府やマスコミの基本的なスタンスは以上に述べた通りなのですが、現実を観察しますと、第1の目的も第2の目的も達成できそうにはありません。その理由は、先ずもって、ワクチン忌避者が多く出現している現状があるからです。本ブログでも再三指摘しておりますように、遺伝子ワクチンは、治験段階にあるために未知のリスクに満ちています。医科学的な根拠のあるリスクも少なく、ワクチンとの関連性が疑われる死亡件数も無視できない数に上っています(日本国内では751件…)。激しい副反応に襲われた接種者も数限りなく、ワクチン接種率を引き下げる要因となっているのです。ワクチン・リスクは、目に見える現象として現れていますので、今後とも、言葉による説明によって国民が安心して接種し得る状況に転じるとは思えません。

 

 となりますと、ワクチン非接種者の割合の方が高くなるケースも大いにあり得るのですが、この状態で「ワクチン・パスポート」を導入しますと、どのような状況が出現するのでしょうか。

 

 新型コロナウイルス感染症のパンデミック化によって最も利益を受けたのは、治療や予防に必要な製品を製造・販売する医療機器や医薬品、並びに、ワクチンを製造する事業者のみではありません。今日、IT大手は、軒並み過去最大の営業利益を上げていますが、テレワークや遠隔授業などの拡大を背景として、IT大手もまた莫大な利益を得ているのです。このことは、「ワクチン・パスポート」によって経済・社会から弾き出されてしまった人々は、テレワークを続け、通販等によって生活必需品等も購入せざる得なくなることを意味します。現状にあって、マスク着用や手先の消毒などの対策を講じれば誰でも利用できた各種施設や店舗なども、「ワクチン・パスポート」が導入された途端、非接種者は、入り口でシャットアウトされてしまうからです。

 

 このように考えますと、ワクチン接種率が頭打ちの今日、「ワクチン・パスポート」の導入に新たな目的が加わるとすれば、それは、IT大手が、公共の施設や店舗などを利用できなくなったワクチン非接種者を、自らの固定客として囲い込むことなのかもしれません。ワクチン非接種者は、対面ではなく、ネットなどを介してしか経済・社会活動を行うことができなくなるからです。もっとも、ワクチン接種によって感染が予防できない事実が凡そ判明した今日、「ワクチン・パスポート」自体が消えてしまい、上述した目的に関する議論も無意味となりつつあるのかもしれません。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする