2023年1月下旬に新型コロナウイルスに感染してしまいました。幸い症状は軽く手持無沙汰な自宅療養期間を過ごしておりました。溜まっている事務仕事など処理などもすぐ終わり、ぽっかり空いた空白の1週間、レトロパチンコ動画を見まくってしまいました。
自宅療養期間に入ったころに偶然高校時代からのパチ友から連絡があり、昔からのガイドライターの対談動画が面白いという情報を得たもので、時間を持て余していた自分には渡りに船で見ましたね~対談動画を、昔の必勝ガイドライターの方々は話も面白いですね。若い頃はアニマルかつみさんについて特にどうも思っていませんでしたがこの度動画をたくさん見て、とにかくお話が上手いのと人間性も素晴らしそうで大好きになりました。そこでそんなアニマルかつみさんが1990年代初頭から活躍しておられたパチンコ攻略誌の思い出を書こうと思います。
私がパチンコを始めた1990年頃発売されていて記憶に残っている攻略誌は
①パチンコ必勝ガイド
②パチンコ攻略マガジン
③秘密のパチンコ術
④パチンコファン
⑤パチンコ必勝本
位でしょうか・・・
私がパチンコ攻略誌に興味を持ち友人に貸してもらったパチンコ攻略誌が①②③の3冊でした。(③④⑤とかじゃなくて良かったです(^_^;)もしそうだったらその後どのようなパチンコ人生を歩んでいたでしょうか・・・逆に負けまくってパチンコから足を洗えていたかもしませんが考えるのも怖いです。)その①②③のなかで私が特に気に入ったのが①のパチンコ必勝ガイドでした。友人に借りて初めて読んだのは今でも覚えていますが西陣のデジパチスーパールーレットが表紙の1991年1月号だったと思います。実は後年、ヤフオクにて1991年92年に発行されたパチンコ必勝ガイドを購入しましたので現在手元においています。
1991年1月号の内容というと・・・
・キャスター(マルホンデジパチ)1027連チャン永久連チャン攻略法
・パニックコスモⅡ(サンヨー)完全攻略法
・パールセブン(マルホン)いぶし銀攻略法
・コンチネンタルⅠ(瑞穂製作所)連チャン実戦データ掲載(実戦店 神田「スリーセブン」)
・コンチネンタルⅢ(メーシー販売)機種紹介
・必勝ガイド開発部 新台のアイデアを読者から募集するコーナー、今号に後に三共から発売された羽根物「ガンコ親父」と瓜二つな「ヒューマのおやじ」という台のアイデアが掲載されています。このアイデアを出した方は三共から謝礼を貰われたのでしょうか?
連載記事として
・石橋達也試練の十番勝負(第5回仙台編 石橋達也(アラシキング)VS安田一彦(FボルテックスⅡ))
・田山幸憲 パチプロ日記
・山崎一夫 銀玉親方の某月某日
・南伸坊 景品交換所ルポ
・蛭子能収 私のパチンコ史
・未確認情報局
・パチバカ天国と地獄
・月刊かもまちラヴリーズ(女性パチンカーのページ、文通相手募集コーナーが時代を感じます)
等々掲載されていました。懐かしい内容ばかりです。
キャスター永久連チャンについては、保留玉満タンから保留消化して最後の回転(5回転目)で大当たりすると以後チャンスタイム入賞球はほぼ100%連荘するという内容です。大当りするのも難しいですがチャンスタイムに保留玉を点けるのがまた難しい、記事はチャッカー手入れで行っているので連チャンしまくっています。この攻略法は後日女性読者が発見したという事で第2回オリ攻大賞(賞金100万円)を受賞していますが、今号(1991年1月号)では攻略法のネタ元が読者投稿であるとの記述は一切ありません。1年後くらいに突然あの攻略法は読者投稿でした~となってオリ攻を受賞しているので私の中ではずっと謎になっています。
コンチⅠ連チャンデータはコンチⅠデビューしたてのCS-90搭載機を小泉シンノスケ氏(後のはとポッポ小泉氏)とライターN氏(負男)が実戦しています。
小泉氏がBIGオンリー12連チャンと多分当時としてはなかなかないような大連チャンをかまして1700Gで3,000枚強出しておられます。(しかも当時としてはかなり高換金率の5.5枚交換)。石橋達也の試練の十番勝負は石橋氏の13時間デスマッチが発展した連載企画でしょうか?ゲストの方と1日13時間パチンコを打って勝負をするという企画です。この号ではなんとあの安田一彦氏が多分ガイド誌に初めて登場しています。勝負は連チャン攻略法が世に出で回転率が芳しくないボルテックスで苦労している安田氏を横目に新台入替間もないブン回りのアラシキング(ノーマル機)を打つ石橋氏が勝利を収めています。
いやー当時の必勝ガイドは次の号が発売される1か月の間、表紙がちぎれるくらいに何度も何度も読み返したもので今でも覚えている記事が少なくありません。楽しかったです。また、繰り返し読むので当時は台のメーカー名、確率等各種スペックを大体暗記していました。受験勉強の方にその力を向けて欲しかったですね。
続いてパチマガ誌、パチマガ誌について1990年ごろの紙面の思い出と言えば無敗のパチプロ田中勝男氏のコラム(?)でしょうか、高〇生の自分でもいくらなんでも無敗はネーだろーと思って読んでいました。ガイドの誌上プロである田山幸憲氏の魅力ある文章やリアリティーと比べてあまりにもフィクションな感じで、その存在が当時パチマガ誌を購読しなかった大きな理由でした。また当時はガイド誌との紙面上でのディスリ合いも激しく、ガイドに肩入れしていた自分はパチマガ誌を立ち読みすることもほとんどありませんでした。その後パチスロ設定判別の何枚手入れといった洗練された手法を開発された時期とどちらが先か忘れましたが日活のドラゴンエースセット打法スクープ掲載号以降はスロマガ月2冊を定期購読するようになりました。ガイド誌と比べるとやや硬めの真面目な記事が多く、参考になることも多かったです。ガイド誌91時間バトルの後発企画だったオール設定バトルは掲載された台の設定別挙動の参考になりました。ただ台の略称や攻略法名称についてはKKK打法、芋ずる連チャン機、クラコン などあまりセンスを感じませんでした(^_^;)
一人暮らしをしていた学生の頃は雑誌発売日は徹夜をして早朝4時頃のコンビニエンスストアに配達されたばかりのガイド誌、マガジン誌を買いに行くのが習慣でした。当時はパチンコ・パチスロ共に破壊力の大きい攻略法が雑誌に掲載されることもたまにありましたし、知っていると得をするいぶし銀的な情報は毎号のように掲載されていました。また連チャンシステムのプログラム解析やパチスロリール制御のテーブル表などの記事を読むのがいつも本当に楽しみでした。
秘密のパチンコ術については出版元がKKベストセラーズという大人向け雑誌「ザ・ベスト」等が有名な割と大手だったからか1990年時点で比較してレイアウトや製本がしっかりしていた印象です。アラジン攻略法の「原爆セット打法」というセット打法が有名でしたが多分ガセだったのではないでしょうか?1990年当時の紙面にはあまり魅力を感じませんでした。
パチンコファンしについては読んでいてあまり面白くない印象でした、ただ平和の数珠連チャン機「ブラボーキングダム」の攻略法を最初に掲載した雑誌と後に聞きました。侮れませんね。
パチンコ必勝本については1990年ごろに1回読んだっきりでその後読んだことはありません、当時は雑誌としての完成度が低いなという印象で購読に至りませんでした。
当時の各誌を比べると必勝ガイド誌が頭抜けていてとにかく面白くて夢中になって読んでいました。今でもガイド誌のライダー諸氏が人気があるという事を考えると私のような人は少なくなかったのではないでしょうか?
自宅療養期間に入ったころに偶然高校時代からのパチ友から連絡があり、昔からのガイドライターの対談動画が面白いという情報を得たもので、時間を持て余していた自分には渡りに船で見ましたね~対談動画を、昔の必勝ガイドライターの方々は話も面白いですね。若い頃はアニマルかつみさんについて特にどうも思っていませんでしたがこの度動画をたくさん見て、とにかくお話が上手いのと人間性も素晴らしそうで大好きになりました。そこでそんなアニマルかつみさんが1990年代初頭から活躍しておられたパチンコ攻略誌の思い出を書こうと思います。
私がパチンコを始めた1990年頃発売されていて記憶に残っている攻略誌は
①パチンコ必勝ガイド
②パチンコ攻略マガジン
③秘密のパチンコ術
④パチンコファン
⑤パチンコ必勝本
位でしょうか・・・
私がパチンコ攻略誌に興味を持ち友人に貸してもらったパチンコ攻略誌が①②③の3冊でした。(③④⑤とかじゃなくて良かったです(^_^;)もしそうだったらその後どのようなパチンコ人生を歩んでいたでしょうか・・・逆に負けまくってパチンコから足を洗えていたかもしませんが考えるのも怖いです。)その①②③のなかで私が特に気に入ったのが①のパチンコ必勝ガイドでした。友人に借りて初めて読んだのは今でも覚えていますが西陣のデジパチスーパールーレットが表紙の1991年1月号だったと思います。実は後年、ヤフオクにて1991年92年に発行されたパチンコ必勝ガイドを購入しましたので現在手元においています。
1991年1月号の内容というと・・・
・キャスター(マルホンデジパチ)1027連チャン永久連チャン攻略法
・パニックコスモⅡ(サンヨー)完全攻略法
・パールセブン(マルホン)いぶし銀攻略法
・コンチネンタルⅠ(瑞穂製作所)連チャン実戦データ掲載(実戦店 神田「スリーセブン」)
・コンチネンタルⅢ(メーシー販売)機種紹介
・必勝ガイド開発部 新台のアイデアを読者から募集するコーナー、今号に後に三共から発売された羽根物「ガンコ親父」と瓜二つな「ヒューマのおやじ」という台のアイデアが掲載されています。このアイデアを出した方は三共から謝礼を貰われたのでしょうか?
連載記事として
・石橋達也試練の十番勝負(第5回仙台編 石橋達也(アラシキング)VS安田一彦(FボルテックスⅡ))
・田山幸憲 パチプロ日記
・山崎一夫 銀玉親方の某月某日
・南伸坊 景品交換所ルポ
・蛭子能収 私のパチンコ史
・未確認情報局
・パチバカ天国と地獄
・月刊かもまちラヴリーズ(女性パチンカーのページ、文通相手募集コーナーが時代を感じます)
等々掲載されていました。懐かしい内容ばかりです。
キャスター永久連チャンについては、保留玉満タンから保留消化して最後の回転(5回転目)で大当たりすると以後チャンスタイム入賞球はほぼ100%連荘するという内容です。大当りするのも難しいですがチャンスタイムに保留玉を点けるのがまた難しい、記事はチャッカー手入れで行っているので連チャンしまくっています。この攻略法は後日女性読者が発見したという事で第2回オリ攻大賞(賞金100万円)を受賞していますが、今号(1991年1月号)では攻略法のネタ元が読者投稿であるとの記述は一切ありません。1年後くらいに突然あの攻略法は読者投稿でした~となってオリ攻を受賞しているので私の中ではずっと謎になっています。
コンチⅠ連チャンデータはコンチⅠデビューしたてのCS-90搭載機を小泉シンノスケ氏(後のはとポッポ小泉氏)とライターN氏(負男)が実戦しています。
小泉氏がBIGオンリー12連チャンと多分当時としてはなかなかないような大連チャンをかまして1700Gで3,000枚強出しておられます。(しかも当時としてはかなり高換金率の5.5枚交換)。石橋達也の試練の十番勝負は石橋氏の13時間デスマッチが発展した連載企画でしょうか?ゲストの方と1日13時間パチンコを打って勝負をするという企画です。この号ではなんとあの安田一彦氏が多分ガイド誌に初めて登場しています。勝負は連チャン攻略法が世に出で回転率が芳しくないボルテックスで苦労している安田氏を横目に新台入替間もないブン回りのアラシキング(ノーマル機)を打つ石橋氏が勝利を収めています。
いやー当時の必勝ガイドは次の号が発売される1か月の間、表紙がちぎれるくらいに何度も何度も読み返したもので今でも覚えている記事が少なくありません。楽しかったです。また、繰り返し読むので当時は台のメーカー名、確率等各種スペックを大体暗記していました。受験勉強の方にその力を向けて欲しかったですね。
続いてパチマガ誌、パチマガ誌について1990年ごろの紙面の思い出と言えば無敗のパチプロ田中勝男氏のコラム(?)でしょうか、高〇生の自分でもいくらなんでも無敗はネーだろーと思って読んでいました。ガイドの誌上プロである田山幸憲氏の魅力ある文章やリアリティーと比べてあまりにもフィクションな感じで、その存在が当時パチマガ誌を購読しなかった大きな理由でした。また当時はガイド誌との紙面上でのディスリ合いも激しく、ガイドに肩入れしていた自分はパチマガ誌を立ち読みすることもほとんどありませんでした。その後パチスロ設定判別の何枚手入れといった洗練された手法を開発された時期とどちらが先か忘れましたが日活のドラゴンエースセット打法スクープ掲載号以降はスロマガ月2冊を定期購読するようになりました。ガイド誌と比べるとやや硬めの真面目な記事が多く、参考になることも多かったです。ガイド誌91時間バトルの後発企画だったオール設定バトルは掲載された台の設定別挙動の参考になりました。ただ台の略称や攻略法名称についてはKKK打法、芋ずる連チャン機、クラコン などあまりセンスを感じませんでした(^_^;)
一人暮らしをしていた学生の頃は雑誌発売日は徹夜をして早朝4時頃のコンビニエンスストアに配達されたばかりのガイド誌、マガジン誌を買いに行くのが習慣でした。当時はパチンコ・パチスロ共に破壊力の大きい攻略法が雑誌に掲載されることもたまにありましたし、知っていると得をするいぶし銀的な情報は毎号のように掲載されていました。また連チャンシステムのプログラム解析やパチスロリール制御のテーブル表などの記事を読むのがいつも本当に楽しみでした。
秘密のパチンコ術については出版元がKKベストセラーズという大人向け雑誌「ザ・ベスト」等が有名な割と大手だったからか1990年時点で比較してレイアウトや製本がしっかりしていた印象です。アラジン攻略法の「原爆セット打法」というセット打法が有名でしたが多分ガセだったのではないでしょうか?1990年当時の紙面にはあまり魅力を感じませんでした。
パチンコファンしについては読んでいてあまり面白くない印象でした、ただ平和の数珠連チャン機「ブラボーキングダム」の攻略法を最初に掲載した雑誌と後に聞きました。侮れませんね。
パチンコ必勝本については1990年ごろに1回読んだっきりでその後読んだことはありません、当時は雑誌としての完成度が低いなという印象で購読に至りませんでした。
当時の各誌を比べると必勝ガイド誌が頭抜けていてとにかく面白くて夢中になって読んでいました。今でもガイド誌のライダー諸氏が人気があるという事を考えると私のような人は少なくなかったのではないでしょうか?
私が初めて打った頃とほぼ同時期に打たれていたようでとても懐かしく共感しております
ガイド至上主義も同感でして隅々まで目を通しておりました
私的にガイドは攻略雑誌というよりは読み物として見ておりライターさん達の個性やギャグなどが秀逸でした
他の雑誌より群を抜いていましたよね
長くなってすいません
またコメントさせて頂きます
群裏好さんのブログ懐かし系の記事を中心に読ませていただきました。1990年代に小岩にお住まいだったんですね。私は葛西でしたが江戸川区南部→北部は当時は電車で良いルートがなく小岩は近くでしたがあまり行った事がありませんでした。小岩(新小岩?)での思い出は18歳の時(1992年)に自己啓発セミナーという名の新興宗教に勧誘されて(笑)小岩か新小岩の道場(?)に1、2度程渋々行った事がある位です。その際に大好きなワイルドキャッツ(注射は飛んでいました)を打って運よく勝った思い出があります。そのほかジャンボというガイド誌によく名前が出るお店があって自分好みの機種が設置してあったので行きたいなーと思っていましたが、結局交通アクセスが悪く行くことはありませんでした。
とりとめもない話が長くなりました。更新は不定期且つ極まれにですが今後ともよろしくお願い致します。