法音カウンセラー 釋 真聴 《日乗》

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師匠のような人

2007年07月03日 23時41分21秒 | 日乗

【くりのみ会】を江東区で開催していた頃からの会員のMさんは、私より一回り上の先輩です。

【くりのみ会】が、参加者が少なくて開催が中断しそうな時にも参加していただき、会の大恩人でもあります。

Mさんは、大変な読書家でもあります。読書家といってもたくさんの本を読んでいるだけでなく、理解が深い。
また、Mさんは、点字翻訳のボランティアにも熱心で、人生師匠のようなお方であります。

Mさんと話をすると、いつでも、ハッとするよなお話を聞かせていただけるので会うのが楽しい。

 

今日のお昼、近くの喫茶店で1時間ほど雑談した。

Mさん曰く、

「初期教典を読んでみると繰り返しが多いのにぶつかります。表面的な文字面だけの理解だと、繰り返しの本当の意味がつかめません。“繰り返す”ことの裏には深い智慧が隠されています。それは、“繰り返し”のプロセスの中で人間の根源的な安定への共鳴・共振が醸成させもらえるように感じます」と。


そうですよね。
私たちの毎日は、目先の新しさを求めることに躍起になり、そのことが勉強だと思っていそうです。また、目先の変化を求め続け“迷中迷”“奈落の底”に転落しているのが今日の世界の実情ですよね。

Mさんは続けられました。
「マザーテレサが、列福に叙せられる時の儀式で、次のような言葉を残しています。“〈多くやること〉と〈心をこめてやること〉とは違います”と。〈心をこめてやる〉ということは、〈繰り返す〉ことでもあります」

 

【落穂拾い】No219で取り上げた次の言葉をあたためたくなった。

いろんなこと
知っているが
本当に大切なことを
しらないことに
気がつかない

 

また、『歎異抄』には、次の言葉がある。

「念佛には、無義をもって義とす。不可称 不可説 不可思議」と。

 

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2 コメント

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本当に・・・。 (yo-サン)
2007-07-04 00:11:24
・・・継続していくことは並大抵ではありませんね。私共の会も本年20年目に入りました。もう、一つの時代の終焉をひしひしと感じるこの頃です。

>「初期教典を読んでみると繰り返しが多い・・・」
初期経典とは具体的には何を指されるのでしょうか。仏教経典ですと、いずれの時代の成立のそれにも繰り返しは多くあります。

また、
>「念佛には、無義をもって義とす。不可称 不可説 不可思議」と。
の引用は、上段の文から来ているのだと推測致しますが、私にはいま少し理解が難しいので、ご教示頂きますれば幸いです。
恥ずかしながら、歎異抄を講じる機会も少なからずあるのですが・・・。(私は寺の生まれでも何でもありませんが、なぜか僧籍があります。w)

【くりのみ会】さん、素晴らしいですね。あやかりたいです。それではまた。ごきげんよう。
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yo-さん コメントありがとう。 (くりのみ)
2007-07-04 16:25:37
・初期教典について 
Mさんが、具体的に何を指しているか聞きませんでした。ただ、Mさんは最近、サンスクリットで初期仏教聖典を読んでいるようです。今度会った時に聞いておきます。

・不可称 不可説 不可思議 について
私は、先輩から『歎異抄』をいただきました。
作家の高史明先生の『歎異抄』を中心に読んでいます。先生には、何度かお会いしています。
で、「不可称 不可説 不可思議」ですが、素人のシンプルな理解ですが、(ことばや概念をそっと脇において、向こうから“感じさせてもらえる世界”)といった意味で考えています。

今日のブログに書いたのですが、加島祥造さんの「内から湧いてくるものに気づく」といったことにも重なるのかな・・・と思います。
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