隊長の一人が登場し、エドマンドが亡くなったことを告げに来る。
そしてリアもまた、コーディリアが死んでしまった悲しみのあまり胸が張り裂けそうになり、肉体的にも彼の心臓は耐えることができなかった。
そしてリアもまた、コーディリアが死んでしまった悲しみのあまり胸が張り裂けそうになり、肉体的にも彼の心臓は耐えることができなかった。
リアは、死ぬ間際に「ボタンを外してくれと」と頼み、「(Look there !)そこ見ろ」と言って、息絶えたのだった。
そして、ケントは旅立ち、残されたオールバニーとエドガーが、この乱れた国を建て直すことになる。
(完)
(完)
リアの最後の言葉は、前述したように「(Look there !)そこ見ろ」であるが、これは殺されたコーディリアの唇を指して「まだ生きているではないか」と言っているのだ。リアは殺されたと思った娘が生きている、という錯覚をして、その喜びの中で息絶える。
つまり、この悲劇は全くの救いがないという作品ではなく、少なくとリアにとって、それは偽りなのかもしれないが、救いがあったということなのだ。
『リア王』の作品のテーマは、「ひとりの人間が全てを失った後に何が残るのか」であり、「人間にとって一番大事なものとは何なのか」という問いかけである。
この作品には、「愛」や「忠誠」といった「この世の光」となるような美徳を体現した登場人物たちが何人も現れる。
言葉が足りなかったというだけで、理不尽にも勘当されながら、父を助けるために軍を率いてやって来て、再会した父を許すコーディリア。
真っ当な忠言したにもかかわらず、追放されてしまうが、下郎に身をやつしリアの元に仕え続けるケント。
どん底に落ちて嵐の荒野を彷徨うリアを見捨てることなく後に続いた道化。リアを助けたばかりに両目を潰されてしまったグロスター。
そのグロスターに勘当され、気違い乞食のトムとして、父を見守り続けるエドガー。目をつ潰されるグロスターを庇おうとしてコーンウォールに斬りかかったコーンウォールの臣下などなど……
一見不条理に満ちたように見える『リア王』の世界だが、よく見ると、その中で光を放つ、素晴らしい人物たちが散りばめられている。
彼らは「人間にとって一番大事なものとは何なのか」について知っていて、極限に近い状況でも真っ当に生きていこうとしている。エドマンドやゴネリル、リーガンたちとは対照的で、こうした人間らしさを失わない登場人物たちにスポットを当てると、『リア王』の世界が全く違ったものに見えてくるのではないだろうか。
最後の部分で人間を信ずることができる、こうした人間観が、この悲劇の根底にあることで、『リア王』という作品が「救いのない真っ暗な悲劇」ではなく、悲痛な叫びを上げながらも決して怯むこととのない人間賛歌を歌っているような気がしてならない。
人間にとって、一番大切なものはとは、お金でも、権力でも、知識でも、名誉でもなく、命ですらない。それは、「他人との関わりの中で、人間として真っ当に生きること」と言っている。
そして、この『リア王』の中には、幸福よりも、命よりも、もっと大切なものがあるということを、シェークスピアは示したかったのではないだろうか。
つまり、この悲劇は全くの救いがないという作品ではなく、少なくとリアにとって、それは偽りなのかもしれないが、救いがあったということなのだ。
『リア王』の作品のテーマは、「ひとりの人間が全てを失った後に何が残るのか」であり、「人間にとって一番大事なものとは何なのか」という問いかけである。
この作品には、「愛」や「忠誠」といった「この世の光」となるような美徳を体現した登場人物たちが何人も現れる。
言葉が足りなかったというだけで、理不尽にも勘当されながら、父を助けるために軍を率いてやって来て、再会した父を許すコーディリア。
真っ当な忠言したにもかかわらず、追放されてしまうが、下郎に身をやつしリアの元に仕え続けるケント。
どん底に落ちて嵐の荒野を彷徨うリアを見捨てることなく後に続いた道化。リアを助けたばかりに両目を潰されてしまったグロスター。
そのグロスターに勘当され、気違い乞食のトムとして、父を見守り続けるエドガー。目をつ潰されるグロスターを庇おうとしてコーンウォールに斬りかかったコーンウォールの臣下などなど……
一見不条理に満ちたように見える『リア王』の世界だが、よく見ると、その中で光を放つ、素晴らしい人物たちが散りばめられている。
彼らは「人間にとって一番大事なものとは何なのか」について知っていて、極限に近い状況でも真っ当に生きていこうとしている。エドマンドやゴネリル、リーガンたちとは対照的で、こうした人間らしさを失わない登場人物たちにスポットを当てると、『リア王』の世界が全く違ったものに見えてくるのではないだろうか。
最後の部分で人間を信ずることができる、こうした人間観が、この悲劇の根底にあることで、『リア王』という作品が「救いのない真っ暗な悲劇」ではなく、悲痛な叫びを上げながらも決して怯むこととのない人間賛歌を歌っているような気がしてならない。
人間にとって、一番大切なものはとは、お金でも、権力でも、知識でも、名誉でもなく、命ですらない。それは、「他人との関わりの中で、人間として真っ当に生きること」と言っている。
そして、この『リア王』の中には、幸福よりも、命よりも、もっと大切なものがあるということを、シェークスピアは示したかったのではないだろうか。