この身体でも
生きてる事
寝たきり予定が
車椅子に
座ってたりする事
などなど
私の行動後の
今の状況について
「運がよかったね」
「生かされてるね」
とか
よく言われるけど
私的には
「なんの罰ゲーム?」
って思う時ある
まぁ
人に言わせたら
自ら旅立とうとした
事に対する
「罰ゲーム」
なんだろうけど
腰以外は
どこも
打ったり骨折も
してなくて
全てが
腰に集中した結果
脊損と
一言で言うても
ホンマに
酷い状態だった
らしい
手術はしたものの
「寝たきり」
って言われてた
けど
今は車椅子に座り
自分で
身の回りの事
多少は出来る
ある意味
スゴい「奇跡」
でも
この身体での生活
なんて
「罰ゲーム」
なんだけどな
だって
誰かの手を
借りないと
生活出来ない
なんて
やっぱり
しんどいから
でもね
行動してすぐの
手術後
私はこう言うてた
らしい
「死ねなくても
身体が不自由になれば
私を取り巻く人達が
整理されて
殆ど居てなくなるはず
それが
願いだったんだ」
って
それを思えば
確かに
その願いは
叶ったと言える
だったら
今生きてるのは
その願いと
引き換えに
過去の自身の
行いに対しての
「罰ゲーム」
なのだろうか
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