日本人の「食」の嗜好は30年でどう変わっているのか。博報堂生活総合研究所の長期時系列調査「生活定点」では、「好きな料理」を聴取し続けている。その内容を細かく分析すると、「食」に関して大きな変化が起きていることが判明した。その変化とは一体何なのか……。
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この週末は、「データで見る『好きな料理』30年史」という記事がおもしろかった。有料会員限定の記事の後半は読めなかったが、無料の前半部分だけでも十分に興味深いものだった。
寿司、焼肉、カレーライス、刺身、ステーキは三十年変わらない不動の人気メニュー。
しかし、寿司は1位を守りつつも、得票率を見ると、シェアはこの三十年で6ポイント近く低下している。刺身はさらに10ポイント近く後退した。逆に焼肉やカレーライスはシェアを拡大し、ラーメン、から揚げ、パスタ、ハンバーグなど、30年前になかったメニューが並ぶ。
この三十年でベスト10から姿を消したのが、うどん・そば、野菜の煮物、天ぷら、焼魚、鍋ものであることからも、和食の人気後退はうかがえる。
1992年には野菜の煮物がランクインしていたのは、ちょっと意外だった。大根の炊いたのや筑前煮がしみじみうまいなあと思うようになったのは、おっさんになってからだ。この当時は私もまだ若く、肉、油、炭水化物がすべてで、野菜など眼中になかった。
しかし、かつては「寿司・すき焼き・天ぷら」が日本料理の定番だったように記憶するのだが、1992年時点でさえ、天ぷらはランクインしているのに、すき焼きが入っていないのは、少し驚きである。『美味しんぼ』の海原雄山の暴言のせいだろうか。
今や国民食といっていいラーメンとパスタがランクインしたのは、意外なことに今世紀に入った2002年である。
振り返れば、私の若いころは、ラーメンは中華屋さんで食べるもので、専門店はまだ少なかった。大阪は、さらに少なかった。私は震災後、1995年の秋に大阪に移り住んだのが、あの頃の大阪ラーメンと言えば、キタは揚子江ラーメンと古潭、ミナミは神座と金龍、近鉄沿線の天理ラーメンくらいだった。もちろん他にもあるのだろうが、私の行動範囲で記憶にあるのはそれだけだ。
当時ある人がいっていた。大阪にはうどん文化があるので、関東のそばもラーメンも定着しなかったのだと。なるほど。でも、江戸三大そばの砂場は大坂発祥なんだけどね。
今は大阪にもそばやラーメンの名店が増えた。そばについていえば、来阪当時は、ざるそばを食べて、そば湯を頼んだら、バイトのお兄さんがなんのことかわからないなんてこともあった。当時の大阪はうどん国であった。
しかしこの三十年で、伝統の大阪うどんも讃岐うどんに駆逐され、昔ながらの大阪うどんの店の多くが姿を消してしまった。今は讃岐うどんブームも去り、大阪のうどん文化も風前の灯である。しかし大阪人のうどん好きは変わらない。仕出し弁当にうどんが付く日は、ふだんより人数が増える。うどんの日は、普段より工数が増えてまかないさんが大変なのだけれど。大阪うどんにもリベンジのチャンスはあるだろう。
今はうれしいことに大阪にもおいしいラーメン屋が増えた。しかし、私が真にラーメンを喜んで食べていたのは、名古屋や関東にいた10代、20代のころだと思う。
名古屋に住んでいたころ、屋外のスタンドで食べた、あのスガキヤのおいしさ。
関東に移ってからは、「札幌ラーメン どさんこ」が本当にうまかった。
しかし「すがきや」も「どさんこ」も、今食べたらどうだろう。すがきやは、この30年で何度か食べてみたけれど、若いころに食べたあの味には到底及ばない。
ここで思い出すのは、東京の曙橋にあった、Nという豚骨ラーメン屋さんである。メニューは、ラーメンの並と大とライスしかない。居候していた編プロからも、音響の仕事で通った余丁町の録音スタジオからも近く、私は自然とそのお店の常連になった。
関西に移って数年で親が亡くなり、葬儀のときはひたすらバタバタさせられたが、一周忌のときは多少の余裕はあり、ふと思い出してNに立ち寄った。
ラーメンを一口すすり、私は愕然とした。こんな味だったのだろうか? 化学調味料がくどすぎて、インスタントの袋麺のようだった。しかしライスに添えられた味の素と醤油をふりかけた白菜の浅漬けの味は変わらない。化学調味料もアクセントで使うのならいいが、メインにされてしまうと拒絶感しか感じなくなっていた。出汁を重視する関西の味に慣れたせいか、わずか数年で味覚が変わってしまったらしい。
絵でも音楽でも文学でも、変わらず好きな作品があるかと思えば、いまとなってはなぜ好きだったのかわからなくなってしまった作品もある。現存作家の場合はそれが著しい。
松屋の牛めしのタレは32代めだそうだけれど、いわゆる老舗の味、定番の味は、いわゆる春木屋理論で変わらないために変わり続けている。作家やアーティストも同じだろう。受け手の私のほうだって変わり続けている(たんなる加齢による経年劣化にすぎないかもしれないが)。今では本や画集を開くこともなくなった作家やアーティストさんたちも、14代までめはよかったけれど、15代め以降はNのラーメンのように受け付けられなくなってしまった、そんな感じだろうか。
から揚げは2022年に初めてランクインした。今はブームは落ち着いたようだが、一時、私の地元でもから揚げ店が乱立した時期もある。
スーパーのお惣菜コーナーで、から揚げが定番になったのも、この10年くらいではないだろうか。20年前はそうでもなかったように記憶する。
現在のから揚げブームには、まどマギも一役買っているかもしれない。『【新編】叛逆の物語』のお弁当シーンで、「ほむらちゃんもから揚げ食べる?」と、まどかがほむらにおかずをおすそ分けするシーンがある。一人暮らしのほむらのお弁当は、フジッコの煮物を詰め合わせただけの、肉っ気ゼロの質素で慎ましいものだった。まどかも、見るに見かねたのかもしれない。そう、まどかは優しい。このシーンは多くのまどマギファンの琴線に触れたらしく、「○○ちゃんもから揚げ食べる?」とオフの集いではから揚げ舟盛りを頼むのが通例になっていたようである。
スパゲティを「パスタ」と呼ぶようになったのは、いつからだろう。
早逝が惜しまれてならないくりた陸さんの『給食の時間』2巻「ナポリタンの時間」では、都会育ちの主人公の未来(みく)と違い、地方の小学生たちは「パスタ」という言葉を知らない。2007年12月刊行。
私もいつから「パスタ」という言葉を使うようになったのか、記憶が判然としない。しかしこの未来のセリフに、「まだパスタは一般的でないんだな」と思った記憶がある。この頃は観光誌のグルメ記事を手掛けていて、パスタという言葉を使うこともあったが、まだ社会に定着しているとはいえなかった。
学生時代、スパゲティは貧乏学生の味方だった。マ・マーミートソースがあれば極楽で、レトルトのたらこソースがあるだけでごちそうだった。茹でてお醤油をかけただけですすりこんだ日もあった。
亡母にとってもスパゲティは時短料理、手抜き料理だったようだ。スパゲティを茹で、温めたマ・マミートソースをかけ、パセリとチーズを添えるだけでいいのだから。スパゲティは父がボートに出かけていない土日の昼や、夏休みのお昼の定番だった。さすがに夕飯に出すことはなかった。ローザやティッシーを思わせる激しい思想と気性の持ち主だったが、そこはいわゆる「昭和の母」であった。
2022年度版には、ハンバーグがランクインしている。ハンバーグの調理はほんとうにむずかしい。しかし動画などでプロの技がシェアできるようになったのが、この人気の理由だろうか。
従姉いわく、亡母のハンバーグは絶品だったそうだ。食べ慣れていた私は、そうなの?としか思わなかったのだが、昨年末閉店したKENTOキッチンのハンバーグが、この亡母のハンバーグの味に似ていた。もっと食べたかったけれど、あの味をもう一度食べられたのはよかった。
ん? れんちゃん、従姉のお姉さんに秘伝のレシピを聞いて、作ってくれるの?
閉店したKENTOキッチンのお弁当セットでれんちゃんと2022忘年会。