新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

かわはぎのぉ造りと湯引きをいただきました…!

2024年01月27日 | れんのいとしき日常


ごきげんよう…五十鈴れんです…

今夜はX先生に、阪急沿線のとぁる老舗和食屋さんにぉ連れいただきました…
谷崎潤一郎さんの『細雪』に出てくる高級老舗料亭・旅館の「はり半」で修業されたご主人は、X先生の40年来の「心友」なのです…



とってもすてきなぉ店です…
落ち着きます…
女性の3人連れ、地元の写真館の写真家さんがおひとり、先客で見えました…
地域密着で、地元の方々に愛され、予約しないとすぐ満席になってしまう人気店でなのです…
今日は無事に入ることができ、ラッキーだったみたいです…



先付けは炊合せです…
菜の花と貝柱…だったかな? 実はぉなかが空いてぃて、
ひとくちでパクっと食べちゃったので、
ぉいしかったとぃう記憶しかぁりません…!

この週の日曜日、摩耶山のふもとの公園で、
今年はじめての菜の花を見たばかりだったので、
菜の花の炊合せはうれしかったです…!

また繰り返しになりますが、
与謝蕪村さんの「菜の花や月は東に日は西に」は、
摩耶詣のときに見た情景を詠んだ句です…
2月24日は、月の出が17時34分、日の入りが17時50分なので、
蕪村さんが見たのと同じ風景を見に行くつもりです…!






ぉ正月料理のオードブルです…!
父は大好きな数の子が出て嬉しそうでした…
鮭とイクラのお雑煮、数の子、ハムは、
父の毎年のぉ正月の楽しみだったのですが、
最近は、ぉ医者さんのいうことを聞いて、年末年始も普通通りの食事でしたから…
黒豆もぉいしく炊いてぃただいて、丹波で農業見習い中の私としては、うれしい限りでした…!
皮ごとぱくっといただくそらまめも、ぉいしかった…!




料理の工程を見ることができるカウンター席は、まるで料理のライブステージのようで大好きです…
炎のなかで演舞する中華が武道なら、和食は繊細な日本舞踊に通じるものがぁるように感じます…。



かわはぎのぉ造りと薄皮の湯引きです…
お造りの用の煎酒です…
でも、ぉ酒…? 私、未成年だけどぃいのかな?
アルコールは飛んでぃるから大丈夫…?
煎酒は日本酒に梅干と花がつおを入れ、ことことと煮詰めた和食の伝統の調味料です…
ぉ造りは、ぷりぷり、ぷるぷるして、ぉいしかった…



湯引きは、裏ごししたカワハギの肝を入れた「肝ポン酢」でぃただきます…!
とってもぉいしかった…!
ぉ魚の皮を残す人がぃますが、もったいないと私は思います…
ビタミンAやビタミンB1は魚の肉より皮に豊富に含まれるんですよ…
父の「ばんしゃく」の付き合いで時々ぃただきますが、フグ皮ポン酢は大衆居酒屋の定番メニューですよね…
フグの皮のコリコリの食感も楽しいですが、カワハギの薄皮には、ぷるぷるの身もついてきて、ちょっとオトクな感じがします…
ぶどうの粒の皮の裏が、いちばん甘みが凝縮されているのと、似てぃるとぃったらぃいのでしょうか…

父があまり生物を食べない人なので、カワハギを食べるのは、私はこれが初めてだったかもしれません…
お造りと湯引きで、カワハギのおいしさを堪能しちゃいました…!


焼き生麩の田楽も、はじめてでした…!
熱々、もちもちでぉいしかった…!




ごちそうさまでした…!

X先生も父も「白鷹」の熱燗をぉいしそうにぃただいていました…「白鷹」は灘五郷の銘酒で、先生のご出身の伊勢の神宮御料酒です…

X先生発明の酒熱器の写真を撮るのを忘れちゃいました…
湯船にぉ湯を張り、ぉ湯に浸けたり出したり、自分好みの適温に調節するのです…

その夜、X先生のO大学定年退職記念に際して刊行された論文集とエッセイ集をご恵贈ぃただきました…
先生は父の農業事業も応援ぃただいてぃて、父も丹波の栗や黒豆、地酒などをお送りしているのですが、そのぉ礼だとぃうことでした…

私たちがぃただいた本を読んでいると、先生のスマホがメールの着信を伝えました…

メールを見た先生は「えっ!」と驚くと、

「れんちゃん、おいちゃん(年少者に対する先生の一人称)にその本貸して」

と、おっしゃいました。

それは、エッセイ集にご寄稿いただいた、K大学名誉教授のH田先生のご逝去を伝えるメールでした…

H田先生は、会津八一さんの「わぎもこ が きぬかけやなぎ み まほくり いけ を めぐりぬ かさ さし ながら」をご一緒に口ずさんだ思いでを綴っておられました…

八一さんは、父が先生に交誼いただくきっかけにもなった、父の生まれた新潟出身の歌聖・書聖です…

このH田先生の次に寄稿したU先生が、「X家の奥座敷」であるHさんの「酒燗器」を紹介されてぃたのは、不思議な偶然でした…


そう、まさに「X家の奥座敷」でした…

私がぉ店に入ったとき感じたホッとした感じも、先生のご自宅に招かれたようなやさしさ、あたたかさ、安心感でしょうか…

しかし、ほんとうは、今日はこのぉ店に来る予定はなかったのです…

その夜、先生にはH田先生のご逝去に続き、悲しいことが重なりました…

先生がその悲しみを癒やすために、私たちもこの「奥座敷」にご相伴ぃただくことができたのです…

「初恋の人の変わり果てた姿を見るようだった」

先生が40年来の「心友」であるHさんのご主人にそうポツリとおっしゃるのを聞いて、父は神妙にうなだれてぃました…


「アルマンがもう少しまともな人間なら、変わり果てたマルグリットの姿なんか見たくなかっただろうね。私のやったことは、墓暴きのようなものだった」

Hさんを訪ねた3日後、摩耶山でほとんど花が落ちてしまった椿を見て、父はそう呟きました。先生のご専門のフランス文学の『椿姫』に託して、あの夜の先生の悲しみ、自分の犯したミスの痛恨を語っているようでした。

あの夜、何があったのかとぃうと…

ごめんなさい、ぁるぉ店への営業妨害になるかもしれませんから…

そんなつもりはないのですが…

日記に書いておくだけにします…


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