摩耶山の上野道のロープウェー「虹の駅」と峠茶屋跡の間にある廃墟。
『雨月物語』の「浅茅が宿」をちょっと思い出します。
摩耶山から帰った夜、その日あったイベントにお誘いいただいた方に差し上げたお詫びのメール。
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このたびはせっかくお誘いいただきながら、メールの確認が本日明け方となり、ご連絡差し上げることができず、大変失礼いたしました。
今年は亡母の25周忌なのですが、供養らしいことはしてやれていません。去年は泉の広場に近い新潟のアンテナショップの日本酒バーで、故人をしのびました。今年は命日が病院の検査に重なり、有給休暇を取得したついでに、ハイキングに出かけただけで終わりました。故人が愛した大和路をめぐるイベントに参加できれば、さぞ喜んだだろうと思うにつけ残念無念です。
メールの確認が遅れたのも、全く面目ない限りで、10月15日に定期組合大会を終え、ホッとして、土曜日は市民と同じさわやかな朝飯ならぬ朝酒をいただいて、小原庄助さん状態でありました……。
こんなことなら、市民と同じさわやかな朝飯を食べて、昨日のうちに摩耶山に出かけておけばよかったと、つくづく後悔しました。ふだんからの心がけが大切ですね……。
しかし、1か月前までセミが鳴いていたというのに、今日は家を出た瞬間、夏用ズボンではヒヤッとしました。摩耶山頂の昼間の気温は、麓の朝の最低気温くらいです。あわてて家に引き返し、春秋用のズボンにはきかえました。
いつも二日酔いの登山の水分補給は、もっぱらトマトジュースです。運動時の疲労回復、飲酒時の悪酔い防止に、トマトの力が効果てきめんなのだとか。リコピンには、乳酸の代謝とアルコールの分解を進める力があるそうです。登山中、辛いものは辛いですが、前日一升近く飲んでも山に登れるのは、トマトのおかげだと思います。お神酒が過ぎた場合には、お試しください。
山登り中は、なにか考え事していると、時間が経つのが早く、疲労感も軽減するように思います。
行きは、この日夢に出てきた、兵庫県警が密かに監視しているらしい謎の洋館を、摩耶山中の廃墟遺跡に結びつけ、小説に出来ないか、あれこれ考えていました(こういう変な夢を見るのも、酒の飲み過ぎによる低血糖と脱水症が原因のようです)。
帰りは、山頂の掬星台で拝読したテクストについて、山を降りながら考えていました。
曲亭馬琴は小津久足を「大才子」と評したとの一節。晩年は十全な信頼を寄せたようですが、付き合った当初は、いろいろ批判も不平も申し立てているようで……。
「才子」かあ。
たしかにご指摘のとおり、私にも37歳年下の友人に対する軽侮と嘲弄のニュアンスしか伝わってきません。
話はそれますが、これはあくまで弊社の事例として、十年ほど前、パワーハラスメント防止の一環で、部下や後輩の呼び捨てが禁止されました。
このとき、私と同年代の連中に流行りだしたのは、若手の名前のあとに「選手」「先輩」「先生」をつけて呼ぶ現象です。
「選手」呼びされるのは、自分をそのうち追い抜くであろう、実力のある若手。でも、現時点では「監督」は自分であるとマウントしたいわけです。
「先輩」は、最近力をつけてきて、口のきき方も態度も生意気になってきた若手に向けられる呼び名。しかし「選手」ほどに実力は伴いませんので、生意気も度が過ぎると、しばかれることはいうまでもありません。
「先生」と呼ばれるのは、いまだ学生気分の頭でっかちです。「選手」や「先輩」に比べたら、まだ脅威度は低いようです。
「選手」「先輩」「先生」のうち、最低ランクが「先生」なのです。無批判に馬琴のことばを引用することには、注意が必要であろうと思います。
山を下りながら、いま一つ思い出していたのは、『源氏物語』「少女」の次の一節でした。
「なほ、才をもととしてこそ、大和魂の世に用ゐらるる方も強うはべらめ」
元服を迎え、大学入学が決まった嫡男の夕霧に源氏が与える訓戒です。
「漢才(からざえ)をもとにしてこそ、やまと魂も活かされるものだ」
「大和魂」ということばの初出が、その対極にありそうな「源氏物語」だったことは意外に知られていないようです。
この文脈では「漢才」は「学問」、「やまと魂」はそれを日本の実情に合わせて応用する「実務能力」を意味しています。有り体に言えば「和魂漢才」ですが、「才」(さえ)は、学問であり、具体的には「漢学」すなわち「漢才」のことでした。
この「大和魂」に注目した本居宣長について、馬琴がどう見ていたのかはわからないのですが、「才」すなわち学問は、あくまで手段や道具です。「才」はあくまで借り物の「漢才」であって、それをどう実用運営するかの「たましい」が重視されたのは、平安時代も江戸時代もそう変わらなかったのではないでしょうか。
しかし今日はお目にかかれずほんとうに残念でした。
またのチャンスにお目にかかることを楽しみにしております。