[今回のテクスト]
『悪党芭蕉』『芭蕉という修羅』嵐山光三郎(新潮文庫)
[登場人物]
五十鈴れん
15歳の中学3年生。小さい頃から内気で、人と話すことが苦手。失業中に主夫生活を送った父親が相手してくれたぬいぐるみ遊びが気に入り、今も「ぬい」たちが手放せない。過去に「話せないおまえは、人間じゃない」といじめに逢う。その頃、太宰の小説が支えになった。その日、太宰のマイナス面をズケズケあからさまに語る父に反発してしまい、夕食のときも会話せず、気まずいまま。
五十鈴九郎(お父さん)
ひとり娘のれんを溺愛する、コロナで隔日勤務の会社員。『笑っていいとも!』増刊号初代「編C長」の嵐山光三郎が好きだった。高校時代のクラスメートだった妻(れんの母)には「クロくん」といわれている。
(1)仲直りの儀式 綾野梨花が遊びに来た日の夜
(ノックの音)
お父さん はい、どうぞ。
れんちゃん、まだ起きていたの? 甘酒作ってくれたの? ありがとう。しみるなあ。ちゃんと生姜のすり下ろしも入れてくれてる。おや、お気に入りの巾着袋もってきて、どうしたのかな。あれ?
スヌーピー(れん) くりーむしちゅー、ウマかっタゼ!
ミッフィー(れん) オイしかった!
お父さん やあ、スヌーピーにミッフィー、久しぶり。どういたしまして。
スヌピー(れん) オれのナマエ、すぬタ! ソイツは、れン!
ミッフィー(れん) はぐ!
お父さん え? よし、ハグ。そうか、お父さんがミッフィー係で、れんちゃんは、悪い子のスヌ太係がお気に入りだったね。スヌ太は、今も悪い子か?
スヌ太(れん) いいコなんかに、ナラないヨ!ノむ、ウつ、カうは、しょーわのオとこの、タチのみだカラな! オさけも、がチャも、ぷりきゅあアツめも、やめられないゼ。きゅあこすもは、オれのヨメ!
れんミッフィー(父) アたしとは、アソビだったノネ、このセンベロおトコ! それに、タチのみジャないヨ、タシなみだヨ? すぬタ、べんきょーしナサい!
スヌ太(れん) ウルせー! ツンテロうさぎのクセに! このヒトごろシ、ジャなくテ、タヌキごろシ!
れんミッフィー(父) な、なにヨ! シ、シにたけレバ、じぶんでシになさいYOネ!
スヌ太(れん) ウマどしで、スミマセン。オれ、にんげん、シッカク! ぬいぐるみダシな!
れんミッフィー(父) イいジャないノ、ぬいぐるみデモ? イキてサエいれバ! スヌた、タタかう?
スヌ太(れん) タタかわないヨォ。
れんミッフィー(父) じゃあ、ナカなおリ! (ぎゅっ)
スヌ太(れん) ナカなおリ! (ぎゅっ)
お父さん 良かった。れんちゃんと仲直りできて。
れん ヾ(。>﹏<。)ノこくこく
お父さん ん?スマホ? 見てもいいの? あー、梨花ちゃんからのメール。そうか、仲直り、すすめてくれたんだ。今日も気にして夕食まで付き合ってくれて、梨花ちゃん、優しくて思いやりのある人だね。
れん ヾ(。>﹏<。)ノ こくこく
お父さん 女の子の父親としては、太宰が許せないということもあるけれど、親鸞の「悪人正機」や、ニーチェの「超人」や、フーコーの「人間の消滅」などの思想に触れてきたし、若い頃は「過激派に人権はない」と公安にいわれたものさ。だから「人間失格」なんてごあいさつのようなものだけれど、純粋でやさしいれんちゃんには、刺激が強すぎたね。何かいやなことを思い出させてしまったらごめんね。
れん ヾ(。>﹏<。)ノ ふるふる
お父さん しかしお父さんも、父親失格だな。シングルファザー家庭の男兄弟に育ったから、女の子とのコミニュケーションに自信がなくて、ぬいぐるみ任せにしちゃったのには、少し責任を感じる。
れん、私は、大切なぉ友達ができて、感謝してる…よ? でも、まだぬいぐるみ好きなの…おかしい?
お父さん そんなことない。アイスやパフェが大人になってもおいしいのはおかしいかな? おとなになると食べる機会は減るし、私は甘い物禁止だけれどね。
ひいおばあちゃんは、きみが自分の「だいり」に置いていったうさちゃんを抱いて幸せそうに寝ていたそうだよ。百歳を超えても、もふもふ、ふわふわは安心するようだね。
心配なのは、純粋すぎるところかな? それはれんちゃんの美点だけれど、人はその美徳のために滅ぶという。ショックなこと、いやなことがあったら、まずは深呼吸、だよ?
スヌ太(れん) はナから、ヨンびょー、スっー!
れんミッフィー(れん) くチから、ロクびょー、ハあー!
お父さん よしよし、よく覚えてた。君たち、れんちゃんをよろしくな。
れんミッフィー(れん) マカされマシた!
スヌ太(れん) ジャア、マタな!
(2)山吹や蛙飛びこむ水の音?
お父さん 学年末試験は、もう終わった?
れん 来週から…でも、ちゃんと、勉強しているから、だいじょうぶ…だよ?
ぁれ? ネットで文楽のこと調べてたの? その写真、八百屋お七さんだ…ね? ぉ父さんと観に行った…よね…。「伊達娘恋緋鹿子」(だてむすめこいのひがのこ)です…はぃ。
お父さん よく覚えていたね。お父さんは「火の見櫓の段」しか覚えてないや。芭蕉について調べていたら、八百屋お七の火事で芭蕉庵を焼かれちゃったんだなって思いだしてね。
そうだ。「古池や蛙飛び込む水の音」は習った?
れん ぅん、授業で習った…ょ? ぉ父さんも、前に教えてくれたよね…芭蕉さんは、ふつうのカエルを詠んだんところが偉いんだって。和歌で「かはず」といえばあのカジカガエルさんの鳴き声なんだよ…ね? 詢子おばさんの山のロッジ、川から鈴を鳴らすみたいなきれいな鳴き声が聞こえた…ね…ぅん!
お父さん よく覚えていてくれたね。芭蕉のカエルは、関東だからトウキョウダルマかツチガエル、ヒキガエルだとちょっとダイナミックすぎかな? 蛙といえば声を聞くだけだったのに、芭蕉は主役として飛び立たせたところが、今までの詩歌の伝統や固定観念を覆すものだった。私が若い頃は裏方さんだった声優さんが、アイドルデビューしたような感じかな?
れん 私は、サーバルちゃんの尾崎由香さんが大好きです…はぃ。授業ではね、芭蕉さんがお庭のお池に飛び込む音を聞いて、「蛙飛び込む水の音」という句ができて、上の句に悩んでいたら、弟子の其角さんが、「山吹や」がいいですよと薦めたのに、芭蕉さんは、自分が見たとおりの「古池や」としたんだって……ぉ父さん知っていた? 山吹といえば蛙、蛙といえば山吹というのが、梅にうぐいすと同じ和歌のお約束だったんだ…ね? カジカガエルさんが鳴く頃には、山吹の花もきれいに咲いていた…ね?
お父さん うん。山の春は里より遅いから、われわれがお世話になる5月の連休がちょうどシーズンだったね。でも、その「山吹や」のエピソードは、『悪党芭蕉』を書いた嵐山光三郎さんによると、弟子の支考(しこう)の創作らしいよ。支考が芭蕉に入門したのは、この句が詠まれた4年後で、その場にはいなかった。其角たち先輩弟子に聞いた可能性もないとはいわないけれど。
れん そうだったんだ…
お父さん しかし、この革命的な句が生まれるきっかけを作ったのは、其角かもしれないね。この『蛙合』の句会があった前年、西鶴は大坂の住吉神社で、「大矢数」を開催した。京都の三十三間堂で弓の達人がどれだけの数の矢を放てるかを競った「大矢数」になぞらえて、俳句をどれだけ詠めるか俳諧師たちが競い合ったんだね。西鶴が大坂の生國魂神社で1500句を詠んだのに始まって、記録が破られて今度は4000句を詠み、その記録が江戸浅草で、最初西鶴に学び芭蕉とも交わった椎本才麿によって一万余句が独吟されて破られると、大坂の住吉神社で一昼夜に23500句独吟という離れ業をやってのけたんだよ。その場には芭蕉の弟子の其角も同席していた。その最初の一句「俳諧の 息の根とめん 大矢数」は、アバンギャルド派だった西鶴を「阿蘭陀流」と嘲った当時の俳壇主流の貞門派のみならず、当時の俳諧師全員への挑戦状だった。
(3)マシンガン西鶴 VS スナイパー芭蕉 (お父さんも西鶴に1分間だけ挑戦してみる)
れん 20350句! えっと、23500わる24、1時間に約980句、わる60、1分間に16句、60わる16…1句に4秒かかってないです! トイレや食事はどうしたんでしょう…私、気になります…はぃ。
お父さん この23500句は、関東大震災で焼けてしまったとか、筆記役が追いつかなかったとか、いろいろいわれるけれど、やり方によっては無理ではないかもしれないね。春夏秋冬、花鳥風月、雨露霜雪(うろそうせつ 気象の変化)、暦や月名、これだけで400や500はいけるね。あとは喜怒哀楽、名所旧跡、故事や伝説、人物の組み合わせで、2万くらいの句はできるだろうか。
「名月」で少しやってみようか。ストップウオッチで計ってくれる?
「名月を見る主もなし須磨の浦」……「名月や今日もうさぎに休みなし」。ふう。20句で58秒? 1句で約3秒だね。このペースを維持できれば、6時間くらいはお茶や食事やトイレ休憩の時間は捻出できるはずだよ。まあ、そんなこと絶対やりたくないけれど。
れん ぉ父さんも、すごいです……はぃ。「名月が雲に隠れて泣く西行」が、私は好き…。「名月をうみに浮かべて浮御堂」もきれいです…はぃ。良寛さまの良寛堂と堅田の浮御堂は、北国街道でつながっているんだよ…ね?
お父さん ありがとう。西鶴は他の誰よりも速くたくさん上手に俳句を作ることができた。でもね、こんな仕事はAIに任せたらもっと速い。いま西行の名前が出たけれど、「桜」には待つ花、咲く花、散る花と基本パターンがあって、あとは適当に美しいとかあわれとかさびしいとか、名所旧跡を適当に組み合わせたら俳句もどきができてしまう。
西鶴大矢数はシュルレアリスムの自動記述のようなトランス状態から生まれたと思うけれど、やったことは「廃墟までぶち壊さねばすべて破壊したことにならない」といったトリスタン・ツァラのダダイズムだね。
れん そうだった…ぉ父さんも自動記述で詩を書いてたんだ…よね? 書道部でも「シュルレアリスム書道」といって、おもしろい作品を書いていたってぉ母さんに聞いた…よ?
お父さん でも、ふだんは蘭亭序をお手本に臨書していたんだよ? まあ、バレエのコンテンポラリーと一緒で、崩すべき型がきちんと身につかなかったから、結局長続きしなかった。
西鶴は私と違って頭がよく器用に何でもこなせた。しかし頭のよい人はあきらめも早い。西鶴は独吟で数を競うことの無意味さばかりでなく、俳諧の無意味さに行き着いてしまったんじゃないかな? このAIじみた言葉のマシンガンから、「古池や」のような名句も生まれていたかもしれないけれど、西鶴はその真価に気づくことはなかっただろう。既成俳壇の息の根を止めたのは、マシンガン西鶴の23500句でなく、新しい世界観、新しい価値観を打ち出したスナイパーのゴルゴ芭蕉の「古池や」の渾身の1句だった。勝負は芭蕉の勝ちで、西鶴は俳諧から浮世草子に活躍の場を移さざるをえなかった。
(4)古池にかえるは何匹いたでしょう…か?(れんちゃん先生の質問)
れん 「古池や」の句がそれだけすごかったということだ…ね? えっと…ね、あの…ね、学校の授業では「飛び込んだカエルは何匹だったでしょう?」って聞かれた…の。お父さんはどう思う…かな?
お父さん ほほう。最近は、先生が一方的に話して終わりでなくて、ディスカッションさせるんだ。英訳では、ラフカディオ・ハーンは複数形、ドナルド・キーンは単数形だったねえ。うーん。そうだなあ。よし。はい! れんちゃん先生!
れん はぃ、クロくん!どうぞ…です…はぃ。
お父さん へーい、あっしは5800匹だと思うでがんすー、阪神ゲロゲロズが十八年ぶりに優勝したので、ケロヨン人形と一緒にみんなでドドーン堀池に飛び込んだんでがーんす!
れんちゃん先生は、どう思ったでがんすかー?
れん ぉ父さんがクラスメートだったら、毎日授業が楽しそう…。
えっとね…正解は一匹だと思ったけれど、三匹って、答えたよ。ぉ父さんがえるとぉ母さんがえるが先に飛び込んで、「ぉいで」「こわくないよ」っていわれて、ぉくびょうな子がえるが最後にエィッって飛び込む…の。
お父さん カエルのおやこか。れんちゃんらしい、かわいくてやさしい解釈だと思うよ。れんちゃんも最初は水がこわかったのに、今では泳ぎも上手になったね。
れん スイミングに通わせてくれたぉかげだよ…ぅん。でも、正解はやっぱり一匹でした…はぃ。余韻、というのでしょうのか? 私の答えは、ぽちゃ・ぽちゃ・ぽちゃと賑やかになりすぎで、この句のイメージとは違うのだそうです…はぃ。しーんと静まり返った古池に、かえるさんが一匹飛び込んで、ぽちゃんと音がした後に、水面にできた波紋が消えていって、またシーンとした古池に戻るのが「わびさび」だということです…はぃ。
お父さん それが芭蕉スタイル、「蕉風」だね。試験ではそう答えておいたらいいと思うよ。しかし飛び込んだ蛙の数は、5800匹より多かったかもしれない。
おや、お母さんが呼んでるぞ。もう11時すぎちゃった。せっかく甘酒で温もったのに、引き留めちゃってごめん。明日も学校だから、きみはもう寝なさい。お父さんはもう少しがんばる。この続きはまたね。(続く)
テレビ局が商店街の「エミリーの相談所」の取材に来て、ローカル番組に出たときの写真です…緊張して固まっています…でもぉ父さん、大きく引きのばして、壁に貼るのは恥ずかしいからやめてほしいです…はぃ。
『悪党芭蕉』『芭蕉という修羅』嵐山光三郎(新潮文庫)
[登場人物]
五十鈴れん
15歳の中学3年生。小さい頃から内気で、人と話すことが苦手。失業中に主夫生活を送った父親が相手してくれたぬいぐるみ遊びが気に入り、今も「ぬい」たちが手放せない。過去に「話せないおまえは、人間じゃない」といじめに逢う。その頃、太宰の小説が支えになった。その日、太宰のマイナス面をズケズケあからさまに語る父に反発してしまい、夕食のときも会話せず、気まずいまま。
五十鈴九郎(お父さん)
ひとり娘のれんを溺愛する、コロナで隔日勤務の会社員。『笑っていいとも!』増刊号初代「編C長」の嵐山光三郎が好きだった。高校時代のクラスメートだった妻(れんの母)には「クロくん」といわれている。
(1)仲直りの儀式 綾野梨花が遊びに来た日の夜
(ノックの音)
お父さん はい、どうぞ。
れんちゃん、まだ起きていたの? 甘酒作ってくれたの? ありがとう。しみるなあ。ちゃんと生姜のすり下ろしも入れてくれてる。おや、お気に入りの巾着袋もってきて、どうしたのかな。あれ?
スヌーピー(れん) くりーむしちゅー、ウマかっタゼ!
ミッフィー(れん) オイしかった!
お父さん やあ、スヌーピーにミッフィー、久しぶり。どういたしまして。
スヌピー(れん) オれのナマエ、すぬタ! ソイツは、れン!
ミッフィー(れん) はぐ!
お父さん え? よし、ハグ。そうか、お父さんがミッフィー係で、れんちゃんは、悪い子のスヌ太係がお気に入りだったね。スヌ太は、今も悪い子か?
スヌ太(れん) いいコなんかに、ナラないヨ!ノむ、ウつ、カうは、しょーわのオとこの、タチのみだカラな! オさけも、がチャも、ぷりきゅあアツめも、やめられないゼ。きゅあこすもは、オれのヨメ!
れんミッフィー(父) アたしとは、アソビだったノネ、このセンベロおトコ! それに、タチのみジャないヨ、タシなみだヨ? すぬタ、べんきょーしナサい!
スヌ太(れん) ウルせー! ツンテロうさぎのクセに! このヒトごろシ、ジャなくテ、タヌキごろシ!
れんミッフィー(父) な、なにヨ! シ、シにたけレバ、じぶんでシになさいYOネ!
スヌ太(れん) ウマどしで、スミマセン。オれ、にんげん、シッカク! ぬいぐるみダシな!
れんミッフィー(父) イいジャないノ、ぬいぐるみデモ? イキてサエいれバ! スヌた、タタかう?
スヌ太(れん) タタかわないヨォ。
れんミッフィー(父) じゃあ、ナカなおリ! (ぎゅっ)
スヌ太(れん) ナカなおリ! (ぎゅっ)
お父さん 良かった。れんちゃんと仲直りできて。
れん ヾ(。>﹏<。)ノこくこく
お父さん ん?スマホ? 見てもいいの? あー、梨花ちゃんからのメール。そうか、仲直り、すすめてくれたんだ。今日も気にして夕食まで付き合ってくれて、梨花ちゃん、優しくて思いやりのある人だね。
れん ヾ(。>﹏<。)ノ こくこく
お父さん 女の子の父親としては、太宰が許せないということもあるけれど、親鸞の「悪人正機」や、ニーチェの「超人」や、フーコーの「人間の消滅」などの思想に触れてきたし、若い頃は「過激派に人権はない」と公安にいわれたものさ。だから「人間失格」なんてごあいさつのようなものだけれど、純粋でやさしいれんちゃんには、刺激が強すぎたね。何かいやなことを思い出させてしまったらごめんね。
れん ヾ(。>﹏<。)ノ ふるふる
お父さん しかしお父さんも、父親失格だな。シングルファザー家庭の男兄弟に育ったから、女の子とのコミニュケーションに自信がなくて、ぬいぐるみ任せにしちゃったのには、少し責任を感じる。
れん、私は、大切なぉ友達ができて、感謝してる…よ? でも、まだぬいぐるみ好きなの…おかしい?
お父さん そんなことない。アイスやパフェが大人になってもおいしいのはおかしいかな? おとなになると食べる機会は減るし、私は甘い物禁止だけれどね。
ひいおばあちゃんは、きみが自分の「だいり」に置いていったうさちゃんを抱いて幸せそうに寝ていたそうだよ。百歳を超えても、もふもふ、ふわふわは安心するようだね。
心配なのは、純粋すぎるところかな? それはれんちゃんの美点だけれど、人はその美徳のために滅ぶという。ショックなこと、いやなことがあったら、まずは深呼吸、だよ?
スヌ太(れん) はナから、ヨンびょー、スっー!
れんミッフィー(れん) くチから、ロクびょー、ハあー!
お父さん よしよし、よく覚えてた。君たち、れんちゃんをよろしくな。
れんミッフィー(れん) マカされマシた!
スヌ太(れん) ジャア、マタな!
(2)山吹や蛙飛びこむ水の音?
お父さん 学年末試験は、もう終わった?
れん 来週から…でも、ちゃんと、勉強しているから、だいじょうぶ…だよ?
ぁれ? ネットで文楽のこと調べてたの? その写真、八百屋お七さんだ…ね? ぉ父さんと観に行った…よね…。「伊達娘恋緋鹿子」(だてむすめこいのひがのこ)です…はぃ。
お父さん よく覚えていたね。お父さんは「火の見櫓の段」しか覚えてないや。芭蕉について調べていたら、八百屋お七の火事で芭蕉庵を焼かれちゃったんだなって思いだしてね。
そうだ。「古池や蛙飛び込む水の音」は習った?
れん ぅん、授業で習った…ょ? ぉ父さんも、前に教えてくれたよね…芭蕉さんは、ふつうのカエルを詠んだんところが偉いんだって。和歌で「かはず」といえばあのカジカガエルさんの鳴き声なんだよ…ね? 詢子おばさんの山のロッジ、川から鈴を鳴らすみたいなきれいな鳴き声が聞こえた…ね…ぅん!
お父さん よく覚えていてくれたね。芭蕉のカエルは、関東だからトウキョウダルマかツチガエル、ヒキガエルだとちょっとダイナミックすぎかな? 蛙といえば声を聞くだけだったのに、芭蕉は主役として飛び立たせたところが、今までの詩歌の伝統や固定観念を覆すものだった。私が若い頃は裏方さんだった声優さんが、アイドルデビューしたような感じかな?
れん 私は、サーバルちゃんの尾崎由香さんが大好きです…はぃ。授業ではね、芭蕉さんがお庭のお池に飛び込む音を聞いて、「蛙飛び込む水の音」という句ができて、上の句に悩んでいたら、弟子の其角さんが、「山吹や」がいいですよと薦めたのに、芭蕉さんは、自分が見たとおりの「古池や」としたんだって……ぉ父さん知っていた? 山吹といえば蛙、蛙といえば山吹というのが、梅にうぐいすと同じ和歌のお約束だったんだ…ね? カジカガエルさんが鳴く頃には、山吹の花もきれいに咲いていた…ね?
お父さん うん。山の春は里より遅いから、われわれがお世話になる5月の連休がちょうどシーズンだったね。でも、その「山吹や」のエピソードは、『悪党芭蕉』を書いた嵐山光三郎さんによると、弟子の支考(しこう)の創作らしいよ。支考が芭蕉に入門したのは、この句が詠まれた4年後で、その場にはいなかった。其角たち先輩弟子に聞いた可能性もないとはいわないけれど。
れん そうだったんだ…
お父さん しかし、この革命的な句が生まれるきっかけを作ったのは、其角かもしれないね。この『蛙合』の句会があった前年、西鶴は大坂の住吉神社で、「大矢数」を開催した。京都の三十三間堂で弓の達人がどれだけの数の矢を放てるかを競った「大矢数」になぞらえて、俳句をどれだけ詠めるか俳諧師たちが競い合ったんだね。西鶴が大坂の生國魂神社で1500句を詠んだのに始まって、記録が破られて今度は4000句を詠み、その記録が江戸浅草で、最初西鶴に学び芭蕉とも交わった椎本才麿によって一万余句が独吟されて破られると、大坂の住吉神社で一昼夜に23500句独吟という離れ業をやってのけたんだよ。その場には芭蕉の弟子の其角も同席していた。その最初の一句「俳諧の 息の根とめん 大矢数」は、アバンギャルド派だった西鶴を「阿蘭陀流」と嘲った当時の俳壇主流の貞門派のみならず、当時の俳諧師全員への挑戦状だった。
(3)マシンガン西鶴 VS スナイパー芭蕉 (お父さんも西鶴に1分間だけ挑戦してみる)
れん 20350句! えっと、23500わる24、1時間に約980句、わる60、1分間に16句、60わる16…1句に4秒かかってないです! トイレや食事はどうしたんでしょう…私、気になります…はぃ。
お父さん この23500句は、関東大震災で焼けてしまったとか、筆記役が追いつかなかったとか、いろいろいわれるけれど、やり方によっては無理ではないかもしれないね。春夏秋冬、花鳥風月、雨露霜雪(うろそうせつ 気象の変化)、暦や月名、これだけで400や500はいけるね。あとは喜怒哀楽、名所旧跡、故事や伝説、人物の組み合わせで、2万くらいの句はできるだろうか。
「名月」で少しやってみようか。ストップウオッチで計ってくれる?
「名月を見る主もなし須磨の浦」……「名月や今日もうさぎに休みなし」。ふう。20句で58秒? 1句で約3秒だね。このペースを維持できれば、6時間くらいはお茶や食事やトイレ休憩の時間は捻出できるはずだよ。まあ、そんなこと絶対やりたくないけれど。
れん ぉ父さんも、すごいです……はぃ。「名月が雲に隠れて泣く西行」が、私は好き…。「名月をうみに浮かべて浮御堂」もきれいです…はぃ。良寛さまの良寛堂と堅田の浮御堂は、北国街道でつながっているんだよ…ね?
お父さん ありがとう。西鶴は他の誰よりも速くたくさん上手に俳句を作ることができた。でもね、こんな仕事はAIに任せたらもっと速い。いま西行の名前が出たけれど、「桜」には待つ花、咲く花、散る花と基本パターンがあって、あとは適当に美しいとかあわれとかさびしいとか、名所旧跡を適当に組み合わせたら俳句もどきができてしまう。
西鶴大矢数はシュルレアリスムの自動記述のようなトランス状態から生まれたと思うけれど、やったことは「廃墟までぶち壊さねばすべて破壊したことにならない」といったトリスタン・ツァラのダダイズムだね。
れん そうだった…ぉ父さんも自動記述で詩を書いてたんだ…よね? 書道部でも「シュルレアリスム書道」といって、おもしろい作品を書いていたってぉ母さんに聞いた…よ?
お父さん でも、ふだんは蘭亭序をお手本に臨書していたんだよ? まあ、バレエのコンテンポラリーと一緒で、崩すべき型がきちんと身につかなかったから、結局長続きしなかった。
西鶴は私と違って頭がよく器用に何でもこなせた。しかし頭のよい人はあきらめも早い。西鶴は独吟で数を競うことの無意味さばかりでなく、俳諧の無意味さに行き着いてしまったんじゃないかな? このAIじみた言葉のマシンガンから、「古池や」のような名句も生まれていたかもしれないけれど、西鶴はその真価に気づくことはなかっただろう。既成俳壇の息の根を止めたのは、マシンガン西鶴の23500句でなく、新しい世界観、新しい価値観を打ち出したスナイパーのゴルゴ芭蕉の「古池や」の渾身の1句だった。勝負は芭蕉の勝ちで、西鶴は俳諧から浮世草子に活躍の場を移さざるをえなかった。
(4)古池にかえるは何匹いたでしょう…か?(れんちゃん先生の質問)
れん 「古池や」の句がそれだけすごかったということだ…ね? えっと…ね、あの…ね、学校の授業では「飛び込んだカエルは何匹だったでしょう?」って聞かれた…の。お父さんはどう思う…かな?
お父さん ほほう。最近は、先生が一方的に話して終わりでなくて、ディスカッションさせるんだ。英訳では、ラフカディオ・ハーンは複数形、ドナルド・キーンは単数形だったねえ。うーん。そうだなあ。よし。はい! れんちゃん先生!
れん はぃ、クロくん!どうぞ…です…はぃ。
お父さん へーい、あっしは5800匹だと思うでがんすー、阪神ゲロゲロズが十八年ぶりに優勝したので、ケロヨン人形と一緒にみんなでドドーン堀池に飛び込んだんでがーんす!
れんちゃん先生は、どう思ったでがんすかー?
れん ぉ父さんがクラスメートだったら、毎日授業が楽しそう…。
えっとね…正解は一匹だと思ったけれど、三匹って、答えたよ。ぉ父さんがえるとぉ母さんがえるが先に飛び込んで、「ぉいで」「こわくないよ」っていわれて、ぉくびょうな子がえるが最後にエィッって飛び込む…の。
お父さん カエルのおやこか。れんちゃんらしい、かわいくてやさしい解釈だと思うよ。れんちゃんも最初は水がこわかったのに、今では泳ぎも上手になったね。
れん スイミングに通わせてくれたぉかげだよ…ぅん。でも、正解はやっぱり一匹でした…はぃ。余韻、というのでしょうのか? 私の答えは、ぽちゃ・ぽちゃ・ぽちゃと賑やかになりすぎで、この句のイメージとは違うのだそうです…はぃ。しーんと静まり返った古池に、かえるさんが一匹飛び込んで、ぽちゃんと音がした後に、水面にできた波紋が消えていって、またシーンとした古池に戻るのが「わびさび」だということです…はぃ。
お父さん それが芭蕉スタイル、「蕉風」だね。試験ではそう答えておいたらいいと思うよ。しかし飛び込んだ蛙の数は、5800匹より多かったかもしれない。
おや、お母さんが呼んでるぞ。もう11時すぎちゃった。せっかく甘酒で温もったのに、引き留めちゃってごめん。明日も学校だから、きみはもう寝なさい。お父さんはもう少しがんばる。この続きはまたね。(続く)
テレビ局が商店街の「エミリーの相談所」の取材に来て、ローカル番組に出たときの写真です…緊張して固まっています…でもぉ父さん、大きく引きのばして、壁に貼るのは恥ずかしいからやめてほしいです…はぃ。