今日は結局、一日、本を読んで過ごしました。
昼から五月山に出かけるつもりが、外は雨。
たまには本を読んで過ごそうと思ったのです。
今日読んだのは、宮島美奈『成瀬は天下を取りにいく』、宇能鴻一郎『アルマジロの手』、大藪春彦『黒豹の鎮魂歌』、あfろ『ゆるキャン△』16巻など。
夕方仮眠を取り、雨の中、スーパーに出かけて、チーズとボローニャソーセージを買ってきたのは、久しぶりに大藪春彦を読んだせいです。光文社、復刻してくれてありがとう。
『黒豹の鎮魂歌』は、京葉工業地帯の開発によって両親と妹たちを死に追いやられた主人公が、実在の自民党政治家をモデルにした悪徳政治家たちを抹殺していくという復讐物語です。
帯のコピーがいいですね。
上巻。
「腐った政治家たちは地獄へ落とす!
両親と妹の仇は必ず討つ!
敵は日本の最高権力者たち
著者が自らの代表作に挙げる不朽の超大作!」
下巻。
「こいつらは簡単には殺さない!
国民を食い物に裏金を貪る奴らを抹殺せよ!
現在の政治をも鋭く撃ち抜く至高の傑作!!」
うんうん、大衆エンタメはこういうのでいいんだよ!(『孤独のグルメ』のゴローちゃんボイスで)
しかし、エンタメだから許されるだけで、大藪春彦の正義感は、左翼エリートのそれを超えるものでないのもざんねんなところです。所詮は早稲田卒のインテリの限界かな?
この小説では、元ヤクザで、主人公の新城の父親を博打漬けにして、漁業権も全財産を巻き上げる「小野徳」なる悪徳政治家も登場します。モデルはもちろん、ハマコーといわれた浜田幸一です。
「小野徳」が一票五千円で票を買い漁り、大量の公職選挙法違反者を出しながら、権力の力でもみ消した話が出てきます。某派時代のシンパに、ハマコーの子分筋の地方議員のせがれがいて、似たような話を聞いたことがあり、実話に基づいているんでしょうね。「おれの親父は、過激派のお前なんかより逮捕歴が多いんだぜ!」と、妙な自慢をしていたものです。
カネの力は絶大です。カネはすべてを解決します。庶民の自殺や犯罪だって、カネさえあれば解決したものが大半です。カネを最も必要としている庶民に回しやがれ。それが私がいまも労働運動に生きる理由です。
しかし、庶民だって、カネだけじゃないんですね。
カネがこの世のすべてなら、カネもコネも何もない私が、今も生き残って、組織的反抗を続けることはできなかったでしょう。
ハマコーは、敵なりにたいした人物でした。選挙シーズン中、宣伝カーの車内から支持者の農家のおばあちゃんを見つけると、車を降りて、スーツ姿のまま田んぼに入って行き、握手を求めるんだそうです。インパクトありますよね。
左翼でそこまでやる人は、ほとんどいないでしょう。
ダメ左翼やゴミリベラルは、ハマコーのやったことを、「たんなるパフォーマンスだ」と、嗤うでしょう。ハマコーは私にとっても三里塚闘争で不倶戴天の仇敵でした。しかし、私は大衆を組織化するために、「汝の敵に学べ」で、ハマコーに学んできました。
ハマコーも私も、サイコパスなのだろうし、反社会性パーソナリティ障害なんでしょうね。しかし敵には凶暴な暴力をむき出しにするけれど、いったん味方になったら無条件擁護、これも庶民の共感を得る悪党の美徳なのではありませんか。フランス革命の「自由、平等、博愛(友情)」だって、「博愛(友情)」を、日本語のニュアンスに正しく訳すなら「仁義」じゃないですか。さもなければ、フランス革命後のテロ合戦は理解できません。
脱線しました。
しかし、『黒豹の鎮魂歌』、いったい何人殺しているんだろう?
元首相の「沖」の闇金を管理運営する不動産会社社長のセレブ妻は、黒ミサパーティの生贄に捧げられてしまいます。1970年連載開始ですから、『ローズマリーの赤ちゃん』が大ヒットし、ハードロックのブラック・サバスが活躍した当時の雰囲気を感じるところです。しかし、情報を取るためとはいえ、権力者の男たちに利用されたにすぎない彼女を殺す必要があったのかなあとは思ってしまいますね。
そういう疑問も多々あるのですが、私はガンアクションやカーアクションより、大藪作品の食事シーンが好きなのです。腹を撃たれたときに、胃に水気のものがあると腹膜炎を起こすから、大好きな麺類を我慢するストイックなところがいいのですよ。この作品で好きなシーンは、敵に追い詰められ満身創痍となりながら、あるときは当時「第七台場」と呼ばれたお台場に造った地下アジトで、またあるときは北海道の原生林のヒグマが冬眠に使った巣で潜伏生活を送るところです。
今日は私もどこにも出かけず、一日だけのプチ潜伏で、家にある常備食だけで過ごすつもりでした。しかし、欲望には打ち勝てず、スーパーに出かけてしまったというわけなのでした。
さて、以下の一年前の記事で、
文庫に関する余話
もう一か月近く前の話になるのですが……「江戸城の見えない日本橋 安政地震後の江戸を歩く」(「日本橋から江戸城を眺めるとき」より改題しました)を書いた際、久しぶりに野口武彦『安......
『ドラえもん』のドラエもんとのび太、『おしいれのぼうけん』とさとしとあきら、『椿町ロンリープラネット』の大野ふみ、『ぼっち・ざ・ろっく』の後藤ひとり、おしいれをこよなく愛するものたちが活躍する物語を、私は愛してきたんだなぁと思う。「おしいれの世界」なるエントリも、いつか立ててみたい。
と、書いていますが、お台場のアジトや北海道の原生林のヒグマの巣で潜伏するこの『黒豹の鎮魂歌』も「おしいれ文学」に加えてもいいのかもしれません。