スープとイデオロギー 娘に語る映画レビュー
『スープとイデオロギー』を観るために、十三の第七藝術劇場へ。 あらすじ紹介(公式サイトより。適宜改行)。年老いた母が、娘のヨンヒにはじめて打ち明けた壮絶......
gooブログさんから、一年前に書いた記事のお知らせが来ました。
一年前、この日は金曜日で、共通の先輩(私には「上司」でもありましたが)のいるある方と飲みに行ったのでした。
〈スープとイデオロギー〉をいつ見に行ったのか不明ですが、7月7日の夜に記事を書いて、7月8日の昼休みにアップしたようです。ちなみに、弊社では本来、昼休憩は12時からなのですが、今は感染症対策で、食堂の混雑を緩和するために、部署ごとに11時30分~、12時~、12時30分~に分かれています。私はラストの12時30分からの組です。
あの日、食堂のテレビのニュースで、安倍元首相の狙撃事件を知りました。ほぼ即死だったようですが、事件直後は延命措置がなされていたようで、「心肺停止」など死とは断定しない報道のされ方でした。
私はこの映画を見て、辺見庸氏の『もの食う人びと』、テオ・アンゲロプロス監督の『エレニの旅』、ふたつの作品を思い出しました。
『エレニの旅』のラストには、機動隊もヤクザも、特殊部隊も工作員も怖くなかった私が、あまりの衝撃に、腰を抜かして、しばらく立ち上がることができませんでした。最愛の夫はアメリカに移民し、米軍に志願、沖縄で戦死。最愛の双子は、第二次大戦後、ギリシアはコミュニストとファシストに分かれ内戦。双子も2つの陣営に分かれ、ふたりとも戦死してしまうのです。
息子たちの死を知ったエレニの慟哭。
「死も長期投獄も恐れず」と誓って革命闘争に決起した私ですが、このエレニの慟哭を知っていたら、どうだったろうと思ってしまったのです。15歳の私に、そこまでの覚悟、根性はあっただろうか。しかし、今はもう引き下がることはできません。
一年前、れんちゃんに語ったこと。
〈しかし孤独なエレニとは違って、オモニにはヨンヒさんがいて、カオルさんという新しい家族ができた。
そこがこの映画の希望だ。
急に4・3について語りだしたオモニについて、ヨンヒさんは「託された」と表現している。
食べることからも、思想や感情を抱くことからも、人間は逃れることができない。
スープの味も、イデオロギーの悲劇も、どちらもわれわれが未来へと受け継いでいかねばならないテーマだね。〉
『スープとイデオロギー』、ぜひ観てください。