映画を観ていて、どうしてもわからないことが、いくつかあった。一つが、エイミーが、まだ言葉のおぼつかないテイラーの名前を、どうやって知ったのかということ。
取り寄せた原作では(これはエイミーと別れて少し後だが)、「てぃら」と自分の名前を名乗っている。そしてエイミーはテイラーの母と「商売仲間」で、世間話もする仲だった。年齢はエイミーとそう変わらなかったらしい。だからテイラーが一人でいるのを見て、すぐに母親について訊ねたのだろうし、初対面でもなかったのだろう。
「お母さんは?」と問われた視線の先に、立ち去っていく人の後ろ姿がある。誰か拾ってくれるのを見届けて立ち去っていった母親かと最初は思ったが、テイラーの頭巾には雪が積もっていて、手も赤く霜焼けしていて、しばらくその場でじっとしていことがうかがえる。テイラーの母親は、立ち去った人でなく、座り込んでいる人の方で、痴情のもつれか通り魔に襲われたのか、もうすでに死んでいるらしい。そしてテイラーはまだ母親の死を理解できない。エイミーの母親も、暴漢に襲われて死んだことになっている。
原作では、二人の姉妹が出会うのは娼婦街となっている。この街でいちばん多い職業は娼婦で、その次が盗人で、エイミーも盗人で生計を立てている。原作では「娼婦が盗人を兼ねている」ともいわれている。映画におけるエイミーの「花売り」すなわち少女売春の可能性もそこにはあるが、男装していたのは貞操を守るためとも書かれており、あくまでも盗人がメインらしい。あの店は原作では「換金屋」と表現されている。盗人が盗品を換金し、取り戻しにきた持ち主に倍の値段で売りつけているようだ。
映画と原作ではいろいろ異なる。映画ではエイミーとテイラーが別れて2年の歳月が経っているが、原作では別れた直後である。たしかに、2年間、テーブルマナーも身についていなかったのは、不自然さも残る。ヨーク家に引き取られた直後なら、それもわかる。ただし、「家庭教師」が必要なのは、原作どおり、引き取られ、女学校に入学した直後だろう。最短で2学期の間、最長で2年間、あの調子だったのだというのは、かなり厳しい。そこが世間知らずのアシュリーには、魅力的に映ったのかもしれないが。
原作のヴァイオレットは、「友人からお金は頂きません」とはっきりと言っている。映画では、「自分でも良くわからないのですが、受け取りたくないのです」というセリフに変更され、ヴァイオレットの思いは、表情や口ぶりで表現されている。これはこれでヴァイオレットらしいが、外国人にはわかりづらいかもしれない。海外版を作るなら、原作に寄せたほうがいいと思った。
「ヴァイオレット、お手をどうぞ」は、原作では姉のセリフだったが、映画ではその台詞はないけれど、出発シーンで妹がやっている。原作は、テイラーが郵便社を訪ねてくるところで終わっている。とりあえず、『永遠と自動手記人形』だけ読んでみたが、他の作品も楽しみだ。暁佳奈さんの文章は、あのヴァイオレットの髪そのままに、ビロードのように心地よい。