白川郷を後にしてバスは飛騨の高山へ向かってまっせ。
一旦やんだ雨が長い飛騨トンネルを抜けたら又もや降りだしましたがな。
奥飛騨慕情って歌が、昔でっけど流行りましたな。
ああ~ 奥飛騨に雨がふる~♪ そんな気分で行きまひょ。
(国道156号線の地図)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
現在は東海北陸自動車道を使えば白川郷ICから飛騨清見ICを通って
1時間足らずで高山市内に行けるように成りましたんや。
ブログは一寸だけ脱線して昔の懐かしいコースを辿ってみまひょ。
国道156号線ちゅうのは岐阜市から郡上八幡や白川郷を通って
富山県の高岡市まで約210kmの一般国道ですわ。
分水嶺の「ひるがの高原」から飛騨地方に入ると庄川の流れに沿って
御母衣湖(みぼろこ)の側を通って行きますんや。
車が運転を誤って御母衣湖(みぼろこ)に転落したらそれこそ「イチコロ」
そんな訳で国道156号線は「イチコロ」国道、と名付けられた危険な道でしたんや。
漏水するトンネルに冬の積雪や凍結する路面でドライバー泣かせの道ですわ。
つい5~6年前まで白川郷へ行くのにはこの国道156号線しかおまへんでした。
(分水嶺の ひるがの高原)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
この御母湖(みぼろこ)は現在でも貯水量が日本一の人造湖なんでっせ。
1961年(昭和36年)に完成した御母衣(みぼろ)ダムがおます。
2007年(平成19年)にはまだ東海北陸自動車道路が飛騨清見ICまでしか
開通してませんでしたので、当時の風景が下の画像でっせ。
(御母衣ダム) (平成19年10月撮影) (岐阜県大野郡白川村)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
このダムは完成当時は日本で一番大きい「ロックフィル式」と呼ばれる
岩石と土砂で固めた形式で築いてますんや。
周囲の地盤が悪いのでコンクリート製のダムは適してなかったそうでっせ。
画像では巨大なダムには見えまへんけど、高さが131m ・ 長さが405m
ダムの地下200mに水力発電所が在って現在も中部電力経由で名古屋市や
関西電力を経由して関西地方へ送電されてますんや。
日本電源開発(現在はJ-POWER)が現在も管理運営してまんねん。
この御母衣(みぼろ)ダムから少し上流に有名な「荘川桜」(しょうかわざくら)
と呼ぶ樹齢約450年の桜が移植されてますんや。
「荘川桜」(しょうかわざくら)(J-POWERさんのHPから拝借)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
御母衣(みぼろ)ダムは白川村におますんやけど、御母衣湖(みぼろこ)の大半は
現在の高山市荘川町で昭和30年代にダム建設のために230戸の集落が
水没しましたんや。
その当時の日本電源開発の総裁であった故高崎達之助氏が水没する地区の
お寺に見事な桜の木が二つあるのを見て、何とかして
御母衣湖(みぼろこ)の展望台へ移植したいと考えたそうでんな。
「桜切るバカ 梅切らぬバカ」 こんな言い方をされる桜は枝を切っただけでも
枯れてしまうほど、移植が難しい木なんだって。
「荘川桜」(しょうかわざくら) (J-POWERさんのHPから拝借)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
紆余曲折があって1960年(昭和35年)12月に桜は移し替られましたんや。
移植してから10年後に見事な満開になり「荘川桜」(しょうかわざくら)と
呼ばれ地元の岐阜県では三大桜の一つと言われるように成ったそうな。
アズマ ヒガンザクラという品種で樹齢が約450年の老木だそうで最近は
「荘川桜」も花芽が育たず満開になることも少なくなってきたとか。
ちなみに「荘川桜」と名付けた方は、故高崎達之助さんですよ。
ダム湖に沈むはずだった桜の老木を移植するなんて画期的な事業でしたんや。
現在はこの老木から苗木を育てて「荘川桜二世」を作り出す運動が続いてまっせ。
「荘川桜二世」が各地に移植され東京の千鳥が淵の入口にも咲き出しているとか
全国の小学校や中学校にも配られて「荘川桜の二世」が育っているんだって。
寄り道が長くなってしまいましたが、飛騨の高山へ急ぎまひょ。
(濃飛バス 陣屋前バス停) 2007年(平成19年)10月撮影分
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
飛騨の高山巡りと言ったら高山陣屋跡か古い町並みの上三之町に宮川の朝市でっか。
後は飛騨牛は高いけど美味しいでんな、春と秋の高山祭りも有名でっしゃろな。
(高山陣屋跡 正門)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
江戸時代の中頃1692年(元禄5年)飛騨一国の全てを天領にして明治維新まで
ここ高山陣屋で代官や郡代が地役人を使って飛騨国の政務を行つたようでんな。
わてが住む河内の国もほとんどが天領でしたが大阪狭山に1万石で北条氏が居ました
だから我が町の少しだけは北条氏の領地になってましたんや。
おそらく飛騨一国全てが天領ちゅうのは、わての記憶ではここだけでっしゃろ。
それだけ飛騨の匠や飛騨の山林に江戸幕府は強い魅力を持っていたんでしょうな。
(高山陣屋跡 玄関)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
この三つ葉葵いの紋所に飛騨の庶民は明治維新まで苦しめられたそうですわ。
なんでも明和年間から天明年間まで大原騒動と呼ばれる百姓一揆が
18年間も続き多くの犠牲者を出しながらも、最後は郡代・大原亀五郎を
罷免させる幕府の命令を獲得することに至ったそうでっせ。
磔・獄門の刑に処され数百人もの百姓の命が奪われる痛ましい事件でもあったとか。
(高山陣屋跡 外塀から撮影)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
(高山市の マンホールの蓋)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
高山市の花は「コバノ ミツバツツジ」だそうでおそらくその花でっしゃろか?
人口は9万1千人の地方都市でっけど、面積では日本で一番広い都市なんだって。
なんでも平成の大合併で大阪府や香川県よりも広い面積に成ったそうですわ。
でも~ ほとんどは山林が占めていて、街と言えば高山旧市内だけでっけどな。
(高山市 中橋)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
(飛騨の高山 雨の中橋で自分撮りの撮影)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
(宮川の辺から 中橋を撮影)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
この赤い橋は京都の鴨川を真似て架けられたそうで高山祭りで山車が渡る写真が
観光用のポスターなどで良く見かけるアングルでっせ。
飛騨の高山は「小京都」と呼ばれることもあり、中世に姉小路家が飛騨の国主になり
戦国時代まで続いた影響が今日まで残っているのかもしれまへんな。
この宮川の川沿いの道に「宮川の朝市」が並ぶんでっけど、この日は生憎の雨
店じまいしてしまったのか、影も形も見れまへんでしたがな。
2007年(平成19年)10月に訪れた時の画像を貼り付けて置きまひょ。
(宮川の朝市) (高山市上三之町)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
この川沿いの道から一つ東側へ入ったところが高山の上三之町と言いまんねんで。
江戸時代からの民家や商家が残り歴史的建造物群保存地区に認定されてますんや。
負け惜しみや、おまへんけど、雨の奥飛騨にはお似合いでっしゃろ。
(飛騨の高山 上三之町)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
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(飛騨高山 上三之町にて自分撮りで撮影)
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(飛騨の高山 雨の上三之町)
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高山市の上三之町を含めて三つの古い町並みが並んでますんやけど
二階が低い軒になってまっしゃろ、「ごみ二階」って言いますんやて~
歴史的建造物群保存地区なのに可哀想なネーミングとちがいまっしゃろか?
趣のある静かな町並みでっけど、ご多分に漏れず観光客が多いでんな。
(高山の銘菓 栃の実せんべい)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
小学生以上なら「栃の実せんべい」を焼く体験もさせてもらえるんだって。
2007年(平成19年)に訪れた時はここで「栃の実せんべい」を
お土産に5個ほど買ったんだけど、本日はパスしまひょ。
ビールのおつまみには美味しかったような記憶がしまんな。
(飛騨の高山 上三之町 お米の店? お味噌の店だったかな?)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
長くなりますんで飛騨の高山は続編でやらしてもらいまひょ。
ほんなら~ 今日はこれで失礼しまっせ、 さいなら~
一旦やんだ雨が長い飛騨トンネルを抜けたら又もや降りだしましたがな。
奥飛騨慕情って歌が、昔でっけど流行りましたな。
ああ~ 奥飛騨に雨がふる~♪ そんな気分で行きまひょ。
(国道156号線の地図)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
現在は東海北陸自動車道を使えば白川郷ICから飛騨清見ICを通って
1時間足らずで高山市内に行けるように成りましたんや。
ブログは一寸だけ脱線して昔の懐かしいコースを辿ってみまひょ。
国道156号線ちゅうのは岐阜市から郡上八幡や白川郷を通って
富山県の高岡市まで約210kmの一般国道ですわ。
分水嶺の「ひるがの高原」から飛騨地方に入ると庄川の流れに沿って
御母衣湖(みぼろこ)の側を通って行きますんや。
車が運転を誤って御母衣湖(みぼろこ)に転落したらそれこそ「イチコロ」
そんな訳で国道156号線は「イチコロ」国道、と名付けられた危険な道でしたんや。
漏水するトンネルに冬の積雪や凍結する路面でドライバー泣かせの道ですわ。
つい5~6年前まで白川郷へ行くのにはこの国道156号線しかおまへんでした。
(分水嶺の ひるがの高原)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
この御母湖(みぼろこ)は現在でも貯水量が日本一の人造湖なんでっせ。
1961年(昭和36年)に完成した御母衣(みぼろ)ダムがおます。
2007年(平成19年)にはまだ東海北陸自動車道路が飛騨清見ICまでしか
開通してませんでしたので、当時の風景が下の画像でっせ。
(御母衣ダム) (平成19年10月撮影) (岐阜県大野郡白川村)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
このダムは完成当時は日本で一番大きい「ロックフィル式」と呼ばれる
岩石と土砂で固めた形式で築いてますんや。
周囲の地盤が悪いのでコンクリート製のダムは適してなかったそうでっせ。
画像では巨大なダムには見えまへんけど、高さが131m ・ 長さが405m
ダムの地下200mに水力発電所が在って現在も中部電力経由で名古屋市や
関西電力を経由して関西地方へ送電されてますんや。
日本電源開発(現在はJ-POWER)が現在も管理運営してまんねん。
この御母衣(みぼろ)ダムから少し上流に有名な「荘川桜」(しょうかわざくら)
と呼ぶ樹齢約450年の桜が移植されてますんや。
「荘川桜」(しょうかわざくら)(J-POWERさんのHPから拝借)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
御母衣(みぼろ)ダムは白川村におますんやけど、御母衣湖(みぼろこ)の大半は
現在の高山市荘川町で昭和30年代にダム建設のために230戸の集落が
水没しましたんや。
その当時の日本電源開発の総裁であった故高崎達之助氏が水没する地区の
お寺に見事な桜の木が二つあるのを見て、何とかして
御母衣湖(みぼろこ)の展望台へ移植したいと考えたそうでんな。
「桜切るバカ 梅切らぬバカ」 こんな言い方をされる桜は枝を切っただけでも
枯れてしまうほど、移植が難しい木なんだって。
「荘川桜」(しょうかわざくら) (J-POWERさんのHPから拝借)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
紆余曲折があって1960年(昭和35年)12月に桜は移し替られましたんや。
移植してから10年後に見事な満開になり「荘川桜」(しょうかわざくら)と
呼ばれ地元の岐阜県では三大桜の一つと言われるように成ったそうな。
アズマ ヒガンザクラという品種で樹齢が約450年の老木だそうで最近は
「荘川桜」も花芽が育たず満開になることも少なくなってきたとか。
ちなみに「荘川桜」と名付けた方は、故高崎達之助さんですよ。
ダム湖に沈むはずだった桜の老木を移植するなんて画期的な事業でしたんや。
現在はこの老木から苗木を育てて「荘川桜二世」を作り出す運動が続いてまっせ。
「荘川桜二世」が各地に移植され東京の千鳥が淵の入口にも咲き出しているとか
全国の小学校や中学校にも配られて「荘川桜の二世」が育っているんだって。
寄り道が長くなってしまいましたが、飛騨の高山へ急ぎまひょ。
(濃飛バス 陣屋前バス停) 2007年(平成19年)10月撮影分
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
飛騨の高山巡りと言ったら高山陣屋跡か古い町並みの上三之町に宮川の朝市でっか。
後は飛騨牛は高いけど美味しいでんな、春と秋の高山祭りも有名でっしゃろな。
(高山陣屋跡 正門)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
江戸時代の中頃1692年(元禄5年)飛騨一国の全てを天領にして明治維新まで
ここ高山陣屋で代官や郡代が地役人を使って飛騨国の政務を行つたようでんな。
わてが住む河内の国もほとんどが天領でしたが大阪狭山に1万石で北条氏が居ました
だから我が町の少しだけは北条氏の領地になってましたんや。
おそらく飛騨一国全てが天領ちゅうのは、わての記憶ではここだけでっしゃろ。
それだけ飛騨の匠や飛騨の山林に江戸幕府は強い魅力を持っていたんでしょうな。
(高山陣屋跡 玄関)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
この三つ葉葵いの紋所に飛騨の庶民は明治維新まで苦しめられたそうですわ。
なんでも明和年間から天明年間まで大原騒動と呼ばれる百姓一揆が
18年間も続き多くの犠牲者を出しながらも、最後は郡代・大原亀五郎を
罷免させる幕府の命令を獲得することに至ったそうでっせ。
磔・獄門の刑に処され数百人もの百姓の命が奪われる痛ましい事件でもあったとか。
(高山陣屋跡 外塀から撮影)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
(高山市の マンホールの蓋)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
高山市の花は「コバノ ミツバツツジ」だそうでおそらくその花でっしゃろか?
人口は9万1千人の地方都市でっけど、面積では日本で一番広い都市なんだって。
なんでも平成の大合併で大阪府や香川県よりも広い面積に成ったそうですわ。
でも~ ほとんどは山林が占めていて、街と言えば高山旧市内だけでっけどな。
(高山市 中橋)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
(飛騨の高山 雨の中橋で自分撮りの撮影)
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(宮川の辺から 中橋を撮影)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
この赤い橋は京都の鴨川を真似て架けられたそうで高山祭りで山車が渡る写真が
観光用のポスターなどで良く見かけるアングルでっせ。
飛騨の高山は「小京都」と呼ばれることもあり、中世に姉小路家が飛騨の国主になり
戦国時代まで続いた影響が今日まで残っているのかもしれまへんな。
この宮川の川沿いの道に「宮川の朝市」が並ぶんでっけど、この日は生憎の雨
店じまいしてしまったのか、影も形も見れまへんでしたがな。
2007年(平成19年)10月に訪れた時の画像を貼り付けて置きまひょ。
(宮川の朝市) (高山市上三之町)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
この川沿いの道から一つ東側へ入ったところが高山の上三之町と言いまんねんで。
江戸時代からの民家や商家が残り歴史的建造物群保存地区に認定されてますんや。
負け惜しみや、おまへんけど、雨の奥飛騨にはお似合いでっしゃろ。
(飛騨の高山 上三之町)
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(飛騨高山 上三之町にて自分撮りで撮影)
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photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
(飛騨の高山 雨の上三之町)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
高山市の上三之町を含めて三つの古い町並みが並んでますんやけど
二階が低い軒になってまっしゃろ、「ごみ二階」って言いますんやて~
歴史的建造物群保存地区なのに可哀想なネーミングとちがいまっしゃろか?
趣のある静かな町並みでっけど、ご多分に漏れず観光客が多いでんな。
(高山の銘菓 栃の実せんべい)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
小学生以上なら「栃の実せんべい」を焼く体験もさせてもらえるんだって。
2007年(平成19年)に訪れた時はここで「栃の実せんべい」を
お土産に5個ほど買ったんだけど、本日はパスしまひょ。
ビールのおつまみには美味しかったような記憶がしまんな。
(飛騨の高山 上三之町 お米の店? お味噌の店だったかな?)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
長くなりますんで飛騨の高山は続編でやらしてもらいまひょ。
ほんなら~ 今日はこれで失礼しまっせ、 さいなら~
百姓一揆は北海道以外では多々
北海道の開拓は明治以降で~
一揆と言えるのはアイヌの一揆
商業が活発になると世の中一変ですね。
商業の進化~どこまで進化~危惧を覚えるときありますね。
高山は懐かしいです、会社の同僚達と仕事帰り、夜に車で出かけたり、家族旅行でもいきました
神社で買った土鈴が今でもぶら下がっています
飛騨牛でしたか、美味しかったですね~
私などもう行けないでしょうね~。
最近は安房峠のトンネルが開通して上高地や乗鞍岳や松本へも行けるようになりましたので
通過する観光客が増えたような感じですね。
飛騨牛での食事などは人気ですかな。
関西から上高地や乗鞍岳へ行くのは高山経由で行くほうが早くなったような感じ。
飛騨牛は平成19年に息子夫婦と孫たちとで
食べましたが美味しかったですね。
でもホテルの宿泊代より高くついたと内の奥さんが言ってましたよ。
子供二人の四人家族になったとき、
一日かけて探したテーブル、
最後に三越の家具売り場で、
飛騨の匠のテーブルセット椅子6客つきが気に入って、
買いました。
我が家の家具で一番高価なもの。
今でも老夫婦で使っています。
テーブルを延ばすと六人掛けになり、
倅夫婦と孫二人が遊びに来ると、
6人で食事が出来ます。
秋らしくてgood!
高山には台風18号の最中に行かれたのですか?
高山市が日本一ですか。
それは驚きです。
飛騨高山といえば、私は、五平餅。
最近、食べたことありませんが、結構、好きな味です。
今では、結構、高いですけどね。
デジカメ散歩しかできませんでしたね。
本当は一泊して飛騨牛でも食べながら見て回りたかったですな。
大阪はまだ30度前後の夏日が続いていますけど。
高山は「おわら風の盆」の翌日になる9月3日に訪れたもので台風18号のもうひとつ前の
嵐がまだ残っていた日でしたね。
上高地が松本市だなんて言われると雰囲気が壊れてしまいますね。
私は昔のままの梓川村と呼ぶほうが似合うと思うんですけど。