茶山遺跡なんて知らんな~
わいも市教育委員会の現地説明会を見学して知りましたんや。
(産経新聞 11月22日 河内版)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
この中学校は、息子や娘も卒業したんで、よう知ってまんがな。
25年ぶりでんな誉田中学の校門を潜るのは。
(茶山遺跡 発掘調査現地見学会 会場)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
市の教育委員会が中学校の校庭を3回に分けて発掘調査をしてまんねんて~
此処はすぐ西側に古市古墳群で最大の前方後円墳がある応神天皇陵の側でっせ。
(応神天皇陵) (全長425m) (体積では日本最大の古墳)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
航空写真によるとこんな感じの古墳でっせ、「周辺」と書かれた文字の下ぐらいが
今回の「茶山遺跡」の発掘調査現場になりまっしゃろかな。
(茶山遺跡の現地見学会に集まった人々)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
わても郷土史の一員でっさかいに質問しながら見学させて貰いましたで。
独断と偏見でわての考え方で紹介させてもらいまひょ。
(円筒棺から埋葬品が出土)
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画像の中央やや右手に泥のように見えるのは鉄製の斧と鍬だそうでっせ。
円筒棺は近くの土師の里遺跡でも多く出土してまっけど、埋葬品が出てくるのは
珍しいことで「土師氏」の埋葬方法だとの説が言われてますな。
この辺りは埴輪を作った「土師氏」が古墳時代には住んでいたようですわ。
おそらく「土師氏」の族長クラスの人物の墓だろうと考えられまんねんて。
(土師器の集積遺構) (奈良時代)
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埴輪などに使われた土師器は奈良時代にはほとんど使われなくなり
このように処分されて埋められてしまったとも考えられてますな。
(中世の井戸 室町時代)
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実は、わてらは茶山遺跡は古墳時代から奈良時代までの遺跡やと聞いてましたんや。
今回の発掘調査で中世にも使われていたことが判明したんやそうですわ。
室町時代に「誉田城」というのが文献や記録に出てきまんねんけど、これが現在まで
どこに在ったのか不明になってますんや。
今回の発掘調査は「誉田城」を発見できるかもしれないとの期待もあるそうでっせ。
(中世の地層から)
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中央やや下に埴輪の破片が挟まったままで写ってまっしゃろ。
当時は遠くから石や砂をもってきて埋めることはしまへんわな。
手っ取り早く近くの古墳を壊して整地したんでっしょろ。
(中世の石積遺構) (室町時代)
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これがどうやら、元の古墳を潰して整地した遺構で室町時代の14世紀だとの話。
お隣の応神天皇陵から出てくる埴輪と同じものが出土しているんだそうですわ。
おそらく埴輪を多数、並べた応神天皇陵の陪塚だった可能性があるようでんな。
ここから日本で初めてだと考えられる埴輪が出てきたそうでっせ。
それが下の画像で「椅子形埴輪」だそうですわ。
(椅子形埴輪) (おそらく5世紀頃の製造)
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わても~ あちこちで埴輪は見てまっけどこれは初めて見る形でんな。
応神天皇に仕えた位の高い人物のお墓が壊されてしまったんでっしゃろか。
次の埴輪は少しだけ出土してるけどこれも珍しい形でんな。
(冠帽形埴輪)
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(蓋形埴輪) (きぬがさがた はにわと読むそうです)
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上の二つは私も見たことのない見事な埴輪でしたわ。
特別の人物にしか使われないような丁寧な装飾品ですわな。
葬られたのは応神天皇の重臣だった人の古墳だったんだろうと思いまんねんけど。
(市教育委員会の 担当者が説明)
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わても~ 質問してみましたが、さすがに良くご存知でしたわ。
(茶山遺跡の概要) (第Ⅱ期発掘現場だそうです)
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奥の方に盛土が見える処が今回の発掘調査が終わったら
次の第Ⅲ期に発掘予定だそうで、何が出土するのか楽しみでもおまんな。
(茶山遺跡発掘現場から 中学校の校舎を撮影)
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フエンスの向こう側は第Ⅰ期発掘調査を終えた校庭と中学校の校舎。
ここは主に中世の井戸や庭園のような遺構が出てきたそうです。
「誉田城」の土塁や柱などが第Ⅲ期発掘調査以降に出てくるかどうかが注目でんな。
(馬形埴輪 & 水鳥形埴輪)
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(大刀形埴輪)
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(家形埴輪)
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担当者が持ち上げている埴輪の破片はおそらく1m~2mもある大型埴輪で
おそらく家形埴輪の梁の部分だと考えられるそうですわ。
これから散らばった破片を集めて昔の姿に復元するのも彼らのお仕事でっせ。
なんでも豊富で大量の埴輪の部品が出土しているので大変な作業でっしゃろな。
(粘土を採集した跡)
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2mぐらい掘っただけで古墳時代の粘土層に達するようですわ。
この粘土を使って「土師氏」の人が埴輪を作った当時の工房の跡でっしゃろな。
(古市古墳群 ウオーキングマップ)
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世界文化遺産に暫定登録されてましたんで我が町とお隣の藤井寺市が共同で
作成した写真入りの地図だっせ。
最近はこのマップを持って古市古墳群を巡る人が増えてきましたな。
我が家もこの古市古墳群の一番南のエリアにおますんや。
たまに、次の古墳への道案内などを聞かれることがおまんな。
まあ~ 世界文化遺産に登録されるとしても鉄ちゃん爺やが死んでからでっしゃろな。
宮内庁管理の天皇陵を一般開放しないと認めてもらえないと思いまんねんけど。
天皇の御陵を足で踏みにじるのは不敬だとの考えもおますわな。
天皇陵を発掘したら日本の歴史が変わるかもしれないとの考えもありますけどね。
どちらにしても~ 世界文化遺産の道のりは遠いでっしゃろな。
ほな~ 今日はこれでさいなら~
わいも市教育委員会の現地説明会を見学して知りましたんや。
(産経新聞 11月22日 河内版)
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この中学校は、息子や娘も卒業したんで、よう知ってまんがな。
25年ぶりでんな誉田中学の校門を潜るのは。
(茶山遺跡 発掘調査現地見学会 会場)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
市の教育委員会が中学校の校庭を3回に分けて発掘調査をしてまんねんて~
此処はすぐ西側に古市古墳群で最大の前方後円墳がある応神天皇陵の側でっせ。
(応神天皇陵) (全長425m) (体積では日本最大の古墳)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
航空写真によるとこんな感じの古墳でっせ、「周辺」と書かれた文字の下ぐらいが
今回の「茶山遺跡」の発掘調査現場になりまっしゃろかな。
(茶山遺跡の現地見学会に集まった人々)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
わても郷土史の一員でっさかいに質問しながら見学させて貰いましたで。
独断と偏見でわての考え方で紹介させてもらいまひょ。
(円筒棺から埋葬品が出土)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
画像の中央やや右手に泥のように見えるのは鉄製の斧と鍬だそうでっせ。
円筒棺は近くの土師の里遺跡でも多く出土してまっけど、埋葬品が出てくるのは
珍しいことで「土師氏」の埋葬方法だとの説が言われてますな。
この辺りは埴輪を作った「土師氏」が古墳時代には住んでいたようですわ。
おそらく「土師氏」の族長クラスの人物の墓だろうと考えられまんねんて。
(土師器の集積遺構) (奈良時代)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
埴輪などに使われた土師器は奈良時代にはほとんど使われなくなり
このように処分されて埋められてしまったとも考えられてますな。
(中世の井戸 室町時代)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
実は、わてらは茶山遺跡は古墳時代から奈良時代までの遺跡やと聞いてましたんや。
今回の発掘調査で中世にも使われていたことが判明したんやそうですわ。
室町時代に「誉田城」というのが文献や記録に出てきまんねんけど、これが現在まで
どこに在ったのか不明になってますんや。
今回の発掘調査は「誉田城」を発見できるかもしれないとの期待もあるそうでっせ。
(中世の地層から)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
中央やや下に埴輪の破片が挟まったままで写ってまっしゃろ。
当時は遠くから石や砂をもってきて埋めることはしまへんわな。
手っ取り早く近くの古墳を壊して整地したんでっしょろ。
(中世の石積遺構) (室町時代)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
これがどうやら、元の古墳を潰して整地した遺構で室町時代の14世紀だとの話。
お隣の応神天皇陵から出てくる埴輪と同じものが出土しているんだそうですわ。
おそらく埴輪を多数、並べた応神天皇陵の陪塚だった可能性があるようでんな。
ここから日本で初めてだと考えられる埴輪が出てきたそうでっせ。
それが下の画像で「椅子形埴輪」だそうですわ。
(椅子形埴輪) (おそらく5世紀頃の製造)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
わても~ あちこちで埴輪は見てまっけどこれは初めて見る形でんな。
応神天皇に仕えた位の高い人物のお墓が壊されてしまったんでっしゃろか。
次の埴輪は少しだけ出土してるけどこれも珍しい形でんな。
(冠帽形埴輪)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
(蓋形埴輪) (きぬがさがた はにわと読むそうです)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
上の二つは私も見たことのない見事な埴輪でしたわ。
特別の人物にしか使われないような丁寧な装飾品ですわな。
葬られたのは応神天皇の重臣だった人の古墳だったんだろうと思いまんねんけど。
(市教育委員会の 担当者が説明)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
わても~ 質問してみましたが、さすがに良くご存知でしたわ。
(茶山遺跡の概要) (第Ⅱ期発掘現場だそうです)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
奥の方に盛土が見える処が今回の発掘調査が終わったら
次の第Ⅲ期に発掘予定だそうで、何が出土するのか楽しみでもおまんな。
(茶山遺跡発掘現場から 中学校の校舎を撮影)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
フエンスの向こう側は第Ⅰ期発掘調査を終えた校庭と中学校の校舎。
ここは主に中世の井戸や庭園のような遺構が出てきたそうです。
「誉田城」の土塁や柱などが第Ⅲ期発掘調査以降に出てくるかどうかが注目でんな。
(馬形埴輪 & 水鳥形埴輪)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
(大刀形埴輪)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
(家形埴輪)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
担当者が持ち上げている埴輪の破片はおそらく1m~2mもある大型埴輪で
おそらく家形埴輪の梁の部分だと考えられるそうですわ。
これから散らばった破片を集めて昔の姿に復元するのも彼らのお仕事でっせ。
なんでも豊富で大量の埴輪の部品が出土しているので大変な作業でっしゃろな。
(粘土を採集した跡)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
2mぐらい掘っただけで古墳時代の粘土層に達するようですわ。
この粘土を使って「土師氏」の人が埴輪を作った当時の工房の跡でっしゃろな。
(古市古墳群 ウオーキングマップ)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
世界文化遺産に暫定登録されてましたんで我が町とお隣の藤井寺市が共同で
作成した写真入りの地図だっせ。
最近はこのマップを持って古市古墳群を巡る人が増えてきましたな。
我が家もこの古市古墳群の一番南のエリアにおますんや。
たまに、次の古墳への道案内などを聞かれることがおまんな。
まあ~ 世界文化遺産に登録されるとしても鉄ちゃん爺やが死んでからでっしゃろな。
宮内庁管理の天皇陵を一般開放しないと認めてもらえないと思いまんねんけど。
天皇の御陵を足で踏みにじるのは不敬だとの考えもおますわな。
天皇陵を発掘したら日本の歴史が変わるかもしれないとの考えもありますけどね。
どちらにしても~ 世界文化遺産の道のりは遠いでっしゃろな。
ほな~ 今日はこれでさいなら~
体育や部活は?
我が家の近くにも遺跡が残っています。
小豆沢貝塚で、富士山や浅間山の噴火で、数日間降り積もった火山灰で亡くなった方の慰霊地蔵尊が残っていたり、
荒川の川底の丸い石が、志村坂上の表面から、30mほど下に埋まっていたり、その石ほしさに子供が穴を掘り、生き埋めになった地蔵尊が残っていたりします。
赤羽や川口から浦和、大宮まで、古い時代には海だった名残の地名が付いています。
古墳は
近くの埋蔵文化センターで見るくらいです。
おそらく発掘調査に備えて市が用意したんだと思いますけど。
野球を始め部活は第二グランドでやっているようですよ。
我が家も室町時代の高屋城の二の丸を囲む土塁があった地点だそうです。
今回の発掘も来年には第Ⅲ期が続いて実施され、そこで一段落ですかな。
天皇陵だけは厳重に保護されていますが小さい古墳までは手が回らない時代がありました。
10年ぐらい前にも公園を造ろうとしたら装飾品や刀剣類が数百点も出てきて大騒ぎになったことがあります。
おそらく古墳時代から中世までの遺跡は多く眠っていると思われますよ。
やはり歴史の真相は発掘しないと分からないですよね。
次も楽しみにしているんですけど。