新年明けましておめでとうございます。
元日は一人で地元の誉田八幡宮へ初詣に出かけました。
例年は孫たちの学業の上達を願って道明寺天満宮なんですが
我が家に同居中の孫は大学の3年でもうお願いでもないよね。
岡崎の孫は今年は帰ってないので、私がお願いしても変だし。
今年は家内安全と無病息災で誉田八幡宮さんにしましたんや。
誉田(こんだ)とお読みします、ご祭神の応神天皇さまは
誉田別尊(ほんだわけのみこと)と、お名前をお呼びします。
昔からこの辺りは河内の国で「こんだ」と呼んでいたんだとか。
他に母親の神功皇后さまと父親の仲哀天皇さまに
合わせて住吉の大神をご祭神にしている神社なんですよ。
(誉田八幡宮の 干支の絵馬)
(誉田八幡宮の参道から 拝殿を撮影)
(誉田八幡宮の 拝殿)
新型コロナの影響でっしゃろな、初詣の人は少なめですわ。
拝殿の入り口に賽銭箱が置かれ、中には入れずに参拝でした。
3密を避けて、建屋の中には入らないように配慮でっしゃろな。
(誉田八幡宮の ご朱印)
ご朱印も書置きで朱印帳には書いて貰えまへん。
ようこそ~ お参り! と用意したご朱印を一枚手渡しでんな。
こんな所にも、新型コロナの影響が出てますんや。
(誉田八幡宮の神殿前 右近の橘)
(同じく 左近の桜)
冬でっから桜は葉っぱが無く枝だけの寂しい感じ。
橘は我が街の木で、この神社の橘から採用したとのこと。
御所の紫宸殿前庭に準ずる左近の桜と右近の橘が配されてますんや。
(応神天皇陵への参道)
(応神天皇陵への 放生橋)
毎年9月14日の例大祭には国宝の神輿がこの橋を渡り奥の
応神天皇陵に立ち入るのが神事の一つに成ってますんや。
因みに応神天皇陵は世界文化遺産に認定されましたんでっせ。
(国宝の 神輿) (誉田八幡宮の冊子から)
源頼朝公が奉納したとの伝えで鎌倉時代の豪華なお神輿ですよ。
源頼朝公の5代前の源頼義が京都の石清水八幡宮から勧請し
源氏の氏神様として応仁天皇陵の側にお祀りしたの最初だとか。
八幡さまは源氏の信仰が篤いので奉納も当然のように思いまぁ。
実物は10年ぐらい前に一度だけ拝殿内に置かれてるのを拝見。
その日が確か例大祭の9月14日だったと記憶してまんねん。
(応神天皇陵の 拝所)
ここ誉田八幡宮も世界文化遺産に認定されても良いような
建物と文化財を所有してるんですが認定には至りまへんでした。
拝殿は豊臣秀頼が片桐且元に命じたが建築中に大坂夏の陣が
天井などが未完成のまま珍しい形態で完成したとのこと。
(誉田八幡宮の 南門)
江戸時代まで長野山護国寺が神宮寺とされていた名残で
明治初めの廃仏毀釈からこの山門だけが残ったとの説。
今では神社に似合わない山門が建っている、という事になりまぁ。
(鉄ちゃん爺やの 令和3年度の 年賀状)
(鉄ちゃん爺や 今年のお節料理)
下の二つが奥城崎シーサイドホテル特製のおせちでおます。
上の二つがスーパーで買ってきたおせち料理ですな。
今年は息子夫婦や孫たちが帰阪しないので少なめのおせち料理でおます。
本年も宜しくお願い致します。
それじゃ~ これで、さいなら~♪
元日は一人で地元の誉田八幡宮へ初詣に出かけました。
例年は孫たちの学業の上達を願って道明寺天満宮なんですが
我が家に同居中の孫は大学の3年でもうお願いでもないよね。
岡崎の孫は今年は帰ってないので、私がお願いしても変だし。
今年は家内安全と無病息災で誉田八幡宮さんにしましたんや。
誉田(こんだ)とお読みします、ご祭神の応神天皇さまは
誉田別尊(ほんだわけのみこと)と、お名前をお呼びします。
昔からこの辺りは河内の国で「こんだ」と呼んでいたんだとか。
他に母親の神功皇后さまと父親の仲哀天皇さまに
合わせて住吉の大神をご祭神にしている神社なんですよ。
(誉田八幡宮の 干支の絵馬)
(誉田八幡宮の参道から 拝殿を撮影)
(誉田八幡宮の 拝殿)
新型コロナの影響でっしゃろな、初詣の人は少なめですわ。
拝殿の入り口に賽銭箱が置かれ、中には入れずに参拝でした。
3密を避けて、建屋の中には入らないように配慮でっしゃろな。
(誉田八幡宮の ご朱印)
ご朱印も書置きで朱印帳には書いて貰えまへん。
ようこそ~ お参り! と用意したご朱印を一枚手渡しでんな。
こんな所にも、新型コロナの影響が出てますんや。
(誉田八幡宮の神殿前 右近の橘)
(同じく 左近の桜)
冬でっから桜は葉っぱが無く枝だけの寂しい感じ。
橘は我が街の木で、この神社の橘から採用したとのこと。
御所の紫宸殿前庭に準ずる左近の桜と右近の橘が配されてますんや。
(応神天皇陵への参道)
(応神天皇陵への 放生橋)
毎年9月14日の例大祭には国宝の神輿がこの橋を渡り奥の
応神天皇陵に立ち入るのが神事の一つに成ってますんや。
因みに応神天皇陵は世界文化遺産に認定されましたんでっせ。
(国宝の 神輿) (誉田八幡宮の冊子から)
源頼朝公が奉納したとの伝えで鎌倉時代の豪華なお神輿ですよ。
源頼朝公の5代前の源頼義が京都の石清水八幡宮から勧請し
源氏の氏神様として応仁天皇陵の側にお祀りしたの最初だとか。
八幡さまは源氏の信仰が篤いので奉納も当然のように思いまぁ。
実物は10年ぐらい前に一度だけ拝殿内に置かれてるのを拝見。
その日が確か例大祭の9月14日だったと記憶してまんねん。
(応神天皇陵の 拝所)
ここ誉田八幡宮も世界文化遺産に認定されても良いような
建物と文化財を所有してるんですが認定には至りまへんでした。
拝殿は豊臣秀頼が片桐且元に命じたが建築中に大坂夏の陣が
天井などが未完成のまま珍しい形態で完成したとのこと。
(誉田八幡宮の 南門)
江戸時代まで長野山護国寺が神宮寺とされていた名残で
明治初めの廃仏毀釈からこの山門だけが残ったとの説。
今では神社に似合わない山門が建っている、という事になりまぁ。
(鉄ちゃん爺やの 令和3年度の 年賀状)
(鉄ちゃん爺や 今年のお節料理)
下の二つが奥城崎シーサイドホテル特製のおせちでおます。
上の二つがスーパーで買ってきたおせち料理ですな。
今年は息子夫婦や孫たちが帰阪しないので少なめのおせち料理でおます。
本年も宜しくお願い致します。
それじゃ~ これで、さいなら~♪
今年の元旦は例年以上に静かに過ごしました。
今年もよろしくお願いします。
これでも普段の半分くらいですか?
我が家の近くの熊野神社は、階段上でお祈りする人、
階段下に一組、社殿前で待つ人ほどでした。
普段は横四人で100mは並ぶのですが・・・
こちらはまだ5歳、3歳、0歳
です。足が悪くなって不便です。
まだ杖は使ってないですが。
こちらはまだ5歳、3歳、0歳
です。足が悪くなって不便です。
まだ杖は使ってないですが。
新型コロナウイルスのとうとう1年になってしまいました
わが家も感染予防から孫たちも息子も来ないようです
お蔭でおせちも今までの半分も作って貰えず
普段通りです。
孫には八坂神社のお守りを送る事にしました。
お孫さんが沢山食べられたのかしら?
初詣、人多いですねえ。
例年はもっと多いということですね。
こちらは、三が日で、300人来なかったみたいです。
それでも、地元の氏神様ってことで、くちこも行ってきましたよ。
今年もよろしくお願いします。
今年もよろしくお願いたします。
本年も宜しくお願い致します。
本年も宜しくお願い致します。
例年の初詣客とは半分以下と思いますけど。
本年も宜しくお願い致します。
孫は大学3年が1人は同居中で
大学2年が1人と今年大学受験が1人
こちらは愛知県の岡崎に住んでいます。