鉄道車輌メーカーの名門である「東急車輌」がJR東日本の100%子会社へ。
今年4月1日付で「(株)総合車両製作所」ちゅう名前に変わったそうな。
関西では南海電鉄ぐらいだけど、関東ではJRも私鉄も地下鉄も
この東急車輌製の電車を使わない会社がないぐらい有名なんだから。
横浜の工場は残るんだけどさすがにJRの名前は付けなかったようだね。
鉄ちゃんには「東急車輌」の名前が消滅するのは残念なことだな~
(東急車輌 & 南海車両工業 二つの銘板)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
二つの銘板が貼り付けてあるって珍しいのでデジカメで写しました。
何故なのか家に戻ってからPCで検索したらこんなことが分かりましたんや。
この電車は昭和41年(1966年)横浜の東急車輌で製造されたそうです。
昭和63年(1988年)に台車を交換している事が原因のようですな。
(南海電鉄 6000系 通勤型電車) (オールステンレスカー)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
1962年(昭和37年)から製造された東急車輌のオールステンレスカーは
「バッド社」のライセンス契約を保有する東急車輌しか製造できませんでした。
親会社の東京急行電鉄の7000系・当時の京王帝都電鉄の3000系
それに関西では南海電鉄が高野線用として採用した新型電車でした。
ステンレスは錆びないので塗装も必要としない利点がありますよね。
ただ加工が難しく事故などで破損すると修理が困難な欠点もありますよ。
(南海電鉄 6000系 電車の連結部) (1966年製造)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
独特の波板(コルゲート)は現在の新型車輌にも引き継がれていますが
コーナー部分の滑らかな曲線部分はこの当時の車輌にしかみられませんな。
最近は溶接技術の進歩で軽量ステンレスが使われるようになり
昔のような技術を要するオールステンレス車は減少していますね。
製造から45年も経過しているのにほとんど傷も無く見事な電車ですよ。
(南海電鉄 6000系 電車のドア部分)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
最近はJRや大手私鉄にしてもドアーは両開きで四ヶ所設けられているのが
普通のスタイルですが、この当時の車輌は片開きだったですね。
ドアエンジンを搭載しているので現在でも遅れは感じないとか。
ただドアエンジンの製造が終わりましたので問題はありそうですけど。
(南海電鉄 6000系 ドアを内部から撮影)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
(南海電鉄 6000系 電車の側面)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
この電車を採用した当時のお話しで南海電鉄は和歌山市へ走る南海本線には
使用せず高野線の難波駅~橋本駅間に投入することにしました。
当時の南海本線は踏切事故が多くてステンレスカーが事故で破損したら
修理が難しいので高野線にのみ走らせるようにしたそうです。
どちらも当時はほとんどが地上を走っていたんですが南海電鉄のアイデアは
正しかったようです、製造された72両が全て現役で走っているんですから。
だからこの6000系が台車を交換しただけで現役を続けているので
南海電鉄では一番古い車輌となっています。
(南海電鉄 6300系 電車) (元 6100系)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
こちらは両開きドアに仕様変更されただけで外見上の違いは6300系に
改良された時に先頭車両にスカートが付けられたちゅうことぐらいですかな。
6000系の改造版として1970年(昭和45年)から製造された
同じオールステンレスカーでこれも76両全てが現役で使われていますね。
南海電鉄のオールステンレスカーは全長20m車という特徴が見られ
東京急行電鉄や京王電鉄の18m車と少し趣がちがいますけど。
現在はJRを始め各社が20m車中心ですから先見の明はあったようですね。
(東急車輌 昭和45年製造の 銘板)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
この当時のオールステンレスカーは兄弟分の東京急行の7000系も
1999年(平成11年)に全て引退してしまいました。
同じく京王電鉄の3000系も昨年2011年(平成23年)で廃車。
大手の私鉄では製造された全て(148両)が当時から同じ区間を
走り続けるという南海電鉄の6000系と6300系はご立派ですな。
まあ~ 貧乏な電鉄会社なので高野線には行ける処までお年寄りの
6000系と6300系に頑張ってもらいたいちゅうことですかな。
地方に行けば東京急行電鉄の7000系や京王電鉄の30000系が
あちこちで活躍していますよ。
伊予鉄道3000系(30両)を始め両社のを譲り受けて北陸鉄道や弘南鉄道など
やはりオールステンレスカーは丈夫で長持ちする車輌なんですな。
全長18mという地方鉄道向きと言う利便性もありますけど。
(水間鉄道 1000系) (元は 東急の7000系)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
先月のブログで紹介した水間鉄道も東京急行電鉄の7000系を10両譲り受け
車体を改造し1000系と変更した物の面影は残っていますね。
JR東日本の子会社になった旧東急車輌に対して私鉄各社は同じように
お付き合いが出来るのかしら、それとも他社へ流れるんでしょうかしら。
関西では近畿車輌と川崎重工が最近は新車の投入に目立っていますが
関東では東急車輌がダントツの企業でしたから如何になりますかな。
とにもかくにも東急車輌の名前は現役で走っている電車や気動車でしか
見ることが出来なくなるのは確実ですよね。
昔のオ-ルステンレスカーには、東急車輌の銘板の横に
「この車輌はバッド社のライセンスにより造られました」
こんなプレートが貼られていましたが現在は全て撤去されていますな。
これからは省エネタイプの軽量な電車が望まれますから高度成長期の
オールステンレスカーも忘れられてしまうんでしょうね。
今年4月1日付で「(株)総合車両製作所」ちゅう名前に変わったそうな。
関西では南海電鉄ぐらいだけど、関東ではJRも私鉄も地下鉄も
この東急車輌製の電車を使わない会社がないぐらい有名なんだから。
横浜の工場は残るんだけどさすがにJRの名前は付けなかったようだね。
鉄ちゃんには「東急車輌」の名前が消滅するのは残念なことだな~
(東急車輌 & 南海車両工業 二つの銘板)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
二つの銘板が貼り付けてあるって珍しいのでデジカメで写しました。
何故なのか家に戻ってからPCで検索したらこんなことが分かりましたんや。
この電車は昭和41年(1966年)横浜の東急車輌で製造されたそうです。
昭和63年(1988年)に台車を交換している事が原因のようですな。
(南海電鉄 6000系 通勤型電車) (オールステンレスカー)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
1962年(昭和37年)から製造された東急車輌のオールステンレスカーは
「バッド社」のライセンス契約を保有する東急車輌しか製造できませんでした。
親会社の東京急行電鉄の7000系・当時の京王帝都電鉄の3000系
それに関西では南海電鉄が高野線用として採用した新型電車でした。
ステンレスは錆びないので塗装も必要としない利点がありますよね。
ただ加工が難しく事故などで破損すると修理が困難な欠点もありますよ。
(南海電鉄 6000系 電車の連結部) (1966年製造)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
独特の波板(コルゲート)は現在の新型車輌にも引き継がれていますが
コーナー部分の滑らかな曲線部分はこの当時の車輌にしかみられませんな。
最近は溶接技術の進歩で軽量ステンレスが使われるようになり
昔のような技術を要するオールステンレス車は減少していますね。
製造から45年も経過しているのにほとんど傷も無く見事な電車ですよ。
(南海電鉄 6000系 電車のドア部分)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
最近はJRや大手私鉄にしてもドアーは両開きで四ヶ所設けられているのが
普通のスタイルですが、この当時の車輌は片開きだったですね。
ドアエンジンを搭載しているので現在でも遅れは感じないとか。
ただドアエンジンの製造が終わりましたので問題はありそうですけど。
(南海電鉄 6000系 ドアを内部から撮影)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
(南海電鉄 6000系 電車の側面)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
この電車を採用した当時のお話しで南海電鉄は和歌山市へ走る南海本線には
使用せず高野線の難波駅~橋本駅間に投入することにしました。
当時の南海本線は踏切事故が多くてステンレスカーが事故で破損したら
修理が難しいので高野線にのみ走らせるようにしたそうです。
どちらも当時はほとんどが地上を走っていたんですが南海電鉄のアイデアは
正しかったようです、製造された72両が全て現役で走っているんですから。
だからこの6000系が台車を交換しただけで現役を続けているので
南海電鉄では一番古い車輌となっています。
(南海電鉄 6300系 電車) (元 6100系)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
こちらは両開きドアに仕様変更されただけで外見上の違いは6300系に
改良された時に先頭車両にスカートが付けられたちゅうことぐらいですかな。
6000系の改造版として1970年(昭和45年)から製造された
同じオールステンレスカーでこれも76両全てが現役で使われていますね。
南海電鉄のオールステンレスカーは全長20m車という特徴が見られ
東京急行電鉄や京王電鉄の18m車と少し趣がちがいますけど。
現在はJRを始め各社が20m車中心ですから先見の明はあったようですね。
(東急車輌 昭和45年製造の 銘板)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
この当時のオールステンレスカーは兄弟分の東京急行の7000系も
1999年(平成11年)に全て引退してしまいました。
同じく京王電鉄の3000系も昨年2011年(平成23年)で廃車。
大手の私鉄では製造された全て(148両)が当時から同じ区間を
走り続けるという南海電鉄の6000系と6300系はご立派ですな。
まあ~ 貧乏な電鉄会社なので高野線には行ける処までお年寄りの
6000系と6300系に頑張ってもらいたいちゅうことですかな。
地方に行けば東京急行電鉄の7000系や京王電鉄の30000系が
あちこちで活躍していますよ。
伊予鉄道3000系(30両)を始め両社のを譲り受けて北陸鉄道や弘南鉄道など
やはりオールステンレスカーは丈夫で長持ちする車輌なんですな。
全長18mという地方鉄道向きと言う利便性もありますけど。
(水間鉄道 1000系) (元は 東急の7000系)
photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド
先月のブログで紹介した水間鉄道も東京急行電鉄の7000系を10両譲り受け
車体を改造し1000系と変更した物の面影は残っていますね。
JR東日本の子会社になった旧東急車輌に対して私鉄各社は同じように
お付き合いが出来るのかしら、それとも他社へ流れるんでしょうかしら。
関西では近畿車輌と川崎重工が最近は新車の投入に目立っていますが
関東では東急車輌がダントツの企業でしたから如何になりますかな。
とにもかくにも東急車輌の名前は現役で走っている電車や気動車でしか
見ることが出来なくなるのは確実ですよね。
昔のオ-ルステンレスカーには、東急車輌の銘板の横に
「この車輌はバッド社のライセンスにより造られました」
こんなプレートが貼られていましたが現在は全て撤去されていますな。
これからは省エネタイプの軽量な電車が望まれますから高度成長期の
オールステンレスカーも忘れられてしまうんでしょうね。
鉄道車輌だけで生きて行くという考えなんでしょうかしら。
東急車輌が持っていた立体駐車場などは関西の
新明和工業へ譲渡したようですね。
旧社名をそれぞれ残してつなげても良かったと思うのですが。それぞれの文化や歴史を大切にする意味でも。
4月からJR東日本の子会社に変わったんですよ。
横浜市の金沢八景の近くに大きな工場があるんですけど。
昔からこの工場と専用の線路でJRの逗子と繋がっていまして
完成した列車が全国に輸送されているんですよ。
表示されていますので直ぐわかりますよ。
北海道はバス利用が多くて現役時代に小樽・札幌・新千歳空港
のJRに2~3度乗っただけでしたね。
観光列車では釧路湿原でノロッコ号に少しの距離だけ乗りましたけど。
東急電鉄なら近くを走ってるから親しみがあったけど
東急車輛がそんなに大きな会社とは思わなかったです。
同じ会社の系列なのでしょうか
綺麗な電車ですものね^^
くるま同様に姿型にも特徴が…
見ただけで分かるのかな…
鉄道車両も節電重視~更新時期が
アルミニュウム合金の車体で出来ているんですよ。
高速で走ることを要求されるのでステンレスでは重くて向かないんでしょうな。
加工もしやすいアルミ合金が最近は新幹線以外の電車や気動車でも増えてきましたね。
快速エアポートが軽量ステンレス車でしたね。
確か721系という電車だったような記憶。
川崎重工・日立製作所・東急車輌の三社が製造していたと思いますけど。
こんな年になっても鉄道バカと言われそうですね。
薄くて、軽くて、早くて、怖いと、作っている人から聞いたことがあります。
軽量、水にも強く錆びない効用は…
我家の厨房も毎日毎時間のように利用され
30年越えても大丈夫ですね。
札幌駅を始発とする学園都市線〔札沼線〕
当別まで電化され~
新型車両が配置されました~機会をみつけ~初乗りしてみます。
製造メーカーや材質等見てきます。
親会社の東京急行電鉄さんはJR東日本に譲渡して
得をしたのか損をしたのかどちらなんでしょうかしら。
自動車も部品を確保して長く乗られるマニアも居られますけど。
両方とも部品や消耗品次第ということでしょうかね。
私的には残念です、東急車輛の社印や銀行印などを作らせて貰っていました。
電車は線路の上、自動車は道路上を走るからでしょうか?
プロが運転する電車、素人が運転する自動車の違いでしょうか?
自動車は廃車するまでに、およそ12年ですから。
やはりJRと提携しないと生き残れない時代なんでしょうね。
日立は山口県の笠戸工場で車輌を造っているんですが場所的に不利なようですね。
近畿車輌と川崎重工が関西ではメインになってきたようですな。
あそこからこちらへ向けて写したら我が家の屋根だけ見えてますけどね。
新千歳空港までの格安航空便が増えてますから
利用できれば関東へ行くぐらいのお金で
北海道のJRを乗りに行けそうですね。
コメント返しが遅れてご免なさい~
日本の車両メーカーは、国内では少ないパイの取り合いになってますからね
川崎重工や日立でも、世界の三大メーカーには苦戦する位ですから
ちなみに近畿車輛はJR西日本と業務提携しましたよ
貴方には認知症と無縁でしょうね。地元だけでは然に非ず北海道の一路線の長さまでご存知ですからね
北海道に来られる予定は有りませんか
東高野街道記に貴方の家を問いていますが 違っていますでしょうか
飛びのコメントですが・・おやすみなさい
1台も落命をしないで同じ高野線を40年以上走っているのは立派ですね。
TAKAOSANが当時に乗られた泉北高速の3000系(先頭部分に青い塗装)も
まだ現役で難波駅まで走っていますよ。
これはオールステンレス車じゃないですが8300系を概ね継続していますね。
おそらくまだ10年間は走れるとの評判でやはりオールステンレスカーは
高価だけど丈夫で長持ちしますな。
頭に付けなかったのかもしれませんね。
四国全体ならJRでは西日本より新しい車種が多いんですよ。
JR西日本のお古を買わないそうですから。
四国の私鉄はやはり中小クラスが多いので新しいのを買う事はやはり難しいでしょうね。
でも古い車輌の方が頑丈で手入れさえすれば
長く使える長所がありますから。
最近の車輌は奇麗なデザインだけど長期間使えるように設計されていないようですよ。
5年~10年ぐらい早い感じがしますね。
関西は古い車輌を補修しながらトコトンまで使うと言う会社がおおいですな。
それだけ貧乏な会社が多いのかも知れませんけど。
本当に綺麗ですね。
素晴らしい。
南海電車、懐かしいですね。
毎日乗っていました。
泉北高速鉄道車両の時もありましたけど。
時代の流れですね。
都会の電車は綺麗ですね。
田舎の県では都会のお古を使っており、新型なんかは都会に行った時に乗るぐらいでした。
昨年まで大正時代の木製の電車が走っていましたよ・・・・・
休日マッタリ過ごしてます。
本当に感心してしまいますよ~
ステンレス車勉強になりました^^
綺麗で傷がつきにくいが事故の修理が大変だと