桜井さんの言葉は、深い意味がいろいろとあると思うが、一番大きいのが「死刑囚という重み」を体感していることだろう。布川事件の桜井昌司さん、杉山卓男さん、あるいは狭山事件の石川一雄さん、もう亡くなっている再審請求者では梅田事件の梅田義光さん、丸正事件の李得賢さん、江津事件の後房市さんなどなどは、「無期懲役」であるため「仮釈放」が可能だった。再審が実ったかどうかに違いはあれど、「シャバに出て再審を求める」ということができたのである。東京拘置所時代に、桜井さんたちは袴田さん始め死刑囚の姿を見聞きすることがあり、死刑囚は「シャバで無実を訴える」ことが不可能だという重みを十二分に判っている。死刑事件の場合は「生命」そのものが掛かっている。「痴漢」であれ、「PC遠隔操作」であれ、冤罪事件は無実の人の名誉と職を奪い、測り知れないダメージを与える。が、「生命」そのものが掛かり、しかも自分がテレビ番組や集会などに出て無実の訴えをできないという「死刑事件の再審」は重みが格段に違うのである。
袴田事件の場合、本人に代わり、姉の秀子さんがずっと集会などで訴えを続けてきた。袴田事件だけでなく、冤罪事件の集会にはできる限り足を運びアピールしてきた。だから僕も何回となく秀子さんの話は聞いている。結局自分の人生を弟の雪冤(せつえん=無実の罪を雪ぐ(そそぐ)こと)に費やしたのである。無罪が確定したならば支払われる刑事補償金は、袴田巌さんだけではなく、このような過酷な人生を強いられた家族にも本来支払われるべきではないだろうか。秀子さんは、精神的に不安定になった弟を、時には面会に行っても断られながらも、ずっと支え続けてきたのである。今回も再審開始から釈放に至る過程で、秀子さんはずっと弟に付き添っていた。テレビニュースを見た人は印象的に覚えていることだろう。
冤罪事件に限らないが、社会的に大きな被害を被った人々、戦争や差別、公害問題や「いじめ事件」、さらに原発事故の避難者、大津波で家族を失った被災者、犯罪で家族を失った被害者など、いずれも過酷な体験を自分一人では受け止められない場合も数多い。冤罪事件でも家族が崩壊することだって多いのである。そのような現実の中で、家族が信じて活動し続けたことが袴田事件の再審が実った大きな原因の一つだろうと思う。もちろん家族が動けない時に、社会的に知られた人物などが支援運動を支えた場合もある。そのような「支援」の重大な力を確認しておきたいと思うのである。
現実に袴田さんを釈放させた力は、「裁判官が決定を下した」ことにつきる。支援者が拘置所前に集合して「袴田さんを奪還するぞ」などと声を挙げたところで、実際には釈放させる力はない。だから、地道に新証拠を求めて裁判所に裁判のやり直しを求め続けるしかない。それには「司法の専門家」である「弁護士」の力を借りるしかない。「専門知」がまず求められるのである。これはあらゆる分野で同じだが、まず何事かをなそうと思えば、自分が学ぶか、あるいは専門家に依頼するかして、専門的な知識を駆使することから始まるのである。でも、「それだけでは勝てない」のである。冤罪を訴える裁判に傍聴者がいない、再審を求める集会に参加者がいない。そんな状況では、勝てるものも勝てない。「無観客試合」を永遠に強いられれば、サポーターのいないサッカーチームは崩壊するだろう。
正義の実現を求める市民の監視なくして、どんな達成も成し遂げられないと思う。逆に言うならば、我々は何らかの手段で、世界から不正義を減らしていくために「サポート」を続けていく必要がある。それは自分で何かの支援運動に参加するということだけではないだろう。例えば冤罪事件に関して言えば、支援団体に参加する、裁判を傍聴する、囚われている被告や再審請求人に手紙を書く、などが望ましいわけだけど、知り合いがいなければ最初は抵抗が大きいかもしれない。でも、ただの一参加者として集会などに参加してみる、というのは、まず最初の一歩ではないか。集会の情報は、インターネットや新聞等を見ていれば目に入ってくるものである。つまり、「実際に話を聞いてみる」ということが大きいのである。これを今の若い世代はもっともっと行う必要がある。若い時に、多くの人の話を聞く体験というのは、後で必ず生きてくる。
だけどインターネットで事件について検索する、図書館で関連の本を借りてみるなどということだけでもいいのではないか。直接の支援として顔と名前を出すわけではないが、「心の支援者」としてずっと関心を持つということである。まあ、ファンクラブには入らないが、CDが出れば買うようにする、といったやり方である。あらゆる問題のあらゆる集会に参加したりすることはできないので、「遠くからずっと見守る」といった付き合い方も大切にしていく必要がある。そうした「支援のすそ野の広がり」があれば、支援運動が盛り上がっているという話が広がっていき、新聞やテレビなども接触してくるのである。大手の新聞に出れば、今でも裁判官などはかなり関心を持つだろう。今回も、そうした支援運動の広がりやマスコミの関心の高さがあればこそ、「死刑囚を釈放する」という思いきった決断を裁判所が下せたのだと思う。「支援の大切さ」を改めて確認したいということと、袴田秀子さんの苦闘の生涯を忘れないようにしたいということを、昨日記事を書いていて痛感した。そこでもう一回書いたのである。