尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

支援するという意味-袴田事件から

2014年03月28日 23時43分30秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 3月27日の袴田事件再審開始決定の場(静岡地裁)に、多くの冤罪被害者が掛けつけて我が事のように喜びを語っていた姿が報道された。「我が事」というか、布川事件の桜井昌司さんは「自分のときよりうれしい」とまで語っていた。桜井さんの人柄が伝わる言葉だと思う。桜井さんは布川事件の無罪確定後、全国各地の冤罪事件の集会などに東奔西走している。その姿はブログ「獄外記」に詳しく、昨日の静岡地裁前の写真もアップされている。勤務先の高校で「人権」の授業に招いて話してもらったこともあるが、怒りと真情のこもった熱弁がユーモアも交えて語られ、聞いていた生徒も皆圧倒されてしまい、桜井さんの無実を確信したものだった。

 桜井さんの言葉は、深い意味がいろいろとあると思うが、一番大きいのが「死刑囚という重み」を体感していることだろう。布川事件の桜井昌司さん、杉山卓男さん、あるいは狭山事件の石川一雄さん、もう亡くなっている再審請求者では梅田事件の梅田義光さん、丸正事件の李得賢さん、江津事件の後房市さんなどなどは、「無期懲役」であるため「仮釈放」が可能だった。再審が実ったかどうかに違いはあれど、「シャバに出て再審を求める」ということができたのである。東京拘置所時代に、桜井さんたちは袴田さん始め死刑囚の姿を見聞きすることがあり、死刑囚は「シャバで無実を訴える」ことが不可能だという重みを十二分に判っている。死刑事件の場合は「生命」そのものが掛かっている。「痴漢」であれ、「PC遠隔操作」であれ、冤罪事件は無実の人の名誉と職を奪い、測り知れないダメージを与える。が、「生命」そのものが掛かり、しかも自分がテレビ番組や集会などに出て無実の訴えをできないという「死刑事件の再審」は重みが格段に違うのである。

 袴田事件の場合、本人に代わり、姉の秀子さんがずっと集会などで訴えを続けてきた。袴田事件だけでなく、冤罪事件の集会にはできる限り足を運びアピールしてきた。だから僕も何回となく秀子さんの話は聞いている。結局自分の人生を弟の雪冤(せつえん=無実の罪を雪ぐ(そそぐ)こと)に費やしたのである。無罪が確定したならば支払われる刑事補償金は、袴田巌さんだけではなく、このような過酷な人生を強いられた家族にも本来支払われるべきではないだろうか。秀子さんは、精神的に不安定になった弟を、時には面会に行っても断られながらも、ずっと支え続けてきたのである。今回も再審開始から釈放に至る過程で、秀子さんはずっと弟に付き添っていた。テレビニュースを見た人は印象的に覚えていることだろう。

 冤罪事件に限らないが、社会的に大きな被害を被った人々、戦争や差別、公害問題や「いじめ事件」、さらに原発事故の避難者、大津波で家族を失った被災者、犯罪で家族を失った被害者など、いずれも過酷な体験を自分一人では受け止められない場合も数多い。冤罪事件でも家族が崩壊することだって多いのである。そのような現実の中で、家族が信じて活動し続けたことが袴田事件の再審が実った大きな原因の一つだろうと思う。もちろん家族が動けない時に、社会的に知られた人物などが支援運動を支えた場合もある。そのような「支援」の重大な力を確認しておきたいと思うのである。

 現実に袴田さんを釈放させた力は、「裁判官が決定を下した」ことにつきる。支援者が拘置所前に集合して「袴田さんを奪還するぞ」などと声を挙げたところで、実際には釈放させる力はない。だから、地道に新証拠を求めて裁判所に裁判のやり直しを求め続けるしかない。それには「司法の専門家」である「弁護士」の力を借りるしかない。「専門知」がまず求められるのである。これはあらゆる分野で同じだが、まず何事かをなそうと思えば、自分が学ぶか、あるいは専門家に依頼するかして、専門的な知識を駆使することから始まるのである。でも、「それだけでは勝てない」のである。冤罪を訴える裁判に傍聴者がいない、再審を求める集会に参加者がいない。そんな状況では、勝てるものも勝てない。「無観客試合」を永遠に強いられれば、サポーターのいないサッカーチームは崩壊するだろう。

 正義の実現を求める市民の監視なくして、どんな達成も成し遂げられないと思う。逆に言うならば、我々は何らかの手段で、世界から不正義を減らしていくために「サポート」を続けていく必要がある。それは自分で何かの支援運動に参加するということだけではないだろう。例えば冤罪事件に関して言えば、支援団体に参加する、裁判を傍聴する、囚われている被告や再審請求人に手紙を書く、などが望ましいわけだけど、知り合いがいなければ最初は抵抗が大きいかもしれない。でも、ただの一参加者として集会などに参加してみる、というのは、まず最初の一歩ではないか。集会の情報は、インターネットや新聞等を見ていれば目に入ってくるものである。つまり、「実際に話を聞いてみる」ということが大きいのである。これを今の若い世代はもっともっと行う必要がある。若い時に、多くの人の話を聞く体験というのは、後で必ず生きてくる

 だけどインターネットで事件について検索する、図書館で関連の本を借りてみるなどということだけでもいいのではないか。直接の支援として顔と名前を出すわけではないが、「心の支援者」としてずっと関心を持つということである。まあ、ファンクラブには入らないが、CDが出れば買うようにする、といったやり方である。あらゆる問題のあらゆる集会に参加したりすることはできないので、「遠くからずっと見守る」といった付き合い方も大切にしていく必要がある。そうした「支援のすそ野の広がり」があれば、支援運動が盛り上がっているという話が広がっていき、新聞やテレビなども接触してくるのである。大手の新聞に出れば、今でも裁判官などはかなり関心を持つだろう。今回も、そうした支援運動の広がりやマスコミの関心の高さがあればこそ、「死刑囚を釈放する」という思いきった決断を裁判所が下せたのだと思う。「支援の大切さ」を改めて確認したいということと、袴田秀子さんの苦闘の生涯を忘れないようにしたいということを、昨日記事を書いていて痛感した。そこでもう一回書いたのである。
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画期的な決定-袴田事件の再審開始決定

2014年03月27日 22時44分23秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 2014年3月27日(木)、静岡地裁でいわゆる「袴田事件」の再審開始決定が出た。画期的なことに、死刑の執行停止だけでなく、「拘置の停止」、つまりは釈放という判断も示された。「これ以上拘置を続けるのは耐えがたいほどの不正義」とまで述べている。日本の人権の歴史の中に残り続ける司法判断である。その決定を受け、袴田巌さんは夕刻に釈放された。近年袴田事件は世界的に注目され、日本の司法制度の残酷さを示すケースと見なされていた。今回の決定を心から喜んでいる。

 それにしても、「人の生命を奪うほどの決定を行える司法権力」は、同時に「死刑囚を釈放できるほどの権力」をも持っているのである。「死刑制度」とは一体なんだろうか。そして「証拠のねつ造」で、人の人生を奪い去ってしまう「国家権力」とは一体なんだろうか。無実の人間を、証拠をねつ造して死刑判決に追い込む。「国家悪」「権力悪」の極致ではないか。

 昨日この問題を予告したが、そこでは「審理経過から見て、今回こそは袴田事件の再審が認められるのではないかと期待を持っていたい」と書いた。このような期待は裁判所によって裏切られることがかなりあるので、「期待を持っていたい」とニュアンスを弱めておいた。しかし、年度内にも決定が出るという見込みが強く示されていたので、それは今までの訴訟指揮から見て、「無罪の心証を固めたので、人事異動前に決定を出しておきたい」という意味である可能性が高いのだろうと実は考えていた。だが、「証拠ねつ造」に関する判断は出るか出ないか微妙な所だと思っていた。(あまりに捜査当局批判が強いと、上訴される可能性も大きくなるので。)また、死刑執行停止の決定は(再審開始の場合)出るだろうと思っていたが、「釈放」までは予想していなかった。(その理由は後述。)だから、予想を上回る素晴らしい決定だったと考えている。

 この事件は論点が多いので、詳しく知りたい人は支援団体のサイトが複数あるので簡単に見ることができる。今は「証拠ねつ造問題」と「釈放」の問題について簡単に書いておきたい。「清水」と言えば、昔は次郎長、今はエスパルスに名前が残るが、現在では政令指定都市になった静岡市の一部である。1966年、その清水にあった味噌製造会社の専務一家4人が惨殺され放火された。単なる金目当てだけではない可能性が高い。(会社の売上金8万円が奪われたとされるが。)犯行及び事件前後には不思議なことがいろいろあるのだが、今は省略する。結局、6月30日に起こった事件で、8月18日に袴田さんが逮捕された。一か月半経っている。捜査は難航したのである。そして「内部犯」と目され、「ボクサー崩れ」の偏見から(だと思うのだが)袴田さんに捜査が集中したのである。袴田さんはなかなか「自白」しなかったが、勾留期限3日前の9月6日に「自白」が取られた。

 さて、当時地元新聞等のマスコミは「血染めのパジャマを発見」と大きく報道し、この血痕が「決め手」だと伝えたのである。袴田さんは事件当時(火事になったのは深夜1時半である)、寝込んでいて(深夜だから当然)、パジャマのまま消火活動に参加し、ケガをしたのだと抗弁したのだが。そして実際に、パジャマには何かに引っ掛けて開けた穴があるという。さて、もちろん「実は殺人事件を起こしておいて、何食わぬ顔をして消火に参加して疑われないようにした」ということも、可能性としてはありうることである。だから、取られた「自白」では「パジャマで殺人した」となっていた。

 ところが1967年8月31日、この会社の味噌タンクから「血染めの5点の衣類」が見つかる。すでに公判中だったが、検察側が裁判途中で主張を変更、この時見つかった衣類こそ真犯人の着ていたもので、それは袴田本人のものだと主張したのである。袴田さんのものだという根拠は、あらためて行った家宅捜索で、袴田さんの実家から「ズボンの共ぎれ」が発見されたからというのである。では、捜査中に取られた「自白」は何だったのだろうか。「パジャマでやった犯行」という「自白」は。これだけで「無罪」でしょう。常識で考えるなら。この新発見のズボンを裁判で履かせてみたら、小さすぎて履けない。その様子は「袴田ネット」ホームページのトップにある。それなのに「味噌に浸かって縮んだ」と根拠もなく決めつけ、袴田さんのズボンとされ、死刑判決の根拠とされていたのである。

 ところで「証拠ねつ造」問題に関しては、70年代後半の時点では、支援運動の中でも「5点の衣類は真犯人のもので、それは袴田さんのものではない」と主張していたと思う。共ぎれについては、「味噌漬けズボンと同じ共ぎれを何とか探してきて、後から実家に仕込んで濡れ衣を着せようとした」と僕は判断していた。(狭山事件の石川さん宅で、後から「発見」された万年筆のように。)いくら悪らつな警察官といえども、衣類に血をつけて被害会社の味噌タンクに後から漬け込んで、それが真犯人の衣類だなどと企むとは容易には信じられない。第一、そんなことをしたら、「前の自白はウソということだから、ウソの自白をさせた警察のミスはどうなる」と逆効果になるかもしれない。ところが、そういう「高等戦略」を使って、「自白を捨てても有罪にできる最終兵器」として、この「5点の衣類」が使われたのである。

 袴田さん本人は早くから「ズボンはねつ造証拠」と言っていたらしいのだが、弁護側が本格的に主張したのは今回の再審段階からではないかと思う。「DNA型鑑定」という新しい武器が現われたこと、「味噌漬け実験」の結果、本当に一年以上漬けたらもっと真っ黒になり、発見当時程度の色なら短い時間でないとおかしいとはっきりしたという理由が大きい。しかし、常識で考えてみれば、もっと早く判ったのである。真犯人なら、わざわざ脱いで味噌タンクに漬け込む方が危険性が高い。埋めたり、川に捨てたりすれば、見つかるかもしれないが見つからないかもしれない。でも、味噌タンクなら、いつかは必ず見つかる。一番いいのは、放火もしてるんだから、一緒に燃やしてしまうことである。それ以上に、見つかったシャツにも、「穴が開いていた」のである。「だから、このシャツを着て消火活動に参加した証拠」というわけである。でも、同じ場所に穴がある衣類が二つあるのはおかしい。後から出てきた方が、先にあったものをマネして作ったということになるはずなのである。

 さて、「死刑囚にとって刑罰とは何か」。罰金だったら金を払わせること。懲役刑だったら「懲らしめ」として仕事をさせることである。では、死刑の場合は?それは「絞首」である(日本の場合)。つまり、クビに縄をかけて吊るすこと、それによって生命を奪うこと。それが刑罰であって、拘置所に閉じ込めておくことは、刑罰そのものではない。拘置所というのは、裁判中または捜査中の被告、被疑者の自由を拘束する施設で、刑務所とは違う。そのような「推定無罪」の扱いを受けるべき人々の中で、死刑囚は裁判が終わっても執行まで閉じ込められている。刑務所へ行くという刑罰ではないので、死刑執行は拘置所に設けられた施設で行うのである。(だから袴田さんは東京都葛飾区小菅の東京拘置所から釈放された。)

 再審開始が決まっても、再審が終わって無罪になっていない以上は、まだ袴田さんは今でも身分的には死刑囚である。「死刑囚を釈放することができるのか。」今まで80年代に4件行われた死刑確定者の再審裁判では、再審が終わって無罪判決が出るその日まで釈放されることはなかった。「死刑囚の刑罰である執行」は停止になっていたが、「刑罰そのものではない拘置」は取り消されなかったのである。これは「死刑確定者という身分を最重要視する」という意味では、法的に必ずしも間違っていないと言える。しかし、現実には再審で必ず無罪になっている。当たり前である。無罪になるべき新証拠がなければ、再審は開けない。だから無罪になるべき事件で再審が行われる。しかし、そこまで無罪の方向性が明らかなんだったら、なんで再審裁判終了まで自由を奪わないといけないのか。おかしいではないか。

 今まで「人身保護法」など様々な訴えをして死刑再審事件で釈放を求めてきたが、過去の4件では通らなかった。だが、今回は違った。近年足利事件や東電女性社員殺人事件などで、再審裁判前に釈放されている。でも無期懲役なら「仮釈放」はあり得るので、そう考えると違和感はないだろう。でも死刑囚は仮に恩赦になっても無期懲役に減刑されるだけなので、「一発釈放」は今までの判例上は考えられなかったのである。今回直ちに釈放されたのは、「捜査当局の証拠ねつ造により人生を奪われた」と裁判官が心証を固めたということである。だから「耐えがたい不正義」とまで言って拘置の取り消しをも決定したのである。

 この衝撃は今後も多くの人の心に残り続けるだろう。袴田事件再審開始は、非常に大きな教訓を残していくと思う。その前にまだ再審そのものも決まっていない。検察側は今後も抵抗を続ける可能性が高い。通常の裁判での「控訴」にあたる即時抗告を東京高裁に申し立てるかどうか。もはやこれ以上争わずに、一日も早く再審を開くことこそが大切である。書き残したことがあるので、明日もう一回書くことにする。
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袴田事件再審の決定迫る

2014年03月26日 21時34分28秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 「ウクライナ情勢を歴史的に考える」というのを書いてると長くなりそうだし、明日はまた違うことを書くことになるので、ちょっと後にしたい。僕ももう少し勉強して書きたいし。もっともウクライナ史の一般的概説書は、中公新書の「物語 ウクライナの歴史」しかないのではないかと思う。ウクライナ大使を務めた人が書いた本で、僕は読んでなかった(持ってなかった)ので、今読んでるところである。

 明日は違うことを書くというのは、「袴田事件の再審請求の判断」があるからである。1966年に静岡県清水市(現・静岡市)で起こったみそ会社専務一家殺人事件で、静岡地裁で判断が出る。この事件は、一審、二審段階では、ほとんど報道もなく知られていなかった。最高裁段階になって、ようやく無実ではないかという声が聞こえ始め、支援運動も始まってきた。1970年代末のことである。僕はその頃から冤罪支援運動に関わりがあったので、1980年の最高裁判決を傍聴している。もう詳しいことはほとんど覚えていないが、最高裁判決は主文だけだから、数秒だけの傍聴である。

 事件以来半世紀近くたち、判決確定からも33年が経ち、あまりにも長い年月が経過した。当初は「無実のプロボクサー」と呼ばれていたが、いつの頃からか長年月の拘禁、死刑の恐怖などから、親族との面会もできない精神状態になってしまったと伝えられている。最高裁判決当時は、まだ死刑確定事件の再審無罪判決が一件もなかった。だから、袴田事件の前に取り組まれるべき問題がたくさんあった。当時から問題となっていて、再審無罪にもならず、死刑囚が獄中で死亡もしていない事件は、名張毒ぶどう酒事件袴田事件だけになっている。

 再審に関しては、刑事訴訟法に再審開始の要件はあるが、審理については規定がない。つまり、弁護側が「新証拠」を提出(「新証拠」がなければ再審は請求できない)した後の手続きが決められていない。「新証拠」(かなりの場合は新しい鑑定)に意味があるかないかは、裁判官が勝手に判断してもよいのである。(通常の刑事裁判なら、検察側の証拠請求、証人尋問等に対し、弁護側の反対尋問等が認められているわけだけど。)だけど、新証拠に意味があると思えば、新鑑定をした鑑定人を呼んで事情を聴くはずである。だから、そうした「事実調べ」をきちんとしたかどうかが再審のカギであって、それがない場合は「棄却」が決定的に予測できる。

 実は3月31日に、「真犯人はそこにいる」という本の書評で紹介した「飯塚事件」の再審請求の判断も出る。かなり厳しい結果の可能性が高い。また昨日付けで、仙台の北陵クリニック事件の再審に「棄却決定」があった。この事件に関しては、まだ捜査段階の報道イメージを持っている人がかなりいると思うけど、「再審・えん罪事件全国連絡会」のホームページに詳しい説明が出ている。

 それに比べれば、審理経過から見て、今回こそは袴田事件の再審が認められるのではないかと期待を持っていたい。細かな争点に関しては、明日以後の報道で触れられると思うので今は書かない。今まで袴田事件に関しても何回か書いている。「『再審』の『最新情報』」(2011.11.17)、「袴田事件、DNA鑑定は『不一致』」(2012.4.17)、「袴田事件と名張事件」(2012.7.7)である。細かいことはそちらに多少書いてある。決定については、明日改めて書きたいと思う。
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「殺人犯はそこにいる」という本

2014年02月06日 21時28分55秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 清水潔殺人犯はそこにいる」(新潮社、2013.12、1600円)という本の紹介。帯などにある副題やキャッチコピーを書き写す。
・隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件
・少女たちを殺した男が/すぐそこにいる/あなたのそばに。平然と。
・「桶川ストーカー殺人事件」で警察より先に犯人に辿り着いた「伝説の記者」が冤罪「足利事件」を含む前代未聞の凶悪事件を追う。
北関東連続幼女誘拐殺人事件
 栃木県足利市、群馬県太田市という隣接する2市で、4歳から8歳の5人の少女が誘拐または殺害されているという重大事件。その中の一つが、あの「足利事件」である。一連の事件を同一犯による連続事件だと喝破した著者は、「足利事件」冤罪の可能性を報じて菅家さんを釈放に導くとともに、徹底した取材によって、ついに「真犯人を炙り出した-!
 
 いろいろ注文もある本だけど、内容が衝撃的なので紹介しておくことにした。清水潔氏(1958~)は日本テレビ報道局記者、解説委員を務めるジャーナリスト。先の紹介にもあるけど、本書でもたびたび言及される桶川ストーカー事件で活躍し(その当時は「フォーカス」記者)、その後もブラジルに逃亡した強盗殺人犯をブラジルまで追って「発見」するなど、驚くべき行動力で事件現場を追い続けた。

 日本テレビで報道特番を作ることになり、調査を進めると北関東で連続幼女殺人が起こっていたことを知る。しかし、事件現場が近いのに栃木県と群馬県にまたがるため、警察では連続事件としてとらえていなかった。しかも栃木県で起こった第4の事件(1990年)では、「犯人」がつかまり最高裁で有罪が確定していた。起訴はされなかったものの、その「犯人」は一時は他の2件(栃木県で起きた事件)を「自白」していた。栃木県警では「解決済み」だったのである。

 その1990年の事件は、後に「足利事件」と呼ばれることになる。清水氏の見立てでは、犯人をされた菅家利和氏は無実でなければならない。菅家氏は獄中から無実を訴え、有罪の根拠となったDNA型鑑定をやり直すことを求めていた。この事件を調べ始め、多くの疑問を発見し、テレビで報道も始める。苦労の末、目撃者を捜しだし、また被害者の母親とも話すことができるようになる。一時は無視されていた報道だったが、ついに裁判所は再鑑定を命じることになった。多分、検察側は「一致」するか、資料の劣化のため「鑑定不能」となると思い込んでいたのだろう。ところが裁判所が命じた2人の鑑定人は、どちらも「不一致」と鑑定したのである。追いつめられた検察側は、ついに再審開始が決定する前に菅家さんを釈放することになった。2009年6月4日、その日に菅家さんを迎えに千葉刑務所に乗りこんでいったワゴン車。そこに同乗して取材していたのが、清水氏だったのである。

 この足利事件は「DNA型判定が有罪の決め手となった初の事件」であった。その「科学的に絶対」のはずの鑑定が、全く当てにならないものだったのだ。足利事件は、裁判段階から冤罪ではないかとささやかれていたが、結局は鑑定で有罪とされたようなものだった。足利事件は再審無罪となった当時大きな問題となったが、それを支えたのが清水氏らの報道だったことがよく判る。ただし、と清水氏は言う。自分は冤罪に関心があるのではなく、あくまでも「連続幼女殺人」の真犯人を追求することが目標なのだ、と。

 さらに調査を続け報道をしていく中で、驚くべき情報に出会う。足利事件では菅家さんが自転車に乗せて幼女を連れ去ったとされた。菅家さんは当時主に自転車で行動しており、そのように「自白」したからである。しかし、被害者の母によれば、娘は自転車の荷台に乗れないという。実際、手を引いて連れ去った子供連れを目撃した証言もあったのである。当時のテレビ映像を探すと、その証言に基づき「子供連れの人物を見かけた人はいませんか」という立て看板が現場に立てられていた。ある時期まで確実視されていた証言が、突然隠され公判にも出てこなかった。その目撃者は美術の教師で、非常に優れた観察力を持っていた。その連れ去り人物は、「ルパン三世」に似ていたという。清水氏は彼を「ルパン」と名付ける。そして群馬県太田市の事件でパチンコ屋の防犯カメラに映っていた謎の人物。その人物が足利事件の「ルパン」に酷似しているというのである。真犯人がいた?!

 ところで、その後が真に驚くべき内容で、調査チームはその「ルパン」を特定し、苦労の末独自にDNA型鑑定まで行う。その結果は…?足利事件で弁護側申請の本田鑑定で、「真犯人の型」とされたタイプとぴったり一致したのである。そして、それを警察サイドにも伝える。文藝春秋でも連載する。国会で追及する議員も現れる。2011年3月10日、当時の菅首相も「しっかり対応する」と答弁したのである。日付を見て欲しい。東日本大震災の、それは前日のことだった。そして大津波と原発事故の中で、警察、検察は結局動かなかったのである。「真犯人」の「DNA型判定」までありながら、何故?

 それは「飯塚事件」を隠ぺいするためだろうと著者は考え、福岡まで飛び飯塚事件の真相を追跡し始める。飯塚事件は幼女二人が殺されたため、犯人とされた久間三千年氏はDNA型鑑定などを理由に、2006年に最高裁で死刑が確定していた。その鑑定方法は足利事件と全く同じものだった。しかし、足利事件の再鑑定が行われていた2008年12月に、久間氏は死刑を執行されてしまったのである。つまり、DNA鑑定が間違っていたとしたら、「無実の人に死刑執行」という恐るべき出来事になる。そして、「ルパン」が真犯人であるという判断の前提が、足利事件の旧鑑定が間違っていて犯人の型を改めて特定したとする「本田鑑定」なのである。それを認めれば飯塚事件の有罪も崩れ去る。結局、捜査当局(どこまで上で決定したかは判らないが)は、「死刑冤罪」を隠ぺいするため、「幼女連続殺人」の真犯人も隠ぺいすることにしたのである

 というのがこの本の中身で、特に最後の真犯人追跡と飯塚事件の調査は、知られざる点が多く、僕もビックリすることが多かった。国家はその威信をかけて、真犯人さえ保護する。それはフランスのドレフュス事件や戦後日本の菅生事件(すごう事件、警察が共産党内に現職警官をスパイとして送り込み爆弾事件を仕組んだ)など、いくつかの事件が知られる。そこまで行かなくても、一端誰かを起訴してしまえば、後で無罪となっても、「裁判では無罪となったが、証拠がなくうまく逃れただけで実は真犯人」などと言い張るものである。時間がたっていることもあり、その後警察が真犯人を捜査したという事例は聞いたことがない。だが、この事件の場合、すでに時効となっているものが多いが、幼女ばかり5人も殺害(または行方不明)になり犯人が特定されていないという、あまりにもとんでもない事件である。

 このままでいいのか、と疑問をぶつける著者の叫びは心に響く。しかし、全体に長すぎて、また不必要な記述も多い。鬼のごとき編集者が三分の二に縮めよと厳命すべきだったと思う。もっと凝縮すれば、それだけインパクトが強くなる。本も安くなり、多くの人が買いやすくなる。

 それと著者の立場は僕とかなり違う。僕は死刑制度を維持している以上、飯塚事件のような恐るべき死刑執行が論理上完全には避けられない。だから死刑制度そのものを問う必要があると思うのである。菅家さんは無期懲役だったけれど、もう一件殺人で起訴されていれば、死刑判決が避けられなかった。いや、今の風潮では、幼女の場合一件でも死刑判決となった可能性もある。イギリスでは、死刑執行後に真犯人が現われたケースが死刑廃止のきっかけとなった。日本国家は、死刑廃止につながりかねない「飯塚事件の死後再審」は全力で阻止しようとするはずである。(再審は本人の死亡後でも家族が請求することができる。)従って、このままでは北関東連続幼女誘拐殺人事件も立件されない。残念ながらそのことは、今の国家体制が続く限り決定的なことだと思う。「死刑制度」、あるいは国家の刑罰とは何かという問題を突き詰めていかない限り、このような驚くべき隠ぺいはなくならないと僕は判断している。
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ネルソン・マンデラと奥西勝

2013年07月20日 23時11分29秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 今、ネルソン・マンデラ(1918~)が生涯最後の闘いを続けている。言うまでもなく、南アフリカ共和国の元大統領。人種隔離政策(アパルトヘイト)に抵抗して、1962年に逮捕され1990年に釈放されるまで、獄中で不屈の人生を送った。その様子は「マンデラの名もなき看守」という映画で見ることができる。7月18日が誕生日で、国連はその日を「ネルソン・マンデラ・デイ」に指定して、67分間を誰かのしあわせのために使うことを提唱しているという。09年に出来たらしいが、僕は今まで知らなかった。

 80年代に、欧米諸国が南アフリカとの経済活動を断つ中で、日本が貿易額で一位になった時期がある。日本でも反アパルトヘイト運動が高まり、この恥ずべき日本政府や日本企業への抗議を行った。僕もそういう集会で買った「Release Nelson Mandela」という顔写真入りのTシャツを持っている。これはずいぶん教室で役だった。ネルソン。マンデラと言う人は、だから僕にとっても、長く自由と人権の象徴である。生きているだけで、世界の多くの人々を励ますという存在である。一日も長く生きていて欲しいが、しかし人間である以上は人生の終わる日がやがてあるのは間違いない。

 6月に危篤が公表されて以来、世界のメディアが殺到し、南アフリカ内部、あるいは家庭内の状況なども様々な混乱した情報が流されている。最近面会したズマ大統領は、「着実に改善している」と言っている。「危篤ではあるが」という前提があるが。実際のところはよく判らないが、数年前から公の活動はできなくなっており、今後も公衆の面前に出てくると言うことはないだろう。

 さて、一方日本では「名張毒ぶどう酒事件」で再審を請求している奥西勝さんの危篤状態が続いている。僕はこの事件について何回か書いている。最近公開された「約束」という映画のことや、昨年5月の再審棄却決定を批判する「名張事件再審棄却に異議あり」などである。

 この事件ほど複雑怪奇な経過をたどっている事件はないだろう。何しろ一審は無罪、二審で逆転死刑である。こういう事件は他にない。これだけで、死刑制度に疑問が湧いてくる。その後何度も再審開始を求めたが、棄却され続けた。そしてついに2005年に名古屋高裁が再審開始決定を出した。これに対し、検察が異議を申立て、それが2006年に認められ再審開始が取り消された。それに対し、最高裁が全く異例なことに、2010年に差し戻し決定を行った。そして、それに対する決定が2012年5月に出て、再審棄却だった。こういう風に、再審開始決定が一度は出たものの、裁判所をエスカレーターで行ったり来たりしてるうちに、肝心の奥西氏の容体が悪化の一途をたどりつつある

 死刑囚というのは、「死刑執行」そのものが刑なので、有期懲役の被告が刑期の確定とともに刑務所に行くのと違って、ずっと拘置所(裁判中の被告、あるいは取り調べ中の容疑者を勾留する施設)にいる。しかし、奥西氏は今、八王子医療刑務所に移送され、そこで意識のない状態が続いていると伝えられる。誰でも面会できるわけではないので、情報が限られているが、極めて厳しい状態が続いているものと思われる。現在、87歳

 今再審は最高裁段階にある。一刻も早い再審開始が望まれる。アムネスティ・インターナショナル日本支部が、最高裁の再審開始を求める電子署名を募っている。是非、アクションに参加して下さい。
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佐藤一という人-映画「黒い潮」と下山事件をめぐって④

2013年04月09日 23時30分32秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 「黒い潮」「下山事件」の自殺説報道をめぐる毎日新聞の苦闘を描く映画だった。その下山事件を生涯をかけて追跡し、ほとんど完全版だと思う「下山事件全研究」(時事通信社、1976)という本がある。著者は佐藤一という人である。この本は長く入手が難しかったが、2009年に「新版・下山事件全研究」がインパクト出版会から出された。6,300円と高い本だけど、それだけの価値はある。僕が持っているのは旧著の第2刷(78年)で、当時は2500円で、当時の僕には相当に高い本だった。

 著者の佐藤一(1921~2009)の名前は多分その前から知っていたと思う。この人は松川事件の無実の死刑囚で、1審・2審で死刑を宣告された。1審は5人、2審は4人が死刑だったが、特にこの人、佐藤一の名前は松川事件に関心があった人はよく知っているはずだ。東芝の組合活動家で東芝松川工場にオルグに行っていた時に、東北本線脱線転覆事故が起きた。そのためオルグの佐藤が「首謀者」であるとされたのだが、その「謀議」をしていたとされる時間に、ちょうど東芝で団交中だったことを示すメモが会社側に残されていた。いわゆる「諏訪メモ」である。それは検察が押収していたので、検察側は佐藤の無実を事前に知っていたのである

 国鉄事故だから東芝労組だけでは起こせない。国鉄・東芝の労組関係者「謀議」がなければ、東芝労働者が事件に関わることはできない。従って、諏訪メモの出現で検察の構図は全面的に崩壊していくのである。世論が検察を批判し、ついに最高裁は異例にも「諏訪メモの取り調べ」に踏み切った。事実審理をしない最高裁としては、以前も以後もない「最高裁の職権による事実調べ」だった。その結果、最高裁は仙台高裁に差し戻しを決め、全員無罪判決となるわけである。
(佐藤一)
 63年に松川事件の完全無罪が確定して、佐藤一はようやく「被告」の肩書きがとれた。その佐藤に「下山事件研究会」の事務局担当という仕事が回ってきた。当時の佐藤はもちろん共産党員で、党員として担当したのだと思う。60年に「日本の黒い霧」が出て、左翼勢力に「下山事件謀殺論」が広まっていた。佐藤もどちらかと言うと当初は他殺説だったらしい。だが、くわしく調べていくほど他殺説は消えて行き、自殺説の可能性が高まる。清張が怪しいと書いた「総裁を轢いた列車」は、清張説では占領軍列車とされたが、清張は乗車員に当たっていなかった。佐藤が調べると、ちゃんと乗務員の話を聞けて普通の列車だった。細かく書かないが、怪しいとされたのが全部否定されていくのである。
 
 古畑鑑定も調べていくと、70年代当時でははっきり否定されている見解だった。さらに下山総裁の(清張説では最後は「替え玉」とされるが)不可思議な行動の様々は、その後の心理学の発展で「初老期うつ」と判断されるというのである。事件の前に様々な奇怪な行動があったのだが、技術畑で国鉄の初代総裁になったばかりだった。(鉄道省から日本国有鉄道となったのは、1949年6月でわずか数週間前だった。)戦争からの大量の復員者を抱えて人員整理が避けられない辛い立場に立たされた。

 「心のケア」などという言葉もなかった時代だが、中年から老年にかけ、今までと違う仕事に「抜てき」でついたマジメ一途の人が、頑張れば頑張るほど自分を追い込み、精神的に不安定となるというのは、今になれば誰でも知っている。「中年クライシス」と言ってもいいし、「男の更年期」などと言う人もいる。下山総裁の奇異な言動を今見ると、そういう「うつ症状」で理解した方が納得できる。佐藤一の本を読めば、皆納得すると思う。

 僕は著者の自殺説に全面的に同意したが、自殺説に傾いた頃から佐藤一は党内で孤立する。やがて党を離れるが、「進歩的知識人」の中にも彼を避ける人が出てきた。困るのは「自殺説」を無視して、その後も「他殺説」を唱え「怪しい人脈」などと書きたてる本が何冊も出たことだ。「全研究」というほどの佐藤の本について、証拠を基に否定するならともかく、全く触れない本ばかりである。この本に触れずに下山事件を語るのがまずおかしい。「全研究」という位だから、この本に論点は皆出ている。他殺説を唱えるなら、佐藤一「下山事件全研究」を「全否定」するのがまず最初だろう。そういう作業をしないで、佐藤本を無視している。そういう人の狙いはまた別のところにあるのだろう。

 佐藤一には「被告」という本もあるようだが、僕は読んでいない。下山事件研究をまとめた後は、他の冤罪事件を調べている。当時、死刑再審事件として大きな注目を集め始めていた松山事件島田事件である。自分の体験もベースにあるだろうが、どちらの事件も古畑鑑定が大きな問題となっていた。その意味で、下山事件研究から引き続くものがある。「松山事件 血痕は証明する」(大和書房、1978)と「不在証明 島田幼女殺害事件」(時事通信社、1979)の2冊の本は、どちらも再審無罪が勝ち取られた現在では忘れられた本だ。僕も今回佐藤一氏の本を振り返ろうと思うまで忘れていた。(松山事件は宮城県北部の事件。1984年無罪。島田事件は静岡県島田市の事件。1989年無罪。)
 
 その後の佐藤は、1949年の「謀略の夏」史観を批判し続けた。「下山・三鷹・松川事件と日本共産党」(三一書房、1981)、「一九四九年『謀略の夏』(時事通信社、1993)、「松本清張の陰謀」(草思社、2006)と続いて行く。「謀略の夏」というのは、49年の「三大怪事件」の結果、占領軍の謀略で左翼勢力は壊滅させられ、以後の「逆コース」が仕組まれていったという「陰謀史観」のことである。

 佐藤は49年の国労大会の原史料を発掘し、全部読んで解読した結果、占領軍の謀略など要するまでもなく、国労内の共産党勢力は退潮し支持を失っていたことを明らかにした。また「松本清張の陰謀」では、「日本の黒い霧」の様々な項目について反論している。僕が思うに、清張「黒い霧」が主張した「伊藤律スパイ説」は本人が北京に実在して帰国後の反論があって崩壊した。また「黒い霧」で様々な怪事件が発生したのは、50年6月の朝鮮戦争勃発がアメリカの陰謀であるという方向でまとめられている。それはソ連崩壊後の諸資料ですでに、朝鮮戦争は金日成(キム・イルソン)が主導して、スターリンと毛沢東が承認して始まったことが証明された。それだけで、「黒い霧」の根拠は崩れている。

 ところが「下山事件謀殺説」だけは生き残っていくのである。何故か?21世紀になっても、そういう本は出てるし、そこに佐藤著は登場しない。09年に亡くなった後、遺著「下山事件 謀略論の歴史」(彩流社、2009)が出たが、これは存命中に手を入れられなかったこともあり、ほとんど語りおろしというか、いくら何でも流れ過ぎだろうと思う箇所も見られる。「謀略論批判のトーンの高さに違和感を持たれる方もいるかもしれない」と編者も書いている。しかし、いくら論理的に批判しても、反論ではなく無視されるということが続いたのである。そういう怒りを感じることができる。
   
 戦後日本では左右を問わず「陰謀史観」が大好きなのだ。「自分では決められない」国際的位置にある不安と屈辱は、「すべては占領軍の陰謀」という言葉に魅力を感じさせるのだろう。右は右で「占領憲法」が諸悪の根源のように言うし、左は左で「占領軍が革命を阻止した」かのごとく語る。自分の過去の過ちを認識できないのである。戦後史の思想状況を振り返るために、佐藤一氏の本は意味を持っている。事実に基づかない主張が結局は誰を利するか。少なくとも「下山事件全研究」が出てこない下山事件の本、いや戦後史の本は信用できない。(井出孫六「ルポルタージュ 戦後史」(岩波書店、1991)は数少ない、佐藤説を評価して自殺説に立つ本だった。そういう例外もある。)
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古畑鑑定という壁-映画「黒い潮」と下山事件をめぐって③

2013年04月07日 01時19分05秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 映画「黒い潮」をめぐって、「下山事件」を考える話の続き。中村伸郎演じる東大の法医学者が「死後轢断」(れきだん)、つまり「死んでから轢かれた」と鑑定したために、映画の中で「毎朝新聞」速水(山村聰)は自殺説を積極的に打ち出せなかった。この法医学者は古畑種基という人である。
(古畑種基)
 下山事件の古畑鑑定に関しては、慶応大学の中舘久平教授が「生体轢断」(生きたまま轢かれた)と反論した。当時としては珍しく公になった論争だが、その頃は法医学界の大御所・古畑が「東大の権威」を身にまとっていて、官学対私学の争いとみなした人が多かった。下山事件について書かれた中にも、昔のものにはそういうニュアンスが感じられる。

 下山事件については、この法医学的問題がすべてである。他殺がはっきりしていて、犯人は誰だ、起訴されている人は有罪なのかという事件で、よく法医学鑑定が問題になる。一方「自殺」の場合は、多くは「自殺か、事故か」というケースが多く、それは法医学では判断できないことが多い。薬の飲み過ぎで死んだ場合、死因ははっきりしていて、問題はそれが意図的かどうかである。医学的には同じだから状況証拠の積み上げで判断するしかない。(もちろん遺書があってすぐ判る場合もある。)断崖やビルから落ちて死んだ場合は、「自殺か、事故か、他殺か」が問題になる。でも、意図的な殺人で「自殺に見せかける」ケースは、あったにしても数は少ないだろう

 謀殺説を主張する場合、「違う犯人をでっちあげることが犯罪の真の目的」なので、自殺に見せかけて殺す意味がない。法医学者や警察が謀殺を見抜けず、偽装のはずの自殺で決着してしまったら、せっかくの陰謀が意味を持たない。だから「誰が見ても他殺」と判断するように死体を工作する必要がある。わざわざ自殺に見せかけるもはおかしい。特にこの事件の場合、「左翼勢力に罪をなすりつける」のが目的とすれば、「いかにも左翼勢力は非道なことをする」と人に思わせる殺し方をしないと意味がない。(寄ってたかってリンチして殺すとか。)

 「左翼勢力」には下山総裁の血を抜いて殺す必要がないから、逆効果になる。結局、世の中には「自殺に見せかけた殺人」は、非常にまれなのだと思う。普通、自殺工作をしている時間があれば早く逃亡した方がいい。それも法医学的に見抜けない薬物や投身自殺などの場合である。下山事件他殺説のように、「殺しておいて、死体を列車に轢かせる」というのは、絶対に不可能かと言えばやってできないことはないだろうけど、わざわざやる意味があるとは思えない。失神させておいてビルの屋上から突き落とすと言ったやり方の方がずっと簡単ではないか。

 だから普通に考えれば、列車にはねられた場合は「事故か、自殺か」なのである。もちろんホームから突き落とすという殺人もあるが、下山事件とは性格が違う。下山事件について他殺説を主張する本が最近も出ているが、この鑑定問題に触れていないものがほとんどだ。「下山事件は鑑定がすべて」だという本質を考えずに、「下山事件をめぐる怪しい人脈」などと書きたてる本がある。注意が必要だ。下山事件を追求し続けた人物に佐藤一という人がいるが、その人のことは次回に書きたい。佐藤一「下山事件全研究」という大部の本が1976年に出ている。(時事通信社)この本を読めば、常識的には自殺説で納得するはずである。列車に轢かれた事件の鑑定がその後進んできて、今では「生体轢断」を誰も疑わないだろう

 僕の理解するところでは、生きた人間が刃物で刺された場合など、一瞬では死なないので心臓が動き続け多量の出血をして失血死する場合もある。死後に刺した場合は、傷からはもう出血などの「生活反応」がない。下山事件の場合、確かにそういう「生活反応」はなかったから、東大法医学教室は「生体轢断」と鑑定したわけである。しかし多くの轢断死体も同じような反応がほとんどだという。その事例研究が進み、ますますはっきりしてきたという。そうなるのは、列車にぶつかった瞬間に一瞬にしてショック死してしまうため、生活反応がないというのである。これは今の通説ではないかと思う。その後の研究の積み重ねから見ると、当時の古畑鑑定は不十分だったわけである。

 古畑種基(1891~1975)は、日本の血液研究の第一人者で、特にABO型血液型の権威だった。1956年に文化勲章を受賞している。高校生のころ、生物の宿題で「夏休みに理科の岩波新書を読む」というのが出た。そのとき僕は古畑種基「血液型の話」を読んだ。それなりに面白かったんだけど、この本はしばらくすると絶版になった。その本で「血液型鑑定で有罪がはっきりした事件」として挙げられていた「弘前大学教授夫人殺人事件」が、実は冤罪であり再審で無罪判決が出たのである。

 「針の穴」より小さいと言われた再審が開かれたのは、獄中で改心した真犯人が名乗り出たためである。「血液型で有罪」と言うけれど、それは全く間違った鑑定だった。どうしてそうなったのか。強烈な治安意識、戦前以来の権威主義などで、途中で間違いから引き返せず詭弁的な議論で鑑定書を書く体質があったのである。裁判官は科学を持ち出されると反論できず、「鑑定の結果、有罪」とあれば頭から疑わないのである。(実際の事件をみると、鑑定資料自体が警察のねつ造だったり、古畑鑑定と言われるが実は大学院生が実験して検証していなかったものなどがあった。)

 70年代に日本の再審は大きな壁にぶつかっていた。最高裁の「白鳥決定」で再審の門が開かれつつあったが、死刑事件の再審の壁は特に厚かった。それらの事件の多くで古畑鑑定が有力証拠とされた。僕はその頃から冤罪救援運動に関わっていた。日本には冤罪を訴えている「無実の死刑囚」が何人もいる国だったのである。後に再審無罪となる4つの死刑事件の中で、九州で起きた免田事件をのぞき、松山事件(宮城)、財田川事件(香川)、島田事件(静岡)の3事件は、いずれも古畑鑑定が有罪の大きな柱になっていた。だから「古畑鑑定という壁」が再審開始の前に立ちはだかっていたのである。

 ところが下山事件謀殺説を主張する場合は、古畑鑑定の権威に頼らざるを得ない。古畑鑑定を否定したら他殺説が成り立たない。そこで結果として古畑を持ち上げ、東大鑑定の権威化に貢献することによって、「無実の死刑囚」の再審請求を妨害することになる。1981年に公開された熊井啓監督「日本の熱い日々 謀殺・下山事件」という映画がある。いまどきそんな映画を作る人がいるのかと思ったのだが、「革新勢力」が映画を積極的に支援していた。当時冤罪事件の救援を行っていた団体が集まって、この映画に対する疑問を訴え、上映反対を申し入れたことがあった。僕もその協力者だったので、この映画はその後も見ていない。

 僕が思うに、どうも古畑種基という人が死ぬ(1975年)まで、「古畑鑑定の呪縛」があって、死後にようやく死刑再審が認められたという思いがぬぐえない。ハンセン病問題では、隔離政策を強力に進めた光田健輔という人物がいる。古畑に先立ち、1951年に文化勲章を受賞した。この人物も強烈な治安意識が背景にあり、権威主義的にハンセン病政策を進めて行った。そういう人物が昔はいたものだと思うが、大物になりすぎて権威となって、科学の世界で批判を受け入れない体質が出来上がっていた。下山事件で謀殺を主張したいがために、古畑鑑定を持ち上げるということはあってはならない。
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大崎事件・福井事件の再審棄却

2013年03月07日 23時59分44秒 |  〃 (冤罪・死刑)

 3月6日に再審棄却の決定が出た2つの事件についての報告。再審は近年、足利事件、布川事件、東電女性殺人事件などで無罪判決が出て、またこの福井事件、東大阪事件などで開始決定が出た。これを「再審が多すぎて、確定判決の権威が落ちてしまう。法秩序の観点から問題だ」なんて思っている人が裁判所や検察にはきっといるんだと思う。DNA鑑定が誤っていて検察側も無罪を認めるような事件は別にして、供述調書の信用性を争うような事件は極力再審を認めないようにしたい…。多分そういう考えの裁判官に当たってしまったんだと思う。

 しかし、再審開始事件は全然多くない。まだまだ無実を求めて争っている事件がたくさんある。富山県の氷見事件では、被告人だった人は諦めてしまい法廷で無罪を求めなかった。服役後の真犯人が現れて、かろうじて救われたわけである。去年のパソコン遠隔操作事件でも、無実なのに罪を押し付けられていた人がいた。そういう状況を考えると、「冤罪事件」はもっともっといっぱいあるのではないかと思う。でも、刑期が短い事件では、最高裁まで争い数年、その後再審請求で何十年、その間の精神的、金銭的負担を思うと、もう諦めて早く刑期を終えて、忘れられたいと思う人がいても当然だろう。そう言う中でも、殺人罪は重大なので、無実を主張し続けるわけである。再審事件、あるいは最高裁までに無罪になった冤罪事件を起きた年ごとに並べてみれば、多いように見えても数年に一事件と言う程度だろう。もっともっと隠れた冤罪事件があるんだと僕は思っている。

 今回の福井事件も大崎事件も、「自白」はなく、一回は再審開始決定が出た。福井事件は一審で無罪で、それは名張毒ぶどう酒事件も同じ。そういう事件は、無実を晴らしやすいと思うかもしれないが、逆に難しいのである。「自白」があった方が、本人ではないんだから間違いがいっぱいあるわけで、その自白に合わない新鑑定、自白の揺れ動きなどで無罪を証明しやすいのである。自白も物証もないのに、「目撃者」や「共犯者」がウソを言ってるというのが、実は一番難しい。検察が囲い込んだ「目撃者」「共犯者」をどうしても裁判官は信じてしまいやすいのである。しかも、「再審」となれば、先輩裁判官の判断を間違いだということになる。その勇気のない裁判官がいるということだ。

 さて、福井事件に関しては再審開始決定が出たときに、2011年12月2日付で「福井事件の再審開始を考える」を書いた。この事件は一審は無罪、2審で逆転有罪判決で、それが最高裁で確定した。再審請求をして、原審段階の未開示記録がかなり開示されて、それも評価されて、2011年11月30日に名古屋高裁金沢支部が再審開始決定が出たものである。それに対し、検察側が異議申し立てを行って、支部ではない名古屋高裁本庁が再審請求を棄却した。(「異議審」と言う。)この事件は一審が無罪だから、一審はやり直しを求める必要がない。だから高等裁判所の控訴審判決のやり直しを求めているわけである。

 名古屋高裁は名張事件の再審をかたくなに認めないところだから、僕は逆転もありえなくはないと思っていたが、異議審段階で新しい主張などは特になかったということだから、再審開始の可能性の方が高いかなと思っていた。でも、「目撃者」の捜査段階の供述を全面的に取り上げての逆転棄却である。前にも書いたが、この「目撃者」には「10代の暴力団員」もいる。若い暴力団員が覚醒剤中毒の知り合いを「売った」のである。しかも、供述は何度も揺れている。それを「不自然」と思わない裁判官がいるのである。それが不思議というしかない。近年の最高裁の事実認定に関する判例からすると、最高裁への特別抗告で改めて再審開始決定が出ると期待したい。 

 もう一つが、鹿児島県の大崎町(宮崎県に近い、志布志湾に面した大隅半島の付け根のあたりにある町)で1979年に起きた大崎事件である。請求しているのは、今年85歳の原口アヤ子さん。懲役10年が確定し、出所後に一度再審請求をして認められた。それが高裁で逆転し、最高裁でも認められなかった。2度目の再審請求を2010年8月に行い、年齢を考えても「最後の再審請求」「無実の罪を晴らしてから死にたい」と再審開始を訴え、支援の輪も広がってきた。しかし、今回の再審棄却決定は、福井事件や他のニュースと重なったこともあって、東京ではテレビニュースにも取り上げられなかった。

 この「事件」は家族内の事件とされた。原口さんの夫と一緒に農業を営んでいた夫の弟(4男)が行方不明になり、1979年10月15日に遺体で発見された。これを夫(長男)と夫の弟(次男)、およびその義弟の長男と4人で殺害したとされたのである。この3人の男性は知的障がいがあるという話で、家族内の誰かが犯人と見込んだ警察の調べにお互いが疑心暗鬼となり、アヤ子さん以外の男性が「自白」させられてしまったのである。こうして「主犯」はアヤ子さんということにされ、懲役10年を宣告された。「自白」はなく、「共犯者」の証言(夫など知的障がい者の「自白」)による認定だった。しかし、そもそも「事件」だったのだろうか。新証拠によると、「絞殺」という「自白」は間違いで、溝に落ちた時の事故と言う可能性が高くなっている。

 確定時にアヤ子さんは53歳。以後、模範囚をつとめあげ、何度か仮釈放の機会があったものの、いずれも「無実だから反省することはできない」と仮釈放の機会を自ら見送った。(一日も早く「シャバ」に出たいはずなのに、高齢になったアヤ子さんが仮釈放を求めなかったこと自体が「行動証拠」だろう。有期刑の場合は、満期出所ではなく、刑期を残して仮釈放して、その間保護司が接する期間を作って社会復帰を円滑にするのが普通である。しかし、そのためには模範囚であるだけでなく、罪を深く悔いていて再犯の可能性が低いことが重要となる。)

 

 こうして出所時点ですでに63歳。その後、夫と離婚して、旧姓を名乗って、再審請求を続けているわけである。この30年間、全く揺れることなく、一貫して無実を主張、何の動機もなく、ただ「共犯者の自白」というものにとらわれてきた。戦前に起きた「吉田岩窟王事件」や「加藤老事件」などという有名な冤罪事件があるが、いずれも男性の事件で、このような高齢女性が冤罪を訴えている事件は他にないように思う。一日も早い再審決定が望まれるが、裁判所は弁護側申請の「証拠開示請求」を退けて結審している。裁判長は中牟田博章裁判官で、この人は氷見事件で有罪判決に関与している。そういう経験をした裁判官が今回も弁護側の主張を一方的に退けて、再審を認め内容な決定をしたらわけで、良心が問われるというべきだ。

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「約束」と言う映画-名張毒ぶどう酒事件

2013年03月05日 23時21分25秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 渋谷のユーロスペースで、「約束」という映画を見た。これは名張毒ぶどう酒事件で再審を訴え続けている死刑囚、奥西勝の半生を劇映画と言う形で描いた映画である。基本は劇映画なんだけど、事件当時や再審決定などのニュース映像を交えて、事件の解説なども行っている。実在の人物が実名で出てくる。そういう映像の中に、高齢の奥西死刑囚を仲代達矢、事件当時は山本太郎、母親を樹木希林が演じる劇の部分があるという構成。作ったのは、東海テレビの斉藤潤一監督である。「死刑弁護人」を作った人で、この名張事件もずっと追ってきた。地元(名古屋)に近い事件と言うことで追ってきて、無実を確信しながら本人への直接取材はかなわないということで、劇映画と言う手段で獄房の死刑囚の苦悩を再現した。
 
 名張毒ぶどう酒事件については、僕も今までに書いている。「名張毒ぶどう酒事件の集会」「名張事件の再審開始か?」「名張事件の再審棄却に異議あり」である。僕は名張事件の再審開始は当然のことと考えていて、健康を害し「獄中死」が心配される奥西勝さんを生きて獄外に取り戻せる日がくることを念願している。

 そういう僕なんだけど、だからと言って映画の出来が素晴らしいかどうかは別である。見て欲しいと思わなければ書かないので、この映画は実に重い感動を与える素晴らしい出来だった。是非、見て欲しいと思って紹介する次第。東京渋谷のユーロスペースでの上映は15日まで。僕は冤罪問題に関心を持っているが、映画に生の主張を持ち込んで社会的な問題を訴えるという映画は好きではない。見ていて面白くないというか、そもそも見る必要性が薄いからである。「無実の死刑囚」というのは大問題だから、広く社会に訴えるべき問題だけど、本やパンフを読んでれば十分なんだったら、家で寝ながらできるからその方がいい。しかも、ドキュメント映画監督が作った劇映画で、ドラマの中に記録映像も交じると聞けば、名張事件を広めるという意味ではいいだろうけど、映画作品としてはどうなんだろうと見る前は心配だったわけである。

 心配は杞憂で、それはいつに仲代達矢と言う俳優の偉大さがなせる功績だと思う。もともと事件の争点の骨格を知っていたということもあるが、獄中の「無実の死刑囚」の苦悩がまさにリアルに伝わってきて、これがドラマの役割かと改めて思い知った。いっぱい映画を見ていると、ついトリビアルな知識やうんちくにはまり込むが、ドラマの本質は伝えたいメッセージをまず直球で投げ込むことにあるんだと思い出せてくれるのである。社会的なメッセージ映画と言うと、なんだか古いように思うかもしれないが、決してそうではない。つまり、「人間としての共感」を伝えるドラマということなのである。

 それにしても仲代達矢と言う俳優は素晴らしい。今もイヨネスコの「授業」を公演中だが、高齢になっても新しいことに挑み続ける体力、知力のすごさ。夫人を亡くした後に、これほど活躍できるという精神力の高さに感銘する。僕は仲代達矢と奈良岡朋子が出演した「ドライビング・ミス・デイジー」を見て、コンサートなんかは別にして、新劇系の舞台で唯一スタンディング・オベーションが起きるのを見た。映画でも、小林正樹「切腹」を頂点にして、幾多の黒澤明映画などが脳裏に思い出されてくる。そういう偉大な芸歴を誇る仲代達矢ではあるが、現存の人物にして、死刑囚であり、無実を主張しているという役柄は難役中の難役ではないかと思う。無実ではない方がまだやりやすいだろう。熊井啓監督の昇進作「帝銀事件 死刑囚」も確定死刑事件で無実を訴え再審請求中の平沢貞通を描いている。俳優は信欣三が演じた。これは純然たる劇映画として作られているので、今回のような実際の映像が中に交じるのとは異なっている。しかも実際の映像と言っても、1審無罪判決が最後で、その後は撮影できないから、実際の映像や写真はない。面会を許される家族、弁護士、特別面会人などごく少数の人しか、(刑務官は別にして)接した人がいない。そういう昔のハワード・ヒューズみたいな「伝説の実在人物」を演じるのである。しかも、「無実の主張」を観客に納得させる必要がある。これがしかし、仲代達矢と言う人のすごさで、僕は感動を覚えた。

 こういう風に、ちょっと普通の映画とは違う種類の映画だが、見て損はないと思うし、重い感銘を覚える出来になっていると思う。冤罪事件に関心のある人は見るだろうが、そうではない人にも是非見て欲しい映画である。
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PC遠隔操作冤罪事件

2012年10月23日 00時06分29秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 新書について書くと言いつつ、ずっと書いてない。政治の話題も書きたいことが本当は多いんだけど、なかなか書いていられない。そんな中で、パソコンの遠隔操作で犯罪予告メールを送られた件については、書いておきたいと思う。この問題では4人が逮捕され、大学生が逮捕された事件では、すでに保護観察処分が決定されていた。土曜日に警察や検察の責任者が謝罪に訪れたという。

 この事件に見られる捜査のいい加減さ、冤罪の問題については、布川事件の桜井昌司さんがブログで早くから指摘していたが、初めは遠隔操作ウィルスの危険性に皆驚いてしまい、これが大規模な冤罪事件であることを追求していなかった。ようやく最近になって、いろいろ報道が始まってきた。昔から「日本に冤罪はどのくらいあるか」ということが問題になる。無罪になった事件、有罪だったけど再審を求める事件。問題はそれらだけではない。裁判では被告が有罪を認め、弁護士も寛大な判決をとしか言わない事件。そのような事件の中に冤罪が隠れているのである。そのことは富山県の氷見事件が示している。この事件では実刑が確定し、すでに刑務所を出所していた。その後に真犯人が明らかになったのである。現在、国賠訴訟を闘っている。「富山冤罪国賠を支える会」参照。

 そういう恐ろしい事情を考えると、果たして冤罪事件がどのくらいあるか、測り知れないものがある。どうしてそういうことになるのだろうか。それは「人質司法」という取り調べを行うからである。この学生の場合、「認めないと少年院」と言われたと告発している。警察は言ってないと主張しているらしいが、もちろん言ってるに違いない常套手段である。そして、実際に「認めることにした」ことで、「保護観察処分」で済んでいる。「自白」しないと不利になるのである。場合によっては何週間も逮捕され、接見も認められない。それほど重い刑が考えられない事件の場合、一審が始まるまで外に出られないで会社を首になり、家族や友人を失うくらいなら、認めて謝って数日で出た方が「有利」である。数日なら病気で連絡できなかったことにできるし、謝ったことで執行猶予になる可能性が断然大きくなる。弁護士を頼んで裁判で徹底的に争うと、弁護料がかさむうえ、裁判官に「反省してない」と思われ罪が重くなる。裁判官の多くは検察側に近い判断をすることが多いし、最高裁まで争えば10年かかってしまう。

 ところで、そういう問題は刑事裁判の冤罪問題に限らないのである。日本では、すべての問題で、「自己主張をすると不利になる」というシステムが出来上がっている。日本では、ではなく、世界のほとんどの国できっとそうだろう。なんでもいいけど、不当な目にあった場合は、自己主張しないで、黙ってガマンして「はい、はい」と上の言うことを聞いて、「おとなしくしてれば、見逃してくれる」のである。どんな問題でもそうで、自分の主張をしないすべを身に付けていかないと、日本社会を渡っていけないのだ。それが司法の場で現れているのが、冤罪という問題。でも冤罪捜査を通して、日本社会が透けて見えてくる

 今回不思議なのは、警察と検察が謝罪したのに、裁判所は何故謝罪しないのかということ。家庭裁判所では、本人が認めて謝罪の意思を見せたので、ほとんど事実に踏み込まず「保護観察」にしたに違いない。今度東電OL殺人事件の再審が始まるわけだが、再審というものは請求人か検察側が求めて、初めて開始するかどうかが決まる。裁判所が自分で開くことができない。しかし、裁判所の決定こそが最終のもので、無実の被告に有罪を宣告したことこそが一番の問題ではないか。その裁判所は再審が開始され無罪を言い渡す時も、謝罪することはほとんどない。(少しはあったが。)今回も裁判所の謝罪は何故ないのか。誰も不思議に思わないのが不思議。

 もう一つ、「誤認逮捕」と言われる問題について。「間違って逮捕された」ことが問題だとされている。しかし、「誤認」と「逮捕」は別である。遠隔操作を疑ってなかったんだから、「誤認」されたことはある意味仕方ない。遠隔操作されたパソコンが押収され調べられるのも仕方ない。で、パソコン内に送信の跡が残っていて、それが犯人である証拠だというならば、もう逮捕する必要がないではないか。証拠は万全、警察がパソコンを押収して証拠隠滅の恐れは皆無。そのまま「在宅起訴」すればいい。それを逮捕までするのは、警察、検察の中で、「自白」「動機の解明」で、ストーリイをうまく作る、それこそが捜査だと思い込んでいるわけである。確かに殺人罪などの場合、動機の解明で殺人罪が傷害致死、過失致死、過剰防衛、正当防衛などの可能性がはっきりしてくる場合がある。動機の解明に踏み込んで行く必要も高い。でも今回のような犯罪予告だけの場合、そういうストーリイは被告、弁護側が主張するならともかく、検察側があえて踏み込む必要がどれだけあるだろうか。

 これも捜査だけの問題ではない。学校でいじめなどの問題が起こった場合も同じ。会社などでも同じだろう。「自白」があり、「謝罪」があることが、日本では認識の必須の前提なのだ。「私小説風土」、「談合社会」とでも言えばいいだろうか。この鬱陶しさ。きちんと科学的証拠に基づく捜査を行うということは、他分野での「情による不明朗取引」をなくしていくような取り組みと一緒に進める必要がある。
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10・6死刑廃止集会

2012年10月06日 23時39分53秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 10月6日(土)、東京・四谷区民ホールで、「響かせあおう 死刑廃止の声」という集会・今年のパネル・ディスカッションは「原発を考え、死刑を考える」。神田香織、山本太郎、安田好弘、白石草(しらいし・はじめ)
 
 この集会を紹介しておいたが、参加して非常に面白かった。これほど興味深い会も久しぶりだったかも。白石草さんが外国の電波事情を紹介して、諸外国では公共放送の電波回線を市民に開放した「市民チャンネル」がある、そういう国がたくさんあると言っていた。反原発デモをテレビが報じないというような問題意識だけではダメで、報道させればいいのではなく、「われらのチャンネル」を作り出すということが大事なのか。「市民運動」を始めたばかりの山本太郎さんの話も刺激的。原発事故により、日本国民は皆死刑囚の状態と言っていた。僕が前からよく言っているけど、問題は「国家を相対化する」ことではないかと思う。

 集会後半は、「死刑囚の表現」をめぐる公開選評会。連続企業爆破事件で死刑判決が確定した(再審請求中)大道寺将司さんの母、大道寺幸子さんが亡くなった時(2004年)、その残された基金で死刑囚の再審援助や文芸、絵画作品の募集が行われてきた。今年で第8回で、死刑廃止集会では獄中からの絵画(驚くべき才能を示す絵が多い)がよく展示されている。選考委員は、池田浩士(ドイツ文学者)、加賀乙彦(作家)、香山リカ(精神科医・評論家)、川村湊(文芸評論家)、北川フラム(アートディレクター)、坂上香(映像ジャーナリスト)、太田昌国(民族問題研究・編集者)。(順番、肩書はパンフによる。)この顔触れはすごい。坂上氏は欠席だったが、高齢の加賀さんも元気に発言していた。加賀乙彦氏は作家であるが、精神科医として東京拘置所で死刑囚の調査を行ったことでも知られている。死刑廃止集会で何回か話は聞いているが、この集会では欠席の年もあった。この顔触れはすごいとしか言いようがない。この選評会を聞けただけで貴重な体験だった。

 世界には死刑廃止国の方が圧倒的に多い。ほとんど中国とイランと北朝鮮と日本とインドなんかしか死刑を執行している国がなくなってきている韓国は事実上の廃止国モンゴルは正式な廃止国。そういう実情を思うにつけ、「死刑問題」を「ビッグ・イシュー」にする必要を感じる。僕は案外、「死刑廃止論者」が隠れキリシタンのごとく存在しているのではないかと思っているのだが。

 (以下は紹介時(10.2)に書いたまま。)
 6月4日に就任して10月1日に退任した滝実(まこと)法務大臣が、内閣改造で退任する直前の9月27日に死刑執行を行ったのには、驚いた。「虚を突かれた」と言ってもいい。鳩山邦夫元法相じゃあるまいし、8月3日に執行があったばかりなのに、翌月にまた死刑執行をするとは…。しかも、6月の改造で就任した羽田国交相や森本防衛相は再任されているのに、滝法相だけは高齢を理由に再任を自ら辞退したと新聞で報道されていた。これでは、「死刑執行にためにだけ数か月大臣にしてもらいました」という感じではないか。野田内閣が死刑を廃止する方針はないこと。去年は執行がなかったが、小川元法相が再開し、滝法相が続いた。今さら「民主党内閣での死刑執行」には驚かないが、退任を心に決めていたなら、後任に任せるというのが「僕の考える常識」である。

 滝前法相は、「国民は死刑廃止を求めていない」「死刑を廃止した国は、冤罪死刑などの事例がきっかけになっている」「再審にあたる理由がないかどうかは慎重に判断している」などということを発言したと思う。

 これが僕には納得できないのである。僕も「今すぐ日本で死刑を廃止する環境にない」という判断をしている。日本でさえそうなのだから、中国やイランで死刑が廃止される日は限りなく遠いだろう。僕が、あるいは死刑廃止運動が求めているのは、「死刑執行をとりあえず停止し、死刑の実態、世界の廃止状況などをじっくり調べて、国民的に議論すること」である。それなくして、裁判員制度で死刑を国民が判断する制度を作ってしまった日本政府の責務ではないのか。法務官僚は、日本が永遠に死刑を存置できると考えているのだろうか。世界の状況を知ってるだろうに。別に世界がどうなろうが知ったことではないというのでは困る。「世界で死刑廃止が主流になってきているのは、それなりに理由がある」「だからじっくり調べて議論しよう」。これがどうして実現できないのか。

 「再審の理由はない」というのもおかしい。死刑囚の確定死刑判決がなくなるのは、再審だけではない。再審の可否は裁判所が判断するが、もう一つ「恩赦」というものがあるではないか。これは「行政権」の権限である。こっちを検討するのが、まず法相の責務である。「死刑囚の恩赦」はしばらく行われていないから、みんな忘れているかもしれない。でも現憲法下で数件の前例がある。それぞれ特別の事情があった。再審請求(裁判が間違ってたからやり直せ)と恩赦請願(裁判は正しかったけど、何とぞ恩恵を)とは考え方で正反対である。だから原則的には、両方同時にはできない。(法で禁止されているわけではないが。)だから、恩赦を求めて却下されるとすぐ執行の可能性が高く、恩赦請願に踏み切れない死刑囚が多いと思われる。しかし、事件以来長い時間も経ち、恩赦を検討してもいい場合は相当多いのではないか。

 世界にも日本にも問題が多い。「日本は自由で豊かな国になったけれど、世界には戦争や飢餓に苦しむ子供たちや言論の自由がない国が今もある」と僕は昔思った。今も基本はそうだけど、でもそういう日本に「無実の死刑囚」が一杯いた。それを知って僕はビックリして、そのことを忘れずに日本という国を考えたいと思ってきた。確かに死刑囚の大部分は許されざる犯罪を犯した。でも、ノルウェーのように「最高刑が21年」という国が存在する。その違うところは何なのか。日本という「国のかたち」を考えるときに、「日本は死刑制度がある国」というのは、絶対に忘れてはいけないことだと思う。今、死刑について本格的に書く余裕はないけど、とりあえず集会の紹介とともに。
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袴田事件と名張事件

2012年07月07日 23時33分05秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 「袴田事件と名張事件-冤罪と死刑-」という集会。「死刑廃止国際条約の批准を求めるFORUM90」主催。文京区民センターで行われた集会に参加。死刑台からの生還を果たした免田栄さん(94年に記録映画「免田栄-獄中の生」の上映会を北千住でやったことがある)、再審無罪の布川事件、杉山卓男さん袴田さんの姉ひで子さん、講談師の神田香織さん、もちろん安田好弘弁護士など、なかなか多彩な顔ぶれがそろっていた集会だった。

 神田香織さんが来ていたのは、弟子の福田織福による新作講談「袴田冤罪事件~百万遍~」があったからで、それをはさんで名張事件の河合匡秀弁護士、袴田事件の小川秀世弁護士による事件の解説と報告。この2事件は、死刑事件であること、高齢で健康状態が気遣われることから、どの事件にもまして早急な再審開始が求められる事件である。でも、5月の名張事件再審取り消し決定など、ヘリクツをこねまわしてなんとか裁判所は再審を開かないようにと努めている。名張事件は、そのときにも書いたけど、今までの経過と高裁での審理を新聞で読む限り、再審開始決定が出るのではないかと僕は思っていた。今年になって、いろいろと失望する政治や判決も多いのだが、この棄却決定ほど残念に思ったものはない。

 でも冤罪支援運動というのは、感情的な言葉をいくら積み重ねても、獄にいる人を解放することはできない。「奪還するぞ」と大声でシュプレヒコールをしても、刑務所(拘置所)の塀の中には届かない。裁判官を圧倒する「論理」と「科学」で、ヘリクツを粉砕する言葉を作っていくしかない。だから、冤罪事件、特に死刑を言い渡され無罪を主張する事件の救援というのは、多くの人が関わるといいと思っている。冤罪死刑は絶対あってはならない、では、その事件を冤罪だと自分は他人を説得できるだろうか、ということを個別ケースで自分を鍛えることが大事な経験になると思う。

 名張事件と袴田事件の解説は、今はパワーポイントなどを使えるので、実に判りやすく、裁判所決定のヘリクツ性を完全に証明していた。まあ、前から知っているということでもあるけど、この2事件の無実は今や満天下に明らかと言っていい。少なくとも、確定判決の証拠は崩れている。リクツが通るなら。

 というのも、今日の資料で紹介された袴田事件の東京高裁棄却決定に以下のようにあるのだ。「また、厳密に言えば、確定判決等は、犯人が犯行時において5点の衣類全部を終始通常の方法で着用していたと断定しているわけではなく、例えば、犯行の途中でズボンを脱いだなどという可能性も否定できないのである。」

 清水市でおきたみそ会社専務一家4人殺害、放火事件。働いていた元プロボクサー袴田巌さんが逮捕、起訴された。任意性に問題があって排除されるが、「パジャマを着て、殺した」と「自白」も取られている。パジャマは押収され、肩に袴田さんの血が着いている。消火作業中にケガしたのである。(もちろん被害者の血痕はない。)ところが、事件発生1年2カ月して、みそ会社のタンクから「血染めの衣類5点」が出てきたのである。検察側は訴因変更して、これこそ真犯人の衣類とした。(では、「自白」はインチキだったという結論になるはずだが。)ところが、この衣類が怪しい。本当に事件から1年以上みそに浸かっていたのか。いろいろ疑問が出てくると、裁判所は「犯行途中でズボンを脱いだかも」。検察が持っていた発見当時の写真が開示され、「5点の衣類は証拠ねつ造」がほぼ証明されたと言っていい。弁護側実験では、衣類を本当に1年以上みそに漬けたら、真っ黒になってしまう。証拠程度の色具合ならなんと20分漬けたら同じくらい染まったのである。当時着ていたというシャツも肩が裂け血が着いてる。パジャマと同じ。実際に袴田さんが肩を怪我していた以上、袴田さんが真犯人ならパジャマであれ、シャツであれ肩のところが破れているはずである。だから「肩の破れ」が二つあれば、どちらかが「ねつ造したもの」となる。当然後から出てきたものが、「先にあったものを似せた」としか考えられない。「証拠ねつ造の証明」である。血液型DNA鑑定も行われたが、前に書いたので省略。

 これって、とてつもないことだ。警察、検察が間違ったというのではない。フロッピ-を改ざんしたというどころではない。死刑が予想される事件で、「真犯人の血染めの衣類」を警察が作ってしまったというのだから。それも逮捕前ではなく、裁判が進み不利な展開になっているのを見て、自分たちで取った「自白」と矛盾するのを承知の上で、被害者の会社のみそタンクに仕込んだということになる。「世紀の大冤罪」である。

 アムネスティ・インターナショナル日本支部では、袴田事件の再審開始を求めて、来週から袴田ひで子さんの全国スピーキング・ツァーを企画している。来週14日に大阪・豊中から始まり、12.9の東京まで。兵庫、広島、静岡、滋賀、新潟、神奈川で実施。
 
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「死刑の抑止力」という問題

2012年06月12日 23時12分22秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 前に「死刑制度をめぐる小論」というのを2回書いた。死刑執行が小川前法相によって3月末に行われたことを受けて、世界の情勢や世論調査の理解について書いた。死刑制度についてその後も時々書いてきたが、大きな論点についてはあまり書いていない。僕も重い問題をそんなに書きたいわけじゃなくて、映画の話題などを書いていたい。だけど今日は、「死刑の抑止力」という問題について、書いておきたいなと思った。大阪で起こった「通り魔事件」、またしても「自殺したいけどできなくて、人を殺して死刑になりたいと思った」などと供述しているらしい。こういう、ふざけたというか、了解不能な言葉を最近何回聞いたことだろう。このように「死刑制度があるから殺人事件を起こした」と言っている犯人が何人もいると言うのに、法務省からは今でも「死刑には一般的な抑止力がある」と言った言葉が聞かれる。死刑存置論者は一体どう考えているのだろうか。

 「死刑の抑止力」は、重大犯罪に関しては「ない」というのが、犯罪学なんかでは世界的にほぼ共通の理解ではないかと思う。だからかどうか、今さら専門家はあまり語らない。でも、一般市民の中では「死刑があるから凶悪犯罪を少なくできる」と思っている人は多いと思う。だから専門家にもきちんとデータを集めて答えを出してほしい。

 もし、死刑に重大犯罪の抑止力があるなら、1980年にフランスではミッテラン政権成立で死刑が廃止された後で、犯罪が急増しているはずである。あるいは、汚職事件でも死刑になってきた中国は、世界で一番腐敗が少ない国になるはずである。(最近死刑適用事件をしぼる刑法改正があったようだけど。)また何よりも一番はっきりするのは、アメリカである。アメリカでは州ごとに死刑があったりなかったりするから、死刑がある州と死刑がない州で犯罪発生率が違うかどうか、比べてみればわかるはずである。2002年に首都ワシントン近郊で、「DCスナイパー」事件と呼ばれた無差別銃撃事件が起き、10人が殺害された。黒人の元陸軍スナイパー、ジョン・アレン・ムハンマドと養子の少年が逮捕され、いろいろと衝撃を与えたという事件があった。犯行が各州にまたがっていて、どこで裁くか議論があったが、結局ヴァージニア州で死刑となり、2009年11月に執行されている。首都ワシントン特別区は死刑を廃止していたので、死刑に犯罪抑止力があるというなら、なぜこの犯人は特別区の中だけで犯行を犯さなかったのだろうか。

 「フツーの人」にとって、ひったくりや振り込め詐欺の被害者になることはあっても、日常生活のなかで加害者になることはほとんどない。一番犯しやすい法律違反は道路交通法違反だから、罰則が厳しくなった飲酒運転は絶対しないよう心掛けているだろう。一方、取り締まりがないならスピード違反なんか、今よりもっとたくさん起こるに違いない。だから交通違反レヴェルの問題なら、確かに「罰則強化が法律違反の抑止力になる」ことはあるんだと思う。でも、殺人レヴェルの犯罪は、他人が見てないならやっちゃおうというような犯罪ではない。よほどカッとなっても、「心の中の道徳の歯止め」みたいなものがあるし、家族や仕事を失うことを考えれば、重大犯罪を犯すことはできない。つまり、「家族」や「仕事」があれば、である。「失っては困るもの」を持ってるか、どうか

 今度の事件の犯人は、報道によれば幼いころに母親を亡くし、その後父も店が倒産、現在は死亡、兄弟はバラバラであるという。中学卒業後、暴走族に入り、成人後は暴力団にも入っていたというが、覚せい剤で服役して、5月末に出所したばかりだという。典型的な「恵まれない家庭環境」に育った「粗暴な不良」だった感じである。従来なら、出所後にヤクザ業界周辺で吸収されたのではないかと思うが、もう規制強化と不況でそれもかなわなくなっているのか、それとも本人の性格か。刑務所で知り合った知人を訪ねて大阪へ行ったということである。本人に問題があるとはいえ、「どこにも居場所がない」境遇である。「無銭飲食」程度で刑務所に逆戻りする道を選ばず、2人殺害で「死刑願望」というはた迷惑になったのは、本人の今までの粗暴な生き方が出てしまったと考える。だから、本人に問題があるのは当然なんだけど、それでも「日本社会における、いったん落ちこぼれてしまった後の居場所のなさ」も明らかである。

 いかに非道な「通り魔」でも、被害者一人なら死刑になるとは限らない。(犯情が悪質なら死刑の可能性もあるが。)「通り魔」は悪質なので、「成人被告が二人を殺害」なら、まず間違いなく(現在の判例状況では)死刑。無差別とはいえ、やたらと車やナイフで襲いまくるのではなく、明確に二人殺害で三人目がない点、死刑目的なら「合理的」である。こういう犯罪が多発するところを見ると、死刑に犯罪抑止力があるどころか、「犯罪誘発力」があるとも言えるではないか。

 死刑制度と言うのは、「国家が個人の生命を奪う」ということだから、「やり直しを完全に認めない」ということである。それは「国家の理念」としてはどうなんだろうというのが、死刑はない方がいいだろうと思う一番の理由。もちろん現実の一人ひとりの犯罪者の中には、「今の状態では社会に戻すのは難しいのではないか」というケースがあると思う。だから「仮釈放のない無期懲役(終身刑)」という刑罰を置いておくことも必要なのかなと思う。(時間がたったら、「仮釈放のある無期刑」への恩赦請願ができるのはもちろんである。)一度死刑を「期間限定停止」してみて、それでもこういう事件がおこるかどうか、「社会実験」してみてはどうかと思ったりする。
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死刑のない国の話-ノルウェイとモンゴル

2012年06月10日 22時36分49秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 ワールドカップのアジア最終予選もあるけど、ヨーロッパ選手権(EURO2012)も始まっている。19日まで毎日4グループに分かれたリーグ戦をやっているが、テレビはWOWOWなので、見れないで残念。ヨーロッパでは、スペイン金融不安も深刻化して、公的支援をあおぐことになった。ギリシャ、アイルランド、ポルトガルに続くもので、これがまさに「PIGS」になってしまった。ギリシャ再選挙も迫ってきて、たかが「球蹴り」にうつつを抜かしていていいのかと思わないでもないけど。でも、開催国がポーランドとウクライナというんだから、東欧革命、ソ連崩壊から20年たって、そういうことが可能になったのである。

 さて、ちょっと旧聞になるけど、ノルウェイの水泳選手、昨年の世界選手権男子100m平泳ぎで金メダルを取ったダーレオーエンが4月30日にアメリカで高地訓練中に急死するということがあった。ロンドン五輪でも北島康介の最大のライバルになるのは間違いなく、ノルウェイに五輪初の水泳金メダルをもたらすことが期待されていた。ところで、去年上海の世界水泳で金メダルを取る直前に、ノルウェイでは排外的な極右青年による爆弾、銃撃テロ事件が起こっていた。爆弾で8人、銃撃で69人が死亡し、合わせて77人。ノルウェイで第2次世界大戦(ナチスドイツの侵略を受けた)以後の、最大の悲劇である。金メダルを取った時、ダーレオーエンはメダルを母国の人々に捧げ、「僕たちは団結している必要がある」と語った。スポーツがこのように悲しみの中にある母国の人々を励ます力になるということは、われわれ日本人も「なでしこジャパン」の活躍によってよく判っていた時期だったから、彼の言葉は心に残ったのである。

 さて、その犯人の1979年生まれの青年は、精神鑑定を経て責任能力ありとして今年3月に起訴、4月から裁判が始まっているが、全く反省の様子を示していないということが時々新聞の片隅に載っている。ちなみに、この犯人は移民に寛容なノルウェイの政策に反感を持ち、「多文化主義に批判的な日本と韓国」を賛美していたらしい。では、この犯人は(冤罪可能性はないので)責任能力が認められたとして、一体どの程度の刑罰になるのだろうか。もちろんノルウェイに死刑はない。それどころか、(仮釈放のない)「終身刑」や(仮釈放可能性のある)「無期懲役」もないのである。最高刑は「禁錮21年」というのだから、これには僕もちょっとビックリした。

 調べてみると、「無期懲役刑に関する誤解の蔓延を防止するためのホームページ」というホームページを作っている人があり、その中に「各国の刑罰体系」という一覧表が掲載されている。確かにノルウェイは最長21年である。その表を見てみると、死刑を廃止したヨーロッパ諸国でも、仮釈放のない無期刑、仮釈放のある無期刑をおく国がほとんどである。全部なくて有期刑だけの国には、ポルトガル(25年)、セルビア(40年)、キルギス(30年)、スペインとメキシコは「無制限」とあるが、「収容上限40年」とある。ブラジルは似ているが「収容上限30年」。刑罰上限が無制限だということは、被害者が多いと「100年」なんて言い渡しもできるのか、よくわからない。収容上限があるんだったら、事実上最高刑は40年ということではないのか。

 ノルウェイは人口500万人にも満たない北欧の寒い国で、日本とは社会の様子は大分違うだろう。社会は安定して、犯罪発生率も低いだろう。この国の「寛刑政策」は最近日本でも森達也氏などが触れていて、僕も読んだけど、今は詳しく覚えていない。ノルウェイではさすがに「死刑復活」とまではいかなくても、「終身刑」を作れと言う議論は出ているようである。今後どうなるかは判らないが、「法の不遡及の原則」から今回の事件では適用できないはずである。僕も「最高刑21年」というのは、「軽すぎる」のではないかと思う。死刑の問題とは別で、刑罰には「応報」的側面を全くむしはできないから、その社会である程度「長い期間の拘束」と思う最高刑がいるだろう。もちろん「21年」は実際に刑罰を受ける身には長いだろうが、高齢化、晩婚化が進んでいる日本では、例えば22歳で犯した犯罪で満期を務めて43歳で出所。昔は「青春のすべてを監獄に奪われた」という感じで、もうすぐ初老に近づくイメージだけど、今は40過ぎまでブラブラしていたなんて、まあ確かに少し遅い感じもあるけど、そんな珍しくない。男の結婚なんかだったら全然不思議ではない。社会がそういう風になってしまっている。

 ちなみに、僕は死刑廃止論者だけど、「無期刑廃止論者」ではない。そういう主張をしても通る可能性がゼロだと思うけど、そうではなくて「犯罪の程度がとてもひどく、社会から隔離しておく必要がある人間」がいないとは思えないのである。「やり直しができる社会」を目指すべきだと思うけど、「どんな犯罪者も社会に復帰できるはずである」とまで言い切ることは出来ないと思う。

 ところで、世界で死刑廃止(または死刑はあるものの軍法会議のみ、及び死刑の執行がずっと停止している国)の国は、ヨーロッパやラテンアメリカの国が多い。東アジァから西アジア一帯の地域はほとんど死刑がある国になっている。その理由は何か、さまざまな考え方があると思うけど、ここでは触れないことにする。その中で、3月13日にモンゴルが死刑廃止条約に加入した。アムネスティが「死刑統計2011」を世界一斉に発表した際、日本での記者会見には駐日モンゴル大使が同席した。他にも以前からカンボジアやスリランカが死刑廃止国であるのは、「仏教と死刑廃止」というテーマを考えるべきだということを示している。モンゴルと言ったら、チンギス・ハンと羊と大相撲の力士くらいしか思い出さないと思うけど、アジアでも死刑を廃止するという「先進国」でもあるのだ。
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「東電OL殺人事件」、再審開始決定!

2012年06月07日 18時50分04秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 6月7日、東京高裁(刑事4部)で、いわゆる「東電OL殺人事件」の再審請求が認められた。ゴビンダ・プラサド・マイナリさんの「刑の執行停止」の決定もあり、検察が申し立てた執行停止への異議申し立ては退けられた。まさに劇的な展開となった。

 結審したのは5月23日、決定が6月7日に出ることが裁判所から通知されたのは31日。一週間前である。この素早さに、開始決定が出ると思いつつも、棄却ではないかとの恐れも否定できなかった。裁判に関しては、名張事件がそうであったように、裁判所がどのような「ヘリクツ」で棄却するか、安心できるものではない。とにかく、この歴史的な日を目撃したいと東京高裁前に出かけて行った。

 決定書交付は午前10時。10分くらい前には、もう支援会ののぼりが道の両側に立ち並び、マスコミのカメラ台でいっぱいである。ネパールからこの日のために飛んできた妻と2人の娘さんがマスコミの取材を受けている。(再審請求は、公開の法廷で行われるものではないので、公開法廷での判決言い渡しのようなものはない。時間になったら、決定書を請求人や弁護人に渡すだけである。裁判所は門の中にスペースはあるんだけど、中で待つことを認めない。著名事件の判決、決定の時は、いつも裁判所前の道路をふさぐように、マスコミと支援者の集団ができる。裁判所の人が「道をあけてください」と叫んでいるが、敷地の中で待たせるようにすればいいだけではないかと思うけど。)
 
 午前10時を過ぎる。もう決定が通知されたはずである。弁護士が垂れ幕を持って報告に来るはずである。少しすると、支援会の車のスピーカーから、今弁護士が現れました、再審開始です、と報告がある。沿道の支援者から大きな拍手が起きた。
  
 家族のインタビュー、ネパールで待つ母と兄に携帯電話で知らせる。「冤罪仲間」の足利事件の菅家さん、布川事件の桜井さん、杉山さんもかけつけ、あいさつを述べた。
 家族、関係者も含め、垂れ幕の後ろで記念撮影の様子は、よく見えない位置からだけど。

 今回の決定は、「刑事裁判の常識的な原則」を守った決定として評価できる。「常識」「原則」は守るのが当然のもので、本来それだけで評価するというのはおかしい。でも、原則を踏み外し、非常識な推論を重ねて、検察側の主張を無理やりに認めたような裁判はいっぱいあるのが現実である。

 「被害者体内から採取された精液」と「現場にあった体毛」のDNA型が一致した。それはマイナリさんのものではない。その第3者(仮に「X」とする)の犯行であると考えるのが、最も自然である。今回の決定もそう判断している。検察側は「被害者は現場以外でXと性交し、身体に付いた体毛が現場に落ちた可能性がある」と主張して、この新DNA鑑定の証拠価値を否定した。検察側の主張は、リクツとしてはその通りである。だから、この精液と体毛の一致だけを「証拠」としてXが裁かれているのなら、「疑わしきは被告人の利益に」で、Xに無罪判決を言い渡すべきだろう。でも裁かれたのは、Xではなく別人だった。そのマイナリさんも被害者と性交渉があったことは認めている。現場から見つかった、少し前のものと思われる「コンドームに入った精液」から、マイナリさんのDNA型が出ている。現場の鍵はマイナリさんが持っていた(その後返却して、返却の時期をめぐって争いがある)のは事実だから、マイナリさんも全く無関係なのに疑われたわけではない。

 様々な冤罪事件があるが、全く関係がないのに「この地域で悪いやつをたたけ」と軒並み別件で取り調べて自白を強要するというような事件もある。一方、関係者の中で、警察が「思い込み」で容疑者を決めつけ、捜査が後戻りできないまま裁判まで至るというタイプもある。この事件は後者で、マイナリさんも重要参考人であるのは確かだが、「直接証拠」がどこにもない。全然逃げてないし、状況証拠にも有利な点がある。被害者の体内に別人の精液があれば、その別人Xを特定し取り調べるまで、マイナリさんを起訴できないはずだ。そんなあやうい事件だから、一審東京地裁は無罪だったけど、ほとんど審理しないまま、高裁で逆転有罪判決が出た。その段階で、今回の新鑑定があれば、有罪判決は書けなかったはずだ。だから、再審開始は、常識的な判断で、全く当然のことだと思う。

 ところで不思議なのは、どうして「被害者の体内の精液」のDNA鑑定が、事件当時(97年)に実施されなかったのかということだ。量的に少ないという事情もあるらしいが、全く理解できない。被害者は当日2時間前にまた別の知人と性交渉をしており、その別人はアリバイがあるという。その別人の精液と即断して、重きを置かなかったのではという観測もあるらしい。でも、間違ったDNA鑑定があった足利事件は1990年。鑑定しない方が不思議である。今回も、新鑑定が出てから、検察側は今まで出していなかった服装など様々な証拠を開示して、いっぱいDNA鑑定を行った。時間引き伸ばしで、全くアンフェアである。それらの新鑑定からも、全くマイナリさんのDNAは検出されず、かえってXと同型のものもあった。

 この事件については、被害者が不特定多数と性交渉を行うという行動があったことが知られている。生活のために売春するのではないので、「娼婦」と呼ぶわけにはいかない。この「特異な行動」がいろいろ関心を呼んだのは確かで、多くの小説やノンフィクションの材料となった。だから、警察も被害者の行動を丹念に追うことが難しく、「手近」なところに容疑者を求めてしまったと思う。しかし、捜査ミスは明らかだろう。

 一方、この事件名もどうかなと思う。「あの東電OL事件」でネパール人が起訴されたという話で、そのまま事件名になってしまった。支援会(無実のゴビンダさんを支える会)が「東電OL殺人事件」と呼んでいるので、一応今回はそう書いたが、新聞は「東電社員殺害」「東電女性殺害」などと言う書き方もしている。しかし本来勤務会社は関係ないし、「東電社員」という言葉はあるが「東電女性」というのもおかしいだろう。被害者が襲われた場所が事件につく場合もあるけど(帝銀事件、大森勧銀事件、日産サニー事件など)、多いのは地名か被告名だろう。被告名もホントはあんまりよくないと思う。「渋谷円山町事件」というのはどうか。

 一方、マイナリさんは「不法滞在」状態だったので、一審もその点は有罪判決で確定している。(懲役1年で執行猶予つき)。だから釈放されても、すぐに「シャバ」に出られず、入管に収容されて「強制退去」となる。それでは「再審」はどうなるのか、など全く初めてのケースである。そもそも外国人が再審を申し立てるなどと言うことは想定していなかっただろう。さて、請求人不在のまま、検察側は異議申し立てを続けていくのだろうか。
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