夜に円楽襲名披露に行く日、昼間は『ノー・アザー・ランドー故郷は他にない』という映画を見ていた。イスラエルが占領しているヨルダン川西岸地区を舞台にして、軍に村を破戒される人々を長い間にわたって見つめた記録映画である。2024年のベルリン映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞と観客賞を受賞し、米国アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞にノミネートされている。全米各地の映画賞で受賞しているが、アメリカでは一般公開されない状態が続いている。ベルリン映画祭でもイスラエル支持のドイツ政府筋から批判されたが、非常に力強い映像で批判を跳ね返して全世界で評価されている映画だ。
この映画の監督には4人がクレジットされている。パーセル・アドラー、ユヴァル・アブラハム、ハムダーン・バラール、ラヘル・ショールである。しかし、中心になっているのは最初の二人。ヨルダン川西岸地区にあるパレスチナ人の村マサーフェル・ヤッタはイスラエル軍の戦車訓練場と決められ、住民には退去命令が出される。住民たちはイスラエルの裁判所に訴えるが20年以上かかって結局最高裁で住民側敗訴となる。パーセルはその抵抗の様子をカメラで撮影し、ネット上に発信してきた。それに注目したイスラエル人のジャーナリスト、ユヴァル・アブラハムがやってきて、二人で協力して「決死の撮影」が開始される。
二人が行動を共にするところが撮影されているが、その画像を見てもどっちがどっちだか区別できないだろう。それは日本人だからではなく、お互いに誤認してテロの標的にする事件が起きるぐらい見た目の区別が難しいらしい。上記画像は左がパレスチナ人のパーセル、右がユダヤ人のユヴァルである。ユヴァルは自分が何者か説明する必要があるが、村人は「人権派とか?」というとユヴァルは「そんなもん」と答える。パレスチナ人の中にもそういうユダヤ人がいることは認識されているらしい。しかし、そのユダヤ人であることはイスラエル軍には全く通用しないし、軍の暴挙を止めることも出来ない。
イスラエル軍は日々やってきて、少しずつ村を破戒していく。小学校もブルドーザーでどんどん壊していく。驚くような現実が記録されている。もちろんこの間ガザ地区やレバノン南部で激しい空爆が行われ、街は破戒され尽した。そういう映像を見てきたわけで、それに比べれば爆弾を落としているわけではない。しかし「戦闘行為」として行われたガザなどと違い、ここは「基地建設」という目的である。戦後の沖縄や本土各地、あるいは足尾鉱毒事件の谷中村のようなもので、「国家権力」は全く住民の存在を無視して一つの村を破壊し尽す。反基地運動は日本でも行われているが、ここでは軍は「実弾」を使用するのである。
この村の抵抗は20年以上続いていて、その歴史は4人の監督のうち後ろの方の人々が撮りためてきた映像が使われている。昔若く抵抗の中心だった人々も高齢になり、若い世代が中心になる。カメラで撮れなくなると、スマホで撮って編集する。何年も撮影してきて、最後は2023年冬である。驚くべきことにその時は一面白の雪景色。パレスチナの地であんな風景もあるのか。イスラエル軍はいつ本当に発砲するか予測出来ず、撮影は覚悟なくして出来ない。そんな驚くべき貴重な映像が続く。日本でも南西諸島に自衛隊基地が集中して作られている。その様子を描く『戦雲』と構図は似ているが、さすがに日本では銃撃はされない。
ここが「イスラエルの占領地」だから、とりわけ人々の権利が保障されていない状況だと考えられる。1967年以来軍事占領下にあり、本来は占領中は許されない本国住民の「入植」が行われている。映像で見ると、軍と入植者は一体になって住民を攻撃している。この地は小高い丘にあり、周囲には岩穴がある。住民は穴居生活をしながら抵抗しているが、やはり全員というわけではなく、耐えきれなくなった人々はやはり一家で去って行くのである。
Wikipediaによると、ベルリン映画祭の受賞スピーチで、ユダヤ人監督のユヴァル・アブラハムはパレスチナ人の共同監督バゼルについて次のように述べた。 「私は文民法の下にあり、バーゼルは軍事法の下にある。私たちは互いに30分の距離に住んでいるが、私には選挙権がある。バーゼルには選挙権がない。私はこの土地で好きな場所に自由に移動できる。バーゼルは、何百万人ものパレスチナ人と同じように、占領されたヨルダン川西岸地区に閉じ込められている。私たちの間にあるこのアパルトヘイトの状況、この不平等を終わらせなければならない」と出ている。このスピーチをベルリン市長が「反ユダヤ的」と非難したらしい。しかし、この発言はユダヤ人によってなされたものなのである。実に大変な状況だということが察せられる。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます