毎月読んでる見田先生の本、8回目。全10巻だから、後2回である。もっとも、その後まだ真木悠介著作集が3冊残っているんだけど。今回は著作集第Ⅶ巻の『未来展望の社会学』である。先月は『宮沢賢治』だったから、とても面白かったし感動的だった。順番だから読んだけど、いやあ、今回は困った。全然判らないのである。今までも、判ったけどつまらない巻は前にもあった。でも、ここまで判らない本を読んだのは久しぶりだ。難しくて理解できないのである。
例えば、こんな感じ。「コミューンと最適社会」の「四 個体性・共同性・相乗性」の中から。(135ページ)
周知のように、ヘーゲルの疎外論にたいするマルクスの批判の核心は、ヘーゲルにおいて「疎外の止揚が、対象性の止揚と同一視されている」(「現象学のヘーゲル的構成」)ということにあった。
疎外論のサルトル的構成にあっては、疎外の止揚が多数性の止揚と同一視されている。多数性の止揚による疎外の止揚、これこそがまさに「溶融集団」の意味するところに他ならない。
それはもともとサルトルにおいて、他者性と相克性とが不可避にむすびついている結果、相克性の否定ということが、(「稀少性のわくの中では」!)他者性の否定と同一視されるからである。
ヘーゲルにおいては対象性はもともと仮象にすぎないのであって、この仮象の止揚がすなわち疎外の止揚に他ならない。すなわちそこでは、主体と対象世界とのいわば溶融が約束される。
サルトルはもちろんそのような、観念論的な装置を信じない。他者は厳然として他者である。したがってサルトルにおいて、他者性の解消にのみ疎外解消を求める要請と、他者性の解消が不可能であることの承認とのディレンマ、「ヘーゲル的な要請とマルクス的な真理の承認」との矛盾(キョーディ)が生まれる。(傍点省略)
いやあ、もう十分過ぎるぐらい引用したと思う。「キョーディ」なんて知らないけど、検索してみたら、『サルトルとマルクス主義』という本を書いたピエトロ・キョーディという人らしい。戦後フランスを席巻した哲学者、小説家、劇作家のジャン=ポール・サルトルは、1966年に伴侶のシモーヌ・ド・ボーヴォワールとともに来日して大歓迎を受けた。先のキョーディの本の邦訳は1967年に刊行されたとあるから、当時は多数の人に読まれたのではないか。サルトルは1964年のノーベル文学賞に選ばれたが、「作家は自分を生きた制度にすることを拒絶しなければならない」として受賞を拒否したことで知られている。
(来日したサルトルとボーヴォワール)
先の論文「コミューンと最適社会」は、筑摩書房から出ていた雑誌「展望」の1971年2月号が初出だと出ている。当時はサルトルの「実存主義」が一番影響を持っていた頃で、僕も高校時代に『実存主義とは何か』を読んだ記憶がある。サルトルがマルクス主義をどのように考えていたか、当時は大きな関心の的だっただろう。この論文ではサルトルの『弁証法的理性批判』(1960)という、今ではあまり取り上げられない本を批判的に紹介してコミューンに関して論じている。
見田宗介氏は「社会学者」だから、今まで読んだ巻では何かのデータをもとに論を立てている。しかし、このⅦ巻は違っていて、「理論」だけなのである。そういう論文は真木悠介名義で書かれることが多く、実際先に引用した論文も真木悠介『人間解放の理論のために』として刊行された。真木悠介著作集には収録されず、収録論文が見田宗介著作集の方に入っている。それはどうでもいいことだけど、半世紀前はこんな難しい論文を読んでいたのかと驚くしかない。まあ、読んでる方も理解できるはずがないだろう。ただ「何か」が伝わったということである。
それは「コミューン」を「最適社会」と比べて論じるという問題意識にある。60年代末から70年代初頭の「反乱の季節」には、それは多くの人が関心を持つテーマだった。最後に収録されている論文は、この論文を受けて書かれている「交響圏とルール圏」。それらは「皆が今より幸せに生きられる社会」を構想するときに、「自由」を最大限に重視すれば「独占資本主義」になり、一方で「平等」を重視しようとすればエリート独裁の自由なき「スターリン主義」になる。そのどちらでもない道はあり得るかという問いである。その理論的検討は70年前後には現実的関心事であっただろう。
でもドラマ性がない文章はもう僕には関心がない。やはり自分は「歴史」の方なのである。理論的な関心ももともと薄くて、現代思想とか哲学なんかの本は全然読んでない。著者もその後の『気流の鳴る音』をきっかけに、文章も思考もスタイルが変わっていったということだろう。今の僕にとっても、このような「理論」編に関心はない。現実に存在する「性的マイノリティ」とか「ヤング・ケアラー」などの課題は、「コミューン」という方向性からは解けないと思う。もちろん「共産主義社会が実現さえすれば、人間社会の矛盾はすべて解決される」なんて官僚的発想をしていれば別だが。世界に存在する個別のアポリア(解決のつかない難問)を一発で解ける方程式なんか世界には存在しない。
例えば、こんな感じ。「コミューンと最適社会」の「四 個体性・共同性・相乗性」の中から。(135ページ)
周知のように、ヘーゲルの疎外論にたいするマルクスの批判の核心は、ヘーゲルにおいて「疎外の止揚が、対象性の止揚と同一視されている」(「現象学のヘーゲル的構成」)ということにあった。
疎外論のサルトル的構成にあっては、疎外の止揚が多数性の止揚と同一視されている。多数性の止揚による疎外の止揚、これこそがまさに「溶融集団」の意味するところに他ならない。
それはもともとサルトルにおいて、他者性と相克性とが不可避にむすびついている結果、相克性の否定ということが、(「稀少性のわくの中では」!)他者性の否定と同一視されるからである。
ヘーゲルにおいては対象性はもともと仮象にすぎないのであって、この仮象の止揚がすなわち疎外の止揚に他ならない。すなわちそこでは、主体と対象世界とのいわば溶融が約束される。
サルトルはもちろんそのような、観念論的な装置を信じない。他者は厳然として他者である。したがってサルトルにおいて、他者性の解消にのみ疎外解消を求める要請と、他者性の解消が不可能であることの承認とのディレンマ、「ヘーゲル的な要請とマルクス的な真理の承認」との矛盾(キョーディ)が生まれる。(傍点省略)
いやあ、もう十分過ぎるぐらい引用したと思う。「キョーディ」なんて知らないけど、検索してみたら、『サルトルとマルクス主義』という本を書いたピエトロ・キョーディという人らしい。戦後フランスを席巻した哲学者、小説家、劇作家のジャン=ポール・サルトルは、1966年に伴侶のシモーヌ・ド・ボーヴォワールとともに来日して大歓迎を受けた。先のキョーディの本の邦訳は1967年に刊行されたとあるから、当時は多数の人に読まれたのではないか。サルトルは1964年のノーベル文学賞に選ばれたが、「作家は自分を生きた制度にすることを拒絶しなければならない」として受賞を拒否したことで知られている。
(来日したサルトルとボーヴォワール)
先の論文「コミューンと最適社会」は、筑摩書房から出ていた雑誌「展望」の1971年2月号が初出だと出ている。当時はサルトルの「実存主義」が一番影響を持っていた頃で、僕も高校時代に『実存主義とは何か』を読んだ記憶がある。サルトルがマルクス主義をどのように考えていたか、当時は大きな関心の的だっただろう。この論文ではサルトルの『弁証法的理性批判』(1960)という、今ではあまり取り上げられない本を批判的に紹介してコミューンに関して論じている。
見田宗介氏は「社会学者」だから、今まで読んだ巻では何かのデータをもとに論を立てている。しかし、このⅦ巻は違っていて、「理論」だけなのである。そういう論文は真木悠介名義で書かれることが多く、実際先に引用した論文も真木悠介『人間解放の理論のために』として刊行された。真木悠介著作集には収録されず、収録論文が見田宗介著作集の方に入っている。それはどうでもいいことだけど、半世紀前はこんな難しい論文を読んでいたのかと驚くしかない。まあ、読んでる方も理解できるはずがないだろう。ただ「何か」が伝わったということである。
それは「コミューン」を「最適社会」と比べて論じるという問題意識にある。60年代末から70年代初頭の「反乱の季節」には、それは多くの人が関心を持つテーマだった。最後に収録されている論文は、この論文を受けて書かれている「交響圏とルール圏」。それらは「皆が今より幸せに生きられる社会」を構想するときに、「自由」を最大限に重視すれば「独占資本主義」になり、一方で「平等」を重視しようとすればエリート独裁の自由なき「スターリン主義」になる。そのどちらでもない道はあり得るかという問いである。その理論的検討は70年前後には現実的関心事であっただろう。
でもドラマ性がない文章はもう僕には関心がない。やはり自分は「歴史」の方なのである。理論的な関心ももともと薄くて、現代思想とか哲学なんかの本は全然読んでない。著者もその後の『気流の鳴る音』をきっかけに、文章も思考もスタイルが変わっていったということだろう。今の僕にとっても、このような「理論」編に関心はない。現実に存在する「性的マイノリティ」とか「ヤング・ケアラー」などの課題は、「コミューン」という方向性からは解けないと思う。もちろん「共産主義社会が実現さえすれば、人間社会の矛盾はすべて解決される」なんて官僚的発想をしていれば別だが。世界に存在する個別のアポリア(解決のつかない難問)を一発で解ける方程式なんか世界には存在しない。
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