「ゆとり教育」問題は何とかこれでオシマイにしたい。「『ゆとり教育』で学力は低下したのか」などという問題も残っているが、それはいずれ「学力論」として取り上げたい。部活論、英語教育論など書くべきテーマは多いけど、映画や本、時事問題もたまっているので、この後は少しそっちを。
さて、かつて評論家・斎藤貴男氏の著書「機会不平等」(2000、文藝春秋)が「前教育課程審議会会長」の三浦朱門氏の次のような言葉を紹介して大きな衝撃を与えたことがある。教育課程審議会というのは、今は中教審に統合されているが、かつて文部省にあった審議会である。「ゆとり教育」というのも、そこで審議されて導入されたものである。
「学力低下は予測し得る不安と言うか、覚悟しながら教課審をやっとりました。いや、逆に平均学力が下がらないようでは、これからの日本はどうにもならんということです。つまり、できん者はできんままで結構。戦後五十年、落ちこぼれの底辺を挙げることにばかり注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです。」(40p)
刊行当時に読んだとき、この意味は完全には判らなかった。表面的意味は判るけれど、本当に「ゆとり教育」は「英才教育」のためのものなのか。それに、戦後教育は底辺アップに労力を注いできたというのも、誤解と言うか、言いがかりのようなものだ。だけど、その後の展開を見るにつけ、ここで三浦朱門が述べていたことが気にかかるのである。その後、文科省レベルの政策としては、「脱ゆとり」に転換したとされるけれど、「総合教育」がそのまま残っているように、どういう意図か理解しがたいことが多い。現在の教育のあり方を理解するためには、この問題を考える必要がある。
ところで、日本の義務教育(小学校の初等教育、中学校の前期中等教育)は、「次代の国民すべてが身に付けておくべき水準」などではなかった。もし学校の勉強内容が全国民が身に付けるべきものなら、義務教育では落第がない理由が判らない。小中の成績が「1」でも進級できるんだから、学校の勉強は全員が判らなくていいのである。そして、かつては「相対評価」を付けていたんだから、必ず誰かに「1」が付く。「1」を付けるべき児童・生徒がいないと、学校は成立しない。
相対評価というのは、ある程度の規模の集団では、学力が「正規分布」をすると考えるものである。平均点レベルが一番多く、高学力、低学力になるほど少なくなる。横軸に点数、縦軸に人数を入れてグラフを作ると、「富士山型」になる。それをベースに、高い方から「5」「4」「3」「2」「1」と5段階で付ける。校内の成績には多少違うやり方をしていたところもあるだろうが、高校受験に使う成績は「厳密な相対評価」だった。(東京では中学校長が集まって、各校の成績と人数が一致するかどうか厳密に審査し、合格した「成績一覧表」を高校に提出していた。)
これは「学校は地域の子どもをすべて受け入れる」ということを前提にしている。地域の中には、学力が高い者もいれば低い者もいるけど、おおよそは真ん中レベルだろうということだ。現実には、日本の様々な地域には、貧富の格差があったわけだが、大学進学者が数少ない時代にはそれでいいのである。村の小学校で各学級の級長レベルが、旧制中学、旧制高校とふるいにかけられていき、最後に帝国大学に進む。エリート選抜なんだから、相対評価と一発勝負のトーナメントで良かったのである。「もっと日常のがんばりを評価するべきだ」とか、誰もそんなことは考えなかった。
戦後の高度成長時代が終わると、高校はほとんどの者が進学するようになり、大学へ進む者も多くなった。高校は1974年に90%を超え、大学(4年制と短大)は90年代初期に40%、21世紀初頭に50%超えた。つまり、中学生全員が「高校入試」に関わり、高校生の半数が「大学入試」に関わるわけである。それでは、第二次ベビーブーム世代が高校に入学した1980年代後半から90年代にかけて、中学が大変だったのも当然である。いじめ、校内暴力、登校拒否(当時は「不登校」ではなく、「登校拒否」と呼ばれた。これは「本人が拒否している」と捉えるバイアスがかかったイデオロギー用語である)などという言葉がマスコミに登場した。「このままでいいのか」と多くの人が憂慮し、それが「ゆとり教育」につながったと当時理解されたのも当然だろう。
だけど、現実には80年代の中曽根内閣による「臨時教育審議会」(臨教審)にあるように、「教育の複線化」、中高一貫校や「特色ある高校つくり」が進められる。「ゆとり教育」期を通して、「学校の階層化」が進行していったのである。つまり、ほとんど全員が行く高校は、様々なタイプの高校に変えていく。その中には成績優良者向けのものもあってよい。
そのためには、学校の評価方法も変えないといけない。そうしないと東京など大都市部で行われている、義務教育における「学校選択制」は成立できない。学校選択制では、義務教育学校が地域の子どもを集めるのではなく、「教育の消費者」(親)が学校という「教育商品」を選ぶのである。その時に学校が相対評価を行っているなら、「(将来の入試のために)自分の子どもの成績をよくしたい」と考える親は、むしろ「レベルが低い」と地域でみなされた学校を選ぶ方が合理的である。周囲の生徒の成績が悪ければ、できる子は他の学校より高い成績を得やすい。
だから、成績評価を「絶対評価」に変えないと、「競争的教育制度」は成り立たないのである。「絶対評価」なら、できる子ばかりが集まった学校でも、到達度を見て評価するんだから、全員が5か4でも構わない。だけど、あまりにも多くの内容を詰め込んだカリキュラムだと、「できない子」は付いていけない。「詰め込み教育」だと、限られた学校の授業時間では、成績にばらつきが出る方が自然である。それなら「相対評価」した方が生徒を評価するときに役に立つだろう。
そこで「教育内容を3割削減する」、そして「全員が理解できる授業を行う」、そうすれば「絶対評価じゃないと評価できない」。全員が判っているんなら、誰にも「1」を付けられない。そういうロジックで、「ゆとり教育」が「教育階層化」をもたらすわけである。その後、カリキュラムや授業時間数が変わっても、この「評価方法」は変わらない。教育は「地域の子どもを育てる」という理念よりも、「できる子は伸ばし」、「できない子には楽しく」という「個性化」に変わったのである。
これは「グローバル化」の中で、国家社会にとって必要とされる人材が変わったことの反映だろう。だからこそ、「ゆとり体制」の中で「英語重視」が進められた。今後、中学でも英語で英語授業を行うなど、大変な苦労が起きてくる。「できない子」には苦痛でしかない。どんなカリキュラムにしても、家庭状況や生徒の能力は多様だから、全員ができる学校なんか存在しない。成績優良者を集めた学校はいいかもしれないが、成績が低い者が多い学校は大変なことになる。最近のニュースを見ていると、早くも昔の「不良少年」のような60、70年代的な事件が起き始めている感じがする。このままでは、学校で抱えていけない子どもたちが大量に生まれる予感がしてしまうのである。
さて、かつて評論家・斎藤貴男氏の著書「機会不平等」(2000、文藝春秋)が「前教育課程審議会会長」の三浦朱門氏の次のような言葉を紹介して大きな衝撃を与えたことがある。教育課程審議会というのは、今は中教審に統合されているが、かつて文部省にあった審議会である。「ゆとり教育」というのも、そこで審議されて導入されたものである。
「学力低下は予測し得る不安と言うか、覚悟しながら教課審をやっとりました。いや、逆に平均学力が下がらないようでは、これからの日本はどうにもならんということです。つまり、できん者はできんままで結構。戦後五十年、落ちこぼれの底辺を挙げることにばかり注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです。」(40p)
刊行当時に読んだとき、この意味は完全には判らなかった。表面的意味は判るけれど、本当に「ゆとり教育」は「英才教育」のためのものなのか。それに、戦後教育は底辺アップに労力を注いできたというのも、誤解と言うか、言いがかりのようなものだ。だけど、その後の展開を見るにつけ、ここで三浦朱門が述べていたことが気にかかるのである。その後、文科省レベルの政策としては、「脱ゆとり」に転換したとされるけれど、「総合教育」がそのまま残っているように、どういう意図か理解しがたいことが多い。現在の教育のあり方を理解するためには、この問題を考える必要がある。
ところで、日本の義務教育(小学校の初等教育、中学校の前期中等教育)は、「次代の国民すべてが身に付けておくべき水準」などではなかった。もし学校の勉強内容が全国民が身に付けるべきものなら、義務教育では落第がない理由が判らない。小中の成績が「1」でも進級できるんだから、学校の勉強は全員が判らなくていいのである。そして、かつては「相対評価」を付けていたんだから、必ず誰かに「1」が付く。「1」を付けるべき児童・生徒がいないと、学校は成立しない。
相対評価というのは、ある程度の規模の集団では、学力が「正規分布」をすると考えるものである。平均点レベルが一番多く、高学力、低学力になるほど少なくなる。横軸に点数、縦軸に人数を入れてグラフを作ると、「富士山型」になる。それをベースに、高い方から「5」「4」「3」「2」「1」と5段階で付ける。校内の成績には多少違うやり方をしていたところもあるだろうが、高校受験に使う成績は「厳密な相対評価」だった。(東京では中学校長が集まって、各校の成績と人数が一致するかどうか厳密に審査し、合格した「成績一覧表」を高校に提出していた。)
これは「学校は地域の子どもをすべて受け入れる」ということを前提にしている。地域の中には、学力が高い者もいれば低い者もいるけど、おおよそは真ん中レベルだろうということだ。現実には、日本の様々な地域には、貧富の格差があったわけだが、大学進学者が数少ない時代にはそれでいいのである。村の小学校で各学級の級長レベルが、旧制中学、旧制高校とふるいにかけられていき、最後に帝国大学に進む。エリート選抜なんだから、相対評価と一発勝負のトーナメントで良かったのである。「もっと日常のがんばりを評価するべきだ」とか、誰もそんなことは考えなかった。
戦後の高度成長時代が終わると、高校はほとんどの者が進学するようになり、大学へ進む者も多くなった。高校は1974年に90%を超え、大学(4年制と短大)は90年代初期に40%、21世紀初頭に50%超えた。つまり、中学生全員が「高校入試」に関わり、高校生の半数が「大学入試」に関わるわけである。それでは、第二次ベビーブーム世代が高校に入学した1980年代後半から90年代にかけて、中学が大変だったのも当然である。いじめ、校内暴力、登校拒否(当時は「不登校」ではなく、「登校拒否」と呼ばれた。これは「本人が拒否している」と捉えるバイアスがかかったイデオロギー用語である)などという言葉がマスコミに登場した。「このままでいいのか」と多くの人が憂慮し、それが「ゆとり教育」につながったと当時理解されたのも当然だろう。
だけど、現実には80年代の中曽根内閣による「臨時教育審議会」(臨教審)にあるように、「教育の複線化」、中高一貫校や「特色ある高校つくり」が進められる。「ゆとり教育」期を通して、「学校の階層化」が進行していったのである。つまり、ほとんど全員が行く高校は、様々なタイプの高校に変えていく。その中には成績優良者向けのものもあってよい。
そのためには、学校の評価方法も変えないといけない。そうしないと東京など大都市部で行われている、義務教育における「学校選択制」は成立できない。学校選択制では、義務教育学校が地域の子どもを集めるのではなく、「教育の消費者」(親)が学校という「教育商品」を選ぶのである。その時に学校が相対評価を行っているなら、「(将来の入試のために)自分の子どもの成績をよくしたい」と考える親は、むしろ「レベルが低い」と地域でみなされた学校を選ぶ方が合理的である。周囲の生徒の成績が悪ければ、できる子は他の学校より高い成績を得やすい。
だから、成績評価を「絶対評価」に変えないと、「競争的教育制度」は成り立たないのである。「絶対評価」なら、できる子ばかりが集まった学校でも、到達度を見て評価するんだから、全員が5か4でも構わない。だけど、あまりにも多くの内容を詰め込んだカリキュラムだと、「できない子」は付いていけない。「詰め込み教育」だと、限られた学校の授業時間では、成績にばらつきが出る方が自然である。それなら「相対評価」した方が生徒を評価するときに役に立つだろう。
そこで「教育内容を3割削減する」、そして「全員が理解できる授業を行う」、そうすれば「絶対評価じゃないと評価できない」。全員が判っているんなら、誰にも「1」を付けられない。そういうロジックで、「ゆとり教育」が「教育階層化」をもたらすわけである。その後、カリキュラムや授業時間数が変わっても、この「評価方法」は変わらない。教育は「地域の子どもを育てる」という理念よりも、「できる子は伸ばし」、「できない子には楽しく」という「個性化」に変わったのである。
これは「グローバル化」の中で、国家社会にとって必要とされる人材が変わったことの反映だろう。だからこそ、「ゆとり体制」の中で「英語重視」が進められた。今後、中学でも英語で英語授業を行うなど、大変な苦労が起きてくる。「できない子」には苦痛でしかない。どんなカリキュラムにしても、家庭状況や生徒の能力は多様だから、全員ができる学校なんか存在しない。成績優良者を集めた学校はいいかもしれないが、成績が低い者が多い学校は大変なことになる。最近のニュースを見ていると、早くも昔の「不良少年」のような60、70年代的な事件が起き始めている感じがする。このままでは、学校で抱えていけない子どもたちが大量に生まれる予感がしてしまうのである。
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