尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

小杉勇監督の日活アクション

2013年01月31日 00時51分49秒 |  〃  (旧作日本映画)
 「日活100年」特集で日活やフィルムセンターの選定にも入ってない作品が神保町シアターで何本か上映されている。この中に小杉勇監督作品が3本入っている。僕は小杉勇が監督した作品を一本も見たことがない。というか、監督していたことも知らなかった。と言っても、小杉勇と言われても判らない人が多いと思うが、戦前の日活映画で活躍した名優である。
(小杉勇)
 小杉勇(1904~1983)は、戦前の日活で内田吐夢監督などの「傾向映画」に出て認められた。「傾向映画」とは「左翼的傾向のある映画」である。その後30年代後半に「人生劇場」「真実一路」「路傍の石」などの文芸作品で活躍。さらに日中戦争下に戦争映画「五人の斥候兵」「土と兵隊」で有名になった。

 代表作は、内田吐夢監督が長塚節の名作を映画化した「土」(1939)だろう。また内田吐夢監督の「限りなき前進」(1937)はリストラされ狂気におちいる会社員を描いている。この映画は長く見られなかったが、かなりフィルムが欠落しているものの最近フィルムセンターで修復版が作成された。同年の「新しき土」は日独合作で、原節子主演で最近リバイバルされたが、これも小杉主演。こういう風に戦前、戦中の文芸映画、戦争映画で中心的な活躍をしていた俳優が小杉勇だったのである。

 その人が戦後は多くの映画を監督していた。ウィキペディアでは5本程度しか出ていないが、もっと調べるとものすごく数が多い。「名寄岩 涙の敢闘賞」「チャンチキおけさ」「東京五輪音頭」など、見てみたいような、見なくてもいいような題名が並んでいる。「刑事物語」「機動捜査班」というシリーズが多。添え物の刑事映画である。今回見た「狂った脱獄」(1959)も52分の中編で、東映実録映画みたいな題名だが、中身は小杉本人が人情警官を演じる人情刑事ドラマだった。光と影を生かした安定した娯楽作で、古い感じだけど面白い。主演の岡田真澄は後年はスターリンみたいな貫録になったが、この映画では琴欧洲みたいな感じの青年である。

 日活アクションに関しては、渡辺武信「日活アクションの華麗な世界」という名著がある。小杉監督、宍戸錠主演の「抜き射ち風来坊」(1962)、「あばれ騎士道」(1965)の名前は出てくるが、ほとんど記述がない。その扱いは不当とは言えないだろう。日活は石原裕次郎に加え、小林旭がスターとなり、そこに「第三の男」赤木圭一郎が登場した。しかし裕次郎が1961年にスキー事故で長期離脱を余儀なくされ、61年2月21日に赤木圭一郎が事故死した。

 そのためスターがいなくなり、苦肉の策で宍戸錠、二谷英明を主演スターに格上げした。裕次郎復帰後、二谷はアクション映画の助演に戻るが、錠は独自のハードボイルド系の主演作が時々つくられた。今回見た小杉監督作品は、いずれも日活のスターシステム上はB面の企画にあたる宍戸錠主演映画である。「抜き射ち風来坊」は、この頃かなり作られている韓国の李承晩ラインによる「日本漁民の不法抑留問題」が背景にある。鈴木清順の「密航0(ゼロ)ライン」は対馬の海上保安官を描き、今井正の「あれが港の灯だ」は社会派映画で描いた。きっとまだあるに違いない。

 いくら何でも抑留日本人が脱走するとバンバン銃撃してくるのはおかしいが、錠は金子信雄に裏切られて、韓国に置き去りにされる。そこで日本人の母親を持つ梨花(松原智恵子)に助けられる。3年たって、復讐を誓う錠と母を探す松原は日本に密航してくる。そして東京の海運会社で社長に成りあがった金子と、麻薬を扱う組織が仕切るクラブでドラマが繰り広げられる。このクラブは例によって日活風の無国籍空間である。日活アクション恒例の手順で話が進み、破たんがなくスラスラ見られる。小杉監督は安定した娯楽作品を作ることにおいては、なかなかの手腕である。韓服姿の松原智恵子がクラブでトラジを歌う忘れがたき名場面もある。

 「あばれ騎士道」も錠と智恵子の競演。錠の弟、郷瑛治も出ている。そして何より、渡哲也の初出演映画で、クレジットに「新人」と出るのも初々しい。この映画では多くの映画でガンマンを演じてきた錠が国際的オートレーサーである。今帰国するところだが、弟の渡哲也もレーサー。父の警官が殺された事件の解決をめぐって、あれこれするが、レーサーという設定がほとんど生きていない。
(「あばれ騎士道」)
 香港から来た踊り子ナンシーを水谷良重を演じている。今は「二代目水谷八重子」となって新派の女優というイメージしかないが、若い時は歌手、ミュージカルなどでも活躍。映画にもずいぶんたくさん出ている。この映画では、ダンスと歌を披露し、いつもは藤村有宏や小沢昭一がしゃべっている怪しげな中国人風日本語をしゃべりまくっている。そういうシーンもある変な映画だ。鈴木清順のように自分の美学にこだわらない。戦前の名優が単なる娯楽作品をそつなく作っていた。
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相米慎二-水と再生の映画作家

2013年01月30日 01時19分40秒 |  〃  (日本の映画監督)
 渋谷のユーロスペースで相米慎二(そうまい・しんじ、1948~2001)の特集、「甦る相米慎二」をやっている。前から大好きな映画監督だったけれど、この2年ほどの間に遺された13本のすべての映画を見直すことができた。今見ても、つまらない作品、時代の流れの中で風化した作品が一つもない。今でも心の奥深くを刺激する傑作ぞろいだ。
(相米慎二監督)
 存命中から相米慎二は80年代以後の日本映画で最重要の映画作家だと思っていた。タルコフスキーやユルマズ・ギュネイと同じく、そういう監督に限って早逝する。それにしても、まだ50代前半で亡くなるとは思ってもみなかった。「ションベン・ライダー」「夏の庭」「風花」の3作は、自分のベストテンで1位だった作品。だが、それはめぐり合わせで、「台風クラブ」「お引越し」が最高傑作だろう。

 公開当時ホームドラマ風の作りが性に合わなかった「あ、春」も、今見直すと丁寧なつくりで生と死を描き切った名品だ。ロマン・ポルノの「ラブホテル」も実によくできている。かつては失敗作としか思えなかった「光る女」は、壮大なセットに繰り広げられる運命のドラマが見る者を魅了する怪作だ。黒澤明における「白痴」のように、やがて「映画史に残る偉大な失敗作」とみなされるのではないか。
 (「お引越し」)
 「翔んだカップル」を除き、すべての作品が「水への偏愛」に満ちている。「」と「」が多いが、「魚影の群れ」の大間の海、「台風クラブ」の台風襲撃など大量の水が出てくる。「ションベン・ライダー」「ラブホテル」「雪の断章」「光る女」「お引越し」「夏の庭」など、川や海、雨が物語が進展させていく構造になっている。タルコフスキー、テオ・アンゲロプロスと並ぶ「水映画の三大巨匠」と言うべきだ。

 水は常に流れゆくものであり、登場人物のドラマを動かしやすい。カメラに映えるので映画の背景にもってこいだ。だけど相米映画にあっては、水はもっと神話的な相貌を持っている。日本では、水はかなり凶暴な存在だ。台風、集中豪雨や津波で多くの人命を奪ってきた。一方、人体の大部分は水であり、生命は水から誕生したし、古代文明も川から生まれた。水は人間存在の源泉であり、命を奪う恐るべき存在である。この水の両義性こそが相米映画に必然的に必要とされてくると思う。

 相米映画を貫くテーマとはなんだろうか。それは「イニシエーションの映画」「死と再生を描く映画」である。イニシエーションというのは、人類学で「通過儀礼」と訳される。人間がもう一歩次の段階に上がるときに必要とされる儀式のことである。例えばアフリカの狩猟民族では、ある年齢に達した少年が初めて狩りに参加するときに苛酷な任務を課す。それを達成すれば大人の仲間入りが集団内で承認されるわけである。昔の武士には「元服」があったが、今はそういう儀式がない。

 実質的には、入試や「就活」が「通過儀礼に近い役割」を果たしているかもしれない。しかし、試験は勉強すれば通過できてしまう。「風花」の主人公の高級官僚(浅野忠信)は、「酒乱の反対」と言われてしまう人物で、普段は「性格が悪い」のに酒が入ると人付き合いがよくなる。酒におぼれて失敗するが、そういう性格でも国家公務員になれてしまう。その後の「失敗」で人生を失うような経験をするが、その「失敗」こそが真の通過儀礼だったと言えるだろう。
(「風花」)
 現代社会では大抵のことは許されてしまう。「通過儀礼」の意味を持つものが少ない。しかし、人間は必ず死ぬから、自分自身や家族の大病や死という体験を避けることはできない。そういう体験を通し、自分を見つめ家族のつながりを再確認することが多い。相米映画はそのような意味での、自分や家族の死を見つめ、自己を取り戻し生き直す様子がテーマになっている。

 「死を見つめること」それ自体がテーマなのが「夏の庭」や「東京上空いらっしゃいませ」である。「ラブホテル」「あ、春」「風花」も身近な死(自殺願望)を通して、自己再生を描く。「魚影の群れ」は、結婚を認めてもらうために女の父親に弟子入りしてマグロ漁師になろうとする青年を描くが、このマグロ漁こそ人生のイニシエーションそのものだ。自己の生命をかけて「通過儀礼」に挑む青年の姿を描く、現代日本のイニシエーション映画の傑作である。今回参考上映された「朗読紀行 月山」は「風花」後にNHKハイビジョンのために作られた真の「遺作」で、森敦の「月山」を柄本明が朗読する。「月山」を朗読するということで、まさに「死と再生」が相米映画に通底するテーマだったことが判る。
 (「夏の庭」)
 「台風クラブ」で台風襲撃のため学校に閉じ込められた中学生たち、「お引越し」の両親の離婚に納得できない少女。いずれの場合も「一夜の彷徨」が描かれるが、それは「通過儀礼」の暗喩と言える。いったん死に近い体験をして、そこを通り越して再生する姿を描く構造は共通している。直接的な死を描かない分、象徴としての台風の祝祭性両親の不和に悩む少女の苦悩の造形が際立っている。この二つの映画が相米映画の中でも飛び抜けた傑作となったのは、その象徴の力にあるだろう。中学生のダンスやさまよう少女が現代の神話のように、いつまでも忘れられないイメージを残し続ける。

 相米映画と言えば、方法的には「長回し」と「ロング・ショット」だが、中には「方法のための方法」となっている場合もある。「雪の断章」の冒頭などは、アイドル映画に仕掛けた作家性と言える。成功失敗というレベルで評価しても意味がない。これが「相米印」だと楽しんで見る以外にない。僕が初めて相米映画の特質を楽しんで見たのは「ションベン・ライダー」だった。中学生の誘拐という「ひと夏の冒険」を描いたこの作品も、やはり「一種の通過儀礼」だった。初めて自分の世界を描き切る楽しさを満開させた映画だったろう。永瀬正敏らが子役で出ているが、「無名の子役」をたくさん使った、「水」や「長回し」への偏愛があふれた快作である。僕はその偏向性を愛してその年のベストワンにした。

 相米監督はその前に薬師丸ひろ子の2作、「翔んだカップル」と「せーラー服と機関銃」を作った。有名マンガの映画化「翔んだカップル」は、新人監督によるアイドル映画として作られ、公開後にアイドル映画を超えた面白さだと評判になった。僕も新しい作家の誕生だと思った。男子高校生が大家、同級生の可愛い子が店子で「同棲」してるという設定の奇抜さ。今見ると親が全く登場しないし現実性皆無のファンタジーだが、若かった僕にはとっても刺激的なシチュエーションだった。見直したら薬師丸ひろ子と「同棲」しても、公開当時の衝撃性はなくなったかなと思った。
(「翔んだカップル」)
 「セーラー服と機関銃」もアイドル映画の大ヒット作だが、当時はその大ヒットに目がくらんで作品性を過小評価したように思う。今見ると、相米の「やりすぎ演出」がいっぱいで面白い。「雨」の使い方、父の死をめぐる謎を追い成長する少女という構造など、相米映画の特徴を初めて知らしめた映画。

 「台風クラブ」が第一回東京国際映画祭でヤングシネマ大賞を受賞して、その賞金で「光る女」が作られた。予算があったからか、船に作られた秘密クラブのセットがすごい。主役を演じるプロレスラー武藤敬司秋吉満ちる(現Monday満ちる、秋吉敏子の娘)のセリフが棒読みで、当時は豪華なセットで遊んでいるみたいに感じた。今見ると、時代の空気のようなものが相対化され、シロウトのセリフもあまり違和感がない。ご両人もその後活躍しているようで、若い時の記念碑的な映画になったかもしれない。北海道から幼なじみの少女を見つけに来た熊のごとき大男の「東京物語」。現実性のない物語が展開されるところこそが、「現代の神話」の感じである。今後の再評価が望まれる作品。
(「光る女」)
 93年に「お引越し」、94年に「夏の庭」という、関西を舞台にした児童文学の映画化作品が読売テレビ製作で作られた。いずれも子どもをテーマにした傑作だ。その後は、98年の「あ、春」、01年の「風花」と2作しか作れなかった。最後の2本はカットも多く、ホームドラマやロードムービーの普通の映画っぽい感触になっている。(「あ、春」は唯一のベストワンに輝いた。)相米監督も、方法を前面に出すのではなく、大人を相手にじっくり演出する段階になったのかと思った。だが、「死を見つめて、再生する」というテーマそのものは全く同じである。しかし「出来のいい映画」より、もう少し「破天荒」なエネルギーを発散するのが「真の映画」だと考える。その意味で、僕は「あ、春」よりも、やはり「台風クラブ」の方が好き。

 多くの子役、少女俳優をしごいて、今も代表作になるような映画を残した。大人にとっても、三浦友和のように相米映画に出たことで新しい段階に進んだ俳優もいる。笑福亭鶴瓶を最初に主役で使ったのも相米監督。「東京上空いらっしゃいませ」を見ると、その若さに驚く。「台風クラブ」の工藤夕貴、「お引越し」の田畑智子の若き日の姿も相米映画で永遠に残された。「魚影の群れ」の夏目雅子も、夭折した名女優の代表作の一本。今見ても、どの映画も素晴らしい。「死と再生」の相米映画作品群こそは、「3・11」後の今、再発見されるべきだ。世界でもエジンバラ映画祭、ナント3大陸映画祭などで全作品が上映され、世界の相米が発見されつつある。なお、「台風クラブ」は別に前に書いた。
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映画「最初の人間」

2013年01月26日 23時44分13秒 |  〃  (新作外国映画)
 ユーロスペースでやってる相米慎二監督特集で「セーラー服と機関銃」を公開以来30数年ぶりに見た。相米監督についてはまた別に書きたいが、角川とのコラボで大ヒットしたアイドル映画だから、当時はこのとんでもない撮影を批判的に見てしまった。それはともかく、この映画では、海外での仕事が多い主人公の父親がよく歌っていた歌として「カスバの女」が印象的に使われていた。

 「ここは地の果てアルジェリア どうせカスバの夜に咲く…」
 1955年の歌らしいが、60年代末から70年代にかけていろいろな歌手に歌われた。当時の気分に会っていた。でも日本人はこの歌で「アルジェリアは地の果て」と思ってしまったかもしれない。世界で一番使われている太平洋の真ん中で切る世界地図を見れば判るように、アルジェリアは地の果てでは全くなく、古代から栄えた地中海世界の一部である。「地の果て」というのにふさわしいのは、実はわが日本国である。あのころはそんな世界の常識も判っていなかった。

 さて、26日は新文芸坐の若尾文子トークショーに行ったら満員で入れず、岩波ホールの「最初の人間」に行った。原作はアルベール・カミュの遺作で、1960年に自動車事故で亡くなった時にカバンにあったという。家族が長く出版を認めず、1994年にフランスで出版されベストセラーになった。邦訳も出ているが、今回映画公開に当たり文庫化された。カミュは中学時代にほとんど読んでしまったので、この作品は未読。カミュの映画化には、ヴィスコンティの「異邦人」があるが、今回の「最初の人間」もイタリアの名匠、ジャンニ・アメリオが監督している。イタリア・アルジェリア合作。
 

 もともと見るつもりで岩波ホールの会員チケットを買ってあったが、今はちょっと違う意味がこの映画に加わってしまった。「アルジェリアでテロを考える」と言うテーマ。この映画は、まさに独立戦争中のアルジェリアでテロに遭遇する姿を描いている。フランス植民者の右翼からも、アラブ人の独立派からも孤立しながら、「人間の尊厳」を求め続ける作家の姿が描かれている。作家のコルムリは父親が第一次大戦で戦死し、母親は今もアルジェリアで貧困の中で生活している。1957年のこと、久しぶりにアルジェリアの母親を訪れたコルムリは、母に会う前に大学の講演会に引っ張り出され、アラブ人との平和を訴えると会場は騒然となる。こうしてフランスへの独立闘争中のアルジェリアの騒然とした社会が再現されるとともに、コルムリの少年期の体験も語られていく。

 アラブ人の「幼友達」とは決して仲が良かったわけではないが、彼の息子が今フランス軍に逮捕され処刑の危機にあると聞き、救援に乗り出す。カスバの迷路のような世界の描写が生きている。しかし、結局息子はギロチンで処刑されてしまう。作家は無力である。(カミュは死刑廃止論の著作もあるので、この自国の「蛮行」には批判的だったろう。)しかし、彼は独立運動の無差別テロにも批判的である。この独立運動に関しては、「アルジェの戦い」という傑作映画があるが、無差別テロの描写には(当時べトナム戦争中だったこともあり)、日本でも賛否両論、問題になった。絶対に独立を認めないフランスの極右がはびこってた時代、フランス人の「良心」は勇気をもって独立運動を支持したが、カミュは沈黙を守り当時は批判された。サルトルとの論争でも受け身と見られ、はっきり革命派に参加したサルトルに比べ、カミュは微温的で古いと思われていた時代もあった。しかし、今になると「アルジェリアは母親の国」と言い、フランスでもアラブでもなく、あくまでも「母の国」と言い切ったカミュの姿勢に、日本でも学ぶことができると思う。

 ちょっと驚くのは、母親が文字が読めないということで、中流とはいえないが決して極貧とまでは言えない家庭で、母親が文盲なんていうことは同時代の日本ではちょっと考えられない。そういう環境で育って作家になるということがいかに大変なことか。息子は「階級上昇」に成功したが、それでもアルジェリアに住む母親のもとにアイデンティティがある。母親はフランスに引き上げない理由として「フランスにはアラブ人がいない」と言う。もうアラブ人との共生に慣れてしまったのである。この映画では、地中海性気候の海岸に近い地帯が描かれて、風景も美しい。サハラ砂漠の中の石油、天然ガス地帯とは全く違う。この映画で描かれる時代は、アラブ民族主義が一番燃え上がった時代で、「フランス植民者対アラブ人民衆」という独立運動の時代である。今のように「イスラム教対キリスト教」というような理解の仕方は双方ともになかった。だから今とはかなり違うし、映画でも宗教色はない。そこに時代がある。それがいいのか悪いのかは僕には判らない。

 アルジェリア独立戦争は、当時の日本でも関心を集めていた。大江健三郎の「われらの時代」にはアルジェリアに連帯しようとする青年が出てくるし(アラブ人も出てくる)、福田善之の戯曲「遠くまで行くんだ」はアルジェリア独立戦争に反対する青年を扱っている。1962年に独立を達成するが、独立を達成したFLN(民族解放戦線)の一党独裁になってしまう。1991年には自由選挙が行われたが、今度はイスラム原理主義組織が圧勝してしまい、92年の軍部クーデターが起こる。以後、10年間に及ぶ内戦が続き10万人が亡くなった。1999年以来続くブーテフリカ大統領によって、テロが沈静化しつつあったものの「テロと戦う強権政権」の要素が強くなっている。この問題は難しい。アラブで自由選挙を行うとイスラム主義組織が勝利することが多い。簡単に解決しない。だがカミュは妥協的、微温的と言われながらも「暴力による解決」を否定する立場にたった。いろいろ考えるべき問題が多い。

 ジャンニ・アメリオ監督は「宣告」という死刑制度をめぐる映画が素晴らしかった。ファシスト政権下で死刑判決に抗した判事の姿を描いている。「小さな旅人」(カンヌ映画祭審査員賞)、「いつか来た道」(ヴェネチア映画祭グランプリ)、「家の鍵」などが日本でも紹介されている。社会派であると同時にある種のロードムービーになっている映画が多い。今回の映画もある種の旅の映画と言える。カミュにあたる作家コルムリを演じているのは、フランスのジャック・ガンブランという俳優。クロード・シャブロルの遺作「刑事ベラミー」でベラミー刑事宅前をうろつく男を演じて顔が忘れられなくなってしまった。気付かなかったんだけど、今村昌平監督「カンゾー先生」で脱走兵を演じていた人である。
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都教委、関東大震災の朝鮮人虐殺事件を否定

2013年01月25日 23時33分12秒 |  〃 (歴史・地理)
 東京都教育委員会は高校生の日本史を必修化し、独自の日本史科目「江戸から東京へ」の教科書を作った。(「江戸から東京へ」ではなく、歴史地理の科目にある「日本史A」「日本史B」のどちらかを必修化しても良い。これは市販もしている。この「江戸から東京へ」という「教科書」には、一部に偏った記述や誤解を招く箇所があるという批判があるが、僕はきちんと読んでないので細かくは知らない。
(「江戸から東京へ」)
 1月24日の委員会で、この「教科書」の記述の一部が修正された。「修正1」と「修正2」がある。「修正1」は「領土問題」の記述で、竹島や北方領土に関して、ほとんど一方的な記述になっている。そもそも「江戸から東京へ」にどうして「領土問題」の記述が必要なのかも理解できない。

 尖閣諸島に関しては、なんと「東京都が民間人所有の魚釣島など三島を購入することが発表されると、全国から約15億円の寄附金が集まった。」と自画自賛的な記述になっている。「購入すること」は、間違いである。正確には「購入を検討すること」だろう。都議会を通ってないから、決定事項ではない。勝手に都教委が都の購入を決めてしまった。これも問題だが、ここでは「修正2」を取り上げる。

 「修正2」は、明治天皇の写真を肖像画に変えたことと、「関東大震災の史跡のコラムの文言を修正した」ことである。「コラムの文言」なんてあるから、ちょっとした言葉の改定かと思うと、これがとんでもない「歴史偽造」を行っている。この「文言の修正」は以下のようなものである。①が②に変えられた

 「関東大震災の史跡を訪れてみよう」というコラムの中の解説文である。
①「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」は、大震災の混乱のなかで数多くの朝鮮人が虐殺されたことを悼み、1973(昭和48)年に立てられた。
②「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」は、震災発生50年に当たる1973(昭和43)年に立てられ、碑には、大震災の混乱の中で、「朝鮮人の尊い生命が奪われました。」と記されている

 碑の文言を紹介するという「中立的記述」を装っているが、その実は「虐殺」という表現を否定することが目的である。朝日新聞の記事によれば、都教委の高等学校指導課の担当者の言葉として、「いろいろな説があり、殺害方法がすべて虐殺と我々には判断できない。(虐殺の)言葉から残虐なイメージも喚起する」としている。

 「イメージを喚起」ではなく、実際に虐殺事件は残虐なのだ。虐殺の主体となったのは、軍と警察、および朝鮮人に関する「流言飛語」を信じ込んで「自警団」を結成した民衆である。虐殺は東京に限らず、関東各県に広がっているが、一番多いのが東京だったのは否定できない。虐殺されたのは朝鮮人に限らず、中国人のリーダーだった王希天中国人労働者500名ほど、無政府主義者大杉榮・伊藤野枝夫妻(と甥の少年)、亀戸警察で川合義虎、平沢計七ら労働運動家が虐殺された亀戸事件、さらに千葉県で行商をしていた香川県の被差別部落民が15人殺された福田村事件なども起こった。
(関東大震災時の「自警団」)
 福田村事件はほとんど知られていない。日本人でも朝鮮人と間違われ虐殺された人が多くいるのである。劇団俳優座を創設した千田是也は、震災時に千駄ヶ谷で朝鮮人に間違われた経験から芸名を付けたというエピソードは有名だ。(「千駄ヶ谷のコリアン」という意味)。一体朝鮮人が何人殺されたかは完全には判らないが、震災後に行われた「調査」では6000名ほどと言われる。

 「いろいろな説」なんて、どこにあるのか。資料集をきちんと読んでいるのか。この問題には様々な研究が積み重ねられていて、「虐殺はなかった」なんて説を主張している歴史学者はいないだろう。自警団の行き過ぎと言われて来たが(当時もおざなりながら裁判になった事件もある)、現在では流言自体が警察が流したもので、治安当局による直接の虐殺が否定できなくなっている。僕が推測するに、この軍や警察の関与が明らかになってきたことが、一部極右論者の「虐殺」否定につながっているのではないか。前知事が軍事力の強化を主張し、その流れの中で尖閣購入発言がなされた。そのような文脈をみれば、尖閣に関する記述挿入と震災時の虐殺否定は、連動していると思われるのである。

 歴史というものは、「立場」によって見えてくるものが違う。今回の「修正」を見ると、都教委は「弱い者の立場」「殺されたものの立場」には立たないと宣言したのと同じである。「いじめを苦にして生徒が自殺した」「体罰を苦にして生徒が自殺した」といったケースが東京で起こったとしたら、どうなるのだろう。関係者が「いじめではない」「体罰ではない」と主張したら、「いろいろな説があり、我々には判断できない」と言うのだろうか。東京都は、いじめ事件で「いじめられた側」には立たないと宣言したも同じである。歴史を直視できないと、現在を見る目も曇らせてしまうのである。
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埼玉等の教員「早期退職」問題

2013年01月23日 20時27分29秒 |  〃 (教師論)
 埼玉県で1月末に110人の教員が「早期退職」するという記事が出て、問題があるかのように語られている。部活の問題を書く前に、ちょっとこの問題を。ただし何かの主張をしたいわけではなく、事実を確認して事態の本質を確認したいという「頭の体操」である。この問題は、埼玉に限らず徳島、愛知、兵庫、佐賀など各地で同様の事例があり、中には警察署長が早期退職したところもあるらしい。徳島には教頭が退職して、3学期中は教頭不在になる学校があるとニュースが伝えていた。

 さて、このような事態が起こったのは「退職手当削減」の条例改正が行われ、2月1日から施行されるということがある。2月、3月の給与を貰っても、1月末日に辞めた時に支払われる退職金を貰う方が多くなるということである。給料がいくらか、各種手当がいくらかは人により違うけれど、おおむね70万程度は違っているという話である。そのため、埼玉では110人ほどが早期退職の予定で、これは3月末に定年を迎える教員の1割程だという。なお、このうち約20人が学級担任だという。

 さて、これをどう考えるかだが、「1月に辞めれば退職金が高い」という条例を作った以上、「1月末までに辞めれば退職金が高くなるという条件で希望退職を募った」というのと同じである。ところが、それで辞めるのは1割しかいないで、9割は辞めない。それは何故か?「110人も辞める」のではなく、これほど条件が違うのに圧倒的に辞めない教員の方が多い

 それほど教員は責任感が強いのか。一端受け持った授業や学級担任を年度途中で辞めるということに、抵抗感があるのか? それもあるだろうけど、辞めない理由は違うだろう。それは3月末に辞めた後に、再任用、再雇用教員として働き続けたいと思っているからである。年度途中で退職した場合、非常勤講師や産育休代替教員にはなれるけれど、必ず職があるとは限らない。一方、再任用、再雇用職員の場合は、(都道府県によって待遇は違うと思うけれども)、事実上5年程度の勤務をすることになるだろう。これは3月末まで勤務しなければ、採用されない。そこまで考えれば、退職金が削減された以上の生涯賃金を得ることになるから、経済合理性の点では今は辞めないという選択になる。

 つまり、この辞めると決めた110人というのは、その後は学校に残らないという人なのだと思う。そこには様々な意味があるだろうが、それでも1月末に辞めるというのは、「行政への抵抗」と言うことだと思う。「どうだ、辞めるか」と問われて、「金だけのために教員になったわけではない」と答える道もあるが、「辞めろというなら辞めます」というのも一つの抵抗である。行政当局が早期退職は困ると言うなら、条例施行を4月からにするはずだから、これは行政として「人件費削減の方を優先して、早く辞めさせる」と言う方針を取ったことを示している。「一つの抵抗」という言い方はおかしいかもしれないが、逆に考えて「誰も辞めなかった」としたらどうだろう。行政当局は、もう教員は何をしても「言いなり」だと考えるに決まってる。だから、この機会に辞めてしまうくらいしか抗議の手段がないのである。

 これに対して「残念」と言う声と「責められない」と言う声が載っているが、どっちもおかしい。県としては、2月、3月の賃金を払わなくて済むので、早期退職は行政の人件費抑制に協力していることになる。そっちを優先して早く辞めてもらって結構というのが、2月から削減という政策だから、早期退職者は行政の方針(事実上の希望退職募集)に応じているだけで、批判されるいわれがない。年度途中で辞めるのかという主張は「言ってはいけないこと」である。いつ退職するかは個人の自由で、それは働いた経験がある人なら判るだろう。退職したいのに辞められないというのでは、いよいよもって学校は「ブラック企業」と変わらないことになる。急に辞めるのではなく、たぶん昨年末までくらいだと思うが、事前に申し出ているはずで誰も批判できない。「担任が途中で変わってはいけない」と言われると、産休や病気休職を取れなくなる。実際にそういう批判をする保護者がいる場合もあるが、それは「言ってはいけない」ことだと思う。途中で変わると言っても、3月には退職予定なんだから卒業担任ではないんだったら、卒業前に途中で変わることには変わらない。ただし、卒業担任だったら、また話は違う。その場合はやはり最後までやりたいのではないか。

 ところで、一番の問題は退職金ではないだろう。そもそも退職金削減を行うなら年度替わりにするのが常識で、そんな配慮もない行政に傷ついたということだと思う。50代以上の教員のほとんどは、辞めてもいいなら辞めたい人ばかりだろう。この間、教育行政に振り回されてきて、つまらない事務ばかり増えているのに、何かにつけ教師が悪いと責められ続け、子どもの学費や家のローンなどの問題さえさければ、早く辞めて「自由」を実感したいという人も多い。退職金削減は確かに大きいが、それを2月からにするという「早く辞めてみろ」的な行政のあり方が、最後の「トリガー」(ひきがね)になったのだと思う。そういう行政への不信の声を感じられる人がいないことが問題だろう。

補記・東京はどうなってるのかと思ったら、1.24付東京新聞によると、1月から削減が適用になるのだという。そもそも「定年退職」の意味も違っているらしい。「60歳を迎える年度の年度末」の退職が「定年退職」ということになっているらしい。それ以前に退職する場合とでは支給率が変わるらしい。自分の時もそうだったのか、忘れてしまったけれど。何月から適用するかは、周知期間も必要なので議会の日程、労使交渉の様子などで変わってくるはず。3カ月分の給料を放棄するとなると、ほとんど金額的には差がないことになるだろう。それもおかしいと思うけれど。 
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「体罰」の本質は「DV」である

2013年01月23日 00時49分39秒 | 教育 (いじめ・体罰問題)
 大阪市立桜宮高校の問題では、皆が「体罰」と表現している。あまり言葉にこだわるのもよくないと思うけれども、この「体罰」とは何かということを考えてみたい。もちろん、「①学校内で②教員によって③生徒に対して行われる④暴力的行為」はすべて例外なく「体罰」と呼ぶと決めてしまえば、話は楽だし大方は問題ないだろう。でも、実際に「体罰」が行われる時には、様々な事情や経緯があるものなので、もうちょっと考えてみたいのである。

 学校には簡単に言って、「教師」と「生徒」がいる。事務職員などもいるが少数だし、保護者や卒業生は常時いるわけではない。この中で「暴力事件」が起こるとしたら、4つの類型があるはずだ。
①教師が教師に対して行う場合
②教師が生徒に対して行う場合 → 体罰
③生徒が教師に対して行う場合 → 対教師暴力
④生徒が生徒に対して行う場合 → いじめ

 かつて30年位前だが、③の生徒が学校内で暴れまわる事件が多発した時代があった。その頃は「校内暴力」と呼んでいたが、考えてみれば以上のすべてが「校内暴力」である。だから今は「対教師暴力」などと呼ぶことが多いだろう。一方、①の「教師対教師暴力」というのは、まずはほとんどないだろう。僕も見たことはない。教師だってストーカー事件を起こしたりはするし、暴力事件は絶無ではないだろう。でも、「教師という立場」にあるわけだし、すべての人が大学卒という「高学歴職場」だから、さすがにすぐに手が出るということはない。しかし、だからといって教師は皆仲が良いなどということはもちろんない。手は出さないけれど、「口は出る」わけだ。特に、管理職などによる少数職種、新採用教員などに対する「パワー・ハラスメント」的な言動は、最近は特に多いのではないか。

 「教育現場に暴力はあってはならない」などとすぐに言ってしまうが、言われるとその通りだし、「体罰」は学校教育法で禁止されている以上、誰も反論できない。しかし、その結果「物理的暴力」ばかり問題になってしまうとしたらおかしい。今回の事例でも、暴力そのものと同じくらい「主将をやめるか」と強く問われたことが心の傷になったのではないかという指摘もある。②から④のすべての行為を「いじめ」とか「体罰」とか言葉を分ける必要もなく、ただ「暴力はいけない」と言えばいいのではないか。そして、その「暴力」には「人をからかう言動」「人を追いつめる言動」などの「パワハラ行為」を入れる必要がある。昨年夏にいじめ問題について何回も書いていたが、その中で「いじめアンケート」を取るなら、教師の言動も聞く必要があると指摘しておいた。今さら体罰アンケートを取ったりもするようだが、誰の誰に対する暴力であれ同じように聞くべきだった。(ところで、きちんと調査をすれば、生徒同士のいじめや教師の体罰以上に、「対教師暴言」が明るみに出るのではないかと思う。)

 ところで、先の定義に関して「①学校内で」と書いておいた。ここが重要な点で、帰宅途中のコンビニ前で喫煙している生徒を見つけたとしても、その場でなぐる蹴るの暴力を振う教員は多分皆無だろう。「周りの目」があるし、学校外では「単なる暴力事件」であることは判っているからである。それが学校内に連れてきて「指導」の場になると、暴力が出てくる場合がある。それは何故だろうか。いろいろ理由はあると思うけど、「力による指導への幻想」もあるし、「言うことをきかない生徒への見せしめ」とか「自分の担当のときに問題を起こしたことへの腹いせ」「今まで期待をかけていたのに裏切られたという思い」などもあるだろう。「先生は怖い」と生徒に認識させて問題行動を減らすというやり方を取ってきた学校では、教員が言葉で説得をしても聞かない状態になっている場合もある

 そしてもう一つ重要な問題は、「家父長意識」である。暴力的指導が逆効果になることは実際は多いのだが、「強い指導」をする教員には生徒は何も言えないから、本人はなかなか認識できない。そして、本人は本当に「問題行動を減らしたい」「部活動を強くしたい」と主観的には思って行動しているのである。その思いのベースには、確かに「愛情」がある。それは「ゆがんだ愛情」「間違った支配欲」であるかもしれないが、本人が生徒に良かれと思っていることは疑いない。本当は愛情も何もなくてただ暴力を振っているだけということは少ないだろう。僕は前から「指導力不足教員」は大した問題ではなく、学校で一番問題なのは「指導力過剰教員」だと言ってきた。今回の教員も指導力は十二分にあるというか、あり過ぎるくらい熱心な教員だったのだと思う。実際生徒の言葉を見ると、熱心で指導力がある先生というような声がある。

 部活やクラスなどは、長く一緒に活動しているから「同じ釜の飯」意識が高まってくる。この「クラス一丸」「部活一丸」が面白いと同時に、問題も起こす。ずっと指導してきて、もっと強い部活にするために、どうすればいいか。そのときに、自分が指導者で「上の立場」にあることは疑わない。つまり、部活動が自分が家父長(親)である「擬制的家族」と意識されてくる。そうした場所での暴力は、「体罰」と呼ぶよりも、「行き過ぎたしつけ」と言う名前の「家庭内暴力」に近いのではないか。だから、この問題を考えるときには、教育公務員には体罰は禁止されているなどと言うタテマエ的議論よりも、DVをくり返す男性へのケアをどう進めるべきか、というような議論の方が生産的なのではないかと思っている。(部活動の扱いなどにつき、さらに続く。)
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大阪市立桜宮高校入試問題

2013年01月21日 21時00分15秒 | 教育 (いじめ・体罰問題)
 大阪市立桜宮高校の入試について、決定前に書いておいたけれど、21日の市教委で「体育科」「スポーツ健康学科」の入試が中止され、代わりに普通科の入試が行われることになったという。僕は普通科と体育科では日程も受験科目も応募要件も全然違うので、中止したら中学生への影響が大きすぎると批判していた。ところがニュースをよくみると、日程も選考方法もすべて現行のままだそうである。「普通科」だというのに、運動技量検査があるらしい。入学後も体育系の授業が多いカリキュラムのままだとも言う。これでは「市長の顔」を立てて、名前だけ体育科を普通科に変えるけど中身は同じ、ということと等しい。これはまずいでしょ。同じ学校に普通科もあるのだから、同じ普通科なら同じカリキュラムでないとおかしい。選考方法も「3科目入試の普通科」と「5科目入試の普通科」が同じ学校にあるのはおかしい。初めからそういう別の選考方法を取ると言ってるならいいけど。こういう「大人の知恵」みたいな「すり抜け」が一番いけないと思う。

 こういうことが起こると、「やはり内部告発はしてはいけない」ということになってしまう。自分の学校で体罰やいじめが横行しているのを外部に訴えたら、自分の学校がなくなってしまうかもしれないのだから。これでは「外部に訴えるな」というメッセージを発しているようなものである。今、桜宮高校では部活動が全面的に中止されているらしいが、それもおかしい。「対外練習試合中止」とか「顧問が複数ついて時間限定(例えば午後5時半まで)で行う」などなら理解できるが。もっとも部活中止で毎日クラス討論をしているというなら別だけど。ただ帰宅させるだけなら意味がないし、生徒が考えるきっかけにもできない。「何か問題が起こったら、とりあえず全面的に中止」という発想では、問題を隠ぺいする方向に動機づけしてしまう。高校野球なんかで「不祥事を起こした生徒が出て出場を辞退するかどうか」などと言う場合と同じである。様々な生徒を抱えている学校現場で、場合によっては問題を起こしそうな生徒は受け入れないほうがいいということになってしまう。なんで当該校の教員や生徒と一緒になって立て直していこうと考えないのか。まあ、そういう発想がないのは、いつものことだが。

 それはともかく、「内部で改革できないのか」「学校の体制はどうなっているのか」などと思う人もいるだろう。しかし、僕にはそれはちょっと難しいという感じがする。教員が内部で何か意見を持つのはダメで、教育行政や管理職に従うだけでいいのだということを橋下氏の教育行政はずっとすすめてきた。内部で批判の声を上げるのは、教員組合の役割だろうが、大阪ではあれだけ組合弾圧を進めてきたのだから、皆首をすくめて何も意見を言いたくない状態になるのは当然である。橋下市長は今まで「体罰容認」発言を続けていたのだから、それに対して内部から体罰批判の動きが起こるとは思えない。「体罰容認」発言をトップがすれば、学校に暴力がはびこるのは当然だなどと教員が言えば、ツイッターで「組合のバカ教員がまた批判のための批判をしてる」などとあることないことボロクソに罵倒されるのが目に見えている。誰も何も言えない風土にしたのは誰なのか?部活の問題もあるが、特別支援学校の問題も出てきたらしい。とともに、2012年11月に、「ホームレス殺人事件」が起こり府立高校生を含む少年が逮捕されている。本来ここで、大阪の教育をもう一回取り上げるべきだったのだが、僕も(選挙ばっかり書いてたこともあるが)、川西市とか品川区とかブログで取り上げた場所で決まって「教育事件」が起こるので、やがて大阪でもっと大きな問題が起こると思っていたけど、あえて書かなかった。

 さて、本当は部活動そのものの問題を書こうかと思ったのだが、入試問題で長くなってしまったので、これで一回終わることにする。ニュースを見ていたら、今日在校生による緊急記者会見が行われたのを見た。僕は非常に心打たれたのだが、入試中止、教員総異動などという発言は、本当に権限を振りかざしたパワー・ハラスメントだと思う。まず大人が生徒の声を謙虚に聞くことから始めた方がいい。僕も永遠にこのままでいいと言っているわけではない。体育科、スポーツ健康学科のあり方などについて、抜本的に考えることは大切である。しかし、それには時間がかかる。受験を希望して、入学説明会にも出席して、桜宮高校を受けようかと言う中学生が願書を提出する間近になって、突然やり方を変えるというのが納得できないというごく自然な感想である。
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橋下市長は「田中真紀子」に学んでないのか?

2013年01月21日 00時43分26秒 |  〃 (東京・大阪の教育)
 大阪市立桜宮高校の「体罰」問題について、書こうか書くまいか少し迷っていた。自分で好きなことを書いてるんだから、自分で決めればいいんだけど、この問題は奥が深い。というか、こういう形で明るみに出てしまえば、誰も批判するしかないので、書く意味が少ない。だが、教育の問題が社会問題になるときは、誤解や理解不足があるものなので、僕も一言言いたくなる。本当は部活動はあまり取り上げたくはない。なんというか、部活は教育界の「グレーゾーン」のようなところにあって、その問題を考え始めていくと、かなり時間がかかるのである。

 それでも書こうかなと思うのは、橋下市長が「入試中止」を言い出しているということを聞いたからである。こんなバカな話を持ち出す人がいるのかとビックリしたのである。まあ総選挙後の首班指名で一時は「安倍に投票」などと言いだした御仁である。勝手に「押しかけ連立」したいのかと思ったら、自公が大量議席を取って安倍になるに決まってるから、最初から安倍指名でいいじゃないかということだったらしい。さすがに政党政治の原則にはずれた暴言に従う人はなく、「日本維新の会」で当選した議員は「維新」トップの石原慎太郎と書く常識的な行動を取ることになった。だから今回も事情をよく知らないまま、思いつきでパワハラ発言をしてるだけなんだろうと思う。これで思い出すのは、田中真紀子前文部科学大臣が、大臣に権限があるとして大学設置を突然認めないなどと言いだした事件である。今後のルール改廃を検討するのはいいけれど、今までのルールで認められてきたことが突然認められないというのは、権限の濫用である。この問題があったからだけでもないだろうが、田中真紀子氏は総選挙で落選して「ただの人」になってしまった。こういう事例をよく見て生かすということが橋下氏にはないのだろうか。歴史認識問題などでは全然意見を異にするはずの下村文科相の言動が、なんだかいやにまっとうな感じに思えてくる。

 さて、入学者選抜についての事実から確認したい。(なお、大阪でも「入学者選抜」と呼んでいるが、高校のホームページでは「入試」とも書いているので、今後は「入試」と表記したい。東京では「入選」と略し、公的文書上では「入試」とは言わないが。)桜宮高校のホームページに出ている。この高校では、体育科(80名)、スポーツ健康学科(40名)、普通科(160名)の募集を行っている。(他に普通科に「知的障がい生徒」の「自立支援コース」3名の募集がある。)今回橋下氏は、体育科の募集を中止し、普通科を増員すればいいと言っているが、それは中学生にとって非常に酷なな措置である。

 というのも、体育科と普通科では、入試科目も日時も異なっているのである。体育科、スポーツ健康学科は、前期入試で、学力検査は2月20日に、国数英の3科目で行う。さらに21日、22日の二日にわたって運動能力検査、運動技能検査が行われる。一方、普通科は後期入試で、学力検査は3月11日に、国数英に加え社理の5教科で行う。なお、体育科、スポーツ健康学科に入学した生徒は、部活動に参加することが原則と明記してある。

 ところで大阪市立高校ではあるものの、この桜宮高校の体育科、スポーツ健康学科は大阪府全域から応募できる。(普通科は学区制限あり。)また市立だからと言って大阪市が独自に入試を行うのではなく、試験のやり方等は、「平成25年度大阪府公立高等学校入学者選抜実施要項」に基づいて行うと明記してある。このように、高校入試はずっと前から準備され、やり方が受験生、保護者、市民・府民に公表されてきたものである。突然入試中止と言われても、試験方法も日時も違う普通科を増やすと言われても、体育科をめざしていた生徒は普通科には流れない。大体学区制限があるんだから、受験そのものが多くの場合できない。

 では、どうなるかというと、他の体育科設置校に流れるだろう。体育科は設置校がない県もあるし、高校数が多い東京でも、2校(駒場と野津田)しかない。だから東京ではスポーツ技量が優れた中学生は、有名私立高に進学することが多く、都立体育科という選択はあまりないだろう。一方、大阪府では「日本の体育科設置高等学校一覧」というウィキペディアのサイトでは、全国最多の6校(府立2校、市立2校、私立2校)もある。まあ私立はともかく、桜宮高校体育科が募集停止になったら、他の3校に通える人はそちらをめざすだろう。そこをもともと受けるつもりの中学生には、えらい迷惑である。入試中止になって困るのは桜宮高校ではなくて、体育科をめざして受験するつもりだった中学生である。特に技量、学力がギリギリの生徒は大変であるが、いまさら社会、理科の勉強を始めるわけにもいかないだろう。

 通常、12月に保護者も交えて三者面談を行い、中学3年生の受験予定高校はもう決まっているはずである。もちろんそれは絶対ではない。直前に変える生徒もいる。多くの都道府県では「願書取り下げ」「再提出」も認めているだろう。つまり、高校にもなると学力ランクがあることが多く、思い切ってあげたり心配になって下げたりをするわけである。しかし、それは普通科高校内、あるいは商業、工業の上位校志望者の話で、今の時期になって普通科にしようか工業科にしようか、はたまた体育科にしようかなどと、学科を変える生徒なんていない。だから高校の学科別定員数を直前に変えられたら、大変に困る。アンフェアである。問題が起きたなら問題に対処すればいい。火事で全焼したとか物理的に受け入れ不可能な状態があればともかく、大人が起こした問題で子どもに負担を掛けるのは、アンフェアな行為である。これでよくよく判ったのは、やはり教育委員会という制度は絶対に必要だということである。変なことを言いだす首長がいると生徒が困るという実例があったわけだから。

 大体、今まで橋下市長は「競争」で教育がよくなると言ってきたはずである。桜宮高校を中学生、保護者が選択するかどうか見守っていればいいはずである。皆があの高校は避けたいと思えば、受験が減り「定数に満たない」応募が3年続けば閉校になるとか言う話だった。まあ府立の場合かもしれないが。だからなんでも競争させたい市長は、市民の選択に任せればいいではないか。この高校を閉校させるつもりならともかく、生徒というのは「再建学年」の誇りをもって入学する生徒だってきっと多いはずだと僕は思うが。

 東京では、入選要項に反する行為があったとして校長を免職になる事例がある。入選要項には出ていない頭髪等の乱れを見て、点数を操作して人為的に不合格にしていた事例が数年前に発覚した。つい数日前には、某都立高校で民間人校長が知人に入選結果を事前に伝えていたことが発覚して校長を免じられるというありえないようなケースが起こっている。詳しく知りたい人はここを。ちなみにこの前校長はなんと東京電力から来た人である。東電という組織は危機管理ができてないということのもう一つの例証なのかどうかは判らないが。とにかく、入選業務というのは気を遣うもので、要項に反することがあってはならない。入選要項説明会は東京では9月頃に行われ、僕は中学側でも高校側でも出席したことがある。細かい変更点などが説明されるが、とにかく日時、受験科目、応募要件(学区等)などが皆書かれている。直前に変更できるものではない。

 なお、「体育科」について。そんな高校があるのかと思った人もあるだろう。普通科以外に職業高校があることは誰でも知っている。農業、工業、商業が多いが、他に水産、家庭、看護、福祉、情報などがある。一方、普通科の科目をさらに専門的に行う高校というのも認められていて、体育科以外にも、理数科、音楽科、美術科、外国語科(主に英語科)、国際科がある。さらに複数の科目を設置できる総合学科もある。名前はいろいろカタカナにしてカッコよくする場合もある。さらに「コース制」を取っている高校もあり、案外高校段階で様々な進路先が準備されているのが最近の実情である。昔だと、普通科以外は商業、工業、農業(地域によっては水産も)くらいしかなかったが。
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追悼・大鵬幸喜

2013年01月20日 00時01分09秒 | 追悼
 大相撲で最多の優勝回数を誇る、第48代横綱・大鵬(1940~2013)が死去した。72歳。1977年に脳梗塞で倒れために、大横綱だけど理事長にはならず、弟子育成でもあまり活躍できなかった。しかし、よくリハビリに努めて回復し、定年まで協会に勤務し理事も務めた。その後も相撲博物館長を務めた。ジャイアンツの長嶋茂雄も脳梗塞で倒れているし、亡くなったばかりの大島渚監督も脳出血で長く闘病生活を送った。大鵬は若い時期に倒れたため、リハビリに努力して社会復帰できたわけで、相撲取りとしても偉大だったけれど、この後半生も多くの人に励ましを与えていたことを特筆したいと思う。

 ニュースでも「巨人 大鵬 卵焼き」という言葉を皆が取り上げていた。若い人は本当にそんなことを言っていたのかと思うかもしれないが、この言葉は当時は誰でも知っていた。これは「子どもが好きなもの」という意味である。今思うと、「卵焼き」で嬉しかったのかと何だか情けないような、気恥しいような思いがする。せめて「ハンバーグ」とか「焼き肉」なら判るけど。「60年代」を知らない人は神話化しがちだが、日本はまだまだ貧しくて、子どもが卵焼きに憧れていた程度の時代なのである。

 この言葉は僕には謎だった。巨人も大鵬も好きではなかったからだ。東京五輪で活躍した選手は別として、子どもにとってスポーツと言えば野球と大相撲という時代である。空き地があれば野球をやるし、雨の日は屋内で取っ組み合って相撲を取る。巨人も大鵬ももちろん誰でも知ってたが、当時はジャイアンツは9連覇中(1965~1973)だった。大鵬も6回連続優勝が2回もあった。優勝回数は全部で32回。横綱には柏戸と同時に昇進し「柏鵬時代」と言われたが、柏戸はケガが多く休場が多く大鵬ばかり勝ってる感じだった。僕が応援しなくても、いつも巨人と大鵬が優勝するっていうのに、どうして巨人や大鵬のファンがいるのか、僕には判らなかった。技がうまいけどなかなか勝てないとか、伸び盛りでどこまで出世するか楽しみという力士を応援した方が面白い。という風に子供ながらに思っていて、アンチ巨人、アンチ大鵬。これが自然にアンチ自民党になっていったのかもしれない。

 僕が大鵬という力士の偉大さをとことん実感したのは、もう20年ほども前になるが、出身地の北海道・川湯温泉にある「川湯相撲記念館」へ行ったときのことである。川湯に泊り翌日は確か少し雨で、屋外観光よりは室内施設でも見ようかという感じで、行ってみたわけである。そういう感じでふらっと寄った博物館の中では、有数の満足度だった。大鵬の取り組みをビデオで一杯やってるんだけど、懐かしいし実に素晴らしい。まあ勝った取り組みばかり流してるわけだけど、正攻法の相撲だし、大柄で美男。「これぞ日本のお相撲さん」という感銘を受けるのである。小さな時だから、細かい取り組みまでは覚えていなかったけど、今見ても実に見応えがあるのである。
 (川湯相撲記念館)
 優勝回数は、2位が31回で千代の富士、3位が25回の朝青龍、4位が24回の北の湖。5位が23回で白鵬。6位が22回の貴乃花。20回以上はこの6人である。いかに大鵬の記録がすごいかが判る。連勝は45回が最多だが、この時の負けた取り組みが有名な誤審で、翌日の新聞の写真ではっきり判った。これでビデオ判定が取り入れられることになるのは、有名な話。(白鵬はその後大鵬を抜き、2017年末段階で40回の優勝。2017.11.27段階で追加訂正。)

 1971年5月場所で、貴ノ花(初代、後の大関)に敗れて引退を決意した。この貴ノ花は千代の富士に敗れて引退を決意、千代の富士は貴花田(後の横綱貴乃花)に敗れて引退するという因縁の連鎖がある。引退後は、初めて「一代年寄」という特別な待遇を認められた。大鵬という現役時代のしこ名のまま、親方になれるという特権である。その後、北の湖、千代の富士(辞退)、貴乃花に認められた。しかし、晩年は恵まれなかった。ロシアから連れてきた露鵬とその弟の白露山が大麻の反応が出て解雇され、続いて娘婿で部屋の後継者だった大嶽親方(元貴闘力)までが野球賭博問題で解雇されてしまったの。2009年に相撲界から初めて、文化功労者に選定されるなど社会的には評価されたが、これらの不祥事には悲しい思いがした。

 なお、父親が「白系ロシア人」と言われていた。今調べると、ウクライナ人と書かれているが。巨人の元投手スタルヒンという偉大なピッチャーも白系ロシア人だという話で、小さい時からこの「白系ロシア人」という言葉が謎だった。なんか謎の民族のようで。これはロシア革命の赤軍を逃れて亡命したという意味で、ヨーロッパに多いが、沿海州を通して中国、日本に来た人もかなり多い。大鵬は父親が樺太に亡命していて、戦後に母子で北海道に引き上げた。苦労の人である。
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芦川いづみを見つめて

2013年01月17日 22時58分40秒 |  〃  (旧作日本映画)
 日活の古い映画をいっぱい見ている。映画の中味ではなく、まずは女優芦川いづみのことを書いておきたい。今のテレビタレントなんか、美人というより親しみやすいという方が受ける感じで、顔そのものは(言っちゃなんだけど)「ファニー」系も多い。でも昔の映画黄金時代のアイドル女優は、皆うっとりするような美女、または清楚可憐でキュートな子、もしくは妖艶を絵に描いたような色気なんかだ。ストーリーを忘れて画面を見つめてしまう女優がたくさんいた。

 僕が昔から好きなのは吉行和子(1935~)と芦川いづみ(1935~)。吉行和子は、山田洋次監督の最新作「東京家族」で、老母を演じて健在だ。元は劇団民藝で「アンネの日記」のアンネに抜擢された女優である。舞台は引退していて、僕は最後の「アブサンス」を見に行った。映画では今村昌平監督の「にあんちゃん」の保健師役なんか大好き。大島渚監督の「愛の亡霊」の主役も演じた。作家吉行淳之介の妹、吉行理恵の姉だが、つまり美容師の吉行あぐり((NHKの朝ドラ「あぐり」のモデル)の娘である。あぐりさんは105歳でまだご存命だが、子どもは吉行和子だけになった。(2015年に107歳で没。)

 日活の女優は大体好きなタイプが多いけど、芦川いづみは1968年に藤竜也と結婚して引退している。昔の映画を見てない人は全然顔が浮かばないかもしれない。こんな人である。
 
 僕が好きなのは、大体顔が丸っこい。目元涼やか、お嬢様でも奔放娘でもなく、マジメで清楚ながら自分の意思もしっかり持っている。穏やかで一生懸命なタイプ。要するに、成績も悪くないけど、それより人柄がよく人望も篤い「学級委員」タイプで、それでは教員好みそのままではないかと言われそうだ。結局上流でも下層でもなく、自分の生まれた中産階級の娘がいいのかも。

 このところ、ずいぶん芦川いづみの映画を見る機会があった。初期では、川島雄三監督の「風船」(1956)で、足の悪い娘役を清潔に演じる。2つ年上の北原三枝(後の石原裕次郎夫人)がずいぶん大人の女性を演じているので、まだ半分少女という感じ。さらに川島監督の「赤信号 洲崎パラダイス」(1956)では蕎麦屋の店員役。マジメに働いているが同僚の小沢昭一に関心を持たれている。本人は三橋達也に憧れている感じだが、素直で働き者の娘を印象的に演じている。
(「赤信号 洲崎パラダイス」)
 川島雄三の、というか日本映画を代表する傑作「幕末太陽傳」(1957)では品川の遊郭「相模屋」の女中おひさ。落語をいくつかまとめて幕末の志士を加えた筋だが、「文七元結」の「おひさ」がモデル。映画ではフランキー堺の居残りに助けられ、父親の借金のかたに客を取らされそうになったけど若旦那と駆け落ちする。ここでも下積みをいとわずマジメに働く娘だが、自分をしっかり持っていて若旦那に祝言前に体を求められても応じない。こういう「清楚・清潔・しっかり者」が持ち味になっている。
(「幕末太陽傳」)
 石坂洋次郎原作の「乳母車」(1956)、「あいつと私」(1961)なども同じ。同じ原作者の「陽のあたる坂道」「若い川の流れ」「あじさいの歌」などにも出ているが、今回は見ていない。「乳母車」では、父の愛人(新珠三千代)が住む九品仏(世田谷区)に押し掛けて、愛人の弟石原裕次郎と知り合う。父と愛人の間に生まれていた娘をめぐり、ちょっと通常はありえないような設定で話が進むが、若き裕次郎(1934年~1987年)と芦川いづみが演じると、若さがまぶしくてただ見つめてしまうしかない。

 「あいつと私」は、安保闘争を背景に、若い世代の性と倫理を描く。35年くらい昔、文芸坐のオールナイトで見て、設定にかなり驚いた記憶がある。石原裕次郎が仕事中心の有名な美容師の息子役で、この一家がかなりぶっ飛んでいる。芦川いづみは大学(慶應日吉校舎でロケされている)の同級生として裕次郎と知り合い、家を訪ねる関係になる。近づいたり疑問を持ったりしながら、二人はだんだん互いを大切な存在に思いあうようになる。今見ると、当時の風景は新鮮で設定も面白いけど、基本にある「ボーイ・ミーツ・ガール」の魅力があふれている。田園調布に住んで、大学に通う中産階級の娘の一生懸命の生き方が共感を誘う。
(「あいつと私」)
 小沢昭一が同級生(これはいくら何でも苦しいが、小沢昭一が演じるとなんでもあり)で、「1960年6月15日」に東京会館であった結婚式に一緒に出る。そのあとで、裕次郎と小沢昭一と芦川いづみが肩を組んで安保闘争のデモに行く。この日付は、もちろん当時の人は誰でも判った。国会前で東大の女子学生樺美智子が死んだ(殺された)日である。同じ日に結婚式をやってる人もいるが、安保やデモをめぐって皆で議論している。同級生の吉行和子は、政治意識にめざめ結婚式にはいかずデモに行く。友人とはぐれて早めに帰るが、友人に衝撃的事件が起きる。一方、デモを見ていた芦川いづみは母親に電話して「私の背中にお母さんがくっついているの。デモの場にいると、それを感じるの。お母さんに離れて欲しいの」と訴える。この一途なセリフに、自由を求める当時の若者の気持ちがよく伝わる。

 この映画は石坂洋次郎という作家を通して、戦後民主主義や性と自由の問題を今も突きつけているように思う。「まだフェミニズムがなかった頃」の若い女子大生の悩みがリアルに伝わる。そういう意味でも大変興味深い映画だが、もっとも映画の大部分は芦川いづみの清楚で可憐な一生懸命に生きる姿を大写しで描く。衣装も大変素晴らしく、ここでもほとんど見つめているしかない。吉永小百合が妹役だけど、さらに小さい妹が酒井和歌子。(なお、昨年亡くなった中原早苗=深作欣二夫人も同級生役で、小沢昭一とともに追悼の気持ちで見た。)

 こういう清楚な女子大生と違うのが、「霧笛が俺を呼んでいる」(1960)で、主人公の船員赤木圭一郎の友人、葉山良二の恋人(情婦というべきか)。赤木が横浜に来て友人の消息を尋ねると、2週間前に死んだばかりと言われる。それに疑問を持ち調べ始めると、怪しげな男たちが様々に現れ、殺人事件も起こる。ホテルの食堂でまだお互いを知らない段階で、霧笛が聞こえる中を見つめ合う一瞬が、運命の転変をもたらす。翌日、謎の電話で赤木が横浜の埠頭に行くと、そこに芦川が来ていて事情を語り合う。この横浜港の埠頭で出会うシーンは日活アクション史上に残るロマンティックな出会いだ。その後も城ケ島へのドライブなどロケも素敵だ。
(「霧笛が俺を呼んでいる」)
 木村威夫の美術による日活アクションお決まりの無国籍バーでは、なんと芦川いづみが歌を歌うという素晴らしい場面がある。そして葉山良二の裏の顔を突き止め、葉山が死んでいないことを知る。そしてこれも日活アクションによくある、「日活国際ホテル」でのアクション場面。日比谷の「日活国際ホテル」は、今のペニンシュラホテルのところにあった。地下駐車場も日活映画によく出てくる。最後は、赤木は横浜港で慕情を押さえながら、「日本の嫌な思い出が消えるまで帰ってこない」と言い残して、船に乗って去っていく。日活アクション史上有数の傑作だと思うが、ロマンティックな港町で芦川いづみがたたずむだけで、もううっとりして見つめてしまう。

 これだけ芦川いづみを見ていると、実にチャーミングでキュート。こういう英語がよく似合う。清楚系もいいが、「硝子のジョニー 野獣のように見えて」(1962、蔵原惟繕監督)という不思議な傑作もある。
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追悼・大島渚

2013年01月16日 00時20分07秒 |  〃  (日本の映画監督)
 20世紀後半の日本を代表する映画監督大島渚(1932~2013)が亡くなった。80歳。1996年にロンドンで倒れ、一時回復して1999年に最後の作品「御法度」(2000年公開)を撮ったが、その後は長らく闘病生活を送っていた。妻の女優小山明子の献身的な介護に支えられた晩年だった。小山明子は一時「介護うつ」になるなど大変な時期があったもあったと著書や講演で語っている。

 大島渚が一番活動的だった時期には常に政治的、性的な映画で物議をかもす存在だった。テレビにド派手な衣装で登場して面白いトークをしたので、顔と名前は誰でも知っていた。闘病生活が長くなったため若い人には忘れられたかもしれないが、重要な映画監督である。講演も聞いたことがあるが、それより地下鉄に乗っていたら突然大島渚が乗り込んできた時の思い出が強烈だ。存在感がすごかった。(電車で有名人に会ったのは、地元の先代三遊亭圓楽と大島渚だけだ。)

 僕にとっては一番最初に自分の金で見た日本の映画監督だった。中学生の頃から「アメリカン・ニュー・シネマ」と呼ばれた「イージーライダー」や「明日に向って撃て!」などの洋画は見ていた。日本映画は任侠映画や古くさそうな喜劇が多くて、見たいとは思わなかった。高校生になり視野が広がり、ATGで作られた日本映画を見に行こうかとなった。今の有楽町マリオンの地下にあった日劇文化というATG映画館で、1971年の「儀式」を見た。「日本」を問い直す思想的、政治的かつ様式美に満ちた映画世界に僕はショックと感激を覚えたものだ。キネ旬のベストワンになり、翌年正月に凱旋興行があったので、もう一回見に行った。

 ところが翌年の沖縄返還直後に作られた「夏の妹」が存外につまらなく、以後は1976年の「愛のコリーダ」まで作品がなくなる。むしろ大学生になってから名画座などで見た過去の作品の影響が大きい。大島渚は、僕の若い頃はその重要性に関して、黒澤明と並ぶ名声を持っていた。小津安二郎が世界的に「発見」されるのは70年代以後で、60年代から70年代の政治の季節には「変革の文化人」を映画部門で代表する存在が大島渚だったのである。僕は大島渚の映画監督作品は全部見ている

 大島は京大法学部を卒業して1954年に松竹に入社した。戦前の映画監督には大学卒が少ないが、戦後になって一大産業になった映画会社は、大卒の助監督を取るようになった。同じ松竹の山田洋次や吉田喜重は東大、篠田正浩は早大(陸上部で箱根駅伝出場)である。大島は京大では学生運動の中心にいて、京都府学連の「輝ける委員長」だった。「京大天皇事件」や京都女子大民主化運動(木下恵介の名作「女の園」のモデルになった大学紛争)の時代である。そういう経歴の青年でも映画会社は受け入れたのである。その時代のことは「体験的戦後映像論」に興味深く書かれている。

 松竹は若手助監督にシナリオを書かせるが、大島もいっぱい書いては同人誌を作って「監督昇格運動」をしていた。1950年代末期に世界ではゴダールなど「ヌーベルバーグ」と言われる新しい世代が登場していた。日本でも他社では増村保造、岡本喜八らがスピーディでエネルギッシュな作品を撮り始めていた。松竹と言えば小津や木下恵介で、「大船調」と言われた女性映画で知られた。だんだん不振になっていき、会社は若手監督の抜てきに踏み切る。その最初が大島の第1作「愛と希望の町」(1959)という中編である。シナリオの原題は「鳩を売る少年」で、映画化に際し「愛と怒りの町」としたが会社に退けられ、次の「愛と悲しみの町」も却下、最後に「愛と希望の町」になった。「愛も希望もない町」を描く中味と正反対の題名に変えられたのである。

 川崎の貧民街に住む少年とブルジョワの少女の触れ合いをリリカルにも描いているが、それ以上に「言語による明晰な階級対立関係」を描いている。最初から大島渚の特色ははっきりしていたし、会社との対立も存在したのである。60年になると大ヒット作「青春残酷物語」(1960)を作った。大学生と女子高生の「無軌道な青春」をスピーディに描き切り、今見ても新鮮である。この時代は「純潔」が一番叫ばれた時代なのだが、若者の性を大胆に取り上げたことでも大問題作だった。当時大島と交際を始めていた小山明子は、兄から「お前も映画のようにやられちゃったのか」と木場で結ばれる有名な場面を話題にされたと書いている。それくらいショックを与えたのである。
(青春残酷物語)
 その大ヒットに続いて「太陽の墓場」を作り、これも話題になる。大島以外にも次々と新人監督が登場し、「松竹ヌーベルバーグ」と言われた。60年の最後に大島は安保闘争の総括である「日本の夜と霧」を作った。これは世界映画史上、大手映画会社で製作された一番政治的に過激な映画だろう。会社には概要だけ示して急いで作ってしまったらしい。ここでは日本共産党の「50年代問題」と、学生運動の中のスターリン主義批判を正面から取り上げた。共産党をさらに左から批判するという、後に「新左翼」と言われる問題意識である。安保闘争を通して、古い世代の渡辺文雄と若い世代の桑野みゆきが結ばれ、その結婚式に招かれざる客が現れる。こうして結婚式が大演説大会となり、過去を暴く「公開裁判」となるのであった…という卓抜な設定。「儀式」に直接つながる設定である。

 今見直すと、早撮りの技術的難点も見受けられるが、戦後左翼運動の暗部を見つめる「暗いロマンティシズム」が魅力的だ。登場人物が皆沈鬱で、過去の古傷に塩をすり込むように語り合う不思議な世界。僕はこの暗さが昔から好きで、何度も見ている。後に東條英機を演じた津川雅彦が、安保世代の活動家として先輩党員を大批判しているのがおかしい。この映画は公開4日目に起こった、社会党の浅沼稲次郎委員長暗殺事件によって会社側により公開中止とされた。その直後に大島と小山明子の結婚式があり、これが映画のような会社批判の大演説大会となり、大島は松竹を退社する。

 大島はテレビでドキュメントを作ったり、他社に招かれて作ったりしたが、基本的には自分が中心になって設立した独立プロ「創造社」に拠って前衛的映画を作り続けた。中には松竹で公開された作品もある。僕は武田泰淳原作の「白昼の通り魔」(1966)が類を絶した傑作ではないかと思う。犯罪を主題に「戦後民主主義の欺瞞」を描くが、思想的問題性は今も生きていると思う。犯罪ドラマとして「人間の不可知性」を露出過多の画面に描く映画的完成度の高さ。今後さらに論じられる必要性があると思う。女教師役の小山明子が黒板に「自由 平等 権利」と書く場面は忘れられない。

 「日本春歌考」(1967)、「無理心中日本の夏」(1967)なども興味深いが細かいことは省略。白戸三平のマンガを一コマずつ撮影した「映画紙芝居」のような「忍者武芸帳」(1967)、フォーククルセイダーズが韓国脱走兵にふんして、映画が途中で同じ場面をくり返すという奇想天外な「帰ってきたヨッパライ」(1968)など、手法的にも前衛というか、変な作品も多く、今後の再評価が必要だろう。

 その後はATG(アートシアターギルド)の時代で、大島の最高傑作が作られた。特に「絞死刑」(1968)、「少年」(1969)、「儀式」(1971)が傑作。なお「絞死刑」という言葉は本来はない。「絞首刑」である。この映画の造語だが、一般用語と思っている人が時々いるようだ。有名な在日朝鮮人死刑囚をモデルにして、「失敗した死刑執行」という奇想天外な想定で戦後日本思想史をあぶりだす傑作脚本。去年見直して、その面白さは今も生きていると思った。

 「少年」は当たり屋事件を起こして日本中を回る鬼夫婦と少年二人を哀切に描くロード・ムービー。僕の一番好きな作品だ。「新宿泥棒日記」(1968)も当時の新宿を取り入れて、懐かしい風景と人物に会えて面白いが、映画として大傑作ではないだろう。「東京戦争戦後秘話」(1970)も成功はしていないが、今見直すと「東京風景映画」かつ「映画オタク青年映画」という意味が出ているかもしれない。
(少年)
 「愛のコリーダ」(1976)は阿部定事件をモデルにして、実際に性交場面を取ったまま国内では現像せずフランスに持っていって完成させたフランス映画。そういうやり方があるのか、さすが国際的監督だとビックリした。面白くないわけではないのだが、田中登監督のロマンポルノ「実録阿部定」の方が短くてコンパクトでいいんじゃないか。続く「愛の亡霊」(1978)はカンヌ映画祭監督賞。これは人間の業を見つめて、僕は後期では最高の出来ではないかと思う。

 「戦場のメリー・クリスマス」(1983)は坂本龍一、ビートたけし、デヴィッド・ボウイというキャストがすごい。日本の捕虜収容所を舞台に文化の衝突を描く。非常に興味深いし、これが最高傑作という人がいるのも判るのだが、僕は何が言いたいのか今一つ判らない感じがした。2回見たが同じ感想。BC級戦犯の問題は、いろいろ調べたこともあるので、なんだか知ってることしか出てこない感じがしてしまう。フランス映画「マックス・モン・アムール」(1987)は何で作ったのかよく判らない失敗作。チンパンジーと人間との間の愛というテーマは人によっては重大なのか。最後の「御法度」(2000)は新選組を描く。面白くないわけではないのだが、エネルギーは枯渇気味だったと思う。ニュースでは「コリーダ」「戦メリ」「御法度」などを取り上げていたが、「絞死刑」「少年」などが最高傑作である。(なお、2012年5月に「小山明子映画祭と大島渚の映画」を書いた。重複もあるが関連性があるので参考に。)
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ヘニング・マンケル「ファイア・ウォール」

2013年01月14日 23時34分27秒 | 〃 (ミステリー)
 スウェーデンの作家、ヘニング・マンケルのクルト・ヴァランダー警部8作目の「ファイア・ウォール」上下(原著1998、邦訳2012、創元推理文庫)。


 最近ミステリーを続けて読んで、ここでも書いてるけど、この上下2冊本の大作は去年出たミステリーの中でもとても読みごたえがある本だと思う。この作者はずっと読んでいて、長い本が多い。日本での翻訳は刊行後10年以上たってから始まったので、当初はソ連時代のラトビアとかアパルトヘイト時代の南アフリカとか、時代が少しずれてしまった社会派ミステリーの感じがあった。でも、5作目の初の上下2冊本「目くらましの道」(1995)が大傑作で、これで「化けた」感じがある。以後はすべて傑作ばかり。「目くらましの道」は日本でも少し遅れて起こったある事件を思い起こさせるような小説で、非常に同時代性を感じる小説だった。その後の「五番目の女」「背後の足音」も社会的な意味合いを持つ重厚なミステリーで、感じるところが多かった。今回も同じようにすごい小説なんだけど、描写に今までの小説の筋書きが出てくるので、未読の読者は「目くらましの道」あたりから読むのがいいと思う。(もちろんこだわりがある人は、最初の「殺人者の顔」から時系列にそって読むのが一番いい。)

 今回は、少女の二人組がタクシー運転手を殺すという衝撃的な事件。その犯人はすぐつかまるが、その日銀行のATMの前で死んでいた男が、自然死なのかどうか。この二つの事件は全く無関係のはずが、そのうち不可思議な関係が見えてくる。鍵を握るのは、男の仕事場にあるコンピュータ。その鉄壁の防御を突破するために、警察は地元のハッカーの少年を呼んでくる。インターネットを通して世界はつながってしまった。そのことの意味は何なのか。日本でそういう話が出てくるのは21世紀になってからで、警察の対応は遠隔操作事件などを見ていると、今も時代に追いついているとは言えないような気がする。そこがスウェーデンがすごいのか、作者が先読みしているのか、20世紀の段階で「ネット社会の危うさ」「情報化社会のもろさ」みたいなアイディアで壮大なミステリーが書かれている。日本では、原発事故以後の今こそリアルな危険性を感じられる設定ではないかと思った。ただミステリー的には、解決されてない問題点がいっぱいあるのが少し気になる。関係者がみんな死んでしまう設定なので、未解明が残る方がリアルなんだけど。でもなんでああなったのかなあ、最後に説明されるかなあと思ってると、結局判らなかったなんて小説の中に書いてある。

 この小説で書かれているのは、世界を変えるにはどうしたらいいかという話である。ある青年はアンゴラの世界銀行に勤めて、貧しい国への支援を模索したが、かえって現実を悪くしているだけの世界銀行を見て、何度も何度も内部からの意見書を書く。その結果、変人とされ組織を通して世界を変えることができなくなる。そこで考えたのが、テロである。それは飛行機で巨大ビルに突入するというものではなく、ネットを通して世界経済に影響を与えるというものだったようだ。そういうことがスウェーデンの田舎町でもできるのか。しかし、ただの警官であるクルト・ヴァランダーは目の前の捜査を一つずつするしかない。

 毎回思うことだが、これがスウェーデン警察の通常の捜査体制だとするなら、改善の必要性が多い。日本の警察がいいわけではないが、もう少し組織的に捜査しているのは間違いない。こんな個人プレーばかりではないだろう。クルトの孤独も極まり、ある行動にでるがそれが大変なことになる。この小説は「このミス」5位に選出されている。北欧からは他にもアイスランドやデンマークの小説もベスト20に入っていて、北欧ミステリーは今注目株。ヴァランダー・シリーズも残りあと2冊。ただノンシリーズの2冊を先に訳すと後書きにあるので、今の一年一冊の刊行ペースだと、あと4年は楽しめることになる。
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村上春樹新訳「大いなる眠り」

2013年01月14日 00時10分43秒 | 〃 (ミステリー)
 年末に、レイモンド・チャンドラー「大いなる眠り」(早川書房)の村上春樹新訳が出た。まさに待望の一冊。今までは創元推理文庫で、1959年に出た(初訳は1956年)双葉十三郎訳が長く読み継がれてきた。僕はこれに不満が大きかった。全訳ではなかったということもあるし、訳文が古めかしいのは否定できなかった。初めて読んだのは30年以上前だけど、それでもそう思った。ハヤカワ文庫の「長いお別れ」も清水俊二訳で、全訳ではなかった。50年代は、ハードボイルド小説は映画化の原作という扱いだったのか、アメリカの大衆文化の紹介は映画界と関係が深かったのか、双葉氏(映画評論家)、清水氏(字幕製作者)と両作とも映画関係の人である。これが田中小実昌訳では違和感があまりなかった。まあ清水俊二訳でも「さらば愛しき女よ」は名訳のような気がするが。

 村上春樹が「ロング・グッドバイ」を訳して、「長いお別れ」の全貌が初めてつかめた気がして、この名作がどれほど素晴らしいかを改めて実感できた。「さよなら、愛しい人」(「さらば愛しき女よ」の新訳)、「リトル・シスター」(「かわいい女」の新訳)と村上春樹はチャンドラーを訳し続けてきたが、僕は早く「大いなる眠り」が訳されないかなあと期待していた。もともと創元社に版権があったわけだが、それを今回早川が取得して半世紀以上ぶりの新訳となった。こうなったらレイモンド・カーヴァーに続いて、村上春樹版チャンドラー全集を是非期待したい。

 今までは意図的に旧訳と新訳で邦訳題名を変えてきたというが、「大いなる眠り」は同じ。まあ、「ビッグ・スリープ」では軽すぎる感じだし、まさか「三つ数えろ」(ハワード・ホークス監督の映画版の日本公開題名)というわけにも行かないだろう。この「大いなる眠り」というのが、これ以外にないベストの邦題であるのは間違いない。この作品に関しては、非常に詳しい解説がついているから、ほとんど付け加えることがない。1939年に発表された、チャンドラー初の長編小説であり、私立探偵フィリップ・マーロウのシリーズの始まりである。その後、チャンドラーはどんどん評価が高くなり、単なるミステリー作家だと思っている人は今は誰もいないだろう。20世紀の神話的な傑作小説として、名前と名せりふを誰もが知ってるだろう。(名せりふとは「タフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない」というもの。これは「プレイバック」の中にあるので、読んでない人も多いはず。)

 でも筋は入り組んでいるし、細かく書き込んでいるので、それほど読みやすい小説ではない。言ってみれば「純文学ミステリー」であって、ひたすらどんどん読み飛ばしていけるという小説ではない。人間関係が見えてくるのは半分読んだころからで、それからはスラスラ進むが、そうなると逆に筋に抜けているところが出てくる。この小説は、最初に訳された50年代の日本では早すぎた部分が多い。みんな車で移動するし、エレベータ-付のマンションに住んでいる人も多い。自家用車、スーパー、マンションなんかは、50年代の日本人の生活にはない。古い翻訳だと、ピザやタルトなんかにも不思議な日本語訳が付いてることがあるが、村上訳で読めばまさに現代小説の感じがする。ロサンゼルス近郊を車で駆け巡り、陰謀と腐敗を追い続ける。ロス市警の腐敗ぶりは、クリント・イーストウッド監督「チェンジリング」という映画によく出ていた。フィリップ・マーロウは、そういう捜査当局の腐敗に反発して辞めた過去を持つらしいことがこの小説を読むとよく判る。なるほど。

 話を受けて億万長者の屋敷を訪ねると、怪しい美女の娘、実直な執事、不思議な温室で迎える当主の老人などが出てくる。依頼を受けて調べ始めると、謎の書店、銃撃事件、怪しい人物が登場して…という筋立ては全く通俗的な始まりである。でも文章のきびきびした魅力、細かい観察眼、行動とセリフのみを書き続けていく文体、カリフォルニアの光と影、夜と霧の詩情が実に魅力的。やはりただならぬ小説だと思う。最初の長編だけど、完成されているのは間違いない。(ただし、僕も最高傑作は「ロング・グッドバイ」だと思う。)

 僕はチャンドラーばかりがをもてはやすのもどうかなと思っている。昔はダシール・ハメットは古い感じがして、ハードボイルドはチャンドラーで完成したと思っていたが、ハメットの新訳が出て読んでみると、チャンドラー以上に乾いた感じが素晴らしい。また「アメリカの悲劇」という意味では、ロス・マクドナルドを忘れてはならない。「大いなる眠り」で開始された「アメリカの億万長者の家庭悲劇」は、やはりロス・マク「ウィチャリー家の女」で完成されたのではないかと思う。日本では60年代に結城昌治が私立探偵真木シリーズで、そういうのを書いていた。しかし、その後は日本に私立探偵や億万長者が似合わないところがあってか、ハードボイルド系も私立探偵が出てこないものが多い。でも、まあ歴史的価値から言っても、今も古びない小説的魅力からも、一度は読んでおきたい名作。現代にふさわしい名訳が出たのは嬉しい。
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2012年・キネマ旬報ベストテン発表

2013年01月12日 01時09分14秒 | 映画 (新作日本映画)
 11日は山田洋次監督の新作「東京家族」の試写に行っていて遅くなったので、ブログは書かない予定だったけど、キネ旬のベストテンが新聞のサイトにあったので、紹介しておきたい。なお、「東京家族」について簡単に書くと、これは小津安二郎監督の大傑作「東京物語」のリメイクだった。山田監督にとって松竹の先輩である小津監督にオマージュを捧げた作品だという話は知っていたけど、まるきりリメイクだとは思っていなかった。もちろん現代に合わせて変えている。さすがに子供5人は多すぎるので、子どもは3人。長男の医者の住んでいる場所は下町から「つくし野」(東急田園都市線)に。熱海の温泉が…まあ、これは見てのお楽しみ。原節子の役もお楽しみ。まあ非常に興味深く見られるが、原節子と笠智衆と杉村春子が、いかにとんでもなく素晴らしかったかは身に沁みてわかった。元の「東京物語」を見てから見るべきだろう。

 ところで、今回のキネ旬ベストテンを見て、前代未聞の大記録に驚いた。主演女優賞が安藤サクラ(「かぞくのくに」)、助演女優賞も安藤サクラ(「愛と誠」など)って、同じ人が両方取ってるじゃないか。安藤サクラ(1986~)という人は、奥田瑛二と安藤和津の次女だけど、園子温監督の4時間にもなる「愛のむきだし」でとても印象的な助演をしていた。助演タイプかと思っていたら、「かぞくのくに」という特別な設定の主演にめぐり合った。なお、主演男優賞は森山未來(「苦役列車」)、助演男優賞は小日向文世、監督賞は周防正行、脚本賞は内田けんじ新人女優が橋下愛新人男優が三浦貴大というのは、とても納得。

 で、肝心のベストテンだけど、キネマ旬報のベストテンは歴史が長く、何しろ1924年、つまり大正13年から続いている。(ただし戦時中に中断あり。)ベストテン選出はお遊びみたいなものだけど、キネ旬は様々な人が投票していて、一応権威の高いものとされている。毎日映画コンクールは選考委員会審議があるが、キネ旬ベストテンは投票を機械的に計算しただけなので、案外予想外の結果になることもあるが、そこも面白い。毎年2月5日に、ベストテン特集号が出るが、僕は今でもそれだけは買う。40年分くらいそろっている。

 日本映画は、(1)かぞくのくに(2)桐島、部活やめるってよ(3)アウトレイジ ビヨンド(4)終(つい)の信託(5)苦役列車(6)わが母の記(7)ふがいない僕は空を見た(8)鍵泥棒のメソッド(9)希望の国(10)夢売るふたり

 太字が見た映画で、リンクを貼ったのはブログで感想を書いたもの。「アウトレイジ・ビヨンド」を逃したが、これは前作も見てないので続編からは思った。来月早稲田松竹で2本やるからそこで見たい。「苦役列車」「鍵泥棒のメソッド」は、僕はそれほど面白くなかった。

 外国映画は、】(1)ニーチェの馬(2)別離(3)ヒューゴの不思議な発明(4)ル・アーヴルの靴みがき(5)ミッドナイト・イン・パリ(6)アルゴ(7)戦火の馬(8)ドライヴ(9)J・エドガー(10)裏切りのサーカス

 「アルゴ」はまだ見てない。「戦火の馬」は見逃し。「ドライブ」は書いたけど、他は書いてない。「ドライブ」と一緒に書いた「ヘルプ」は何故落ちてるんだろう。「ニーチェの馬」は僕には面白くなかった。「ヒューゴの不思議な運命」「ル・アーヴルの靴みがき」は悪くないけど、それほど評価しない。クリント・イーストウッドの「J・エドガー」は失敗作だと思う。フーヴァー長官について有名なエピソードだけつづられていて、知らない人には衝撃かもしれないが、この種の現代史に関心がある人ならだれでも知ってるような話ばかりで、伝記映画というものは難しい。まあ、「サッチャー」よりはいいけど。メリル・ストリープがそっくりだというだけの映画で、近年になくつまらない映画で、見なくていいというよりは、これでサッチャーという偉大な女性首相がイギリスにはいたんだねなどと思い込みかねないので、若い人は見てはならない映画だと思うくらい。こうしてみると、ベストテン的に評価される映画は、案外落としてないものだと思った。なお、20本中、13本は株主優待で見てるので、株もバカにできない。
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「教室内(スクール)カースト」という本

2013年01月08日 00時26分00秒 |  〃 (教育問題一般)
 光文社新書の12月新刊、鈴木翔教室内(スクール)カースト」という本の紹介。この本は年末年始に読んでいて、データも多いしすぐ読み終わると思って読み始めたら、いろんなことを考えてしまい、案外時間がかかってしまった。「スクールカースト」という言葉は、最近よく聞かれるようになったけど、その問題に関して生徒や教員の証言も含めて分析された本である。「教育社会学」という分類になると思うけど、今の子供社会の内情を探るために是非読んでおいていい本だと思う。著者は東大大学院の教育学研究科博士課程在学で、帯で推薦文を書いてる古市憲寿氏に続いて、光文社新書が送る東大院生の新書本。


 ただし、この本を読んでみて、僕は「スクールカーストは実在するか」という問題から検証していかなくてはいけないのではないかと思った。もちろん、初中等教育の学校では、生徒がグループで行動し、グループ間に「優劣のようなもの」が生じていることは、どこの学校でも同じだろう。アメリカの小説や映画なんかを見ても、アメリカンフットボールやバスケットボールの学校チームの一員と、モテない落ちこぼれ青年の差は限りなく大きいように思う。学習成績以上に、スポーツ能力「モテ度」コミュニケーション能力「押しの強さ」などで、発言力の大きいグループと従属的なグループが存在するのは間違いない。それが「スクールカースト」だと言われれば、そういうものは実在することになるが、単に生徒間に優劣があるということだけでは「カースト」とは言えない。「カースト」という以上、「ある種の身分制度」に近いイメージがある。簡単に出入りできたり、カーストの上昇や下降がひんぱんだったら、それは「カースト」というより「生徒番付」とでもいう方がふさわしいだろう。(なお、インドの「カースト制度」と言われてきたものは、地理や世界史の教科書では、今では「ヴァルナ」などと呼び換えられる傾向にある。カーストという言葉自体が、これからの生徒には理解不能な言葉になる可能性も高いので、別の用語が必要なのではないか。)

 僕が読んで感じた疑問をいくつか書いておきたい。データなどは貴重なので、本で読んで欲しい。どういう部活動が「上」で、どういう部活動が「下」に属すると思われているかなどというデータもあるが、書くには及ばないだろう。日本の学校を経験していれば、大体予測できる話である。で、僕が一番感じたのは、教室内のすべての行為を全部「上下」で理解してしまっていいのかということである。例えば、宿泊行事でバスに乗るとき、「上位カースト」が後部座席を取ってしまい、バス内レクなんかで盛り上がる。「中低位カースト」のグループは、前の方の席でおとなしくレクの指示に従っているというような例があがっている。でも、ではすべてのグループが後部席を望んでいるかという問題があるだろう。おとなしめのグループでは、人前で歌うのも苦手の人も多いし、乗り物酔いしやすくてバスではそれが心配でおとなしくしているという生徒も多い。バスは後ろから詰めて、前を空けて救護席にしたり、同行する看護師や添乗員が乗るスペースにする。担任も連絡事項があるから前に座る。前の方が安心できるという生徒がいても不思議ではない。単に「すみわけ」してるだけなのではないか

 どうも本書の記述だと、教室が「弱肉強食」の世界に見えてくるのだが、そういう要素もあるかもしれないが、僕は今西錦司的な意味で「すみわけ」している要素も大きいと思ってきた。単純に動物生態学の考えを流用するのは好ましくないかもしれないが。それは宿泊行事の班分けや部屋割りにも言える。この本では、上の生徒からグループで班を作ってしまい、グループ人数が偶数で、部屋割りで奇数の場合、カーストの上から順に決まっていくとされている。しかし、低位グループでも仲間はいるのであって先に組んでしまうから、上位グループが引き抜くことはできないだろう。「カースト」間には「生きる力」の差があるかのように語られているが、「低位」生徒の班や部屋でも行事では班長や部屋長が必要になり、選ばれたリーダーは大体立派に役割を果たす。教室内には一見上下があるように見えても、下には下なりのリーダーシップがあって、学校内の秩序が保たれているように思う。

 また「カーストと進路活動」という分析がなされていない。学校に行くのは、進学や就職に有利であるという事情が大きい。高校では、大学への指定校推薦や就職への学校推薦がある場合がある。もし希望者が複数いた場合はどうなるだろう。「カースト」が上位の生徒から推薦されるのだろうか。もしそうだったら、「上位カースト」に在籍することは学校生活で一番重大な意味をもっていることになる。でも、そんな学校はどこにもないだろうと思う。「モテ度」なんかは考慮外で、おとなしくてもマジメに休まず登校しているかなんかが重視される。もちろん一番は成績そのものである。成績が上の生徒が優先されるのであって、「カースト」に関係しない。従って生活場面では「カースト」に意味があっても、実際の進路活動には影響しない。高校入試でも同じ。校内ではサッカー部の方が人気かもしれないが、サッカー部長でも卓球部長でも吹奏楽部長でも、高校側の評価は皆同格で、部長の経験は重視されることが多い。野球部で2回戦進出よりも、卓球部で都大会進出の方がずっと上なのも、どこでも同じだろう。

 「そうじ」の場面で、教員のインタビューで指摘されていることがある。「強い生徒」がほうきを取ってしまい、「弱い生徒」が雑巾などに回ることが多いというのである。僕はこの理解が判るようで判らない。ほうきをさっと取るのが「強い」と言えば言えるが、要するに「楽をしたい」のである。雑巾の生徒は「弱い」のかもしれないが、誰かが雑巾をしないといけないから、担当場所をきれいにしたいから自分で納得して雑巾で拭いているのではないか。このような雑巾を担当する生徒こそ「クラスの宝」であり、三者面談なんかの機会にほめてあげるし、逆に「楽をしたい」生徒の親には「家でもお手伝いなどをさせてほしい」と伝える。それが担任の仕事だし、僕はそう思って面談してきた。雑巾生徒と一緒に担任も雑巾がけをして仲良く話を聞けば、いろいろ真面目に考えている声が聞こえてくると思う。

 それでも「何の声もあげない」「コミュニケーション能力不足」の生徒も確かにいる。が、その場合は「考えを述べない」のではなくて、「考えをまとめられない」「きちんと伝えられない」というケースを考えた方がいい。それは「発達障害」である。「スクールカーストと発達障害」という考察が欠けていることは大きな欠点であるように僕は思う。

 この本で取り上げられている生徒や教員はかなり偏りがあると思う。タイに修学旅行に行って半数が腹を壊しカースト崩壊という話が出てくるが、どこにそんな高校があるのか。9年間同じ顔ぶれとか、そういう「固定度」が高いケースが多いように思う。確かにどこでも生徒グループ間の優劣があると思うけど、公立中学、公立高校ではもう少し別の様相もあるのではないかと思う。ただし、学校である以上、「学校行事」などの重要性は存在する。ダンスコンクールが大行事で、学年を超えて創作ダンスをつくるという学校の例が出ている。ダンスが得意で、リーダー性もある生徒が仕切って、身体を動かすのが苦手な生徒が命令されて怒られるという話だけど、それが「順位のつく学校行事」であれば当然そうなるだろう。クラス対抗球技大会でバレーボールをすれば、バレー部が仕切って、サーブも入らないヘタな生徒は休みたいだろう。それを「カースト」というかどうか。どうも僕にはよく判らない。ただ、「カースト」の下の生徒が「生きる力」も低いというのは、どうも理解できない。

 これからの議論のベースになる問題作だと思うので、多くの若い人や教師に読んでみることを勧める。が、学校での嫌な思い出を思い出してしまう人も多いだろう。そういう意味では注意も必要。なお、この本の教師の語りは、何とかして欲しかった。こういう風に話したんだろうけど、本にする段階で直して欲しかった。また若い教師自体が、高い倍率の中を選ばれただけあってか、「カースト上位」生徒だった人が多いのではないかと思った。それはそれで仕方ないけど、小説、映画、マンガなどを自覚的に読んでいく必要も大きいと思う。
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