くるみの世界

金でやっていく世の中や、あいさつが正しいとされていることは間違っているということを主張したいです。

脱金社会 金でやっていく世の中は不正だ10

2023年05月07日 | 脱金社会
目次
第1章から第8章へのリンク
第9章から第10章へのリンク
第11章から第16章へのリンク
第17章へのリンク
第18章から第19章へのリンク
第20章から第24章へのリンク
第25章から第29章へのリンク
第30章へのリンク
第31章へのリンク
32.喋っても喋らなくても不満を持たれる 
33.私の独り言を嫌ったり、問題視している隣人達とバカ低俗な嫌がらせ
34.有名人など一部の人は例外として、自分の思っていることを言っても、 誰も見聞しなかったり、ほとんどの人から見聞されない場合の方が多いだろう
第35章から第39章へのリンク
第40章から第41章へのリンク
第42章から第45章へのリンク
第46章へのリンク
第47章へのリンク

32.喋っても喋らなくても不満を持たれる 

 

私が20代後半の時、叔父が外国の人がやっているイルカ漁反対の人のことを、一字一句はっきり覚えていないが、「あいつらも牛とか豚食ってんだろ」というようなことを言っていたことに、私が自分の思っていることを言ったら、気に入らなかったらしく、「人には人の考え方があるんだから、わしが何を思って、何言ってもいいんだよ。何でおまえに言われなきゃなんねーんだよ。あいつらが言うなら分かるけど」という感じのことを興奮しながら不満を言われた。

 

私が20代後半の時、トイレに私が入ってる時に、叔父がドアを外からノックして、ドアノブをガチャガチャ動かしている。
鍵が閉まっているから、喋らなくても入っているの分かるだろうと思い何も言わなった。
私がトイレの外に出て、廊下を歩いてる時に叔父から、「物を言わないとダメだよ」というようなことを言われた。

 

私は20代後半ぐらいから、誰もいない部屋で独り言を言いだしたのだが、その声が他の部屋にも漏れているみたいで、叔父が気持ち悪がって嫌がり、「精神病院行けー」と言ってたり、
私が家の廊下にいた時にリビングで叔父が私の母親に「みっこ、頭おかしい」という感じのこと言ってた。みっこは私のあだ名だ。

 

私が20代後半の時、母親の喋ったことに私が何か言ったら、叔父から「人には人の考えがあるんだからー」と言うような感じのことを言われたが、私が喋っても、喋らなくても、誰かに喋ってても、独り言を言っていても、自分が気に入らなければどちらでも叔父は不満を持つのだ。
叔父に限らずに、自分の思い道りにならなかったら不満を持ったり、嫌がるのだ。喋っても、喋らなくて無言でも気に入らなければ不満を持つのだ。

 

叔父がイルカ漁などのことで、私が言ったことに叔父が言っていることも矛盾していることを言っているのだが、人には人の考えがあるんだがら自分は何を思い何を言ってもいいと信じているのに、私が思っていることを言ったことには止めるようなことを言っていて矛盾したことを言っている。いかにも独裁的、支配的なところがあるのだ。
私の母親に叔父がたまにバカにするようなこと言ったり、否定的なことを言っている。
以前、私の母親が叔父に何か言われた時に、「ユキちゃんも言っている」と言い叔父も同じことを言っているというようなことを私の母親が言ったら、「お前と一緒にするな。お前とは違うんだよ」と言っていて、特権階級意識を持っているみたいだ。
多くの人も叔父と同じことを思っている人はたくさんいるだろう。
見下している人、悪人と思っている人、好きではない人がある言動を取ると許さなくても、別の人や自分が同じ言動とるのは許すのだ。

 

私が20代前半の時、母方のおばあちゃんのことについて何かを言ったら、言った内容は覚えていないが、私の母親が私の言ったことが気に入らなく許せなかったのだろうが、「謝って」と言ってきた。

 

20代後半の時、叔母が私の家に来た時に、叔母と何も会話などしてもいないし、私が何もしていない時に叔母が「ちょとだけ我がままで生意気ー」と言ってきた。
別の日に会った時に、私が何の言動も取っていない時に「お姉さんの子どもだから面倒見てあげてるー」と言ってきた。
更に別の日に会った時に、私が台所にいて何の言動も取っていない時に、2メートルぐらい離れた右斜め後ろから、嫌味ったらしく「親に甘やかされたからー」と突然言ってきた。
何か私に気に入らないところがあり、不満があるみたいだが、何について気に入らなくて不満を持っているのかについてははっきり具体的に言っていない。
叔母とはほとんど会わないし、会っても私はほとんど喋らないのだが、
多分、以前、叔母と二人で車に乗っていた時に、叔母が数十年前に今の夫と結婚する前に、他の男の人とお見合いをした時の話を聞いた。
お見合いした男の人を断って、再度また見合いをしてくれと頼んで、2回目も断ったと聞いた後に、私が「ひでー」と3回ぐらい言ったのだ。
おそらく叔母はこの「ひでー」と言われたことが気に入らなくて不満を持ち、腹の中に根に持っていたのだろう。それで、その後に3回、私に対して嫌みの不満を言ってきたんだろうと思っている。

 

私が中学の時、家庭教師が家に来ていて、この家庭教師に私が何かを言った時に「家族や友達じゃないんだからー」と不満を言われた。

 

イズミヤで働いていた時に「ここのおばさん、みんないい人なのに何で喋らないんですか?」と同年代の同僚から言われた。
私があまり喋っていなことに疑問を持ったみたいだ。
同じイズミヤで、60歳ぐらいのGさんが着替えをするロッカーのある部屋で、私に喋ってきて、
私が短かい言葉で返答をして喋った後、Gさんが無表情で私をじっーと見ていて、その日か、別の日に仕事場でGさんが別の同僚に私のことを「この子、しゃべらへんねん」と言っていた。
ロッカーの部屋で、私にベラベラ長いこと喋ってほしいと望んでいたのに、私が短い返答しかしなかったことに不満を持ったか、不満ではないけれど思ったことを言ったのだろう。

 

小学校の時、同じ学年の人全員で水泳の授業をしてた時に、私はプールの外で座っていて、別のクラスの子に一方的に喋っていたら、私の右隣にいた隣のクラスの女の先生が「しゃべるなー」と言って、私の頭の上に拳骨を振り下ろしてきた。

 

中学の時、私を下に見ている感じの同じクラスの人(後の文章ではAさんと呼ぶ)が、休み時間に部屋のドアから室内に入って言った時に、私の近くで、私のことを見て声を出して笑っていた。
別の時に、他のクラスの女が私の所に来て喋っていた時に、「あの子って〇〇」という感じのことを私が言ったら、私の前にいたAさんが「モリタニさんに言われたないわ」と言っていた。
Aさんは自分のことを言われていると思って不快になったのか、自分以外のことを言っていたとしても普段から下に見てる私が言ったから気に入らないのか、同じことを他の人が言ったら不満を持たないのか知らないが、こういうことを言ってきた。

 

30代前半の時に、物流センターの仕事に派遣で行っていた。ある時に私は他の人がカートに乗せて持ってくる入れ物を、かご台車に乗せるという作業をやっていて、私のところに入れ物を持ってくる人の一部は私に「お願いします」と言っていた。
私は何も返事はしていなかったのだが、一人の女の人が、返事をしろというようなことを言っていた。
多分、お願いしますと言っていた他の人は、私が何も言わなくても不満を持っていない人の方が多いと思うし、これを知った人も、私が何も言っていないことに不満を持たない人が多いと思うが、同じ態度を取ってもみんなが同じことなど思わないのだ。
私が不満を言われた理由も、前世や過去や日頃の行いが悪いから、そんな態度を取られたのだと思う人もいるだろう。

 

ネットで読んだのだが、職場で自分が言ったことに返事をしなかった新人に、不満を言って怒った人がいて、その新人が辞めたことを自分のせいで辞めたのかもしれないと職場の人に言ったら、辞めている方がおかしいというようなことを言っている人がいたり、
返事をしなかった人の方を病気と言っている人がいた。返事をしてほしいのに返事をしない方を問題視して、返事をしなかった方に不満を持っていて、返事をしなったことを許さなかった方を問題視はしていないのだ。返事をされなかったことで許さない人を、心が狭い病などと言うわけでもないのだ。
日本人は人の気持ちが分かるなどと言う人もいるが、返事を求めている理由が、自分が言ったことを分かっているのかどうかの確認のために返事をしてほしいと思っているのならば、
日本人は人の気持ちが分からないところがあるから返事を求めているのだ。

 

喋ったことが気に入らなければ不満を持ち、喋らないことが気に入らなくても不満を持つ。
不満は持たなくても、自分のお思い道りの言動を取らないと不思議がったりして、疑問を持たれたりするのだ。
金を払わないことで泥棒と言って見下したり、不満を持っている人がたくさんいても、刑法違反のこと以外のことでも人に不満を持ち、見下したり、身体暴力をやったりして攻撃してくる場合もあるのだ。








33.私の独り言を嫌ったり、問題視している隣人達とバカ低俗な嫌がらせ

 

この文章を書いている2021年、私が今住んでいる家の隣人の60代後半ぐらいの男の老人で小野という人が私のことをすごい嫌っている。
嫌っている理由は、私が家の中で言っている独り言が家の外に聞こえているみたいで、その独り言を気持ち悪がって不満を持っていて嫌っているようだ。

 

はっきり覚えてないが、数年ぐらい前に私が風呂場で独り言を言っていた時がある。
別の時に独り言を言うときは、ヒソヒソ声で家の中の誰もいない部屋で独り言を言っている場合が多いのだが、風呂場の時は大きめの声だった気がする。
今は風呂場では独り言を言わないが、数年前の時は風呂に入ると、内容は覚えていないが過去に思っていた不満などが言葉で出てきていた。
私が風呂で独り言を言っていて、数日か、数週間か、一ヶ月以上経った後なのか、はっきり覚えていないが、ある日、私の住んでいる家の母屋の隣の建物の2階の外のベランダで私が洗濯物を干している時に、視線を感じて下を見たら小野が顔を上の方に向けて、私の顔を明らかに気持ち悪そうな、嫌そうな表情でじっーと見ていた。
私が風呂場で言っていた独り言の声などを聞いた小野が気持ち悪がり、頭がおかしいとか思って私のことを嫌っていて、嫌そうな顔で見ていたのだろうと思っている。

 

2018年ぐらいの時に、私がたまたま庭に出ていて、独り言を言っていない時、今は人が住んでいなくて職場に使っている隣の家の方から、小野の大声で「うるせーんじゃー」と言っている声が聞こえてきた。
その時、工事などの音がしていたわけでもなく、誰かの話し声が聞こえていたわけでもなく、何の音も聞こえていない時に、突然、小野が大声で言ったのだ。
推測だが、小野が隣の人に私が独り言を言っている声がうるさいと不満を喋っていて、
「うるせーんじゃー」という声の所だけ大声で言ったのではないかと思っている。

 

2019年の1月か2月頃に、私が住んでいる家の裏の所に枯れたドクダミがいっぱいあったので、
そのドクダミをゴミ袋に入れてる時に小野が近くを通りすがった。
その後、私がその場所を移動したら、小野が訪ねてきていた自分の子どもか孫に、一字一句はっきり覚えてないが「隣、ごにょごにょ独り言迷惑なんじゃ」というようなことを外で言っていた。
小野は私を普段は見かけないが、その時は見たくもないのに私の姿が目に入ってきて、私のことを意識して、自分の子どもか孫に、私の独り言に対する不満を言ったのだろう。

 

2017年の秋ぐらいに、私が家のリビングにいた時に、外から小野の声で「不審者がいると犬が吠える」という声が聞こえてきた。
その当時、私の家には一匹犬がいて、うんこをする前に吠えたり、それ以外でも結構吠えてたのだが、
小野が不審者がいると犬が吠えると言ったのは、私のことを言っていると思っている。
私が独り言を言う声が家から聞こえてきたことで、こいつ頭おかしい、異常者で気持ち悪い奴などと思っていることを不審者と言ったのだと思っている。

 

2018年の8月ぐらいに小野の子どもや孫だと思われる人たちが、夜の8時か9時代ぐらいに、
小野のところの庭で何かを作っていて、金づちか、なにかで、大きい音で何かを叩いている音がして、
またその音がなくなり、また音がするということを何回か繰り返していた。
小野は自分の身内の家族が大きい音を立てていても不満は持っていなさそうだ。

 

2017年か2018年の夏至ぐらいの時に、小野の家の母屋から少し離れたところに、以前小野が職場に使っていた建物があって、その建物のトタンの壁を金づちか、なにかで何回も大きな音を出して叩いていたり、別の時には、クワの刃の部分を上に向けて金づちか、なにかで、カンカンカンと大きい音を出して叩いていたのだが、これは私に対する音の嫌がらせでやっていたのではないかと思っている。

 

ある朝、私が畑にいた時に小野が犬と散歩していて目が合った後に、
小野が無言で、やたら大きく頭を下げてきたり、回覧板を持ってきた時に「回覧板持ってきた、ここに置いとくから」と庭にいた私に大きい声で言ったりしてたが、内心は私のこと嫌って、気持悪がっていて、あからさまに私の家の隣で、私について不満を言って、ケチ付けていたり、悪口を言っているのを何度か聞いたが、私のいる目の前ではそれを言わないだけだ。ある時、小野から数メートル離れた所に私がいた時に、小野が言葉以外のある声を出していたことがあるのだが、
私への悪態をついていると思っている。
鳥が外でキーキー鳴いている時に、小野が外で大声で「うるせーんじゃー」と言っていたり、
小野は外で放し飼いで猫を飼っていて、猫が増殖して増えている。
猫の糞尿に迷惑している人もいるが、小野はそれを知らなさそうだ。

 

私の家の隣の職場のエイちゃんと呼ばれている人が、小野から私の独り言のことを聞いていて、私の独り言の方を問題視しているみたいだ。
2021年の半ばぐらいの時に、私の家の隣に小野の奥さんがいて、エイちゃんが小野の奥さんに「独り言大丈夫?」と大きい声で言っていた。
この人は私の家の隣の職場で私の独り言よりも大きい仕事の作業音を出しているが、それを問題視はしていなさそうだ。
小野が鳥の鳴き声に不満を持ち、外で大声でうるせーんじゃーと言っていることも知らなさそう。
知ったとしても、小野や小野の奥さんに「鳥の鳴き声大丈夫?」とか言うのだろうか?
エイちゃんは多分、職場の音や、それ以外の音で不満を言われたことがなさそう。私はこの人の職場の音でうるさいと思ったこともある。
人間など誰でも多かれ少なかれ、自分に甘いところはあるだろうが、この人達も自分に甘いところがあるのだ。
音以外でも、この人たちも、それ以外の人も誰かが嫌がることをして生きてきているだろう。、
多くの人は嫌がられていたり、迷惑されていることにも全くか、ほとんど気づいていないか、大勢がやっていることや、大勢が喜んでいたりする花火などの音は大きい音であれ、小さい音であれ許すような差別をしているのだ。私も小野やエイちゃんなどから音の差別をされているのだ。
エイちゃんも多分、小野が外で猫を飼っているのを知っていると思うが、それを問題視はしていなさそうだ。
数年前に近所のおばあさんが、よその家のポストを開けているのをエイちゃんは止めていたが、
小野が外で猫を飼っていることや、私の悪口、不満を言っていることは止めないのだろう。
人が嫌がることや、おかしいと思うことは人によって違うということだ。
自分がおかしいとは思わないことは止めなかったり、好きな人や大勢がやっていることは許しやすい人が多いだろう。
小野やエイちゃんは、独り言を嫌がっている方に問題があるとか、自分達が出している音は問題視していないのだろう。

 

金でやっていく世の中に加担していることで、この老人達も私や他の人が迷惑して嫌がることをして生きているのだ。
多くの老人は年金を貰っているだろうが、合法をいいことに金がないと生きていけないから、ちゃっかり年金を貰っているのも、合法の泥棒だが、合法なので警察を呼んでも捕まりはしない。みんなが年金を払いたいとは思っていないし、年金払うことを正しいなどと思っていない。
音で迷惑していると思っている人が、自分も音や音以外のことで迷惑されたり、嫌がられているのだ。
直接不満を言われることがほとんどなかったり、全くないと、自分は不満を全くか、ほとんど持たれていないと都合のいい捉え方をする人もたくさんいるだろう。
肉食している日本人は多いだろうが、肉食していることを嫌がっている人もいたり、
人間は動物を食べるようにはできていないと言っている人もいるのだ。
誰かのことを迷惑だと思っている人も、自分も相手や誰かから迷惑されたり、嫌がられているのに気づいていない鈍くてバカなところがあるのだ。

 

小野の家の方から車のドアをバンバンと2、3回閉めて、少し時間が経ってまた2、3回ドアを閉める音がが2021年の1月ぐらいから、朝の5、6時代ぐらいから何度も聞こえてきた。
以前は、この時間帯に起きている時はあまりないので、いつぐらいからやりだしたのかは分からない。
私と同じ家に住んでいる叔父が大きい音でドアを閉めていて、近所の老人と、よそに住んでいる老人の子どもが叔父のドアの音に不満を持っていて、そこの息子が朝に車のドアを嫌がらせでバンバン閉めている可能性があると初めのうちは思っていたのだが、ある朝、車のドアを閉める音が聞こえてきた後に、私が庭に出て音が聞こえる方を見たら、小野の家の方から2台の車が出てきたのだが、私が嫌がらせしている可能性があると思っていた近所の老人の子どもの車ではない車が2台出てきたので
私の推測は外れていると思った。

 

2021年の6月6日の朝7時代ぐらいに近くから、いつもより車のドアをたくさん閉める音が聞こえてきた。
その数時間後に私の住んでいる家の近くから車のドアを閉める音が短時間に
何度か聞こえた後に、すぐ私は2階に上がり、小野の家の方を見たら、小野の母屋の隣に止めてある車の横に30代ぐらいの男が一人いて、その後に、間を開けて何回か車のドアを閉めるのを見た。この人は小野の息子だと思っている。
小野が息子に私の独り言の不満を言っていて、親が独り言で迷惑していて苦しめられていると思い、
音の嫌がらせをするために車のドアをバンバン閉めているのだろうと思った。
2021年の前半の時から私が気づきだした車のドアをバンバン閉めていたのは小野の息子なのだろう。
私が独り言を言っているのは、長い時には数時間言っていたりするのだが、それは珍しいし変わっていることだが、変わっていない人などいないし、誰でも他の人と違うところはたくさんあるだろう。
小野が私への不満を外で大声で何度も言っていたり、音の嫌がらせをしているのも変わっている。
他の人なら、独り言を言っている人に不満を持っても、不満を持っている相手の住んでいる家の隣で大声で不満、悪口など言わないだろう。
小野の子どもが音の嫌がらせをしているのも、住宅街で他の人にも音が聞こえているし、音を出している隣に親が住んでいるのに、大きい音で嫌がらせの音を出しているのも変わっているし、バカ低俗な嫌がらせをしている。親子そろってバカ低俗なところがあるのだ。
自分達が出す音は嫌がらせでも、それ以外でも許すところがあるのだろうが、気に入らない奴の出す一人言の音は許さないのだろう。
自分に甘いのだ。音の大きさの面では小野が出している音や、小野の子どもの嫌がらせの車のドアを閉める音の方が大きい音を出している。
嫌われている方に問題があると思っているのだろうが、嫌っている方にも問題があるだろう。

 

2021年11月9日の火曜日の平日の日の午前9時代ぐらいに私が家の一階にいた時に、近距離から大きい音でバンと車のドアを閉める音が聞こえてきた。
その後、数秒後にまたバンと車のドアを閉める音が聞こえて、その後にも短時間の間に何回か近距離から大きい音で車のドアを閉める音が聞こえてきた。
多分、小野の息子が私に対する音の嫌がらせで車のドアを閉めているんだろうと思い、2階に上がり小野の家の方を見に行ったら、小野の息子の乗っている白い車がいつも置いている所より少し離れた所にあって、私の方からは車の後ろ側が見えていて、車の後ろ側のドアは開いていた。
黒い服を着た小野の息子が車の後ろ側に立っていて、何かをしているように見えたのだが、私への音の嫌がらせのために演技で何かをしているように見えた。
間違っているかもしれないが、何かペンのようなものを持っているように見えたのだが、車の後ろ側のところに何かを書いているようにも見えた。
その書いているようなことをした後に車の後ろ側のドアを閉めて、すぐにドアを開けて、また何かを書くような感じのことした後にドアを閉めて、また開けるということを何度も繰り返していた。車の後ろ側に、長い黒色の物を取りつけているように見えたのだが、赤い長細いシールを剥がしていた。
車のドアモールを付けている感じだった。ドアモールを付け終わった後にも
車の後ろのドアを一回閉めては、また開けて閉めるということをやった後、
車に乗りこんで少しだけ前に車を移動させ後、車から降りてホースを持ってきて車全体に水をかけた後、タオルを持ってきて車を拭きだした。
車の後ろのドアを開けて、後ろ側の内側のところも拭いていた。
音の嫌がらせをするためだけに演技で車のドアモールを付ける作業をしていたのか、
車のドアモールを付けることが主目的で、ついでに音の嫌がらせをしたのかは分からないが、何度も車のドアを閉めていたのは私への音の嫌がらせ目的だろう。

 

私の家の近所にイノウエというばあさんがいて、私がこの人や、この人の夫に初めにあいさつしないことに遠まわしに悪態ついてきている。
2021年の5月ぐらいに私が家にいた時に、この人の声で「ほとんど毎日、独り言言っている」という声が聞こえた。
どう見ても私の独り言のことを言っているとしか思えない。多分、小野かエイちゃんなどから、私の独り言のことを直接聞いたか、電話などで聞いたのだろう。
私が家の中で独り言を言っているのは事実で、数年前から言い出したが、ほとんど毎日など言っていない。
数年前に小野の庭の隣にある物置みたいになっている建物の2階で一時期、独り言を言っていたことがあるが、特にその場所で言っていた独り言が小野に聞こえていたのだろうと思っている。
小野の家の母屋と、うちの家は数メートル離れていて、うちの物置みたいになっている建物の数メートル近くに、小野が以前、職場に使っていた建物があり、小野はそこにいる場合があるみたいなので、そこにいる時に私の独り言が大きい声ではないけど聞こえていたのだろう。
その後、物置みたいになっている場所では独り言が聞こえているのが分かったので、その場所では独り言は言わなくなった。
その後も別の部屋で独り言を言っているが、ほとんどか、全く外に聞こえているとは思わない。
その別の部屋の外や下の階などに音が聞こえているか確認するために、ラジオを大きい音で鳴らしてみたが、部屋の中の一部にはラジオの音は聞こえていたが、それ以外の部屋や外には聞こえていなかった。独り言の声はラジオの音より小さいから、なおのこと外には聞こえてはいないと思っている。
小野は数年前に聞いた私の独り言を思いだして、今独り言が聞こえているかのように思っているのか、
意図的にウソを付いて、独り言が聞こえていないのに独り言が聞こえたかのようなウソを付いているところがあるのだろう。
エイちゃんに数年前から私の独り言の不満、悪口を言い、2021年や、その数年前は全く独り言の声など聞こえていないだろうに、エイちゃんに独り言で迷惑しているというようなことを言ってウソを言っているのだろう。その独り言はほとんど毎日言っているというような
明らかなウソを小野は言っていそうな感じがする。私が独り言を言っているのは本当のことでも、ほとんど毎日言っているわけでもないことを、独り言をほとんど毎日のように言っているというウソを言っていそうだ。
2021年も独り言は言っていたが、その独り言の全部は小野の耳に入っているとは思わない。
小野は数年前から、私が独り言を言っていない時に、わざわざ家の中から外に出てきて「何をごにょごにょ独り言言よーんじゃー」とか言ってたり、2021年の半ばの時には「おんどりゃー、何をごにょごにょ独り言言よーんじゃー」と外で大声で言うようなことをしているのだ。
私が独り言など言っていない時に、こういうことを言っているのも、過去に私が独り言を言っていたのを思い出して、いちいち外に出てきて、私の独り言に対する疑問や不満を言っているのだ。
小野が私のことを不審者とか、おかしい奴と思っているのは間違いないが、自分もそんな人間なのだ。

 

田舎の住宅街の中にある私の住んでいる家の隣のエイちゃんのところの建物の大きい窓ガラスが数年前に割れていたのだが、これは小野がやったのではないかと思っている。
数年前に私が家の中にいた時に、隣の職場のエイちゃんのお母さんの声で「猫にエサやっちゃダメだ」という声が聞こえた。
小野の家の母屋から離れた所の道路に面している所の小野のところの建物の外にエサが置いてあり、猫が来ているのを私も見たことがある。
猫にエサをやっているのは小野で、小野は自分が猫にエサをやっていることを止められて否定されたことに不満を持ち、エイちゃんのところの窓ガラスを割ったのではないかと思っている。私の独り言への嫌悪をしつこく外で何度も言っていたり、いかにもガラが悪そうなのでやっていそうだと思った。
猫にエサをあげていれば、そこだけ見れば優しいとか思いやりがあるとか良く思う人もいるだろうが、
人間は多面的で色んな面があるので、一面だけ見ても人のことなど分からないのだ。

 

私の住んでいる家のポストは家の外側にあるのだが、そのポストの下の方に、白檀(びゃくだん)という、ひもサボテンがあったのだが、数年前に、白檀の左側に人が足で踏みつけた跡があり、べちゃっと白檀が踏みつけられていた。
初めは郵便配達の人がバイクを止めた時に、たまたま踏んだのかと思っていたのだが、
それから月日は過ぎて、踏みつけられてぺちゃんこになっていた白檀のところに白檀が伸びてきて、足の踏み後も見えなくなっていたら、また同じ場所が足で踏み付けられていて、白檀が一部ぺちゃんこになっていた。
さらに月日は過ぎて、次は白檀が踏みつけられているのではなくて、左側の一部の白檀が無くなっていて別の場所に飛んでいる。
さらに月日が過ぎて、また左側の白檀の一部がなくなっていて、すぐ隣の道路の上に、根っこごと白檀がいくつかあったのだが、誰かが蹴飛ばしていると思った。
うちのポストの前の道路を通って奥に行くと行き止まりで、通り抜けできないし、昼間もほぼ人や車などは通らない場所だ。ここを通る人はごく一部の人しか通っていない。
この白檀を踏んだりしているのは、数年前には小野がやって嫌がらせでやっているのではないかと私は思っていたが、その後、小野ではないかもしれないとも思った。
うちの畑の横の板金が私のことを明らかに嫌っていて、畑とかに私が嫌がらせと呼んでいることをいくつかやられていて、それは板金がやっていると私は思っているのだが、白檀のをやっているのは板金の可能性もあるかもしれないとも思った。
誰がやっているにせよ、郵便配達員がたまたま足を置いたのではなく、誰かが嫌がらせでやっていると思っている。

 

誰かがネットに書いていたことだが「人を攻撃する人は、自分が先に相手から攻撃されたと思っている」という感じのこと書いていたが、小野達が私に悪口を言ったり、嫌がらせしているのは、この理由だろう。
独り言が聞こえてきて、うるさいし、気持ち悪くて、自分が嫌な気持ちになったのは私のせいで被害を受けていると思っているのだ。
 
猫を外で飼っている人をおかしいと思っている人や見下している人もいる。
逮捕されていないからおかしい人間ではないということにはならないし、不正をやっていないということにもならないし、誰かが嫌がることをしていないということにはならない。
独り言を言っていて嫌がられていても逮捕にはならないだろうし、年金を取られることを嫌がっている人がいるが年金を貰っている老人が逮捕されるわけではない。
金でやっていく世の中を正しいと信じ、辞めないことで大勢の人が苦しんでいるが、多くの人はほとんどの人が嫌がることをしていないと思っていると思う。
他人のことを悪く言う人が、自分達が悪く言われると不満を持ったり、怒ったりするのだ。自分に甘いのだ。
逮捕されたことがある人や、凶悪犯罪などと言われている人よりも、逮捕されるようなことではない独り言を言っていたり、給料や印税という形で金を貰っていない人や、あいさつしてほしいのにあいさつしない人に対しての方がよっぽど嫌っている人達もいるのだ。
逮捕されている人は色んな理由で見下されたり、嫌われるが、逮捕されるようなことをしていなくても
色んな理由で嫌ったり、見下したり、死んでほしがられていたりするのだ。

 

家族や親戚でさえ、好きなところがある一方で嫌いなところがあり、家族や親戚に身体暴力を振るったり、不満を本人の前で言ったり、影で不満を言ったりしている。
日本人の中に、本人に直接不満は言わずに、本人のいる近くで他の人にすぐに思っている不満を言ってたり、本人がいない所や大勢が見聞できないところで不満を言うようなことについて、日本人は陰口民族と言っている人もいる。大勢や本人のいる所で悪口を言っていないから、悪口を言っていないということにはならない。

 

年寄りのことを、角が取れて丸くなるなど言ってたり、年寄りは人のことが見抜けるなどと言う人がいるが、実際の老人は人のことも世の中のこともあんまり知らないだろう。ほとんどの人は
人のことや世の中のことに、ほとんど関心、興味などないだろうけど。
若い人の多くでも嫌がらないことを嫌がる年寄りもいるのだ。
独り言がどこかの家の中から、聞こえてきてもみんながその人のことを嫌ったり、
見下したりはしないだろうし、ましてや嫌がらせなんかしないだろうけど。
私が近所の人から、独り言のことで嫌われたり、問題視されているが、金でやっていく世の中で値段ついているものに金払わなかったり、年金、税金払わなくても、法律違反や刑法違反をしていることで不満を持たれるが、法律違反ではなくても不満を持たれるのだ。
人間は、自分が気に入らないことならば、法律違反であれ、それ以外であれ、嫌ったり、見下したりして気に入らないと思うのだ。







34.有名人など一部の人は例外として、自分の思っていることを言っても、誰も見聞しなかったり、ほとんどの人から見聞されない場合の方が多いだろう

 

自分の思っていることを言わない人をサイレントマジョリティーという言葉で言い表し、ほとんどの人は自分の思っていることを言わない人であるかのように言う人がいるが、
自分の思っていることを全く言わない人はあまりいないだろう。
ほとんどの人が、なんで自分の思っていることを言わない人であるかのように思う人がいるのかは、
本人や大勢が見聞できない所で思っていることを言っていたり、ネットなどで匿名で書いているので、
一見、自分が思っていることを言っていないように思う人もいるのだろう。

 

自分のことを誰かから息が臭いと言われなかったから、自分のことを誰かが息が臭いと言っていないということにはならない。
自分のことをハゲていると言われたことがないから、自分のことを誰かがハゲていると言っていないということにもならない。
誰かが本人や大勢がいない所で自分や誰かのことに否定的なことを言ったり、バカにしたり、悪口、陰口などを言ったりしていることは、悪口を影で言われていることは大雑把には分かっていても、具体的に何を言っているのかは知らなかったり、一部の人はほとんどの人は不満や否定的なことは言われていないと思っている人もいるのだろう。
日本人は控えめではないところもあり、影で本音を言ってたり、悪口(中傷)を言っていることは多くの人は知っていることだろう。

 

誰かがウンチやしっこ(尿)を自分や他人が見ている所でやっていなかったり、その人がウンチや
しっこをしているという話を聞いたことがないから、ウンチやしっこをしないということにはならない。
ほとんどの人をサイレントマジョリティー、物言わぬ大衆などと呼んでいる人を、正しいことを分かっている良識がある人であるかのように言っている人がいるが、サイレントマジョリティーと言われている人たちが、全てのことについて同じことを思っているわけがない。
大勢と同じことをしたり、大勢と同じことを信じている人を良識のある人や、正しいことを分かっていると思っている人もいるのだろう。

 

日本人を良く言いたがる人は、日本人は謙虚、控えめ、つつましやかと言っていたりするが、実際は自己主張もしているし、自分の思っていることを言ったり、書いたり、歌ったり、踊ったりなどして、自分の思っていることを外に出したり、嫌がらせをしたり、気に入らない人を逮捕させたりなどしているところがあるのが日本人だ。

 

サイレントマジョリティーの意味付けが人によって違うわけだが、
ネットでこの言葉を調べていると、「声なき声」とか「物言わぬ大衆」とか
「積極的に発言をしないが大多数である勢力」などと言っていたりする。
サイレントマジョリティーと言われている人と、声が大きいと言われていて、積極的な発言をしている人のように言われている人との違いは、自分が言ったことが大勢に見聞されたのか、大勢に見聞されていないかの違いだ。
ネットなどで大勢が読んだり、視聴することが出来る所に自分の思っていることなどを出しても、ほとんどの人は読んでないし、視聴などしないだろう。誰かが出したものを見聞しても、興味がないと思われるものの方が多いだろうけど。
私は今までに複数のブログをやっていたり、SNSやYouTubeに動画を出しているが、ほとんどの人は私のブログやSNSやYouTubeチャンネルを知らないだろう。
多くの人が見聞できる所に思っていることを書いたりして出しても、みんなが見聞するわけではない。
私のYouTubeチャンネルの動画で数年前に出したもので視聴回数が0回のものもある。
ネットに出したものなどで、誰かが見聞していて気に入らなかったりするから、規約違反などでアカウント削除されたり、非公開にされたりしているのは、誰かが見聞したからで、非公開やアカウント削除にされた人が出したものを知られているから、削除や非公開にされたのだ。
出したとしても誰も見ていないのならば、出したものを知らない人からしたらないのと同じだ。

 

自分の思っていることを言わないのではなくて、自分の思っていることを言ったり、書いたりしても
大勢の人たちは誰かが言ったり、書いたりしていることをほとんど知らないのだ。
言っていないから知らないのではなくて、言っていても知らないのだ。出していても知らないのだ。
みんな世の中や人間についてほとんど知らない無知なのだ。
知っていると思っているのは、一部のことだけを知っているだけでほとんどのことを知らない。
あの人達より知っていると優越して、上から目線になっていたりする人もいるだろうが、ほとんどのことを知らないことでは同じなのだ。

 

自分の思っていることを外に出して、書いたり、喋ったりすると、その言い分が気に入らない人などが、身体暴力してきたり、裁判起こしたり、影から嫌がらせしてきたり、不満を言ってきたり、悪態をついてきたりする場合があり、こんなことされたくないから、影で親しい人などの一部の少数の人にだけ自分の思っていることを言う人がたくさんいると思う。
ネットで自分の思っていることを言ったり、書いても、削除されたり、アカウント停止などになって、自分の思っていることを大勢の人間に知ってもらおうとしても、誰かから不満を持たれて削除されたり、非公開にされたりして、自分の主張などを消されたりする場合がある。

 

大勢の人達は何も言わない積極的ではない人達のような間違ったことを言っている人がいるが、
思っていることを言っていても、言わせないようにする場合がある。
気に入らない人の言動に「押さえつけないとダメだな」などと言う人もいる。
つまり自分がやりたい言動をしたり、言いたいことを言ったり、書いても、それを気に入らない人がその言動を押さえつけてやらせないようにさせる場合もあるのだ。

 

私は今までにネットで複数のブログやSNSをやっていたが、ほとんどの人は読んでいないし、
私がやっていたブログやSNSの存在自体を知らないだろう。
あの人の言っていることが悪か善かとか、好きとか嫌いなどと思う以前の話で、
ほとんどのことは知られてさえいないし、多くの人は知る気もないだろう。

 

金でやっていく世の中についても、みんなが金信者ではないし、金信者も色んな種類の金信者がいるわけで、みんなが同じことなど信じていないが、金でやっていく世の中をおかしいと思っていたり、正しいと信じていない人がいることを知らない人がたくさんいるのだ。
知ったとしても、本来全てのものに値段が付いていないことは考えなくても分かることだが、
金でやっていく世の中が正しいと信じ続ける人もいるだろう。



 


脱金社会 金でやっていく世の中は不正だ8

2023年05月07日 | 脱金社会

 

30.金でやってく世の中や学校教育の異常さとウソ

 

多くの人が「働く」「仕事」 などの言葉に付けている定義、意味付けは、
給料や印税という形で金を貰うという意味だろう。
たまに、「赤ちゃんは泣くのが仕事」「子どもは勉強するのが仕事」とか言う人もいたり、給料や印税という形で金をもらっていなくても
畑作業していることを仕事と言ったり、価値が高いと思うことをやっていることを仕事と言う人もいる。

給料や印税という形で金を貰っていない人に死ねとか、怠け者などと言ったりして不満を持つ人がいるけど、その理由が、
「給料や印税という型で金を貰うようなことをしている人は苦しんでいるのに、例外あれど、それ以外の人は苦しんでいなくて楽をしている」と思って不満を持ってたり、「大勢が給料や印税という型で金を貰う仕事をしているのに、大勢と同じことをしていないことが例外あれど気に入らない」と思っているのか「家族や親戚以外の役に立っていなかったり、好かれていない人が気に入らない」と思っているのか、それ以外の理由で嫌っていて気に入らない人もいるだろう。
なんにせよ、給料や印税という形で金を貰うことをしていない人を例外あれど嫌ったり、人間の底辺、格下、社会のクズ、ダメ人間、気に入らないと思っている人もいるわけだが、一方で給料や印税という形で金を貰うことをしている人にも不満を持ち、仕事を辞めさせようとしたり、
「職業不適合者」「適材適所じゃない」「仕事も出来ないのに給料貰うな。給料泥棒」「金儲け主義」「金の亡者」などと言ったり、外見、見ため、容姿を嫌ったり、性格を嫌ったりなどして不満を持ったりしている。

給料や印税という形で金を貰うことしている人が、職場の同僚について「人間扱いされないよ」とか言ったり、同僚に対して「人間扱いしてほしい」などと言っていたりする。
給料や印税という形で金を貰うことをしていても、給料や印税という形で金を貰っていなくても、どちらにせよ、不満を持ち、気に入らないと思ったり、嫌ったりしているのだ。

私のことで言えば、20年以上前の高校一年の時に学校を中退して、その後に長期的に家にいた。
長期的に家にいることを雑誌や新聞やテレビなどで引きこもりなどと言われているのを見聞して、長期的に家にいることを、引きこもりと呼ぶ人が多いだろう。
引きこもりという言葉で呼ばれている人を良く思わない人や気持ち悪がったり、病気などと思ったりする人がいる。

老人も若い人も、自分は色んなことを知っていると思っている人もいるだろうが、実際はほとんどの人のことも、世の中のこともあまり知らなくて、
知っている人についても、ほとんど知らなくて、少しだけ知っているだけだろう。

日本人も日本人以外の多くの人も、例外あれど、大勢と同じことをするのが正しいと信じているところがある人が多いだろうから、
例外あれど、大勢と同じことをしない人間を受け付けなくて、気に入らなかったり、嫌ったり、間違っていると思い、大勢と同じことをしない人や、気に入らない人を変えさせようとすることを「教育」「教える」「育てる」「しつけ」「治す」「人のために」などと言い、自分が信じてることや、感じていることが正しいと勝手に信じているところがあるのだ。

もし大勢の人が給料や印税という形で金を貰っていなかったり、長期的に家にいたり、学校に行っていなかったら、ほとんどの人はこれらのことに不満など持たないだろうし、間違っているとか、おかしいとは思わないだろう。
例外あれど、大勢が信じていることや、大勢がやっていることが正しいと信じこんでる人がたくさんいるのだ。
根拠や裏付けのない自信を持っているところがある日本人のことを謙虚、控えめ、つつましやかなどと言う人もいるのだ。

私が長期的に家にいた時に、一字一句はっきり覚えてないが、母親から
「そんなことしてるのはあんただけだ。滑稽だ」というようなことを言われた。
家族からもバカにされて異常だと思われ、家族以外の人からも嫌われて、バカにされて異常だと思われているわけだ。
「そんなことしてるのはあんただけだ。滑稽だ」と言っているのは、私が長期的に家にいるのは、本人の私だけに問題があって、
親や今まで関わった人や、直接関わったことがない人や、社会背景など、本人以外は何も関係ないとでも言いたいのだろう。

逆に本人を悪く言いたくない場合や、本人だけのせいにしたくない場合は、
「親が悪い」「親に似た」「蛙の子は蛙」「家庭環境に問題がある」「親が変われば子も変わる」「社会背景によって性格が出来た」
「大人の心を吸った」「母親が笑顔なら子供も笑顔」「みんな同罪」「罪を憎んで人を憎まず」とか、
先生や学校やメディアや、直接関わったことがない人の心を吸ったなど、本人以外の人間などにも問題や原因があると思ったりするのだ。
例外あれど、好きな人や大勢がやっていることで気に入らないことがあると、本人以外のせいにしやすいが、どうでもいい人や、格下に見ている人や嫌いな人や、悪人だと思っている人や、少数派の場合は本人に問題や原因があるとして、本人を悪く言う場合が多いだろう。

私の母親が以前に、一字一句覚えてないが「私の性格は社会背景によってできた」というようなことを言っていて、自分の性格は自分以外のものによって作られたと思っているところがあるのに、私が長期的に家にいたことは本人だけがおかしくて、本人だけに問題や原因があるかのように思っているのだろう。

歌手のAKB48の指原という人が言っていたことで、一字一句覚えてないけど「親に迷惑かけている引きこもりの人、指原でも一位になれたんですよ」というようなことを言ってたと思うのだが、多分この人の言いたいことは、
「長期的に家にいる人をバカにしつつも、応援してるよ。
私でもたくさんの人から応援されて、ファンの人がいて、好かれてるんだから、あなたたちも外に出て学校に行ったり、
給料や印税という形で金を貰うようなことをしたら、誰かから嫌われても、好きになってくれる人もいるよ。家族や親戚以外の人からも好かれるよ。
あなたを必要だと思わない人がいても、あなたを必要としている人はいるよ。」という感じのことを言いたいのではないのかなと思うのだが、
ほとんどの人は知名度の低い無名な人ばかりだ。そんな知名度の低い無名な多くの人たちと、テレビなどのメディアに出ていて知名度が高い有名人を比較しているのもおかしいのだ。

有名人とかの大勢の人に知られている人達も、その有名人を知っている人の中の一部の人から好かれたり、応援されていても、
その有名人のこと好きではない人もたくさんいるだろう。
学校や仕事に行って、周りの人が全員自分を嫌っているわけではなくても、
周りにたくさん人がいる場合、誰かから嫌われる場合が多いだろう。
有名人みたいに大勢の人から知られている人は、その大勢の知っている人の中の一部の人から好かれて、その一部の人の人数が数万人や数十万や数百万の人から好かれている人もいるが、これだけ大勢から好かれている人たちは例外の人だ。
ほとんどの人は大勢から知られていないので、学校、習い事、職場、家族、親戚、近所の人など、ごく一部の人からしか知られていないので、その一部の人の中のほとんどから嫌われたり、見下される場合もある人もいれば、
周りのほとんどの人から嫌われなくても、好かれてもいない場合もあるだろう。
知名度が低い人も大勢から知られたら、好きになる人がたくさんいても、大勢から知られなければ、ほとんどの人からは、その人はいないようなものだろう。

歌手の歌の歌詞に、自分らしくとか、自分のままで立っているとか、言っている人がいるが、自分の本音や本心や、自分の信仰心をまかり通らせたら、逮捕されたり、不満を言われたり、攻撃される場合もあるのだ。
歌手や芸能人などの有名人は大勢の人から好かれたり、上に見られて尊敬されたりしているから、不満を言われるようなことがあっても、
自分の味方がたくさんいて、自分を支持してくれている人がたくさんいるのを分かっているから心強い人も多いだろう。
歌手や作家が歌を販売して、ファンの人や、それ以外の人が金出して買えば、印税などの形で金が入って来るし、多くの人から仕事をして働いていると思われている。ほとんどの人がこの人たちの歌や本を買わなくても、知らなくても、金が入ってくるし、仕事をしていると言われるのだ。
逮捕されて牢屋の中に入っている人が、「自分は間違っていない。逮捕する法律もおかしいし、それを正しいと信じている人や、
まかり通らせている人達がおかしい」「金でやっていく世の中が不正で間違っているんだ。あんた達も嫌がっている人から税金、年金や
値段ついているものに金払えと、人が嫌がることしているだろ」などと思ったり、言っても、牢屋の中にいる人の感じていることや信仰心、言い分は誰にも知られなかったり、刑務官など一部の人に言っていても、
ほとんどの人には知られないのだ。
歌手や作家は新曲や新しい本を出せば、仕事や職業などと言われカッコが付き、金も入ってくる。
一部のファンから嫌われて、その人達から本や歌を買われなくなっても、他のファンは買い続けてくれるだろうから、金が入ってきてやっていけるだろう。
ほとんどの人は自分が思っていることを言っても、書いても、それで金など貰えないし、仕事や働いているとは言われない。
金でやっていく世の中は例外あれど、好かれている人は歌手などのように、どんどん好かれていき、大勢が悪いと思うことをやっている人は逮捕されたりなどして嫌われて悪く言われるだけだ。
一部の人がやたら得をして高評価されて金がたくさん入ってきても、他の多くの人はそうではない。

AKBの人が言っているのは「自分達が中学や高校の10代の時にセックス出来たから、みんな10代でセックス出来るんだよ。
自分達は友達や恋人という両思いの仲のいい人が出来たから、みんな学校に行ったら、両思いの仲のいい人が出来るんだよ」と言っているような感じもする。
多くの人は学校に行って、両思いで、お互いが相手のこと好きで、仲のいい人ができる人が多いだろうが、みんなにそんな相手が出来るわけではないだろう。ある一時期は仲のいい人が出来ても、ほとんど仲のいい人が出来ない人もいるだろう。

私の母親も他の親たちも、自分の子どものことをあまり分かっていないだろうに子供を産み育てて、自分の子どものことも、よその子ども
のことも分かった、子どもを産んで親の気持ちが分かったとか、
「子どもってこうよ」「男の子ってこうよ」などと言い、子どものことを分かっているように言う人もいる。
妊娠、出産して、子どもを持つ経験をしたことで優越感に浸って上から目線になっている親もいる。

私が過去に家に長期間いたことにも異常なことで、正常やまともではなくて、生き方が間違っているとか、親の育て方に問題があるとか、親子共々変わっていてるなどと思い、見下したり、バカにする人もいるだろうが、
逆に外に出ていたり、大勢と同じように学校に行ったり、給料や印税という型で金を貰っている人もバカにされたり、格下に見られている。逆のことをやっていてもバカにされたり、見下されている点では同じなのだ。

私は岡山県岡山市で生まれて、4歳ぐらいの時に大阪府東淀川区に両親と姉と4人で引っ越して、5階建てのマンションの3階に住んでいた。
家の近くの幼稚園に行ってる時から、あからさまに同級生の女から悪態つかれていて嫌われていた。
他の人なら悪態とは言わずに、いじめという言葉で言うのだろうが、私はいじめという言葉が嫌いなのでここでは使わない。
幼稚園のふじ組の時に、同じクラスの一人の女(この後の文章ではAさんと呼ぶ)が、私のキティーちゃんの絵が描いている体操服袋だか、何かの袋を隠したり、私の腕を雑巾を絞るみたいに捻じってきたりなどされていた。
Aさんが私にこうゆうことをしてきている理由を、一字一句はっきり覚えていないが、「前のクラスの時に〇〇に△△したからやってる」みたいな感じのことを言ってた。
ほとんど一字一句言ったことをはっきり覚えていないが、「前のクラスの時にお前が他の人に対して、おかしなこと、いじめをやっていたからお前にこんなことしてるんだから、やられているお前の方が悪くて、因果応報、しっぺ返し、自業自得で、お前は諸悪の根源であり、お前が悪くて、お前に原因があるんだぞ」とでも言いたいのだろう。
戦争で日本が敵軍を攻撃する理由に、お国を守るためにとか、人のためにとか言ってるのと同じようなものを感じる。
「敵軍を攻撃しているのは、人におかしなひどい、悪いことをやってる奴を懲らしめるためなんだ。先に悪いことをやったのは敵軍の方なのだから」
と思っている人もいるだろう。

私は大阪に引っ越した初めの方から、あからさまに人から嫌われ、バカにされて悪態つかれていて、家の外にいても嫌われていたわけだ。
人間の中には人から嫌われたり、身体暴力振るわれたり、悪態つかれたりする原因や理由を、嫌われたり、悪態つかれている方に原因や理由があると思っている人がいたり、自分より格下に見ている人だからそんなことされると思う人とか、類は友を呼ぶで、どちらも似たもの同士で同じレベルの人間だと思う人や、嫌われてる人が子どもだった場合は、親や家庭に問題があるとか、大人のせいなどと思い、子どもに問題はないという理由や意味をつけたり、ほとんどの子どもはいい子だけど、一部悪い子どもがいるから、その悪い子供には攻撃してもいいと思ってる人、前世からの因果だと思ったり、前世でも仲が悪かったんだろうと思う人、人間に問題はなくて罪を憎んで人を憎まずなどと思う人もいる。
みんな自分が感じたことは、根拠や裏付けもなく正しいと信じているところがあるのだ。

以前、叔母がある元力士のことについて、叔母の兄弟に話していて「〇〇(元力士の名前)ってなんで嫌われてんの?自分中心とか?」と言った。
叔母は嫌われている方の力士に問題や原因があると思っているのだろう。
何もしていなかったら何もされない、原因と結果の法則、因果応報、しっぺ返しなどと言う人がいるのも、例外あれど、人から嫌われたり、何かされるのは、やられた方に問題や原因があると信じている人がたくさんいるだろう。
逆に嫌っている方を問題視して悪く言われているのは、白人の黒人差別などの人種差別だ。

大勢と同じことをするのが正しいと信じてる人の多くは、子どもは学校に行かなければいけないと信じている人もたくさんいるだろう。
そういうことを信じている親や先生や、それ以外の大人が「学校に行くのは今まで知らなかった色んな事を知り、色んな人間がいることを知るために行くんだよ。社会勉強、人生勉強、人間関係の勉強なんだよ」とか思ったり、
言う人がいそうだが、大勢と同じことをしていれば、
子どももその親も変な目や奇異な目で見られにくいという利点があるから学校に行かせたい人もいるだろう。
大勢と同じことをやっていれば無難なところがあるからだ。

園や学校に行っても、同級生や同年代の子どもや先生から嫌われたり、格下に見られたりしてバカにされたりする。
身の周りにいる人全員から嫌われてる人はめったにいないだろうが、
学校に行って大勢から好かれている人も、大勢から嫌われている人も例外の少数派だろう。
ほとんどの人は、身の周りのごく一部の人から嫌われているぐらいだろうけど、その嫌われているのが、あからさまに嫌いだということを本人のいる近くで言動で表している場合と、内面で思っているだけか、本人がいないところで陰口を言ったり、影から嫌がらせされていたりする場合がある。
身の周りにいる人から嫌われていなくても、好かれてもいない場合もあるだろうから、好きでもない人と一緒にいたり、喋ったり、
遊びたいとも思っていないか、喋ったり、遊んでいてもつまらない場合もあるだろう。
でも、親や先生は子どもが誰かと一緒に遊んでたり、喋っていると満足したり、喜ぶ場合があったり、遊んでる子ども同士は相手のことを友達とは呼んでいないけど、大人の方が友達と呼んでいたりする場合がある。

子どもに対して親や先生の一部が「難しく考えなくてもいいよ。難しい話はしなくてもいいよ。
同年代の子と喋って遊びなさい。」とか思ってたり、言ってそうだが、
現実は大人も子どもも、ほとんどの人と一緒にいたり、遊んだり、喋っても楽しくもなく、嬉しくもない場合が多いだろうけど。

私が小学校の時、学校や学校以外の場所で一緒に遊んだ人や一緒に行動してた人の数は少ない。
小学校の時に同じクラスのある一人の女を学校後に遊びに誘ったことが何回もあって、断られたことはないが、この人から遊びに誘われたことなど一度もない。この人も私と遊んでても楽しくないと思っていたかもしれない。
同じクラスの女で私を何度も遊びに誘ってきた人が一人いたが、私から遊びに誘ったことはなかった気がする。
例外あれど、他の多くの人も学校の同級生や他のクラスや他の学年の人や同じ部活の人などと、学校の中でも学校以外でもほとんどの人とは遊ばなかったり、ほとんどの人とは喋らなかった人が多いだろう。

大勢と同じことをして、学校に行くことを良く言いたい人は、「学校で一回でも楽しく笑ったり、いい思いをしたことがあるのなら、
学校に行ったことは良かったということなのです」などと思い、大勢と同じように学校に行くことを美化する人もいるのだろうけど。

「家の外に出ることで色んな人がいることを知るんだよ。」などと思ったり、言う人もいるだろうが、同じ人の外見を見ても、同じ人間の同じ言動や態度を見ても、みんなが同じことなど思わない。
「自分の感じたことが正しいんだ」とでも思うのならば、矛盾しているということになる。
同じ言動を取ったことを、間違っているとか悪だと思う人と、間違っていない、悪ではないと思う人もいるのだ。

私が小学校の時に、同じクラスにBさんとCさんの仲良し二人組がいて、ある日、Cさんが学校を休んだ時にBさんが私に「モリタニさんが休めばよかったのに」と言っていた。
好きな子が休んだらつまらなかったり、楽しくなくても、どうでもいいと思っている人や、嫌いなだけの人が自分の近くにいても
自分の利益にはならないのでつまらない、楽しくないと思って、どうでもいい人や嫌いなだけの人の存在を軽視して軽んじている人はたくさんいるだろうが、あまり本人には直接は言わないだろうけど。

仲のいい人、好きな人と一緒にいたかったり、見ていたかったりして、どうでもいい人や嫌いなだけの人など見たくもないし、
関わりたいと思っていない人もたくさんいるだろうけど、形だけあいさつしたり、世間話とか雑談したり、職場の人と喋ったりして
表面的に関わっている人もたくさんいるだろう。

家の中にいれば外に出ろと言い、家の外に出たり、大勢と同じように学校に行っていても、「休めばよかったのに」などと思われる場合もあったり、
家の外に出ても気に入らない人に死んでほしいと思ってたり、
家の外に出て刑法違反とかの警察に逮捕されるようなことをやったら牢屋という室内に入れるのだから矛盾している。
自分の思い道りの言動を取らなかったら、逆のことをやっていても不満を持つのが人間なのだろう。

私が小学生の時に、小学校の体育館で大勢で歌っている時、担任が私の顔の近くに耳を近づけてきて、「なんちゅう声してんねん」みたいなことを言ってた。
私の声だか、歌い方が気に入らないんだろうが、家の外にいても人間と言われている生物は色々と気に入らないことがあり不満を持つ。
もし、みんなが授業中に歌っているのに、一人か少数の人が歌ってなくてもおかしいとか、
協調性がないなど不満を持つ人もいるだろうし、先生の言うことを聞かなくて生意気などと思う人もいるだろう。
家の中に長期的にいる人をおかしい、異常だと思って気に入らない人は「なんちゅう生き方してんねん」「なんちゅう、間違った生き方してんねん」など思うんだろうな。
家の中にいようが家の外にいようが、学校行っていようと、学校行っていなかろうと、大勢と同じことをしていようとしていなかろうと、
気に入らないものは気に入らないのだ。不満を持たれている点ではどちらも同じだ。

小学校と中学の時に、同じ学年ではないけど下級生と上級生に私を気に入らない人がいて、マンションの下のスーパーの
入り口付近にいた時に、上級生の女が自転車で通り過ぎていく時、私を嫌そうな顔で見ていたり、喋ったことも遊んだこともない下級生の女が、学校の帰宅時に私の前を歩いていて、何回か後ろを振り返って私を見るのだが、
バカにするような目つきで私を見ていた。
家の中にいようが家の外にいようが、どちらにせよ嫌ったり、バカにされたり不満を持たれている点では、どちらも一緒だということだ。

中学の体育の授業の時にバスケットをしている時に、同じチームの一人の女が試合が終わった後に私のことを「なんで動かんのん?」というようなことを不満たらげに言っている人もいた。

バレーボールの授業の時に、私が審判だったのだがバレーボールのことなどよく知らないのだが、はっきり覚えていないが、私が点数の入れ方を間違ったのか、点数入れてなかったのか、その様子を見ていた
隣のクラスの女がニヤッと笑ってた。バカにして笑っていたのだろう。

中二の時に、同じクラスのある女(この後の文章ではBさんと呼ぶ)が私のことをバカにしてるか、嫌ってる感じで、少し離れた所で他の人に私のことをバカにするようなことを言っていて、私はほとんどの人からは言われていないが、暗いと数人の人から言われたことがあるが、
他の人も同じようなことを思っていた人もたくさんいるのだろうが、Bさんも私を暗いと思っていたのだろう。
廊下で他の人に「ダークの法則」と言っていたが、私のことをバカにして言っていたと思う。

中二の時の同じクラスの一人の男(この後の文章ではCさんと呼ぶ)が、私を格下に見ていたのだろうけど、
私のことを何度も話題に出して他の男に喋っているんだが、その内容が
「あいつハニワに似てへん?」「親のことババアって言ってそう」とか
音楽室での授業の時、その男は私と机が向かい合っていて、私の目の前にいたのだが、隣の男に私のことを「首からわら人形ぶら下げて原付乗ってそう」と言ってたりした。
他の人もこの男が私のことをバカにするようなことを言っているのを分かってたんだろうが、同じクラスの強気そうな一人の男がCさんに「お前、俺らに文句あんのに言われへんから、そんなん言ってんねんやろ」というようなことを言ってた。
私のことを言っていたのではないかと思っている。
自分達に気に入らないところがあるのに、怖がったりして言えないから、地味な私みたいなのをバカにするようなことを言っているんだろうとでも
言いたかったのではないかと思う。

中三の時、あからさまに私をバカにしてた女(後の文章ではMさんと呼ぶ)が、隣のクラスでよく一人でいるような大人しそうな女に私が休み時間、廊下で喋りかけてたら、その後Mさんが「友達作ろうとしてるー」とバカにして言っていた。

別の日に、Mさんが「あんた親変わってるやろ」と言うので「何で?」と聞いたら、「あんたが変わってるから」と言い、私が「あんたも変わってんな」というと、「私は親が変わってないから変わってない」というようなことを言っていた。。
例外あれど、人に変わっているというのは、バカにしていたり、悪く言う場合が多いだろう。
この人が私や私の親を変わっていると言っているのもバカにしてるから言ったのだろう。

Mさんの妹が私のことを「なれなれしい」と言っていたとMさんづてに聞いた。
おそらくそれは、ある日、朝礼があった日に、私は遅く学校に行ってて、概に朝礼が始まっていて、私の近くにMさんの妹がいて、どういう言葉で言ったのか忘れたけど、朝礼に出ずにあっち行こう見たいな感じのこと言ったように思う。
Mさんの妹はこのことを「なれなれしい」と言ったのだろう。

小学校の時の休み時間に、初めて同じクラスになったある一人の女の肩を触ったら「なれなれしい」と言われた。
この人とは普段、喋ったり遊んだりしている関係ではない。

中3のある日、同じクラスのMさんと2人で学校から歩道を歩いて帰っている最中に、左隣の車道を挟んだ向かいの歩道側から「今日は一人じゃないんやな」と大きい声で誰かが言ったので、
私が声のする方を見たら、見覚えのない数才年下に見える男が自転車に乗って、明らかにバカにしたような目つきで私を見ている。
多分、私と同学年で私のことを知ってて、私をバカにしてたり、見下してたり、嫌ってる人がこの男と知り合いで
私のことを「あの子友達いない子」とか「あの子よく一人でいる子」とか「あの子よく一人でいる子。嫌い」とか言っていそうだ。
こんな感じで、家の外に出てても、人から嫌われたり、バカにされたり、見下されるし、家の中にいても見下されるし、バカにされたりする。

学校に行って、人の外見や言動に対して、自分が思いたいように思い、勝手に人を好きになったり、嫌いになる。
他人が教えたわけでもなんでもなく、自分が勝手に思うだけだ。
学校に行くことも正しいことではなく、行かなくてもいいのに、大勢と同じことを色んな理由でさせたがっている多くの大人。
子どもも学校に行って当たり前だと思っていたり、学校に行くことが正しいと信じている人がいるだろうが、別に行く必要もない。脱学校(だつがっこう)だ。色んなことを知り、人と関わるということをするのは、学校に行かなくても出来ることだ。
学校に行って、同じ人間の外見を見たり、同じ言動を見てもみんなが同じことなど思わないのだが、それを分かっていても、あまり言わない人が多いのだろう。
子どもの感じたことや、やった言動を褒める場合は、心の成長が出来ているとか、進化などと言ったりして高評価して、気に入らない言動を取れば、身体暴力をやったり、否定したり、見下したり、嫌うのだ。
みんな自分が思いたいようにしか思わない勝手なことを思っているだけなのだ。
学校に行って、先生が勝手に決めた時間割の授業を受けることが人として、しなければいけないことであるかのようにウソを付いているのだ。
先生の信仰心を押し付けていたりするが、先生の信じていることが何でも正しいわけではない。
学校教育という名の学校宗教や先生宗教だとも言えるのだ。大勢と同じことをすることが正しいと信じている人が多いから、
宗教の押し売りはダメでも、学校宗教や先生宗教や金でやっていく世の中が正しい宗教の押し売りは許されるのだ。

「今の若い人は嫌なことがあると、すぐに学校に行かなくなったり、会社を辞める」と言っている人がいたが、
こういうことを言う人は、学校に行くことが正しいと信じていたり、金信者の人だろう。
私が中学一年の時に担任に何かを言われて、私が思っていることを言ったら、「そんなん誰が決めたん」というようなことを言われた。
この言い方を少し真似して、学校や世の中の色んなことを言えば、
常識と言われていたりすることが正しい根拠などどこにもなくて、それが正しいと誰が決めたん?
学校に行くのが正しいと信じている人がたくさんいるだろうが、そんなこと誰が決めたん?

金でやっていく世の中が正しいと信じているのも、学校に行くのが正しいと信じているのも、あいさつ返しが正しいと信じている人がたくさんいるのも、大勢がやっているから、いい加減な信仰を持ち、正しいと信じている人が多いのだろう。
そんな大勢と同じことをやっている人を常識人や一般人や普通の人などという言葉で言い表し、良く言うようなバカげたことをしている。

 

 

 

 


脱金社会 金でやっていく世の中は不正だ9

2023年05月07日 | 脱金社会

31.給料を貰うことをしていても、給料を貰うことをしていなくても不満を持たれる、 逆のことをやっていても不満を持たれる

金でやっていく世の中で、金信者の人の中には大人は例外あれど給料や印税という形で金を貰うようなことをしないといけないと信じていて、家に長期間いる人に不満を持ち、おかしい、異常で正常ではない、まともでないと思ってる人がたくさんいるだろうが、給料を貰うようなことをしていても、どっちみち、不満を持ち、おかしいとか、異常だとか思っている場合もあるのだから、どちらでも同じことを思われているのだ。
 
私が長期間家にいたのが終わり、給料貰う仕事をしていた時も、同僚や客にもあからさまに不満を言われているし、あからさまに嫌がられたりしている。
家の外に毎日や、ほとんど出ていても給料や印税という形で金を貰っていない人に死ねという人もいるし、ダメ人間などと言い、見下したりして嫌がってたり、社会不適合者などと言っている人もいたり、
人として間違った生き方をしていると思っている人もいる。
一方で、給料や印税という形で金を貰っていても、似合っていない職業についていると思ったり、仕事が出来ていないと思った場合に職業不適合者と言ったり、適材適所ではないとか、「仕事も出来ないのに来るな」とか、「仕事も出来ないのに給料貰うな、給料泥棒」などと言っている人もいる。
 
この金でやっていく世の中で、例外あれど金がないと欲しいものとかも手に入らないから、給料を貰うような仕事の面接に行っても、採用担当の人が面接した人を要らなければ不採用で落とされる。
給料や印税という形で金を貰っていない人のことも悪く言っている一方で、
給料を貰おうとして面接に行ってる人のことも不採用にしておかしなことをやっているのだ。

 

私が20代前半の時、半年間ぐらい大阪のイズミヤの総菜で午前中だけ働いていた。
同僚で40代か50代ぐらいの中年の女の人で、あからさまに私のことを見下している先輩お局がいた。
ある時に、私を見下している感じの中年の同僚のAさんが「お母さんの手伝いしてなかったみたいやな」とわざわざ私に言ってきた。
もし私の外見とか性格を好きだったり、尊敬して上に見ていたら、私が同じ手際で仕事をやっていてもこんなこと言わなかっただろう。
ある時に学生バイトの男の子が来てた時、その男が巻きずしを作ってた時は「出来てる」など言って良く言っていたが、他の人や私にだったら言ってなさそうだ。

 

総菜の作業をしていたところの流しの排水溝の受け皿が浅く、小さくて、すぐに野菜くずなどが溜まるのだが、私が受け皿に溜まったものを捨ててなかったのか、他の人がやったのかはっきり覚えてないが、Aさんが大声で怒鳴りながら「何回言うたら分かるんや」と私に言った。私だから怒鳴ったのだろうけど、他の人にだったらこんな態度取らなかっただろう。

 

ある時、Aさんに何を言われたのか忘れたが、Aさんから何かを言われた後に、私の表情だか態度が不満たら気だと感じたんだろうが、
きょとんとした表情で「何?あんた怒ってんの?」と言ってきた。

 

別の中年の女の同僚Bさんが、私にちらし寿司の作り方を教えた後、私がちらし寿司を5つか、6つぐらいを一度に作って、蓋を閉めたら、何か入れ忘れているものがあったのを誰かが言ってきた時、
Bさんが「なんで、なんで、なんで、なんで若いのに間違えるの?」と不思議がりながら言った。
それから少しして、Bさんが大きい声で「モリタニさんは頭がいいから間違えるの」と言って、あからさまに私をバカにしていた。

 

丼ぶりを作る時、女の中年のCさんから教えてもらったのだが、私が間違えたことに不満を持ったCさんが、片足で一回地面を踏んで「さっき言っただろ」か「さっき教えただろ」みたいなことを言って不満を言って怒ってた。
教えたことを間違ったから気に入らないのではなくて、簡単なことを好きでもない人が間違ったから気に入らないんだろうけど。もし小さい子どもが同じ間違いをしたら不満を持たなかっただろうけど。

 

私のことではないが、20代の同僚のDさんが「ここの仕事簡単」と言ったら、同僚のFさんが荒っぽい言い方で「簡単な仕事なんかないで」と相手の言ってることを否定してた。Fさんは私の近くで他の人に「この子、独特やで」というようなことを言っていたのだが、簡単な仕事はないと思っているのを、同じことを思っていない人に言っているのも独特で変わっている。
独特ではない人などいないし、誰でも変わっているが、Fさんは私に自分の姿を見ているのだ。
ある作業をやっていても簡単だと思う人もいれば、簡単だとは思わない人もいるだけのことだ。
大勢が仕事と言っていることが簡単ではないことだとFさんは思っていても、簡単だと思っている人もいるのだ。
周りにいる人が何かをやっていても、それについて何も喋っていないければ、みんなが自分と同じことを思っているのだと勘違いしている人はたくさんいるだろう。自分と違うことを思っている人を知って、不思議がったり、間違っていると思ってバカにしたり、見下したり、怒ったりする場合もある。

 

例外あれど、人間は自分の思い道りにならないと不満を持ち、不快になったのを相手のせいにする人が多いだろう。
自分が正しいと信じていたり、わが身可愛さがあるから、あまり自分のことは問題視しないのだ。
あいさつされたいのに、あいさつされないことに不満を持つのも、自分の思い道りにならないからで、
あの人にあいさつしてほしいと望んでいない人が、あいさつしてこなくても不満など持たない。
 
イズミヤで同僚の年配のGさんが、Hさんが言ったことに不満を持ったみたいで、一字一句はっきり覚えてないが「Cさんにはそんな言い方せんやろ」みたいな感じの不満を言っていた。
イズミヤの同僚のDさんがHさんから、何かを言われたら、Dさんが言うことを聞かなかった。
Dさんに対してBさんが「先輩の言うこと聞き」みたいなことを言ったら、Dさんが「あなたに関係ないでしょ」と言い、一字一句はっきり覚えてないが、Bさんが「私がここで何年やってると思ってんだ。〇年やってる。ここの段取り分かってるのはこっちだぞ。先輩の言うこと聞き」みたいなことを言っていた。
それに対してDさんが「私、ここ絶対辞めないからね」と言った。
その後、Bさんが中年の同僚に「殴られそうになったら止めてな」というようなことを言っていた。
後日、Bさんがマネージャーの男に「言うこと聞かなくて仕事にならないから」という感じのことを言っていた。
辞めさせろということを言っていたのかは覚えてないが、それからDさんを職場で見なくなったのだが、私がいつも作業をしている部屋の隣が天ぷらを揚げたり、焼きそば作ったりしている場所なのだが、その隣の部屋にDさんがいるのを見た。
多分、マネージャーから隣で仕事するように言われて、仕事の場所を移動させられたんだろうと思う。
2月ぐらいの時に、マネージャーが「Dさん、今、中国に帰ってるから」と言ったら、Bさんが「もう帰ってこなくてもいい」と言ってた。

 

同僚のHさんが休みの日に、BさんがHさんのかけているアラレちゃんメガネを話題に出して「変なメガネかけてな」か「変なメガネして」みたいなことを言ってたり、Hさんが休みの日にCさんが、一字一句はっきり覚えてないが「家でジャンパー着て、窓開けてるんだって、あの子、親変わってんで」というようなことを言っていた。

 

Hさんが職場のどこかで、誰かから笑われてたみたいで「私のこと見て笑ってくる」というようなことを言ったら、Cさんが「私、そういうの嫌いだから言ってあげようか」というようなことを言っていた。

 

Bさんが職場で私のことを「お金が欲しいから来てるの」と言っていた。
私がこのイズミヤの職場を辞める前ぐらいにAさんに「もっと、はよやらなあかんで」と言われてたが、マネージャーは私のことを「仕事できてた」と言っていた。私に対して同じことは思っていないのだ。

 

イズミヤで私や他の人が不満を言われたり、バカにされていたりするが、こうやって給料を貰うことをしていても不満を持たれたり、バカにされたりもするのだから、無職やニート、引きこもりなどと言われている人も不満を持たれたり、バカにされているが、不満を持たれてバカにされている点では同じなのだ。逆のことをやっても、何やっても不満を持つ人は不満を持つのだ。

 

無職、ニートなどと言われて給料や印税という形で金を貰うことをしていない人に不満を持っている人がたくさんいるが、給料や印税という形で金を貰うことをする以前の話で、面接に行っても採用担当が要らないと思えば不採用にされる人達もいるのだ。
私はイズミヤに行く前や後でも、接客業や裏方の仕事の面接で何回も不採用で落とされている。
私の外見、見た目は大勢から好まれる方ではないだろうから、私が接客業の面接に行ったことを
「あなたが接客業の面接に行って落とされるのは当たり前です。ほとんどの人はあなたが接客業の面接に落ちるのは分かることです。あんた客観性もないしバカだな」とか思う人もいるだろう。
私は接客業の仕事にも何回か採用されているが、それはそれで採用されてるのもおかしいとバカにする人もいるだろうけど。
私は裏方の面接も何回も落とされてるけど、どっちの面接に行っても誰かは嫌がったり、この人は自分の職場では必要ないと思うのだ。



私が20代後半の時、面接の時に履歴書がいらない食品工場で、すんなり採用された。
そこで働く初日に、休憩室みたいなところで、私は一人で担当の人を椅子に座って待っていたら、
20代と50代ぐらいの女2人が私のいた部屋に入ってきた。
私から数メートル離れたところにいた20代ぐらいの女が私の方を振り向いて、「あんなん雇っていいん?」と言ったら、年配の方の女が「どこに行ってもいい」と言った。
「あんなん」と言っているのは、私のことを良く思っていないから言っているのだろう。
給料や印税という形で金を貰っていなくても不満を持たれたり、死ねと思われてたりして、軽視されたり、軽蔑されたりするが、給料を貰うような仕事に採用されてもこんな感じで嫌がられているのだ。

 

人から嫌われてる場合、嫌われてる方に問題があると思う場合がある。
「嫌われている人が相手の嫌がる態度、言動を取ったから悪いのです。相手の気持ちを分かっていないのです」などと思う人もいるだろう。
喋ったことも関わったことがなくても、外見、見た目、容姿を見て嫌ったり、体臭や、人種、民族で嫌われる場合もある。

 

私が携帯を作っているライン作業の仕事に行ってた時も、私の二つ左側にいた人が、なんか私のことについて隣の人に言ったみたいで、私の左隣にいた人がそれに対して「ぼそぼそ喋るんじゃー」と言った。ぼそぼそ喋るというのは私のことを言ってると思う。
その日か、それ以前に一回、仕事中に連絡事が右側から順に伝わってきて、私の右側の人から、私の左側にいる人に伝わってきた内容を喋って伝えたのだ。
その時の私の喋り方について「ぼそぼそ喋るんじゃー」と言ったのだろう。
私の左側にいた二人ともか、片方は私のことを、何かバカにしてると思う。

 

20代後半の時、コンビニに採用された。勤務時間は深夜だったが、接客の仕事をやったことがないので、初めの数日は昼に行って、仕事のやり方を教えてもらってた。
二日目ぐらいの時に、20代ぐらいの茶髪で目の吊り上がってる同僚の女(後の文章ではKさんと呼ぶ)が、客が切手か、はがきを買った後に、私に切手か、はがきが入っているファイルを見せて、「ここに○○が入っているから」というようなことを言った後に、私が「はい」と言ったら、2メートルぐらい左横で、Kさんがしゃがんで「バリ声小さい」と私の目を見ずに言って悪態ついてた。
これを言った後に、昼の女の店長が私の左後ろにいて、「Kさん、こらえて」と言っていた。
次の日ぐらいに、経営者の40代ぐらいの男が店に入って来た時に、Kさんがレジから出て行って、経営者の方に近づいて行って、Kさんが経営者に何かを話している感じだったのだが、Kさんの声は聞こえない。
その後、経営者が狙って私の目を見てきて「ああー」と言った。多分、Kさんが私のことについて経営者に不満でも言ったのだろうと思う。
Kさんは「あの人、声が小さくて接客に向かないから、やめさせた方がいいと思いますよ」とか言っていそうな気がする。その後、私は経営者からは何も言われていない。

 

この店の経営者の男に「ここで働いてる人、みんないい人だから」と言われた。
私はそうは思わない。いい人も悪い人もいないとも言えるが、言葉など言葉遊びなので、人によって同じ言葉の定義が違い、勝手に言葉を使っているのだから。自分に都合がいい人のことはいい人と呼ばれやすく、自分に都合が悪い言動を取る人を悪く言いやすいのだ。
多分、この経営者は、店で働いている人のことを、ほとんど知らないだろうが、自分が嫌だと思う言動を取らなかったから、店の店員たちをいい人と言ったのではないかと思う。

 

レジで私が机に手を置いていたら、経営者から注意され不満を言われた。
内容ははっきり覚えてないが「自分がされて嫌なことはしないように」というようなことを言われたり、体の前で手を組むように言われたと思う。私なら店員が手を前で組んでなくても、机に手を置いていても嫌ではないけど。
日本人は世界でいちばんやさしいなど言う人がいるが、外国人の多くでも不満を持たないようなことに不満を持っているところがある。
家に長期的にいる人に対しても気に入らないと思ったり、おかしいと思う人もいるが、家の外にいて給料を貰うことをしていて、店員が手を机に置いていることにも不満を持つ日本人もいるのだ。

 

その後、私はこのコンビニで深夜に仕事に行くことになるのだが、店員の人数は常に3人いた。
深夜に行きだして、2、3日後に、夜の店長の女が、30代ぐらいの男の店員に、私のことを「分かるじゃろー、生意気じゃろー」と言ってた。
私はこの人と私語を喋ったこともないし、この人の言ったことを否定したり、拒否したりなどしていないが、私の何かが気に入らないのだろう。
男の店員も、はっきり覚えていないがレジの清算のやり方を教えている時だったと思うが明らかにバカにしたような態度で教えてた。
これらの理由から、同僚が嫌なので辞めたいが、面接の時に1年ぐらい働くと私が言ったし、同僚が嫌だから辞めたいと言っても経営者は辞める許可は出さないと思ったので、一週間ぐらいで連絡なしでバックレで辞めたのだ。
その後、私がATMに給料を取りに行ったら、給料が入っていなかった。
経営者の人は連絡もなく辞めたことに不満を持ち、私が一週間ぐらい店に行っていた分の金を払わなかったのだろう。
ここにいる人はみんないい人と自分を基準に言っていたが、私のことはいい人ではなくて、常識がなっていないとか、悪い人だと思っていそうだ。
私が職場にいる人のことを嫌がっているところがあり、辞めたいと言っても、このコンビニの経営者や、それ以外の人も心が弱いとか、職場で誰でも嫌なことがあったり、嫌な人などいるのは当たり前だと思い、私を見下したり、バカにする人もいるだろう。
家の中にいても気に入らないし、家の外にいても気に入らないし、給料を貰うようなことをしていても、していなくても、どちらでも気に入らないのだ。

 

このコンビニを辞めた後のある日、私はネットのニュースで深夜コンビニに強盗が入って数万円を持ってかれたと書いている記事を読んだ。
そのコンビニは私がバックレで辞めたコンビニだった。
誰かだったら、強盗と言われている人のことを悪く言う人もいるだろうが、
給料を払っていないことでの因果応報などで、誰かから数万円を持って行かれたと思う人もいそうだが、同じことを知っても同じことなど思わないだろう。

 

その後、別のコンビニで夜10時から朝の5時まで週5で働いていた。
確か求人誌のアルパで見つけて電話した後、店長と面接があって、一週間後ぐらいに家の固定電話に電話がかかってきて、「一応採用」と言われた。面接の時に私の後ろにスーツを着た50代ぐらいの人が椅子に座っていた。
このスーツの人は、多分この店の関係者の人ではないかと思った。
このスーツの人が「あの人を採用してもいい」と言ったけど、店長は乗り気ではなくて、私を不採用にしたかったけど、スーツの人の言い分で私を採用することに決まったのかもしれないとも思っている。
店長からしたら、私のことを消極的に採用したんじゃないのかと思ってる。
この職場でも、あからさまに客や同僚から不満を言われたり、嫌われていて、家にいようが外にいようが、給料を貰うことをしていても、していなくても、嫌がられていたり、不満を持たれているのだ。

 

客が私の何かが気に入らなかったのだろうが、「躾がなってねーな」みたいなことを言っていたこともあった。
ある日、私がおでんをレジの横のおでんを入れてる入れ物に入れることについて、一字一句はっきり覚えていないが店長から、「さっき、おでん素手で触ってたじゃないですか。汚いと思いませんか?自分がお客さんだったらどう思いますか?」と言って、レジ後ろの流しの所で、「百歩譲ってここでなら分かるけど」みたいな感じのことを言われたので、私が「そういう風に教えられたんです」というようなことを言ったと思うが、店長は無言で他の方向を見ていた。

 

一週間ぐらい経ったらこの店を辞めることが決まっていた時の夜の10時か11時代に、20代ぐらいの3人組の男がレジのところに来て、そのうちの一人が、トイレ貸してと言ってきた。
私がいたコンビニは駅前のビルの一階で、客用のトイレはなくて、店員は上の階にあるトイレを使っていた。
客用トイレがないという意味で「トイレないんですよ」と私が答えると、
一字一句覚えてないが、お菓子を置いている棚の方で、トイレに行きたい男が「ここにやるぞ」みたいなことを言ったり、「店員はどこでやっている」というようなことを聞いてきたので、「店員がやるところはある」というようなことを答えたら、「さっき言っていたことと、今言っていることが違う」というようなことを言ってきた。
言ったことの順番は覚えていないが、その男が私のことを「元気がない」と言ったり、「お前、男か女か?」と言うと、別の男が「男、男」と言ってたり、「近くに飲み屋があるんだから、ここの店がトイレ作らないとダメだろ」みたいな感じのことを言っていた。
その後一旦、私がレジから出て、レジの横の方に移動したら、トイレに行きたい男が左手をグーにして握り拳を作り、「殴ることが出来るんだぞー」と言いながら、握り拳を動かして、私の顔面の前で握り拳を止めてきた。私は胃に異変があって、その後、便意なくうんこが漏れた。

 

別の男が「店長呼べ」と言って、男の店員が電話の子機で店長に電話して、その電話を男に渡して、男が電話を持って私の方を向いて「お前名前なんていうんだ?こいつ辞めさせろ、言ってることがおかしい」というような感じのことを言ってたら、店の出入り口から警察が二人入ってきて、男が「誰が呼んだ?」と言っていた。
店に来た警察が他の警察を追加で呼んだのだろうが、後から更に4人警察が来た。
結局、男の店員が上の階の店員用のトイレに男を連れて行くことになった。
この男たちが店から出ていく前に、一人の男が私に「恥かかせやがってよ。お前が可愛かったらこんなこと言ってねーんだよ」というようなことを言って去っていった。

 

私は、また今の人達が戻ってきても怖いし、精神的に受け付けないので、店長にすぐに辞めさせてもらおうと思って、事務所の固定電話があるところに行って店長に電話して、大雑把に今あったことの一部を説明した。
その説明した内容の一部に「元気ないとか言われて」みたいな感じのことを言ったら、「モリタニさん元気ないですよ。」と店長が言ってたり、「事務所を通ってトイレに行かないといけないから、
防犯上の理由から入れるわけにはいかないんですよって言ったらいいじゃないですか」というようなことを言われた。
辞めることを許可しないので、「うんこ漏れてんねん」みたいなことを言って、電話を切って帰った。

 

私が給料を貰うようなことをしに行っていた時でも、今書いたことの様に、あからさまに不満を言われたり、バカにされていたり、おかしいと思われているのだ。人間は自分が嫌ではないことを嫌がる人間が理解できない所が誰にでもあるだろう。嫌なことなど人によって違うのだ。
大勢が共感することの場合は、普通の感覚や普通の人など言われやすいだろうが、大勢が嫌がらないことを嫌がると、心が弱いとか、親に甘やかされたからなど言われてバカにされやすい。
家に長期間いても、給料や印税という形で金を貰うことをしていても、していなくても、外に出ていても、どっちみち誰かが嫌ったり、不満を持つのだ。
給料や印税という形で金を貰うようなことをやっていないと働けと言ったり、死ねなど言う人もいたり、給料を貰うようなことをやっていても、辞めさせようとしたり、不満を持ったりする場合もある。変な人間達だ。

 

大勢の人が私が店長の許可がなく無理やり辞めたことに共感したり、おかしいと思わなければ許されやすいだろうし、大勢が共感しなくて、無理やり辞めた私を悪く思うのなら、私が常識なっていないとか、人のことを考えていないなどと思い、私の方が悪く言われるだろう。

 

喋らない人にも不満を言うが、喋っても不満を言うのだ。私があいさつを初めにしなかったり、あいさつされて会釈だけをしたり、あいさつをされて無反応だったりしたことで、親戚や近所の人などに悪態つかれたり、白眼視されたりしたが、私が職場などで喋ったことでも不満を持たれたり、バカにされているように、逆のことをやっても誰かが不満を持つ。

 

私がうんこを漏らしたコンビニから無理やり帰って、その後、そのコンビニには行かなかったが、職場の人の迷惑になるなどと不満を言う人もいるだろうが、給料を貰うことをしていないことに対しても「親に迷惑をかけている」とか「ダメ人間」などと言ったりして不満を言ったり、悪く言う人もいるのだ。
私がうんこを漏らしたコンビニの店長が電話した時に言っていたことも、客に問題があるのではなく、店員の私に問題があると言っている感じだ。
他の人も、そんな言動取られるのは、前世や過去の行いが悪いからだとか、陰徳や陽徳がないからだとか思ったりして、私の方を問題視して悪く言う人もいるだろう。

 

「何もしない人に言われたくない」とか「やってから言おうね」みたいなことを言う人がいるが、何かやっても不満を持たれたり、不満を言われる人はたくさんいる。何かをやっても、やらなくても、どちらにせよ不満を持たれるのだ。あいさつしなくても、あいさつしても不満を持たれるのだ。

 

私がうんこを漏らしたコンビニで、同僚の年配の男の人が刑法違反の何かをしたようで、警察は呼ばれなかったのだろうが、店側から辞めさせられたみたいだった。
その人が店に来て帰った後に店長が「警察に捕まるようなことしているのにね」というようなことを言っていた。推測だが、店の金か何かを取ったのではないかと思う。
でも、金でやっていく世の中自体が不正な泥棒社会だが、商売や商いなどと言われているものは、合法の詐欺、泥棒をしていて、本来全てのものに値段などついていないのに、値段、価格などを付けて合法で不正をやっているのだ。
合法で警察に捕まるようなことではなくても不正で正しくない、間違ったことをしているのだ。

 

このコンビニで私と同じ時間帯で働いていた男の人に、たまに綿の白いマスクを付けている人がいた。
その店で働いている人達が読む連絡ノートに店長が客から、マスクを付けている人がいて汚らしいというようなことを言われたからマスクを付けないように、というようなことを書いていた。その後、店長が変わり、新しい店長は黒色のマスクを付けている時があった。
集団の中で上の立場の人が変わると、決まりが変わることはよくあることだろうが、この店でも店長によってマスクに対しての決まりが違うのだ。
コロナのことで、店内で店員も客もマスクを付けている人がたくさんいる時ならば、前の店長もマスクを付けないようにとは言わなかっただろう。
黒いマスクを付けていることに対しても、あの人には似合っているとか、かっこいいと思っても、別の人ならば似合っていないとか、汚らしいとか、不潔だと思うだろうけど。
黒マスク以外でも、このコンビニでマスクを付けている店員を汚らしいと思った人も、別の人がマスクを付けていたら汚らしいとは思わなかっただろう。
他の客ならば、同じ店員がマスクを付けているのを見ても、不快にはならないだろうし、汚らしいとは思っていなかったと思う。私は同僚のマスクを付けていた店員を汚らしいとは思わなかった。



私の母親が60歳になる前ぐらいの時に食品工場で働いていた。
母親から聞いたところによると、毎日罵声がとんでいるらしく、仕事が出来ていないくても「仕事が出来ないのに来るな」というようなことを言っていたり、逆に仕事が出来ていてもケチを付けてくるようで、誰かが仕事が出来ていても同僚からケチを付けられ不満を言われたみたいだ。
同じことをやっても人によって違うことを言うのはよくあることだろうが、
私の母親に誰かがやり方を教えて、私の母親がやったら上手と褒めたみたいだが、別の人がこういう風にやってと言ってきたみたいで、それに対して母親が、○○は上手と言ったというようなことを言ったら、その別の人が他の人に不満を言いに行、私の母親は別の所に移動させられたらしい。
ライン作業で仲のいい人が来ると、ラインの速さを遅くしたりするみたいだ。
若い人で辞めていく人について私の母親が「私も若かったら辞めてた。相手にした人は辞めていく、相手にしなかったら辞めない」というようなことを言っていた。

 

私の母親がこの職場を辞めた後に、元同僚と会った時に、人がたくさん辞めていくと言っていたらしい。
上の立場の人が何で辞めていくんだろうと、他の人に聞いたみたいだが、現場にいる人なら辞めていく理由を分かった人が多そうだ。
母親づてに聞いたが、この職場で働いていた人が近所の人にいるらしく、近所の別の女の人が、この職場をどんなところかと聞いたら、「行ってみたらいい。人間扱いされないよ」というようなことを言っていたらしい。
この職場の様にたくさん人が辞めていく場合は、辞めた人が問題視されるよりも、職場側や辞めた人たちが嫌がる言動を取った人が問題視されやすいだろう。
でも、一人や少数の人が辞めていくのならば辞めた人が心が弱いとか言われたりして、辞めた方が問題視されやすいだろう。

 

2015年の私が30代前半の時にヤマト運輸の仕分けの仕事に採用された。
時間は夕方で、2、3時間ぐらいの短時間で、一か月半ぐらいの短期間の仕事だったのだが、私は一週間ぐらいで辞めた。
辞める経緯は、同僚の40代の女の人(この後の文章ではPさんと呼ぶ)と2、3回、同じ時間帯で一緒だった。
ある時、私は運ぶ荷物もないので黙って立っていたら、私の近くにPさんがいて、荷物を乗せるかご台車を持って、不満たら気に「突っ立ってんと、手伝って」と言ってきた。
その後、私がすぐに動いて、かご台車を持とうとした時にPさんが私の顔をじっーと見ていて、何かを言いたそうな表情をしている。
その後、また同じ場所で私が立っていたら、私のお後ろからPさんの声で「ったく、今時の若もんわよー」と大声で言った。後ろを振り返ると私に背中を向けて数メートル後ろを歩いていた。

 

私が手伝ってと言われた時に返事をしたのか、返事をしなかったのか覚えていないが、返事をしなかったから、常識なってないとか、感じ悪いと思って悪感情を持ったのか、それ以前に一回Pさんが、私に「お茶飲んだらいいから」みたいな感じのことを言ってきてたのだが、その時の私の態度か、なにかが気に入らなかったのか分からないが、私の何かを気に入らないと思っているのは確実だろう。
この後か、前か覚えてないが、私から2、3メートル離れた所にPさんと別のおばさん(後の分ではLさんと呼ぶ)がいて、LさんがPさんに「ズバッと言うなー」と言っていた。推測だが、多分Pさんが私に対する不満を言っていて、その不満をはっきりと言ったことにズバッと言うなと言ったのではないかと思っている。

 

私のことを嫌うのは別にいいけど、さっき書いたことの様なことで、あからさまに悪態つかれるのも嫌なので、この職場を辞めたいと思って、上の立場の男に私はウソをついて、「しんどいから辞めたいんですけど」と言ったら、初めは「ダメ」と言われたけど、すぐその後に「今日?」と聞かれたのて、返事したら辞めてもいいということになった。
嫌なことがあったらすぐに辞めて心が弱いとバカにする人もいるだろうが、
嫌なことがあったら、すぐに本人や本人のいる近くや、本人がいない所で不満を言ったりして自分の思っていることを吐きだしたり、すぐに言っていなくても、時間が経ってから本人や本人以外に言ったり、影から嫌がらせしたりしている人もたくさんいるだろう。
会社や学校を辞めたりするとバカな人が「今の若い人は、親から甘やかされて心が弱いから、すぐに学校や仕事を辞める」など言っている人がいる。
大勢と同じことしない方を問題視して、学校や会社で嫌なことがあっても辞めずに、嫌な人に対する不満を本人のいる所やいない所で外側に出したり、不満を不満を持った相手のせいにする人や、
不満を持った相手を辞めさせようとする人は問題視されにくい。
自分の不満を本人や本人以外に言ったり、影から嫌がらせする人を心が弱いとか、辛抱できていないとか、親に甘やかされたからとはあまり言わないだろうけど。少数派が問題視されやすいのだ。

 

私は20代の時から頭の上の部分が一部剥げている。2015年の時に自分で頭の毛を全部剃って、通販で黒色のおかっぱのかつらを買った。
ヤマト運輸に行っていた時も、このカツラを付けて行っていた。
Pさんが私の近くで「おかしい」と言ったらLさんが「見ない、見ない」と言っていたのだが、私のかつらのことをおかしいと言っていたと思っている。
 
私が20代後半の時で、2010年ぐらいの時に、地元の新聞記事にショッピングモールの中にある福祉の店のボランティアの募集が載っていて、
記事の内容ははっきり覚えていないが、この店でレジなどのことをやる人が年配の人ばかりで、やる人も数が少なくなっていて、新しい人を募集しているというような感じの記事だったと思う。
私はこの記事を見て、このボランティアをやりたいと思い、このボランティアのところに電話して、ここの店で週一回レジをやっていた。
ネットでこの店を調べていると、身体に障がいがある人が作った作品を展示、販売する店と書いてあった。
この店でレジをやっていた70代前後の年配の女の人と私が喋ってた時に、「スルッと喋る人がいいなー」と言っていた。
私に短かい言い方で分かりやすく喋ってほしいと思い、私の喋り方に不満を持ったのだろう。
別の時には、この年配の女の人が店に作品を置いている人のことを、一字一句はっきり覚えていないが
「こういうの売れると思ってるのかな?」みたいな感じのことを言っていた。
新聞ではこの店のレジをやる人が足りないかのような感じのことを書いていたが、実際の現場では、レジをやってる年配の女の人が、レジは一人でもできるというようなことを言っていて、人数は足りていると思っている感じだった。

 

私がイズミヤの総菜で働いていた時も一人のおばさんが、
「人数少なかった時の方が早く終わった」と言っていたが、私が一番最後に入ってきている新人なので、私がいなかった時の方が、同じ作業するのでも早く終わっていたと言いたいのだろう。

 

叔父が定年後に、フォークリフトかなんかの資格を取って、どこかの仕事に採用されて行ってたら、同僚から「なんでお前みたいなのがここに来たんだよ」というようなことを言われたらしい。

 

2022年に私はある派遣会社に登録して、一日だけから働ける単発の仕事の薬局の棚卸の仕事に行った。
機械を使って商品を数えていくことをやったのだが、やり方を間違って何回も、やり方を教えた女の人に間違えたことを言いに行った。
機械のLという文字が書いてあるところを数回押す間違いを何回かして、それについて、やり方を教えた女の人に言いに行った時に、「Lは戻るって言ったよね」というようなことを落ち着いた口調で言われたが、さっき言ったことで簡単だと思うことを再度間違っていることに
不満を持って、おかしいとか思っていると思う。使った機械にはシールに使った人の名前を書いて貼っていて、機械を後から見ると言うようなことを言っていたので、私の使った機械で間違った操作をしているところは他にもあるだろうから、不満を持たれていると思う。
そこで働く人の外見は、明るい髪の色やアクセサリーはダメだと書いてあったが、仕事を教える女の人は黒髪に一部金髪の明る色が入っていたり、ピアスを付けていた。仕事場の決まりなど全てが守られているわけないが、間違ってはいけないと思っている仕事や、大勢が間違えないことや、
簡単だと思うことを何回も間違える不満を持つ人は多そうだ。
上の立場の人が許すのならば決まりを守らなくても許されやすいだろう。

 

給料や印税という形で金を貰うことをしていなかったり、何もしていないと思っている人にも不満を言う人もいるが、給料や印税という形で金を貰っていても、何かしていても不満を持ったり、あの人要らないとか、必要ないと思っている人もいるし、不満を持たれるのだ。



2011年の東日本大震災の時に、私は役所の支所の物資の仕分けのボランティアに2日間行った。
その頃、私は給料や印税という形で金を貰うようなことはしていなくて、ボランティアを募集している所に電話した時には、私は毎日いけると言っていたのだが、行ったのは2日間しか行かなかった。
私がボランティアに行っていた時には物資を持ってくる人はほとんどいなかったのだが、2日目の時に支所の出入り口の外にあった台車を一人の女の人が持って行ったので、物資を持ってきた人だと思い、私は外に出てその人を追いかけて行った。
追いかけて行ったのは、物資は受け付けるものと受け付けないものがあるので、それを説明するために外に出て行ったわけだが、その女の人は男の人と来ていて、この2人が車から物を出して台車に乗せたり、役所の建物に向かって歩いていく時に、物資で受付できるものと出来ないものについて私が説明していて、私が全部言い終えていないのだが、
この男の人と女の人は、私が言わんとしているとおりには受け取らなかったようで、私が物資を持ってくるなと言っているように受け取ったようだ。
建物の中に入った後に他のボランティアの女の人が言ったことに「そういう風に言ってくれたらいいんだよ」というようなことを言った。
その後に物資を持ってきた女の人が、無言で両手を2回ぐらい体の向こう側に押すような身振り手振りをしたのだが、多分、その意味は「物資を持って来るなと私たちを拒否したんですよ」というようなことを言いたかったのではないかと思う。

 

その後、私は物資を持ってきた人に来るなと言っているように思われたことが精神的にきつかったので、トイレに行って和式便所にまたがって泣いていた。ボランティアの女の人が一人、私の様子を見にトイレに来ていた。
またこういう人が来ても私は対応できないし、精神的に受け付けないので、
トイレを出た後に支所から出ていき、はっきり覚えていないが、家だか、どこかから支所に電話して、毎日行くと言っていたけど行かないことにすることの許可を得るために役所に電話して、総務課の人にそのことを話して、行かないことの許可を得て、その後は行かなかった。
私がボランティアに行ってること自体、誰かは偽善と言うだろうし、被災者の人が大変な時に、そんなことで何下らないことを思ってるのだとか思う人もいるだろう。
外に出て何かしていてもこんな感じで嫌がられる場合もあるのだ。

 

その後、同じ2011年にボランティアの所からはがきが届いた。
たしか岩手の被災地から持ってきた写真の写真洗浄のボランティアに出れるか出れないかということをについて書かれたはがきだった。
私はこの写真洗浄にも行ったのだが、写真洗浄の休憩中に、私は椅子に座っている中年の女の人と目が会ったのだが、女の人は無言でニコッと笑ってきたのだが、私は笑わずに会釈も何もせずに目線を逸らしたのだが、その後に、私がすぐまた女の人の方を見たら、「何、この人?」みたいな感じの凍り付いたような表情で、私をじっーと見ていた。私には悪気はないが、不快に思ったことだろう。
このように、家の中に長期間いても、外に出ていても誰かは変な目で見てきたりする場合もある。
そういう意味では、外にいても家の中にいても、おかしいと思われている点では同じなのだ。

 

2018年の西日本の水害の時に私は数回、個人参加で一人で岡山県のボランティアに行った。
社会福祉協議会が運営している災害ボランティアセンターの方に行ったのだが、1回目のボランティアの時に私が属していた班は10人で、施設に入っているおじいさんの家の中にあった物を外に出すという作業をやっていた。
作業後半の時に、同じ班の40代ぐらいの男の人が洗面器みたいな容器を手に持ってて、私に何かを聞いてきたのだが、私はすぐ返答はしたのだが、私の声が聞こえていなかったようで、喋りかけてきた男の人は近くにいた別の20代ぐらいの若い男に何かを言ったみたいで、その若い男が大声で「おはようございます」と言った。
多分40代ぐらいの人が「この人に喋ったのに返事しなった」とか「この人に喋ったら無視された」とか、こんな感じのことを言ったのではないかと思う。
それを聞いた若い男の方が「あいさつされたらあいさつ返さなければいけないように、人から喋りかけられたら、返事するのが当たり前だろう」という感じの意味を込めて「おはようございます」と言ったのではないかと思う。
この若い男の人は作業が終わって、バスに乗って帰る前の支所の前にいる時に、数メートル離れた所から私の方をじっーと見ていたのだが「何この人?なんで返事しなかったんだ?」
と思ってたりして見ていたのではないかと思う。
喋っても、聞こえていなかったら、喋っていないものと思われる。
2018年に亡くなったおばあちゃんが病院に入院して、私が病院に行った時に介護士の若い女が「なんで声小さいの?」と数メートル離れた所から誰かに言ってたのだが、これも多分、私のことを言っていたと思ってる。

 

2018年にボランティアに8月の終わりに行った時、大学の建物の中でボランティアの受付を終えたら、建物の中に椅子たくさんあり、横に5つ椅子が並んでいるだが、受け付けが終わった人から、
空いている椅子に座っていって、1班が5人になるようにされていた。
私が座った椅子には愛知から来たという4人組の若者が座っていて、この人たちと同じ班になった。
その後、大型バスに乗って被災地に行き、サテライトという場所で、どこで作業をするのか指示をされるのだが、今まで数回行ったのでは一回除いて、5人で被災者の家に行っていたのだが、
その時は、はっきり覚えてないが、愛知から来た4人組と私の班と、別の班の人10人か15人と一緒に公園の作業をすることになった。
公園に付いたら年配の女の人から、土がいっぱいあるところに、ガラスの破片とかが混ざっているのを土嚢袋に入れるように作業内容を指示されて、ほとんどの人は土の所で作業していたが、シャベルも限られた数しかなく他の人が使っているので、私は一人で土の近くのごみを土嚢袋に入れていた。
はっきり覚えてないが、20分作業したら10分休憩だったと思うのだが、一回目の休憩の時に、私は公園内のベンチの上に自分のリュックサックを置いていて、そこで立ったまま、お茶を飲んでいたら、視線を感じたので見たら、数メートルぐらい離れている所にいた20代前半ぐらいの男(後の文章ではDさんと呼ぶ)が一人、私を不審そうな顔をして、じっーと長いこと見ていて、明らかに好意的な目で見てはおらず、私を気味悪がっている感じに見えた。Dさんは一旦、私から目線を逸らして、すぐ近くのベンチに座っていた同僚らしき若い男に何かを言ったようにも見えた。同僚らしき若い男が目線を私のいる方に少しだけ向けたからだ。
Dさんは再度また私の方をじっーと不審そうに「あいつ誰?」みたいなことを思っていそうな感じで見続けている。
後から気づいたのだが、作業を終わって帰る時に公園で一緒に作業していた一部の人が、他のボランティアの人達とは違うバスに乗り込んでいて、愛知から来た若い女の人が「これダイハツの車ですか?」と聞いてたり、受付していた大学の建物の外にダイハツと書いてるバスが止まってたので、ダイハツの会社の人が大勢で一緒に来ていて、そのうちの一部のダイハツの人たちが、私と同じ公園で作業をしていたのだと思う。
休憩が終わって土のある所にDさんが向かっていく時に歩きながら私の方を横目で少し見ていた感じがするのだが、私が同じ場所で作業することに納得がいかないように思っているようにも見えた。

 

次に、昼食の時にダイハツの人たちは、私が座っていたベンチから数メートル以上離れた所にいて、3回数人の人が「ハハハハハハ」と大声で大爆笑する声が聞こえてきたのだが、一回大爆笑する前か後に誰かが「存在感、失礼」と言ったのだ。
多分、笑った3回のうち全部か、一回は私のことについて喋っていて笑ったのではないかと思う。
この時にDさんが私について何か言ったのではないかと思った。いい感じのことを言っているのではないと思う。
昼ごはんの後、私が荷物を置いていたベンチの所にいたダイハツの女の人が、横にいた男の人に、どちらも喋っていなかったのに突然「深読みしてる」と言ったのだが、男の人は何も言わずに無言だった。
多分、昼ごはんの時に、私のことをDさんが話題に出していたであろうことについて言っていそうだ。
Dさんが私のことを話題に出していたであろうことの推測は、「なんであの人だけ一人で来ているの?おかしい」とか、存在感、失礼と言っていたのも、Dさんが私のことを「一人だけ浮いている存在感」とか「変な存在感あるけど、浮いている」みたいなことでも言っていたのではないのかと思っている。同僚の人がそれを聞いて失礼とか言っていたのではないのかと推測している。

 

作業の終わる前ぐらいに私一人だけが、他の人より10メートルぐらい離れた所にいて、ほうきとチリトリを持って地面を掃いていたら、また、離れた所から数人の人が大爆笑を一回したのだ。
これもDさんが私のことを話題に出して「見ろよ、あいつ昼ごはんの時も一人でいておかしいけど、今も一人だけ離れた所にいるぞ。」という感じのことを言っていたのではないかと思ったのだが、他のことで笑っている可能性もあるけど。

 

作業が終わり、サテライトの方に帰っていく時に、公園で作業していた50代ぐらいのおじさん(後の文ではNさんと呼ぶ)が、私の近くにいて、私に「お疲れ様」と言ってきたので、
私も「お疲れ様」と言った時に、Nさんの右隣にDさんがいて、私のすぐ右斜め前をDさんが歩いていて、横にいたNさんに、一字一句はっきり覚えていないが、「昨日ボランティアに行ってどうだったって聞かれたら、昨日ボランティアに行ったら一人だけ変な奴おったって言うじゃろな」という感じのことを言ったのだが、絶対に私のことを変な奴と言っていると思う。
何か私のことを気に入らない感じだが、私が一人で来ていたことを気持ち悪がっているのか、私の外見とかも嫌ってるのか分からないが、こんな感じで、外に出て何かをやっていても、家の中に長期間いても、何もやっていないと思われている人も、何かやっていても、給料や印税という形で金を貰ってなくても、貰ってても、誰かは不満持ち、気持ち悪がったり、嫌うのだ。
逆のことをやっても、不満を持たれたり嫌がられたりする。

 

災害ボランティアセンター運営側の社協のフェイスブックを読んでいたら、誰かが不満を書いていて
「ボランティアが減るようなことしている社協が腹立たしい」という感じのことを書いている人もいた。
私のことも誰かは「あんたみたいな人がボランティアやっていたら、ボランティアの印象が悪くなる」とか「初めてボランティアに行った人が、あんたと一緒に作業していたらボランティアの印象が悪くなる。初めの印象は強いんだから。」とか思う人もいそうだ。

 

私が受付するのに並んで待っている時に、私の後ろに女の人2人がいて、片方の女の人は東日本大震災の時にもボランティアに行っていた人らしく、一字一句はっきり覚えていないが、「東北の時にはこんなんじゃなかったよ」というようなことを言っていたり、運営側の人だろうが、ボランティアに来た人に野球帽のような帽子を配っていて、女の人が「ついに帽子も配りだしたか」というようなことを言っていた。
ほとんどの所にあることだろうが、何かをやっていると信じていることや、好みが色々違うので不満を持つ人は大体いるだろう。

 

西日本の水害の時に矢掛(やかげ)にも一回ボランティアに行った。
同じ班に10人ぐらいの人がいて、70代ぐらいのおじいさんの家の作業をやることになった。
私と若い女の人と70代ぐらいのおばあさんは水に浸かったであろうお皿やコップなどを洗う作業をやっていた。
作業しながら、おばあさんが私に仕事をしているのかと聞いてきたので、その時期、給料や印税という形で金を貰うことはしていなかったので、していないと答えたら、一字一句覚えていないが、「いけん、いけん、いけん、働かないといけん」だか「おえん、おえん、おえん、働かないとおえん」だったか、はっきり覚えていないが、こういう感じのことを言っていた。これを言う前か後に、おばあさんが畑作業はやっているのかと聞いてきた。
畑作業は少しはやっているが、ほとんどやっていないので、やっていないと答えた。
その後おばあさんは、「何とかっていうのあるだろ」見たいことを言っていたのだが、言葉を忘れて出てこなかったのだろうが、引きこもりと言いたかったのだろう。畑作業を外でやっていなくて、給料や印税という形で金を貰っていない人は外に出ていないと
思ったのだろうが、給料や印税を貰っていない人も外に出ている人は出ているが、人が何をしているのか老人も若い人も、
ほとんど分からないのだろう。家の中や外で、いかにも何かをしていても、例外除いて大人が給料や印税という形で金貰うことをしていなければ不満を持つ人もたくさんいるだろう。
私がもし「給料や印税という形で金は貰っていないけど色々やっていますよ。無給の仕事をやっていて、無給で働いています」と言ったとしても、給料という形で金を貰っていない人が家事、掃除、洗濯して、どこかに行ったり、写真を撮ったり、園芸やったり、畑作業やったり、ブログや
SNSやYouTubeなどを見たり、読んだり、書いたりしても、仕事や働いているとは言われにくいのだ。
働いていないというと何もしていないかのように捉えて、自分が感じたことが正しいと思う人もいるのだ。
金でやっていく世の中という不正な世の中は今後絶対になくなるが、この金社会がなくなったら、人のことを判断する時に金を貰うことをしているのかどうかという視点から人を見る人など一人もいなくなるだろう。

 

矢掛のボランティアの作業が終わった時に、被災者のおじいさんに誰かが、今後もボランティアを継続するか、しないかを書く紙を渡していた。
おじいさんが私の前の方で、しゃがんでいた時に、おじいさんが右後ろを振り返って私に「これ女って書くん?」と聞いてきた。
紙にはボランティアを今後も継続する場合に、求めているボランティアの人数を書くところがあったのだが、女か男かを書けとは書いてはいなかった。
聞かれた私は性別を書けとは書いていないので、どうなのかなと内面で思っていて、何も言わなかったら、再度、おじいさんが同じことを聞いてきたのだが、どうなのか分からないので私は2回目に聞かれた時も何も言わなかったのだ。
その後、おじいさんには不満を言われたり、睨まれたりしたわけではないが、多分、おじいさんは私を不快に思っただろう。
他の人も子どもで小学生や中学生ぐらいの子どもが答えなかったら、まだ分かると思う人や、小学生や中学生ぐらいでも答えていないとおかしいのに、30代なのに返答をしていないことはおかしいと思う人もたくさんいるだろう。
あいさつでも多くの人は、あいさつされたらオウム返しをするのに、同じことをやらないと変な目で見られたり、見下されたりする。
大勢が同じ反応をしている場合は、考えずに大勢と同じことをしたらいいと信じている人はたくさんいるだろう。
あいさつみたいに大勢が同じ反応をすぐに返している場合は、頭で考えていたら、それは考える所じゃないと思い、大勢と同じ反応をすることを許すのだろう。大勢がやらない反応をして喋ったら不満を持たれる場合もあり、私が言われたことがあるような「友達や家族じゃないんだから」と不満を言われる場合もあれば、言ったことで裁判起こされる人や、嫌がらせされる人や、身体暴力を振るわれる場合もあるのだ。
喋っても喋らなくても、おかしいと思ったらどちらでも叩かれるし、外に出ていても家の中にいても気に入らなければ不満を持たれるのだ。家の中にいてもおかしいと思われ、家の外にいて何かをしていてもおかしいと思われる。

 

30代前半の時にスーパーのレジ店員をやっていた。その店には中国人のレジ店員(後の文章ではSさんと呼ぶ)がいて、初めのうちは一つのレジにSさんと一緒に入ってやるように社員に言われた。私はレジでこの中国人と少し喋ったが、否定的なことなどは何も言っていない。
働き出して数日だか、一週間ぐらいした時に私が店に入る時は客が出入りする出入り口から入るのだが、歩きながらレジの方を見たら、Sさんが私の方を嫌そうな顔をしてじーっと見ていた。何か私のことを嫌っているようだ。
私は夜10時までの勤務で、夜10時前にレジを閉めた後、別の人がレジチェックしに来るので、その人を待っていたら、夜10時から入る中年のおばさん(後の文章ではYさんと呼ぶ)が、大声で「やることなかったら袋補充」と言った後に「ああ、あの子か」と言った。
Sさんが私から3メートルぐらい離れた所にいて、Yさんが喋った後に狙って私の方を見たのだ。
このことからSさんは私がいないところでYさんに私のことを何か言っていて、Yさんが意味を隠しながら「ああ、あの子か」と言ったと思っている。
Sさんが初めのときから、私が店に来た時に嫌そうな顔をしていたのは私の何かを嫌っているとしか思えないが、影でYさんにSさんは私の不満とか、嫌いだということを言っていたのだろう。

 

ある日、私を含めてレジ店員が4人いた時に、私がレジをしていた入口付近でYさんが中国人店員に「3人かと思った」というようなことを言っていた。
その後、Yさんは私のレジに並んでいて、私の前に来た時に下を向きながら「モリタニさん、存在感ないから気づかなかった」と言った。別の時にYさんが私のレジに並んだ時に、カードを私が受け取った後に私に対して「片手で取んなよ」と言った。
多くの人は片手でカードを取っても不満など待たないだろうが不満を持つ人もいるのだ。
別の日に、私の隣のレジにSさんがいた時に、SさんのレジにYさんが並んでいて、Yさんが「お前はオーラがないんかいな」と言った後に、Sさんが左側にいる私の方を横目で見ていたのだが、多分オーラがないと言っているのは、前に存在感がないとYさんが私に言っているので、
私のことを言っていたと思っている。
別の時に、Sさんがレジにいる時に、私に週何日働いているのかというようなことを聞いてきたので、「週5日だけど3日にしてもらった」というようなことを言ったら、「週6ー」と語尾を伸ばして言ってきた。
この人は日本語が流暢で、私の言った意味も分かっていたと思うが、私のことを何かしらで嫌っていて、バカにして、週6と言っていたと思っている。
その後、他のレジ店員や社員がSさんが仕事を辞めるというようなことを言っていた。
推測だが、私のことが嫌で辞めたいと思っていたのではないかと思っている。

 

私がこの人たちや、それ以外の人にも悪態つかれていたりして、この職場を辞めたくて店長に許可を貰って一か月後ぐらいに辞めてもいいことになっていた時に、社員が店でやる何かのことで、はっきり覚えていないが、レジ店員をベテランチームなどという感じに名前を付けて
分ける時に、私を入れている集団には曲者という言葉が使われていた。
社員が私を曲者という言葉のところに属させたのは、私が以前に週5で働いていたのを、職場の人が私の悪態ついてくるのが嫌だったので、働く日を週3にしてもらっていたことから、曲者というところに属させたのだろう。
その曲者という言葉を使っていることに不満を持った私が辞めてもいいといわれている日よりも前に店長の所に行って、今日辞めるというようなことを言ったら、店長は初めは辞めることを認めなかった。店長は私に「社会人としてどうなん」とか、他の人の迷惑になるというようなことを言っていた。
曲者と言っていたことの不満を店長に言ったら、ジョーダンというように言っていた。人が嫌がることは人によって違う。
大勢が嫌がらないことを嫌がれば、心が弱いとか変人、変わり者と言われやすいだろう。
そのまま帰ろうとしたら副店長が止めてきたが、後から店長が副店長に、もういいからというようなことを言っていて、私が辞めることを仕方なく認めたのだろう。
店長が私に言っていた、人の迷惑になると言っていることは、他の人も色んなことで同じ理由で不満を持たれていることだろうが、他人の姿は自分の姿で、人に迷惑だと思っている人も誰かから迷惑だと思われているのだ。
金でやっていく世の中で大勢の人が苦しんで迷惑している。大勢が加担していることは悪くは言われにくいのだ。
商売自体が不正で合法の詐欺、泥棒行為をしているが、多くの人は気づいていないのだ。
商売をしていることで人の役に立っていると思っている人もいるだろうが、みんなで助け合いをして生きているのならば、金でやっていく世の中などやっているわけがないのだから、商売もやっているわけがないのだ。
社会人としてどうなんと店長が言っていたことについても、
本来全てのものに値段はついていないのに、商売という合法の不正をやっていることや、金でやっていく世の中という不正で間違っていることをしていることに対して、店長やそれ以外の人も「商売という泥棒、詐欺行為をしていてどうなん」とか「金でやっていく世の中を正しいと信じて、人が嫌がることしていてどうなん」とか「本来値段が付いていないものに値段付けていてどうなん」とは思わない人の方が多いだろう。
自分が属している集団にいる人の心理や言動の全てを把握している人などいないだろう。
店長も私が職場の人から悪態つかれていたり、嫌われていることも知らないだろうし。

 

この店には壁に求人の大きなポスターが張ってあって、一緒に働く人は仲間です、というようなことが書かれてあったのだが、この店で働いている全員か、ほとんどの人は同じ職場の人を仲間だとは思っていないだろう。他の職場でも、学校や、近所の人に対しても
ほとんどの人を仲間だと思っていない人の方が多いだろうけど。
正しくもなくて間違ったことをしている、金でやっていく世の中は、曲がったことをしている「曲者金社会」「金でやっていく世の中という曲者な世の中」だし、商売も「本来値段が付いていないものに値段を付けて不正をやっている曲者社会」や「合法の泥棒、詐欺をしている曲者商売」でもある。

 

私はこんな感じで、家の中にいても嫌われたり、気味悪がられるが、家の外に出ていても嫌われているし、バカにされてきているのだ。
給料や印税という形で金を貰うことをしていないと疑問や不満を多くの人から持たれるが、逆に給料や印税という形で金を貰っていても疑問や不問を持たれる場合もあるのだ。

脱金社会 金でやっていく世の中は不正だ7

2023年05月07日 | 脱金社会
目次
第1章から第8章へのリンク
第9章から第10章へのリンク
第11章から第16章へのリンク
第17章へのリンク
第18章から第19章へのリンク
第20章から第24章へのリンク
25.ズルいという人がズルい
26.何かをやっていないことを怠けているという言葉で言い表すとすれば誰でも怠け者だ
27.金非信者や、給料や印税という形で金を貰っていないニート、無職、引きこもりと言われている人は辛抱する仕事、我慢する仕事をやっているとも言える
28.擬態生物の人間達
29.日本人はあまり人の気持ちや、他人の信仰心とか、世の中のことを分かっていないと思う
第30章へのリンク
第31章へのリンク
第32章から第34章へのリンク
第35章から第39章へのリンク
第40章から第41章へのリンク
第42章から第45章へのリンク
第46章へのリンク
第47章へのリンク

25.ズルいという人がズルい

 

他人にズルいという人で、自分はズルくないと思っている人がいるが、誰でもズルいとも言えるのだ。
ズルいという言葉は他の言葉と同じで、みんなが同じ定義や意味付けでは使っていない。
誰かのことをズルいと言って人に不満を持つ人の理由の一つは、妬み、ひがみ、羨ましさだ。
具体例で言えば、学校の掃除をやっていない生徒に別の生徒が「あの子、掃除さぼっててズルい」と言っているようなものだ。
こういう不満の場合は、ズルいと言っている人の多くは、掃除をするという決まりを正しいと信じてはいなのに、掃除をしている人たちは色んな理由で形だけ掃除をしていて、掃除をしていない人を羨ましがって不満を言っている場合がある。
大勢の生徒が掃除をしているのに、掃除をしていない生徒を問題視してズルいと不満を持つ。
掃除をしている多数派の方は問題視はされないのだ。学校に行くことが正しいことでもないし、
学校で掃除をするように先生が勝手に決まりを決めて生徒に掃除をしろと言っているだけで、
学校で掃除をすることが正しいということにはならないが、例外除いて、少数派の方が間違っているとか、おかしいと思われやすいところがある。
自分が掃除を正しいと思っていないのならば、掃除をしないことも出来るのに、自分が勝手に掃除をしているのに、自分可愛さ、我が身可愛さがあるので自分のことは悪く言いにくいのだろう。
「みんなまじめにやっているんですよ」などと言い、少数派の方を問題視して悪く言って、多数派の方が正しいとか、多数派に合わせてほしいとでも思っているのだろう。自分の信仰の押し売りをしているだけだ。

 

金でやっていく世の中で、税金を払わない人などに、「まじめな人が損をする」とか「図々しい人が得をする」などと言う人は、税金などを払うことが正しいと信じているのに、正しいことをしていないと思う人に対して、悪評価、低評価して言っている場合と、
正しいとは信じていないのに、色んな理由で形だけ嫌々、金を払っている人が、払わない人を羨ましがったり、妬んで言っている人がいるのだ。
金でやっていく世の中自体がウソの間違っている不正をやっている世の中なのに、
その金でやっていく世の中を正しいと信じている大勢の金信者は、金でやっていく世の中を辞めようとはしない。
その金でやっていく世の中で、金非信者も金信者も大勢の人が苦しんでいるのは、多くの人が知っているだろう。
金がないとやっていけないから、給料を貰うようなことをしたくなくても、嫌々やっている人がいて、
そういう人たちが、給料や印税という形で金を貰うようなことをしていない人を妬んだり、羨ましがったりなどして、見下したり、バカにしたり、死んでほしがったりして、少数派の無職やニートなどと言われている人を下に見て、蔑んでいたりする人もいる。

 

給料や印税という形で金を貰うようなことをしていない人を例外あれど、見下している人の中には、この人たちが楽をして苦しんでいないと思っている人がいるのだ。
勝手に自分の内面でそういうことを思って、それが正しいことだと信じているバカで鈍いところがある人なのだ。
給料や印税という形で金を貰うようなことをしていない人が、家族や家で飼っている犬などの介護をしている人もいるが、それを知らなかったり、知っていても、給料という形で金を貰っている介護士の人が介護をしていることには不満を持たなくても、給料や印税という形で金を貰うようなことをしていない人が介護をしていた場合は価値が低いかのように思う人もいるのだろう。
給料や印税という形で金を貰うようなことをしていない人が、いかにも何かをしていても、
例外あれど給料や印税という形で金を貰うようなことをしている人よりも価値が低い人だと思っていて、悪い意味で差別しているのだ。
例外あれど給料や印税という形で金を貰うようなことをしている人の方が、立派なことをしていて、優れている人であるかのように思っている人もいるのだ。
やっていることは同じでも給料や印税という形で金を貰うようなことをしている人の方が素晴らしいと高評価する人がいる。
給料や印税という形で金を貰うようなことをしている人を褒める人の中には、こういう人たちは人の役に立っていて、社会に貢献しているなどと、はっきり言わない言い方で
褒める人もいるが、給料や印税という形で金を貰うようなことをしていない人も、存在しているだけで家族や親戚や友達や、家で飼っている動物などに好かれているだろう。
好かれているというのは誰かの役に立っているということだが、存在しているだけで誰かの役に立っていることが良く言われやすいのは子どもや犬、猫や、美形や自然で、
仕事と言われているものではモデルだろう。金でやっていく世の中は、このような差別をしている不正社会で、頭がおかしい、キチガイ社会なのだ。
本来、全ての物に値段が付いていないことなど分かりきっていることだ。
地球の一部である土地に本来は値段が付いていないし、商品やサービスにも元々、値段など付いていないのに、商売をやって金を取らないと生きていけなくて死活問題だから、
合法をいいことに値段を付けて、例外あれど商売が正しいと信じている人がたくさんいるのだ。例外は気に入らない仕事とか、気に入らない値段だと不満を持ち、悪質商法や、ぼったくりなどと言って悪評価して許さないのだ。

 

金でやっていく世の中で、税金や年金、罰金、損害賠償などで金を取るのも、商売で金を取るのも、物やサービスに値段を付けるのも不正で間違ったことをしていて、合法の詐欺、合法の泥棒をやっているのだ。
一般に詐欺や泥棒と言われているのは、刑法違反の方で、警察を呼ばれれば逮捕されるが、
合法の方は刑法違反ではないので警察を呼んでも逮捕にはならないし、大勢が金でやっていく世の中を正しいと信じているので、ほとんどの人は合法で詐欺、泥棒をやっていても悪く言われずに問題視されない場合が多いのだ。
刑法違反の方のスリや強盗、万引きをした人に金や物を取られたり、取られそうになった人が被害を受けてかわいそうだと思うのだろうが、スリや強盗、万引きをやった人を捕まえる警察の給料が税金から出ていて、その税金を払うことを正しいと思っていない人がいたり、
嫌がっている人がいるのを知っている人はたくさんいるだろうが、自分が持っている金を取られることを嫌がっているのはスリ、強盗、万引きで刑法違反された方も、
税金や年金や、値段ついているものに金を払えと言われている方も同じなのに、刑法違反した方だけ逮捕になったり、多くの人も刑法違反をした方を悪く言うようなズルい差別をしているのだ。
これらのことを普段、問題視したり、おかしいと思っている人はほとんどいないだろう。
逮捕された人をバカにして見下すようなことをする人はたくさんいても、ほとんどのことは問題視されにくく、みんな色んなことを泳がされていて、放置されて、ほったらかしにされて、
野放しにされている。逮捕の様に強制で捕まったりなどしないし、ほとんどのことに言葉で不満を言われたり、間違っていると言われたことがないから、自分達ほとんどの人は、全くか、ほとんど間違ったことをしていないと思っている人がたくさんいるのだろう。
値段がついているものに金を払わなかったりして刑法違反のことをした人のことは多くの人は悪く思いやすいが、合法で嫌がっている人から年金、税金を取ったり、客が嫌々、金を払っていたりしても、金を取っている方は泥棒とは言われにくいのだ。
金を払っている方も払わないことも出来るけど、大勢が払っているから正しいと信じて払っている人と、逮捕されたくないとか、人から嫌われたくないから、
払うことを正しいと信じていない人も払っているのだろう。
誰かが嫌がることをしても逮捕される人と逮捕されない人がいたり、誰でも不正をやっているのに逮捕される人と逮捕されない人がいるような、ズルい差別をしているのだ。




26.何かをやっていないことを怠けているという言葉で言い表すとすれば誰でも怠け者だ

 

金が欲しいから給料を貰うことをやっている多くの人のことを、よほど気に入らないことをしていないかぎり、怠けていない、仕事をしている、働いているなどと多くの人は言うだろう。
そういう人たちは、ほとんどのことをやってはいないし、ほとんどのことを知ろうともせずに、みんなで助け合いをしようとはせずに、不正の金でやっていく世の中に加担して、無職、ニートなどと言われている人や窃盗、スリ、強盗などと言われていることをやった人達を
下に見たり、この人達が楽しているなどと勝手に決めつけてバカにしたりしている人もいる。

 

ほとんどのことや、ほとんどの人のことを、よく知りもせずに、全くか、ほとんど知ろうともしないというのは怠けているとも言えるが、給料を貰うようなことや、それ以外のごく一部のことをやっていることで怠けていないなどと言う人もいるだろう。
大勢と同じことをする人を褒め称えていて多数派に甘い人が多いだろうから、給料を貰うことをしている人を例外あれど良く言いやすいのだろう。
何かをやっていないことを怠けているという言葉で言い表すとすれば、誰でも怠け者なところはあるのだ。みんな誰かがやっているほとんどのことはやっていない。

 

無職と言われている人が家事、掃除、洗濯や畑作業や、園芸をして花の種を蒔いたり、苗を植えたり、日記を書いたり、本や漫画などを読んだり、テレビや映画を見ているのも、
作品を作るのも、ブログやSNSに文章や写真や動画を出すのも、過去のことを振り返ったりなどして自分の内面と向き合う内観をしたり、犬の散歩したり、運動したり、歩いたり、写真撮ったりなどして、何かをしているが、無職、ニートと言われている人を見下している人は、この人たちのことを全くか、ほとんど知らないし、知る気もない人の方が多いだろうに、給料や印税という形で金を貰っていな人を例外あれど、バカにして、見下して、悪い意味で差別しているから、
この人たちが何かしていたり、存在しているだけで家族や友人などの役に立って好かれていても、給料や印税という形で金を貰っていないことが気に入らなかったり、間違った生き方をしていると思っているから、ダメ人間などと見下したり、怠けているなどと思う人もいるのだ。

 

人が何をやっているのかをほとんど知らないし、何をやっているのかをほとんど知る気がない、何を思っているのかをほとんど知る気もないような、人のことをほとんど知ろうとすることをしない怠けている人が、給料や印税という形で金を貰うようなことをしていることで、この人たちのことを怠けていない人と思う人もいるのだからバカげた差別をしている。
給料や印税という形で金を貰うことをやっていない人も何かをやっているが、無職やニートと言われている人の中には給料や印税という形で金を貰っている人よりも、心身苦しんでいる人もいるだろう。
給料や印税という形で金を貰っていない人を楽して何もしていないと思っている人の中には、自分たち給料や印税という形で金を貰っている人の方が頑張っていて、立派だと思っている人もいるだろう。

 

給料や印税という形で金を貰っている人の中には、自分や好きな人を褒め称えて、自分達は頑張っているけど、あの人たちは頑張っていないと思ったりしている人もいるだろう。
給料や印税という形で金を貰っている人の誰かのことを、少しだけしか頑張っていない人だと思われていたり、色んなことでバカにされていることがあることに気づいていない人もいるのだ。

 

金でやっていく世の中を辞めようとしなかったり、不正なのに金でやっていく世の中を正当化させて、
スリ、強盗、窃盗などと言われている人のことは逮捕して泥棒と呼ぶのに、自分達のことは悪く言わずに、給料を貰っていることも、税金、年金などを取るのも不正なのに泥棒とは言わない。差別をすることを頑張っているとか、不正の金社会を維持していこうとして金非信者も巻き込むことをすることを頑張っているとは言わないのだ。

 

家の家事、掃除、洗濯などをやっていても、それを価値が高いとか、価値があるとは思っていない人もたくさんいるだろう。
だから無職やニートと言われている人が、これらのことをしていることを知っても素晴らしいとも思わないし、何かをやっていても見下してバカにしている人もいるのだ。

 

トイレの便器の汚れに「さぼったリング」と言われているものがある。
ほとんどの決まりを守らない人が、別の決まりを守ることをさぼっているとは言わないが、
トイレの便器のさぼったリングと呼ばれているものは、その汚れをなくすために掃除をしていないから、さぼっていると言いたい人もいるのだろうが、
トイレ掃除をしていないのは、人によって理由が違うだろうが、さぼったリングなどの汚れが付いたままなのを、さぼったとか、ずぼらとか、ちゃんとしていないと思う人も、その汚れを取っていない人の体調や心理などを考慮していなかったりする人もいるだろうから、
掃除していない人の理由を知ることを、さぼっている人とも言えるのだ。

 

私の住んでいる近所ではない他の住宅街に立っている一軒の家の前の狭い庭や表札の前の狭い土があるところに雑草がボーボーにたくさん生えていて、別の時に行った時にも同じように雑草がたくさん生えていたのだが、家の前に車があったり、洗濯物が干してあったので、
人は住んでいる感じだった。ある日、その家の前に止めてある車の後ろ側に障害者マークが付いているのを見た。
その家には身体障害がある人が一人暮らしをしていて、体が不自由だから雑草が取れないか、
身体障害がある人と健常者の人が複数で住んでいて、健常者の人も身体障害の人の世話をするのに忙しかったり、それ以外にも給料を貰いに行くようなことをやっていて、
これらのことで忙しいから、雑草を取ることをやりたくても後回しになっていて出来ていないのかもしれないと思った。
人によっては、雑草が生えたままだと、見た目がよくないのに雑草を取らないのは大雑把な人だとか、変わっている人とか、ズボラや、さぼっているなどと思うのだろう。
でも、同じものを見ても他の人なら「今、雑草を取る余裕がないんだろうね」と思う人もいるだろう。
みんなが同じことなど思わないのだ。



27.金非信者や、給料や印税という形で金を貰っていないニート、無職、引きこもりと言われている人は辛抱する仕事、我慢する仕事をやっているとも言える

 

金でやっていく世の中を正当化させて、このウソの金社会をまかり通らせている大勢の金信者の人達。
無職やニートと言われている人の多くは、この金やっていく世の中で苦しんでいるだろう。
行きたいところに行くのにも金が要るし、欲しいものを買うのにも金が要る、生活費にも金が要る、
無職やニートと言われている人で、特に金非信者は金信者の信仰に巻き込まれているが、
金非信者は金でやっていく世の中が正しいと信じていないのに、金でやっていく世の中に合わせている人もいれば、人によっては合わせないところがあり、値段ついているものに金を払わなかったり、年金や税金を払わなかったりしている人は、金でやっていく世の中で自分が信じていないことを押し付けられていても辛抱したり、我慢しているとも言えるのだ。
金を払わないことで逮捕されて、牢屋に入れられて辛抱して、我慢している。

 

何かをやっていることを仕事、働いているという言葉で言い表すならば、金非信者やニート、無職、引きこもりと言われている人は、金でやっていく世の中や、それ以外のことでも色々なことで苦しんでいたり、迷惑していたり、嫌がっていることがあるだろうが、それらについて不満があっても、一部の人にだけ言っているだけだったり、誰にも言っていなかったりして、色んなことを辛抱して、我慢している。
金非信者やニート、無職、引きこもりと言われている人は「辛抱する仕事をしている」「我慢する仕事をしている」とも言えるし、「辛抱するということをして働いている」「我慢するということをして働いている」「給料や印税という形で金を貰っていないだけで無給の仕事をしている」、
「無給で働いている」とも言える。

 

働いていない、仕事をしていないと言われている人を例外あれど、バカにしたり、見下す人や死んでほしがる人の多くは、無職やニートと言われて給料や印税という形で金を貰っていない人が苦しんでいなくて、楽していると思っていたり、何もしていないと勝手に決めつけているから不満を持ったり、
下に見ている人が多いと思うが、金でやっていく世の中で金非信者も金信者も大勢の人が苦しんでいるが、給料や印税という形で金を貰う仕事をしている人が、その仕事が嫌でやりたくなかったり、苦しいことがあっても、仕事を辞めなかったら、辛抱、我慢して仕事して働いていると良く言う人がいるだろうが、給料や印税という形で金を貰っていない人は給料や印税という形で金を貰っている人が加担している金でやっていく世の中で苦しんで我慢、辛抱しているところがあるのだが、給料や印税という形で金を貰っていない人を見下したり、バカにしている人の多くは、無職やニートと言われている人が金でやっていく世の中で苦しんでいるのは自分達に問題はなく、関係ないと思っているのだろう。

 

親や祖父母の給料や印税から無職と言われている人が金を貰っていても大した金など貰っていない人の方が多いだろうし、親や祖父母の給料や年金から貰った金で自分がやりたいことや、ほしいものを買うのに払う金としては足りない人もたくさんいるだろう。
多数派で給料という形で金を貰っている人が正しいとされている間違っていて不正な金でやっていく世の中の天下が今後もずっと続いていくことはない。
存在しているだけでも誰かの役に立っていても、何かをやっていても給料や印税という形で金を貰える人と貰えない人がいたりして、えこひいき差別をしている金でやっていく世の中が今後も続いていくわけがない。金でやっていく世の中という不正な社会は今後はなくなるのだ。




28.擬態生物の人間達

一般に擬態生物というと人間ではなくて、昆虫とか魚などの生物が擬態生物と思っている人もいるだろう。人間も擬態生物だ。
人間の擬態も、自分や家族などが嫌われたり、バカにされたり、見下されたり、逮捕されないために、
税金Gメンに差し押さえされないために、殺されないためや、嫌われて身体暴力をされたり、影から嫌がらせされたりして攻撃をされないための自己防衛や家族の防衛のためにとか、人から褒められたりして良く思われたいとか、大勢と同じ人間だと思われたいなどの理由で、
自分以外の誰かの服装、髪型、髪の色、入れ墨(タトゥー)とかの外見を真似したり、自分以外の誰かの言動を真似したり、大勢と同じことをしたりしている。

具体例で言えば、本当は金でやっていく世の中が正しいと信じていないし、金を払いたくないけど、逮捕されたり、税金Gメンに差し押さえされないために、逮捕や差し押さえをされることで自分や家族が他人から見下されないために、攻撃を回避させるために金を払うという演技をして、擬態をしている。

大勢と同じように金を払っているという行動はしているけれど、本当は金払うことを正しいとは信じていない。
本当は金を払いたくないのに嫌々払って、自分の気持ちに正直ではない。
大勢と同じことをする人を良く言う人は、大勢と同じことをする人のことを
普通の人、普通の感覚を持っている、常識的、常識人などと言い高評価したりするだろうが、
人がなんで大勢と同じ言動を取っているのかの本心はあまり分かっていないだろう。

自分の本当に信じていることを隠して、他の人から不満を言われたり、嫌がらせや逮捕をされないために、攻撃を避けるために信仰を隠したり、本音を言わずに表面的に演技をして擬態をしているところがたくさんあっても、周りの人はそれに気づいていない場合が多いのだろう。




29.日本人はあまり人の気持ちや、他人の信仰心とか、世の中のことを分かっていないと思う

人の気持ちが全部わかる人などいるわけがない。多くの人は、ほとんどの人に興味がないだろうが、
人のことを2種類(2タイプ)に分けて、「あいさつができる人とあいさつが出来ない人」とか「日本人は人の気持ちが分かる人と、人の気持ちが分かわからない人がいる」とか「普通の人と変わってる人」とか「悪人と善人」など、どちらかにしか当てはまらなく、
2種類(2タイプ)のどちらかに分けようとするところがある人もいる。
大雑把に2種類に分けても、人のことなどあまり分からないだろう。

この金でやっていく世の中で、金がなくても豊かでいい気持ちになれるなど言っている日本人がいたのだが、金を使わなくてもいい気持ちになれるというのは、好きな子と両思いでうれしいとか、
自然の景色を見ていい気持ちなったとか、風俗店とかの金払ってセックスをすること以外でセックスしていい気持ちになったとか、お金では買えないことで、いい気持ちになることが出来るんだと何か誤魔化しているが、本来全てのものに値段はついていないのに、値段を付けるようなことをして、合法の詐欺や泥棒をやっているだけで、金でやっていく世の中、金社会という不正で間違ったことをやっている。
家に住んだり、生活していくのに、家賃、土地税、電気代、水道代、ガス代などがいるが、それを自分が払うか他の人が払うかの違いで、誰かが金を払っているのであって、金がなくても豊かとか言ってるのもなんか陳腐で変でおかしい。

「日本人の子どもは給料や印税という形で金を貰っていなくてもやっていけてるのです」と言っているようなもので、親や祖父母などが、子どもの色んなことに金払っているわけで、金がなくてもやっていけているのではなくて、自分が給料や印税という形で金を貰っていないだけで、他の人に金を払ってもらえなければ生活していけなかったり、食べれなかったり、服やゲームなども手に入らないのだ。
本当に全てのことで豊かなのだったら、生活費、家賃、土地税、電気代、水道代、ガス代、趣味代、
スマホ代など払わなくてもやっていけてないとおかしい。
商売している人の中に「お金のためではなくて、お客様のため」と言っている人がいても、金がないとやっていけないから金を取っているのだ。

金でやっていくこの世の中、社会とは不正で間違っていて、イカレていて、頭がおかしくて、キチガイなウソの世の中、社会だが、本来値段が付いていないものに値段を付けて、大勢が金でやっていく世の中を正しいと信じて、自分の信仰心をまかり通らせているだけで、
本当のことを知ろうとする人はあまりいないのだろう。
正しいと信じていることが、本当に正しいことになっているのが、金でやっていく世の中や、常識、社会のルールなどと言われているものなのだ。
人の信仰心や本当のことを知ろうとはせずに、自分が感じたことが正しいと信じて、自分の信じていることをまかり通らせたいのだ。

ガンで亡くなった人と言われている人が、がんで亡くなったのではなくて、がん治療の方で亡くなっていると言っている人がいるが、それを知っても、みんなが同じことなど思わないだろう。
ほとんどの病気は薬を辞めたら治ると言っている人がいるが、日本人の薬信仰と言われているように、
薬を飲んだから体の状態が良くなったと信じている人が日本人には多いだろう。
薬が体にいいと信じているのは信仰心なのだ。
体が不調になっている原因が体に溜まっている毒が出ていて、それを病気と呼んでいて、その不調を薬を使うことで抑え込むことを治ったと思う人がいて、薬を飲んで不調がなくなったり、緩和されたら、その薬は良いものあると信じる人もいるが、不調を一時的に薬で抑え込んでいるだけで、不調の根本的な解決にはなっていないので、対症療法と言われているのだ。


 


脱金社会 金でやっていく世の中は不正だ6

2023年05月07日 | 脱金社会

 

20.多くの人は人を無視をしたことがないと思っていそうだが、実際は無視しまくっているのだ

 

多くの人は自分は無視はしたことがないと思っているだろう。
それは無視という言葉の定義、意味付けを多くの人は、おかしいと思うことを喋りかけてきたりとか、大勢が返事をする必要がないと思うこと
などは例外として、喋りかけられたり、あいさつをされて返事、返答をした場合は無視ではないと思っているのだ。だから、関わる気もない人や、ほとんど興味もない人に初めにあいさつしたり、あいさつを返したり、喋りかけられて返事をしたから無視はしていないと、自分に都合のいい捉え方をするのだろう。下らない言葉遊びをしているだけだ。

関わる気もない人や、全くか、ほとんど興味がない人に形だけあいさつしたり、喋りかけたり、アメやお菓子や土産物をあげることを
高評価して良く言う人は、コミ二ケーション能力が高い、気遣い、思いやり、いい人と言う人もいるだろう。
こういう人を褒めている人は、全くか、ほとんど興味がない人に働きかけた人の方を良く言っても、働きかけられた人の心理や信仰心や体調などについては、全くか、ほとんど興味がない場合もあるだろう。
形だけの対応を嫌がる人もいるが、形だけで喋りかけられたり、あいさつされたことを嫌がっていることを分かっていなかったり、分かっていても
自分が形だけの働きかけをした人を素晴らしいと思うのならば褒めるのだろう。

あいさつを正しいと信じている人や、あいさつ返しを正しいと信じている人を私はあいさつ信者と呼んでいる。
あいさつ信者の中には、あいさつ返しをしなかった人に、初めにあいさつした人の存在を無視していると言って、あいさつを返さない人に不満を
持っている人がいるが、相手の姿は自分の姿で自分もあいさつを返さなかった人の心理や体調や信仰心などを無視しているし、それ以外の人や、色んなことを無視しているのだ。
あいさつ信者は例外除いて、大切ではない人や、どうでもいい人や嫌いなだけの人にあいさつしている場合が多いだろうが、
そんな大切ではない人に甘えて、絶対100%あいさつ返されると信じて勝手にあいさつをして、思い道りにあいさつを返されないと、
不満を持つのだ。自分が相手のことを全くか、ほとんど知らないし、全くか、ほとんど興味がないのに勝手にあいさつしたことを
問題視はせずに、我が身可愛さから、あいさつ返さなかった人のせいにする自分中心で相手のことを無視している人達だ。
でも、どうでもいいと思っている人や大切ではない人にあいさつを返させるために、初めにあいさつをしたから無視はしていない
と多くの人は思うのだろうが、相手の体調や心理や信仰心を全てか、ほとんど無視しているので、「無視している相手にあいさつした」とか
「相手のほとんどを知る気もなく無視しているが、形だけあいさつしたから、気を使って返してほしいと思っている。」とか、
「相手の全てに興味、関心はなくて無視しているけど、あいさつ返させたいから、表面的に形だけあいさつした」という感じだろう。
一方的に、あいさつが正しい信仰を相手に押し付けて、相手のことを考えていないとも言えるのだ。
それなのに自分のあいさつ信仰や欲求がまかり通らないと不満を持ったり、見下したり、怒り出したりする人もいる。

以前、ネットで外国の宿泊施設に行った日本人の人が受付の人について「なんで暗い人を雇っているのか」というようなことを書いていた。
受付の人に暗い人以外の人を求めているのに、自分の望まない人が受付にいるから不満や疑問を持ったのだろう。
他の人も接客業の人や、それ以外でも暗い雰囲気の人よりも、明るい雰囲気の人の方を好む人の方が多いだろう。
暗いと思う人が生きていてもいいけど、接客業では働いてほしくなくて、裏方の仕事をしてほしいと思っている人もいるだろうが、
あいさつでも同じで、自分の思い道りになってほしいから、ごく一部の人にあいさつをすることを求め、自分の思い道りにあいさつをされないから
不満や疑問を持つ。

あいさつすることを必要最低限の関りなどと言う人もいるだろうが、関わる気もない人や、どうでもいい人にあいさつ返しを求めて一方的にあいさつを初めにすることを、あいさつ返させたい人に対する気づかいと言えばカッコが付くだろうが、あいさつを初めにして、あいさつ返させたい人に
自分に合わせてあいさつを返してほしいと無言で押し付けているのは、自分に気を使っているとも言えるのだ。
あいさつ返しが正しいと勝手に信じて、自分の信じていることや欲求がまかり通らなかったことに不満を持ち、不満を持ったことを
あいさつ返さない人のせいにする冷酷な悪魔さを持っているが、自分可愛さから自分のことを問題視しない人が多いのだろう。
みんながあいさつ返しが正しいと信じているのだと信じ、どうでもいい人や大切ではない人などに、初めにあいさつして、相手が自分の言いなりにならずに、あいさつを返さないと不満を持ったり、無視されたと思う人もいるのだ。

みんながあいさつ返しを正しいとは信じていないことを知らない人が多いだろうが、同じ人間だと思っていないのに、あいさつや一部のことでは、みんなが同じことを信じていると勝手に信じて、知ったかぶっていて、他人が本当は何を信じているのかをほとんど知らないし、全くか、ほとんど知る気もないのにあいさつをしたり、喋りかけたから、相手を無視していないと多くの人は思うのだろう。
あいさつはコミニケーションや社会のルールなどと言う人は綺麗事を言っているのだ。全然知らない人や、大切ではない人を自分の思い道りに
あいさつを返させたいと思い、自分の信仰や欲求を相手に押し付けていて支配的、独裁的とも言えるのだ。
人類総あいさつ信者にさせたい人がたくさんいるのだろう。
あいさつ信者は他人の心理や気持ちより、自分の心理や気持ち、自分が感じたことが大切なところがあるのだろう。
自分があいさつ返しを正しいと信じているから、他の人も同じことを信じていると思っているところもあるのだろう。

あいさつや、あいさつ以外のことでも、自分が無視されたらどう思うなどと言って不満を持つ人も、不満を持った相手や他の人達を無視しまくっているのだ。
他人の姿は自分の姿で、例外除いて、あいさつを返させたいと思っている相手のことを大切でもない、どうでもいい人だと軽く見て軽視しているから、
その軽視している相手があいさつを返さないから許さないのだろう。
自分が誰かを軽視したり、無視することは許すけど、他の人なら許さない場合があり、我が身が可愛くて、自分に甘いところがあるのだ。
ほとんどの人に興味がない人が多いだろうに、全くか、ほとんど興味がない人のことを勝手に決めつけて、みんながあいさつ返すと信じる自由はあるが、あいさつ返させたい相手を大切だとは思っていない場合が多いから、
相手があいさつを返さない自由は許さない冷酷さがある。

あいさつ信者の中に、あいさつ返さない理由を、あいさつを初めにした人を嫌っているからとか、要領が悪い人だと、あいさつを返さない人を問題視している人がいる。
あいさつを返させたくて、大切ではない人や、初対面の人、どうでもいい人などにあいさつを返させたいと思っているあいさつ信者は人の気持ちや信仰心が分からないところがあり鈍く、一方的で、人のことを考えていないところがあり、頭が悪いバカなところがあるとも言える。
あいさつを返さない人に要領が悪いと言っているのも、例外あれど、あいさつ返させたい相手のことを大切だとも思っていないし、
どうでもいい人、自分にとって要らない人とか、嫌いなだけの人にあいさつを返させたいから、こういう人達が自分達の言いなりにならずに、
あいさつを返さなかったら許されずに嫌われたりするのを分かっていないんだとでも思っているのだろうが、あいさつ信者は、あいさつを返させたい人の全てか、ほとんどを分かっていなくて、無視しているところがあるのに、自分と同じことを信じているあいさつ信者の方を問題視はせずに、少数派のあいさつ返しをしない人を悪く言ったりして問題視するのだろう。他人の姿は自分の姿で、人のことを要領が悪いと思うのは自分にも、
そういうところがあるからだ。あいさつを返さない人の気持ちや心理や信仰心を知る気もなくて、あいさつ返しをしなかった人のことを知ろうとしていなくて要領が悪いとか、相手のことを知らないところがあるのに、相手にあいさつ返しを絶対にされると信じて、勝手にあいさつしていることを要領が悪いとは言わずに多数派のことは問題視しにくいのだろう。

上の立場の権力者から嫌われて殺されたり、迫害されたり、牢屋に入れられた人に対して、嫌でも権力者に従って合わせていればそんなことされないのに、要領が悪いと言っているような感じでもある。
「大勢と同じことしたらいいだろう。形だけでも、嫌々でも大勢と同じようにあいさつ返していれば、あいさつ返さなかったことで、
白眼視されて変な目で見られたり、バカにされたり、見下されたりすることもなかったのにね」と思っている人もいるのだろう。

世の中に本や雑誌などがたくさんあることを知っている人は多いだろうが、多くの人はほとんどの雑誌や本を読む気もないだろうし、
ほとんどのブログやSNSを読む気もないだろうし、ほとんどのネットの動画やテレビ番組などを視聴する気もないだろうが、ほとんどのことに興味や関心を持たずに無視しているとは、ほとんどの人は言わないだろう。
誰かの自伝本を全くか、ほとんど読まないことに、その本を書いている人や、その人の人生や、その本を無視しているとは、ほとんどの人は言わないだろう。
本を読みたくない人に無理やり本を読めと押し付けてはいけないと思う人の中には、あいさつを返さない人のことは劣った人間だとか、
ダメ人間だとか思ったり、あいさつ返しはしないといけないと思う人もいるだろう。
あいさつ信者の中には世の中や人のことをほとんど知らなくてもいいと思っている人が、あいさつを初めにされたら絶対にオウム返しで
あいさつを返さなければいけないとか、最低限会釈しないければいけないと勝手に信じている人もいるだろう。
自分達はほとんどのことを知らなくてもいいと信じていながら、あいさつでは、あいさつされたら絶対にあいさつ返しをしなければいけない、
そのあいさつ返しはオウム返しでなければいけないと、あいさつを返させたい人に求めている人は、自分達があいさつを返されたいという気持ちを知ってもらって、知るだけではなくて自分達に合わせて、あいさつを返すべきだと思っていても、自分は相手のことを全くか、ほとんど知る気もなく、自分勝手で独裁的、支配的なところがあるのだ。

言葉を自分に都合のいいように使い、返事をしたり、喋りかけたから無視してはいないと都合よく思う人がたくさんいるだろう。
あいさつ信者の中には、あいさつ返されないと、あいさつ返しは正しいという信仰が無視されて、自分の信仰が裏切られたと不満を持つあいさつ信者もいるだろう。
あいさつ返しが正しいという根拠はどこにもないが、あいさつを初めにしたら必発百中でオウム返しされた経験がある人が多く、みんながあいさつ返しをすると信じた人が多いのだろう。信仰心を常識や社会のルールやコミニケーションなどと言い正当化させてウソをついているのだ。

あいさつ信者は関わる気もない人や興味がない人などに、形だけのことをして自己満足しているだけの人が多いだろうし、あいさつ返させたい人や、それ以外の人が何を思っているのかに、ほとんど興味がない人が多いだろう。
言葉を交わす、あいさつを交わすなどと言えばカッコが付くのだろうが、あいさつ信者は相手のあいさつに対する信仰、心理、気持ちを知ろうとはせずに、形だけ大勢と同じことをやらせたがったりする。あいさつなどで言葉と言葉で関わったと自己満足しても、相手が何であいさつしたのかの心理に興味がない人も多いだろうし、相手の心理を分かっていなくても、あいさつされたのは自分が嫌われていないからだと勝手に信じる人もいるのだ。
自分に合わせて従ってほしいという支配的、独裁的なことを、同じことを大勢がやったり、大勢が正しいと信じていれば常識、社会のルールなどと
良く言い、さも人間として正しいことであるように言いたいのだろう。

金でやっていく世の中でも、多くの人は金信者だろうから、値段ついているものに金を払わない人や、税金、年金を払わない人を間違っていることをしていると思い、止めてきても、自分達金信者は金でやっていく世の中を辞めようとはしない。自分と同じ信仰を持っていない人を無視しているのだ。
金信者の方は自分達が正しいのに、正しいことが無視されたと思っているのだろう。
ゴキブリや蚊やハエを殺すことを、これらの生物を無視しているとは多くの人は言わないだろうが、これらの生物の存在を無視しているとも言える。
それこそ、自分や善人だと思う人が同じことをされたら不満を持ち叩いても、ゴキブリや蚊やハエなどの生物を人間と同じだとは思っていないのだ。
人間のことも同じ人間だと思っていないのだ。

性は秘め事と言うが、多くの人は性的なことでセックスやオナニーなどのことについて誰かから聞かれても返事をせずに無言でも許したりするだろうが、大勢が返事をしなければいけないと思っていることに答えないと不満を持ったり、変わっているなどと思われやすいのだ。
例外あれど大勢と同じことをしないから叩くのだ。自分の性的なことは、ほとんどの人か、誰にも知られたくない人が多いだろうから、
自分の性的なことは知られずに無視されてもいいのだ。逆に自分の性的なことについて興味を持たれて聞かれることを嫌がる人の方が多いだろう。
あいさつを返させたいから初対面の人や、大切ではない人、仲良くない人にあいさつしても、あいさつ返させたい相手に自分の住所や性的なことや、自分についての色んなことを知られたいとは思っていない人が多いだろうに、
あいさつする人をコミ二ケーション能力が高いなどと言うバカな間違ったことを言う人もいるのだ。
自分のほとんどのことを知ってほしくないと思っていて、関わる気もない人や大切ではない人にあいさつをすることを触れ合いと
言う人もいるが、ほとんどのことで触れ合いたいとも思っていないのだ。自分が許可したことでしか関わりたいと思っていない人を、あいさつしただけで社交や交流やコミニケーションしたなどと言うのだろう。
自分達のほとんどのことを知られたくない人はたくさんいるだろうに、あいさつやそれ以外の一部のことで、関わる気もない人や興味もない人や、少ししか興味がない人に喋りかけたり、アメやお菓子をあげたりして、表面的な関りをしたり、一部のことで関わっているだけなのだ。
あいさつを返されたいのに返されないから無視されたと思っている人は、自分のほとんどの気持ちや信仰心や住所などをあいさつを返さなかった人に知られたいとは思わずに、自分のほとんどのことについては知られずに無視されていいと思っているだろうから自己中心的で我がままなのだ。
子どもの時からごく一部の大切ではない人や、どうでもいい人や関わる気もない人の中の一部の人に気分次第や、自分の都合であいさつ返しを求めて、
勝手なあいさつをやり続けて、逮捕みたいに強制で捕まえられることもないし、止められずに、不満も言われなかった人が多いだろうから、
あいさつが正しいと信じ切って、間違った信仰を持っているのだ。

ほとんどのことに対しては、断ることや拒否することを許すのに、あいさつや、それ以外の一部のことには断ることを許さない人もいるのだ。
初めにあいさつしたら、あいさつされた人は絶対にオウム返しであいさつを返すと信じている人がたくさんいるだろうが、
相手をオウム返しであいさつ返すロボットとでも思っているような感じだ。初めにあいさつしたら、毎回絶対オウム返しが返ってくると勝手に信じ切っている人がいて勘違いしている人がいるのだ。
あいさつをされた人が言葉で「私はあいさつ返しませんので」とか「私はあいさつ返しが正しいとは信じていませんから」とか
「知らない人にはあいさつしなくてもいいというあいさつルールを信じていますので」と初めにあいさつしてきた人に言っても、無言でその場を去っても、会釈だけしても、不満を持つ人は不満を持つのだ。
オウム返しであいさつを返させたいと思っている人は、あいさつ返しをさせたい人が無反応以外の会釈などをしても、オウム返し以外の反応をすれば、
自分の思い道りにならなかったので不満や疑問を持つのだ。
こういう人たちは、あいさつ返しはオウム返しが正しいという信仰を持っているので、自分の信仰が無視されて裏切られたと思っているのだろう。
無反応だと無視だと言われやすいだろうが、会釈や、どうもと言ったりしても、自分の思い道りにオウム返しされないと不満や疑問を持つ人もいるのだ。

あいさつを返さない人は、あいさつを学んでこなかったんですよと言っているバカな人がいたが、こういう人も、みんながあいさつ返しを正しいと信じていないということを学んでこずに、知らずに生きてきたのだろう。
大切ではない人に対して、あいさつで相手してやったのだから、あいさつ返せよと思っている人もいるだろう。
自分があいさつを返させたい人の全てか、ほとんどを知らなかったり、知る気もなく、あいさつを返させたい人のことを知らずに学んでこずに、
自分や自分と同じことを信じている人には甘いのだ。
だから、あいさつは正しいことではない異常なカルト宗教とも言える。
昔から人は自分が気に入らない人を殺したり、迫害したり、牢屋に入れたり、嫌がらせしたり、見下したり、嫌ったり、死んでほしがったりしてきているが、それは今でも同じだ。

あいさつ信者は、勝手に正しくもないあいさつ返しを正しいと信じて、ごく一部の人にだけあいさつ返しを求めて勝手にあいさつして、
あいさつを返させたい人の信仰心や心理、気持ち、体調に何の考慮もしておらず、一方的にあいさつしている場合があるのは、
あいさつは王様ゲームみたいでもある。王様の命令、指示に従わなければいけないように、初めにあいさつした人の多くはあいさつ返しをされたくて、あいさつをしてくるのだから、初めにあいさつしてきた人に従って、合わせて、あいさつを返さなければいけないと多くの人が信じているのだが、
大勢があいさつを、おかしいとか間違っているとは思っていないので、命令や指図とは言わなくて、あいさつを返さない人の方が間違っていると思われやすいのだ。
大切ではない、どうでもいいと思っている人などを自分の言いなりにさせたい支配のためのあいさつになっているところがある。
あいさつを返されなくて嫌な気持ちになり、嫌な気持ちになったのを、あいさつ返さなかった人のせいにするバカ低俗なあいさつ信者の人もいるのだ。
あいさつを返されないことで不快になったのをあいさつを返さない人のせいにしたり、あいさつを返さなかった人に不満を言ったり、嫌がらせをしたり、殴ったりする人を、悪徳あいさつ信者や、悪質あいさつ信者や、冷酷なあいさつ信者、悪魔のあいさつ信者などと呼んでいる。

例外除いて、あいさつを返させたい人のことを大切と思っていなかったり、関わる気もなかったり、どうでもいいと思っていて、軽く見て軽視
している人に対して、勝手にあいさつ返しを求め、相手があいさつを返さないことに不満を持つ冷酷さを持っているのだ。
冷酷、冷たいところがあることを悪魔という言葉で言えば、誰でも冷たい悪魔さはあるのだ。
あいさつは社会のルールなどと何が言いたいのかはっきり言わない言い方をして誤魔化しているが、自分独自のあいさつルールを決めて
あいさつをしていることを、自分が勝手に決めたルールとか、自分が正しいと信じているルールとは言わずに、いい加減なことを言っているのだ。
あいさつ信者は今まで生きてきて、身の周りにいるほとんどの人は自分にあいさつしなくてもいいと許し、自分独自のあいさつの決まりを作り、
ごく一部の人にだけあいさつ返しを求めてきたのだろう。
自分達が何でごく一部の人にだけあいさつ返しを求めているのかの理由、目的、動機を隠している人が多いだろうけど。
あいさつ返さなかった人に愚問の疑問を持ち、何であいさつしなかったと思ったり、言う人が、自分達がほとんどの人にあいさつしないことや、
一部の人にだけあいさつを返させたいことに対する疑問は持たないのは、あいさつ返しは根拠がなくても絶対に正しいと信じていて、
自分が感じたことが大切なんだろう。

あいさつ信者が多くて、あいさつを一部の人にだけする人がたくさんいて、それが多くの人に許されているのは、あいさつ信者があいさつを正しいと信じていない人がいることや、あいさつを嫌がっている人がいるのを知らない人が多いからだろう。
あいさつのことを、あいさつの押し売りと言う人がいるが、日本人も外国人も多くの人はこの言葉を聞いたことも、読んだこともなく見聞したことがない人が多いと思う。
あいさつの押し売りという言葉は、どう見てもあいさつを良くは言っていないが、もしこの言葉を知っていたら、あいさつを嫌がっている人がいるということが分かるだろうから、あいさつ返しを求めてあいさつする人はほとんどいなくなると思う。
自分の一部のことについては知ってほしい人が、相手のことは全くか、ほとんど知る気もなく、あいさつが正しいとは信じていない人や、
知らない人にはあいさつしなくてもいいという信仰を持っている人がいることを知らないのに、勝手に人にあいさつしていることを、あいさつした相手を無視しているとは言わずに、コミニケーションや社会のルールなどと良く言い、自分達が一部の人にだけあいさつをしてほしい目的や動機をや信仰心を隠しているのだ。

学校であいさつ運動をやっているところもあるが、誰かが学校のことを、学校という洗脳教育機関と言っていたが、そんな感じだ。
同じ年齢の人が同じ授業を受けて、テストの点数も平均点ぐらいは取れないとダメと思っている人も多いだろうが、一部の大人が決めたことに従って、
例外あれど、大勢と同じことをしなければいけないという押し付けをしているのだ。学校のあいさつ運動は、あいさつが正しいと信じている一部の先生の「あいさつしろよ」とか「あいさつ返すのが正しいから、あいさつ返しをしろよ」という、あいさつが正しい信仰の押し売り、押し付けなのだ。
あいさつをしている人たちは、子どもも大人もほとんどの人にあいさつなどしておらず、自分があいさつを返させたい一部の人にだけあいさつしているだけだ。
子どもも小さい時から、人のことが分からない鈍いところがあり、みんながあいさつを正しいとは信じていないことが分からないところがあるのだ。

人が嫌がることや、差別しているのを罪と言うとすれば、みんな罪がある罪人だ。
あいさつを返さない人はあいさつを返されたい人を無視したひどい人で、人が嫌がる態度を取ったから罪人だというとすれば、
あいさつ返させたい人も、例外あれど大切ではないごく一部の人にだけあいさつ返しを求めてあいさつをしていることも、
あいさつ返させたい人があいさつをしたくなかったり、嫌がっている場合もあるのに、あいさつ返しを強要していて罪がある罪人だということになるし、あいさつを返さないのが子どもや好きな人ならば許すのに、それ以外の人ならば許さないことは差別している差別罪で、
その差別をしている人は差別犯罪者とも言える。
どうでもいい人や嫌いなだけの人に、あいさつ返しを求めてあいさつしたことを、気を使ってあげて良いことをしたのだと言えば綺麗事になるし、美化できて、多数派を褒め称えて良く言うことは出来る。

あいさつ信者の中には、誰があいさつしなくても、あいさつを返さない人を見下さない人や、嫌わない人もいるだろう。
影で不満を言ったり、書くぐらいの人や、本人のいる所で不満を言う人や、嫌がらせしたり、身体暴力をやる人もいる。
その人がどんな人間なのかが、あいさつを返されないという同じ態度を取られた時に表れているのだ。
黒人という理由で嫌ったり、見下す人がいるが、ほとんどの人は黒人という理由で見下したり、嫌ったりはしない。
あいさつを返さない人に対して、悪い意味で差別していて、見下している人がいるのだ。
自分の思い道りにあいさつを返されなくて、不満を持つ人や、本人の目の前で遠回しや直接的に不満を言う人や、嫌がらせする人は程度が低く、レベルが低いのだ。
あいさつを返さない人をダメ人間だと見下している人が、自分もそんな人間なのだ。だから他人の姿は自分の姿なのだ。
金でやっていく世の中をやっているのも、こんな世の中自体が程度が低いのだ。低俗な金社会なのだ。
金を払わない人を見下している人も、悪い意味で差別をしていて、低俗な差別をしているのだ。

多くの人は、ほとんどの人や物事に興味などないだろうし、知ろうともしていなくて、ほとんどのことを無視しているし、自分達の全てを知られたいなどとは思っていない人が多いだろうし、自分達の知られたくないところは無視してほしいくせに、自分が他人に自分の一部を知ってほしいところを無視されると不満を持つ。我が身可愛さ、自分可愛さから嫌な気持ちになりたくないのだ。
あいさつを大切ではない一部の人にさせたいという欲求を持ち、言葉ではっきり言わなくても自分に合わせて従って、
あいさつを返してほしいと思い、あいさつのことにおいては自分の欲求を無視されたくないと思っている人がたくさんいるのだ。
あいさつとは、大勢が同じことを信じていて、同じ欲求を持っていると許されやすく、甘やかされやすいといういい例だろう。
それは金でやっていく世の中も同じことで、大勢が感じていることや、やっていることは例外あれど正しいと信じているから、大勢から許されているのだ。
全てのものが本来値段などついていないし、税金、年金というものが元々はないのに、自分達が正しいと信じていれば、
これらのウソの間違っていることも正当化させているのだ。

 

 

 

21.人のせいにする人たち

 

金でやっていく世の中で、金のことで苦しんでいるのが闇の勢力のせいであると信じている人がいる。
一部の人たちが闇の勢力の人で、その人たちのせいで金でやっていく世の中があるかのように思っている人が、物やサービスに値段を付けたり、値段がついているものに金を払わない人を逮捕することを、やってもいいことであると思っている人がいる。
金でやっていく世の中が正しいと多くの人が信じているが、それが正しい根拠や裏付けはないが、大勢が加担しているのと、逮捕にはならないから正しいと信じている人が多いのだろう。適当でいい加減なことしているのだが、
給料や印税を貰うようなことしている人(大勢が仕事と言っていることをしている人)は人への貢献をしている、社会への貢献をしているなどと良く言う人がいるが、本当に、みんなで助け合いをして貢献しているのならば、金でやっていく世の中などやっているわけがない。
金でやっていく世の中で大勢が苦しんでいることを、一部の人のせいなのだと信じ込んでいる人は、普通の人や、一般人、いい人と言われている人たちが、みんなで助けあいをしていないことについては触れなかったり、みんなで助け合いをしていないのに、金でやっていく世の中をやっていることが助け合いだと信じている人がいるのだ。
闇の勢力と呼んでいる一部の人を問題視している人も、
本来、全ての物やサービスや土地に値段が付いていないのに値段を付けたり、何もないところに税金や年金や罰金などを取る決まりを作って、それをまかり通らせているが、これらは全て正しくもない不正だが、法律の刑法上では違法ではないので、警察を呼んでも捕まりはしない。

これから詐欺や不正をしてきた人たちが罰せられると言っている人がいるが、金でやっていく世の中自体が不正の詐欺社会なのだ。
金社会で苦しんでいる人がいることを、闇の勢力や、刑法で詐欺罪で捕まるようなことをした人や、刑法違反ではなくても自分が気に入らない値段を付けている商品を売っている人に悪質商法や霊感商法や、ぼったくりなどと言って悪く言っている人がいるが、他人の姿は自分の姿で、
金でやっていく世の中自体が不正であり、全てのものには本来値段などついていないのだから、値段を付けているものなど全て詐欺であることに気づいていないのだ。
詐欺をしている人が罰せられるなどと言っている人も詐欺を正当化させていて、金でやっていく世の中という詐欺社会を正当化させているが、
大勢が値段を付けていることに納得しているものには詐欺とは言わないのだろう。多数派に甘いのだ。
罰金というおかしな不正を法律で合法でまかり通らせているが、不正をやった人に罰金を取ることが正しいことだと信じている人もいるのだろうが、
金でやっていく世の中自体が不正で、多くの人はこの金社会を正しいと信じて不正に加担しているのだ。

闇の勢力と呼んでいる人のことは、おかしい人たちとか、正しくないことをやっている人達と言いたいのだろうが、正しくない不正など誰でもやっていることであり、誰でもおかしい人だとも言えるし、
おかしいことや不正をやっている人を闇の勢力と呼ぶのならば、みんな闇の勢力と言えるのだが、大勢がやっていることは正しいことだと信じている人がたくさんいるので、大勢と同じことをしていると不正だと思いにくいのだろう。
大勢と同じことをしない人のほうが叩かれて、悪く言われやすいのだ
子どもは正しいことが見抜けると信じている人もいるだろうが、子どもの多くも金でやっていく世の中が正しいと信じている人はたくさんいるだろう。
その証拠に、スリや詐欺と言われている人や、値段ついているものに金を払わない人を泥棒などと言い悪く思っている子どもがいるのは、
金でやっていく世の中が不正だと見抜けていない鈍いところがあるからだ。

値段がついているものに金を払わない人を叩くのは、大勢が色んなものに値段を付けて、値段が付いているものに金を払うことを正しいと信じている金信者の方が多いからだろう。
もし、ほとんどの人が金でやっていく世の中が間違っているとか、おかしいと思っているならば、金を使わずにみんなで助け合おうとするような活動を昔からやっているだろうし、金でやっていく世の中はおかしいと大勢の人が声をあげるだろうが、金信者の方が多いから、金でやっていく世の中をなくそうとは思わないのだろう。
金でやっていく世の中で苦しんでいるのは一部の人たちのせいで、ほとんどの人には問題がないと信じている人がたくさんいるのだろう。

スリ、詐欺、万引き、窃盗、泥棒などと呼んでいる人が出てくるのは、みんなで助け合いをしていないことの表れだろう。
みんなで助け合いをしているのならば、金でやっていく世の中をやっているわけがない。
全然関係のない他人だと思っている人などに、自分達が作ったものを与えてあげるから金を払えという決まりを正しいと信仰するのも、
ほとんどの人を仲間とか、大切だとは思っていないからだ。
金でやっていく世の中があるのは、「私たちはみんなで助け合いをしていませんよ」と、遠回しに言っているようなものだ。
金でやっていく世の中をこれからも続けていこうとしている人が多いだろうが、それもほとんどの人を仲間だとか大切だとは思っていないからだろう。

金を払わないことで人のことを逮捕して、人によっては子どもや自分や仲間だったら逮捕せずに許すようなことをする差別をして、
逮捕した理由を法律で決まっているから逮捕したなどと言うのだろう。
逮捕することを罰とか、罰せられるなどと言い、自分たちが金でやっていく世の中や、それ以外のことでも不正をやっていることは悪くは言わなかったり、不正をしていること自体に気づいていなかったりする。
刑法違反をしている人を逮捕させたがる理由に、牢屋にいれて苦しめさせたがったり、人から見下されたり、バカにさせたいから逮捕させたい人もいるだろう。金でやっていく世の中で多くの人が苦しんでいることは、
その人たちを悪人だと思っていない場合は一部の少数派のせいにして、ほとんどの人には問題があるとは思っていない。
金でやっていく世の中を正しいと信じて、うまくいかないことを例外あれど少数派のせいにして、人のせいにしているのだ。

 

 

22.同じことを言い表すのに言葉を変えると印象が変わる

 

人の体や心理、精神、言動などで、おかしいと思うことや間違っていると思うことや正常ではないと思っている人に関することで、病気、障害、
禁断症状、中毒の人などと言ったり、それをなくそうとすることを、治すなどと言ったりする。
金でやっていく世の中は間違っていて、正しくもない不正だが、
金を使って生きている人や、金でやっていく世の中、社会を「金中毒」だとか「金を使わないと生きていけない病」とか「金がないと生きていけない障害」「金でやっていく世の中を正しいと信じている障害」とか、金でやっていく世の中が正しいと信じている人を「金でやっていく世の中が正しいと信じている精神病」とか「正しくないことを信じている病」とか言ったりするわけではない。
大概のことは少数派(マイノリティー)が問題視されて、
給料や印税という形で金を貰うようなことをしていない人や、値段がついているものに金払わない人や、税金、年金を払わない人などの少数派が悪く言われたりして叩かれたり、攻撃されたりする。

私は精神病とか、心の病と言われているのものを信じていない。一部の人がおかしいと思う人の中の一部の人のことに、精神病や人格障害や心の病などと言っているだけだ。
一部の人がおかしいと思っていることを精神病や人格障害と言っているのを真似して、無理やり私がおかしいと思うことの一部を病気や人格障害という言葉で言い表してみる。
あいさつは正しくもないが、大勢の人があいさつ返しを正しいと信じているあいさつ信者だが、みんなが正しいと信じてはいないし、ヘレンケラーみたいな人もいるのに、そういう人がいることを知らないあいさつ信者で、
あいさつを返さない人に不満を持ったり、不満を言ってきたり、嫌がらせしてきたり、殴ったりする人のことは、「正しくもないことを正しいと信じている人格障害」「傲慢人格障害」とか「高慢人格障害」とか「心が狭い精神病」とか、子どもや好きな人があいさつしないことは許し、それ以外の人が
あいさつしないことを許さない人をは「差別人格障害」「差別精神病」という感じだ。
おかしいと思われているところなど誰にでもあるだろうが、ほとんどのことは病気や障害などとは言われないだけだ。

間違っていることや正しくないことに、病気、障害、禁断症状、中毒と言えば印象が悪くなることも、常識、社会のルール、人間のルール、人間の基本、当たり前、マナー、モラルなどと言えば、カッコが付きやすく、
それが正しいことかのように言うのだ。

 

 

23.同じ言葉の定義、意味付けが人によって違い、それ以外でも信じていることが違いすぎる人類 

 

私があいさつが間違っていて不正だということについて文章を書いている時に、天皇家の税金のことを、あいさつと絡めて書こうと思って、グーグルで皇室関連のことに税金がどれだけ使われているのかを検索していて、
画像の所を見ていたら、天皇家の人に対して、コロナ渦の中で自分で仕事を探して働けというようなことを書いている人がいたのだが、
天皇家の人はスポーツやイベントや絵や陶芸を見に行くことを公の仕事とか、公務という言葉で言われていて、
これらのことを仕事と呼ぶ人もいれば、仕事と呼ばない人もいるだろう。仕事という言葉を同じ意味で使っていないからだ。
働くという言葉は、仕事と同じ意味の同義語で使っている場合が多いだろうが、ほとんどの人は給料や印税という形で金を貰うことを仕事、働いていると言っているだろう。
誰でも存在しているだけで誰かから好かれていて役に立っているところがあっても、給料や印税という形で金を貰っていないと、例外あれど仕事や働いているとは言わない。
天皇家の人の場合は公務、公の仕事と一部の人が言っているのを見聞しているから、多くの人は天皇家の人のことを給料や印税で金を貰っていなくても例外で仕事と呼ぶ人が多いだろうが、他の人は天皇家の人の公務と言われていことを仕事や働いているとは思っていない。

金でやっていく世の中自体が不正で間違っているが、給料や印税という形で金を貰っていない人を例外あれど悪く言い、格下に見て、
給料や印税という形で金を貰っていない人に死ねと言ったり、思ったり、
給料や印税という形で金を貰うようなことをしろという意味を込めて「働け」と言ったりしている人は、金でやっていく世の中が不正だということに気づいていないし、自分が差別をしていることに気づいていないのだ。

天皇家の人に税金を使うことについて、国民にも皇室の人に金を使うことに、思っていることを言う権利があるというようなことを言っている人がいた。税金は国民のものである金を税金という形で取っているのだから、
自分達のものである金を他の人に使うことには、自分たちが許可することには使ってもいいし、許可しないことには使ってはいけないと思っている人もいるのだろうが、こういう人達は金でやっていく世の中自体が不正なことに気づいていなくて、自分達に給料や印税、年金などで入ってきた金は、正しい正当な形で金を得たと信じていて、間違ったことを信じているのだ。
本来、全ての物やサービスや土地には値段はついていないし、人がやった作業は金に換算できるものではないし、多くの人が持っている金は正しい貰い方をしたなどと信じているのは間違いで、給料や印税という形で金を貰っているのは、給料泥棒や印税泥棒であり、年金や税金を国が取るのも年金泥棒や税金泥棒だし、年金詐欺、税金詐欺をしているのだ。
年金を貰っている老人も年金泥棒だし、税金から給料などを貰っている天皇家も公務員も、合法の泥棒だし、年金や税金を取ることを正当化している人たちも泥棒や詐欺行為に加担しているのだが、ほとんどの人はそれに気づいていなのだ。

日本のことを一部のことで外国より遅れているので先進国ではないと言っている人もいたが、水道やガスがないような地域に住んでいる人などと比べれば、日本を先進国という言葉で言い表す人もたくさんいるだろう。
先進国は生活水準が高いと言っている人がいるが、その生活をしていくのに多くの日本人は、給料を貰うような仕事をしたいから働いているのではなくて、金がないとやっていけなくて、生きていけないから給料という形で金を貰うようなことをしている人が多いだろうに、
この国を先進国などと言っているのは、おかしいところもあるのだ。
今までやっていなかったことをやったり、今までなかったものを作ったりして、それを良いものだと思って高評価する場合は
先進的やパイオニアや革命、進化などと言って良く言うが、
今までやっていなかったことをやっても、大勢が悪いと思っていることや、大勢に都合の悪いことをやると先進的や革命などとは言われない。

技術水準、生活水準が高い国が先進国と言っている人がいても、技術水準、生活水準が高いというのをやっていくのに金が必要なわけだ。
その金でやってく世の中で大勢が苦しんでいる。
無職やニートと呼ばれている人に死ねと言ったり、思っている人もいるし、怠け者や、人としてすべきことしていない低俗な底辺の人間として
格下に見ている人もいるが、かといって給料を貰うことをしていても人間扱いしていない場合もあったり、悪態ついたり、えこひいき差別していて無茶苦茶なのだ。
刑法違反をやっていようと、刑法違反で逮捕されるようなことをしていなくても、生活保護を受けていたりとか、家族や親や誰かから給料や印税以外で金を貰っていても不満を持つ人もいるのだ。
逆のことをやってても誰かが不満を持っている。

 

 

24.名誉棄損罪や侮辱罪という差別法の不正

 

刑法の侮辱罪や名誉棄損罪という、おかしい、差別している法律があるが、
公然で大勢が見聞できるところで刑法違反した人のことをテレビ番組やニュースや雑誌、新聞のメディアで取り上げて扱っても名誉棄損とは言わない人が多いのに、別のことでは、「あの人は犯罪者だ」などと公然で言ったら、それが事実でも名誉棄損罪になると言っていて、おかしな差別をしている。
あの人は逮捕されたことがある人だと大勢が見聞できる所で言っているのは同じことなのに、名誉棄損罪を適用する場合と適用しない場合があるような差別をしている。

刑法違反で逮捕されている人のことを多くの人は見下しているだろうが、内面で人を見下しているだけのことも、本人や大勢が見聞できないところで一部の人にだけ誰かを見下していることや、誰かが逮捕されたということを言っていた場合は許す人も、大勢が見聞できる所で人のことを悪く言うのは許さなくても、誰かを見下したり、バカにしている点では同じことなのだ。
一部の人が誰かを悪く言うようなことをした場合にだけ名誉棄損罪や侮辱罪を適用して逮捕したり、罰金を取っているのは不正だ。
誰でも人が嫌がることをしていたり、言葉を知っている人ならば誰かのことを悪く言うようなことを言っている人の方が多いだろうに、
ほとんどの人は侮辱罪や名誉棄損罪で逮捕されていないのだから、えこひいきして、差別をしている。

自分達が誰かが嫌がることをしても、ほとんどの人は逮捕されないのに、一部の人を逮捕していることを、逮捕された人に対して侮辱しているとか、
名誉棄損や差別とは言わずに、法律が合法なのをいいことに、これらの法律をまかり通らせているのだろう。
大勢が悪いことをしたと思っている人のことは、大勢が見聞できる所で悪く言ってもいいと信じている人の方が多いだろう。
テレビや新聞で逮捕されてる人のことを大々的に扱っていても、名誉棄損や侮辱とは言わないのに、「あの人は犯罪者だ」と公然で人の前で言ったら名誉棄損罪になるなどと言っているのだから、おかしいことをして差別している。

善人だと思う人のことを悪く言っているのを大勢や本人が見聞できるところで言ったらダメだと思っている人はたくさんいるだろう。
悪人だと思っていて、見下している人が逮捕されて、逮捕されたということを他の人に言ってもいいと思っている人がたくさんいるだろうが、
人を同じ人間だと思っていないので、誰かを悪く言っているのは同じなのに、同じ扱いはせずに差別をしているのだ。

侮辱罪や名誉棄損罪の法律を利用する人がどういう理由で、これらの法律を利用しているのかよく分からないが、自分が誰かから、バカにされたり、見下されていることが気に入らないとしたら、自分が知らない所で、
内面で誰かを嫌っていたり、バカにしていたり、見下している場合は許すけど、少数や大勢が見聞できる所で自分のことをバカにされたり、見下された場合は許さなくて、侮辱罪や名誉棄損罪を利用して逮捕したり、
罰金を払わさせたいのだろうか?
誰かを見下したり、バカにしたりするようなことを内面で思っているだけでも、少数の人にだけ言っていても、大勢が見聞できる所で言っても、
誰かを見下したり、バカにしている点では同じことだ。
自分や自分の好きな人や尊敬している人が、誰かからバカにされていたり、嫌われていることを大勢の人に知られたくないと思っているのか、
嫌われたり、バカにされてはいけない人なのに、嫌ったり、バカにしているのは間違っていると思っているから許せないのだろうか?
自分が嫌いではないことを嫌っていると理解できないと不思議がっている人がいるが、自分が感じたことが正しいと根拠もなく信じているから、
自分と同じことを感じていない人がいるとおかしいとか、間違っていると思うのだろう。

自分が属している会社や店のことを悪く言われて印象が悪くなったら、売り上げが悪くなって金が入ってこなくなったら死活問題だから、嫌われたくないと思っている場合は金の問題だが、会社や店以外のことで嫌われたり、バカにされたりするのを嫌がっている理由は人によって違うだろう。
自分の信仰や、望んでいることが思い道りにならないと不満を持つのも、人間は自分が可愛くて、我が身が可愛いので、例外除いて、嫌な気持ちになりたくないとか、体が不調になりたくないのに、現実は心身不調になることがあって、自分の思い道理にならないから不満を持つ。満足していないから不満なのだ。
侮辱されたと言っている人や、バカにされたとか、嫌われたと嫌がっている人も、人間や人間以外の生き物を嫌っていたり、見下していたり、
バカにしていたりするだろう。他人の姿は自分の姿であり、目くそ鼻くそ、五十歩百歩なのだ。

数年前に、私と同じ家に住んでいた母方のおばあちゃんが胃ろう(いろう)という手術をした。
胃ろうとは、お腹に小さい穴をあけてカテーテルを付けて、チューブを付けて直接胃に栄養を送るようにすることだ。
叔父が株内の人におばあちゃんが胃ろうの手術をやったことを言ったと私の母親に言い、それを聞いた私の母親が株内の人に胃ろうのことを言ったことに不満を言った。
私の母親は「私、外に出れない」と言ってたり、「病院の人は知っているけど○○○」という感じのことを言っていて、胃ろうのことは病院の人など一部の人は知っていても、多くの人が知っていることではないだろうから、
胃ろうの手術をしたと言ったら、胃ろうのことを知らない人から変な目、奇異な目で見られたりすることを嫌がったのではないかと思う。

10年以上前に、私の姉がいとこと電話で喋っていた。いとこは岡山が実家で、その当時は髪を金髪にしていたみたいで、私の母親がいとこに岡山に戻ってくる時に金髪にしていたらダメだというようなことを言っていた。
いとこが岡山の田舎の実家に金髪で帰ってきたら、実家の近所の人が金髪の人を見慣れていなくて、びっくりするかもしれないから
金髪のままで帰って来てはいけないとでも思っていそうだ。

誰かからおかしいと思われたり、変な目で見られたりするのを嫌がったりして世間体を気にする人はたくさんいるだろう。
一人の人からでも変な目で見られたくないと思い、その一人に合わせていたら何もできない。
自分がおかしいと思うことを、他の人はおかしいとは思っていない場合もあるわけだが、誰でも自分中心に捉えるところはあるだろう。
概に、私は近所に住んでいる人からあいさつを初めにしないということでも不満を持たれていたり、それ以外のことでも変な目で見られている。今、同じ家に叔父と母と私が3人で住んでいるが、親戚と住んでいるとか、
老人で兄弟で住んでいるのも変わっていると思われて奇異な目で見ている人もいるだろうが、一人からでも変な目で見られないようにすることなど無理だろう。
誰かから嫌われたり、バカにされたり、見下されているようなところは誰にでもあるだろうが、全く気づいていないか、あまり気づいていない人も
多いだろう。