心配していた「こむら返り」も起きず、爆睡出来て嬉しい朝を迎えてほっと、足腰も思ったよりもダメージが感じられない。無料朝食は貸し切り状態でゆっくり戴きました。
「見附」という地名は故郷にいたときにも聞いていたけどよく分かっていなかった。「京側から旅をしてきてここで初めて「富士」が見れたため、「見附」の名前がついたとも言われている。」って聞いて(@_@)。そ、そうなんですね。「見附宿」の場所は大体把握してバスで向かおうと思ったが1時間に2本くらいしかない上に登校の学生さんが長蛇の列、、ここは「タクシー」を使ってみようと大英断(笑)
磐田のゆるキャラは「じっぺい」君らしいですが、やはり「Jubilo」の色が濃いです。当時はまさかジュビロがJ2になるなんて信じられなかったけどやっと復帰!
タクシー1,090円で「旧見附小学校」まで乗車、女性の運転手さんだったけど、一般的な観光ポイントはご存知でも、東海道に関連した知識となるとそれほど無いようでした。
日本最古の洋風木造小学校舎「旧見附小学校」は残念ながら月曜日は休館日でした。まぁ広重様の時代には無かったものなので、そんなに気にしない(笑)
宿場の東の端が昨晩明かりがともっていた場所だと判明。東の木戸、本陣、などもちゃんとしていて、酒屋さんでパンフレットもいただけました。
「遠州見付宿 木戸跡」→「大見寺」→「見附宿脇本陣大三河屋門」の門が歴史的に貴重らしい、(よくわかったないが「2本の本柱上に冠木を渡し、その上に梁と切妻屋根を載せている。武家や商家の屋敷の門には棟門が使われるが、脇本陣の玄関を飾るためか、小さいながら薬医門の形をした門である」らしい(-_-;)ふーん(笑)
見附宿西木戸は「西光寺」の表門に西木戸と書かれたものがあるだけですが往時は、加茂川橋に西木戸があったらしい。「木戸」の重要性を認識!
どうしても見てみたかった「姫街道追分」は「見附宿」と「御油宿」を結ぶ東海道の脇街道で浜名湖の北側、本坂峠を越える道、つまり浜松→新居と浜名湖の海岸沿いでなくて山を越えるのだけどなんで「姫街道」なのかは諸説ありすぎて、まぁよくも色々な方が調べるもんだと感心するけど、浜松の気賀という町では昔から「姫様道中」というイベントがあって、成人式くらいの若い女性が姫様になって駕籠に乗って都田川沿いを行列するというもの。実際に見たことは無いのだけど、まだやっているんじゃないかな?来年は見に行ってみようかな。
昨晩も真っ暗だったけど前を通ったなと覚えがあった「遠州国分寺」と「府八幡宮」も寄ってみました。
結局昨日歩いた道をほぼ駅近迄戻って歩く羽目になったわけです。
しかも袋井→磐田の昨日回避した「明治の道」からの古戦場・鈴ヶ森処刑場は諦めましたので次回以降何とかリベンジせねば。
「見性寺」には大泥棒の「日本左衛門」のお墓があるって!という事で目指したのですが想像以上に回り道になってしまい、遠い遠い。おまけに広ーいお寺でそれらしい何の看板も無いので諦めようと思ったが、お墓参りに来ていたおばあちゃんに遭遇、、教えていただきました。
「白波五人男」の日本駄右衛門のモデルになった方が実在したんですね。吉右衛門さま、団十郎さま、染さんなどいろんな役者さんが演じていて一言でかっこいい!
元々は名古屋の生まれだそうですが、本名は浜島庄兵衛さんで29歳で処刑されちゃったんですね。金谷に住んでいたので首は金谷にあるんだそうです。
磐田と言えば最近は卓球の「水谷準選手・伊藤美誠(みま)選手」小さな橋の欄干にこんな横断幕見つけてテンション上がりました。「磐田自慢 メダルが3個も!」かっけぇ!
大通りにもジュビロの足跡、
「甘泉堂」の「いちご大福」が美味しそうなので6個入りを買ってみました。在宅かどうか確認していないけど浜松に向かう途中で安東氏とオレンジパパさんご夫妻と食べる予定!
リベンジしたい所も残して、次の楽しみになっていいかもよ!