先週の木曜日、朝、親類のおばさんが夢に出てきて、あまり知らないおじさんと一緒にいて、「私が来るのを待っているから、早く来てくれ。」
と言っていた。
この日の夕方、夢に出たおばさんから電話があり、用事を頼まれた。
電話をくれたおばさんの実の姉が、盛岡に一人で暮らしている。太田のパーマやのおばさんだ。もう84歳になろうとしているが、一応現役。昭和のまんまのパーマやさんだ。この年になっても、お金のために働いている。出来の悪い弟にお金を貢ぐために。
出来の悪い弟とは、私の実の父親だ。いいところを数えたら・・・・恐ろしく少ない。
この恐ろしくいいところが少ない私の父親が、昨日の朝、夢に出てきた。
夢の中で急な坂道があり、私が、父親に向かって、危ないからこないほうがいい!と制していた。きになるのは、父親の住む実家の裏に、死神がいたのだ。私も初めてみた。あれはたぶん死神だ。黒いマントに黒い帽子を深く被っていた。すぐにみえなくなった。
そうしてその日の夜に、夕ご飯をつくっていると、なんと、出来の悪い私の父親が我が家に舞い込んできた。翌日は慰霊祭だから、前の晩にきたのだという。
親父の後ろには死神がいるのかもしれない。それだけ罪を背負ってしまったから仕方ない。親、兄弟といえど、魂は別である。
人を恨むことの快楽を覚えてしまったから、どうしようもない。私も妻も子も、神さえも救えない。救えるのは本人、その人の魂だけだ。
私は親父を嫌いであるが、そだててくれた恩義は感じているから、そこだけ頑張って感謝している。それ以上でもそれ以下でもない。他人より冷たいと思うがどうしようもない。それでも私の子供たちには親父にやさしく接するように、仕向けてきた。お祖父さんと孫の関係を壊さないようにしてきた。孫にしたら、お祖父さんは無害だったからよかった。私の親父は、孫である私の子らに、決していかったりはしない。叱りもしない。孫を叱るじい、ばあ、は、私にとっては最悪である。子供のフラストレーションを溜めてしまうようなじいばあはいらない。感じるのは私どまりだから、まだましなのかも。
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