喜多院の松平大和守家廟所の入口脇に、大きな亀の石像がある。
背中の甲羅は平に削られ、以前はここに何か載っていたように思われる。
個人や組織に格別の配慮や援助を与えることをいう「ひいき」を、漢字では「贔屓」と書くことはよく知られているが、それは意外にも最初は大きな亀の名前だった。
博識で知られる明の楊慎という学者が書いた随筆『升庵集』に引用されている民間伝承によれば、「贔屓」とはもともと龍の子供の名前だったという。龍には子供が九人いて、それぞれが独自の能力をもっていた。うちの一人が「贔屓」で、その形は亀に似ていて怪力をもっており、重いものを背負うのが得意だった。だから石碑のような重いものを載せるのが彼の仕事とされ、石碑の台座のところに作られている亀が、実はその「贔屓」なのだという。
中国の石碑は大きな亀の形をした台座に載せられていることが多く、有名な石碑をたくさん保存展示している西安の「碑林博物館」には、巨大な石碑を載せた「亀」がいまもたくさんいる。だが石碑の台座に亀が使われるようになったのはそれほど古いことではないようだ。中国でさかんに石碑が作られるのは後漢以後だが、亀の台座は初期の石碑にはほとんど見かけられず、台座に亀が使われるのは、どうやら唐代あたりからであるらしい。
古代の神話では、人間が暮らす社会は亀の背中に載っていると考えられていた。亀は力持ちの動物として意識されていたようで、それがいつの間にか石碑の台座の名前に使われるようになったのだろう。
「贔屓」はもともと怪力をもつ亀で、そこから他人のために大きな力を発揮するという意味で使われるようになった。日本でその意味に使われた古い例としては『日本霊異記』巻下に「すなわちこれ法花経の神力、観音の贔屓」という文章があり、遅くとも平安時代の初期にはその使い方が日本にも伝わっていたようである。しかし中国ではもっぱら石碑の台座に使われる亀の名称として使われるだけで、またそれもいまではほとんど死語となっている。
(後略)
(阿辻哲次 『故事成語 目からウロコの85話』 青春出版社)
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