川越雑記帳2(川越見て歩き)

鶴川座 いつのまにやら 旅籠屋に(旧鶴川座跡・旅籠小江戸や)


熊野神社を出て左へ進む。

ゆるくカーブすると、電柱のない通りが見えてくる。

大正浪漫夢通り、昔の銀座通りである。

銀座通りのころはアーケードがあったが、今は撤去されて広々としている。



その入口の交差点で、左の角が駐車場になっているのに気づいた。

ここには、やはりレトロな感じの建物があるとばかり思っていた。

ストリートビューに画像が残っているかと思ったが、既に更地になっていた。

いつの間に取り壊されたのだろう。



通りの反対側に、古い観光案内図があった。



しかし、現在地と書かれている反対側の角は空白で、何があったか分からない。



この角を左に曲がると、正面の奥に蓮馨寺が見える。



通りを進むと、左手に新しいビルが建っていた。

ここには、昔の芝居小屋の「旧鶴川座」があったはずである。

建物の窓の下には「Hatago COEDOYA」とある。



そういえば、7月の初めころ、新聞でこのホテル開業の記事を読んだのを思い出した。

たしか、「旅籠 小江戸や」だったと思う。

入口の右手、小さな庭の植え込みの中に看板があった。



近づいてみると、「旧鶴川座」について書いてあった。




旧鶴川座

 旧鶴川座は、明治三十一年に蓮馨寺境内に建てられ
た芝居小屋です。蓮馨寺の境内には明治時代の初めに
松蓮座という芝居小屋がありましたが、明治二十六年
の大火で消(ママ)失したため、鶴川座と名を改めて再建され
ました。
 再建後は、芝居興行を中心に、講(ママ)演会場としても使
用され、大正時代になると浅草で人気のあった活動写真
の上映も始まりました。大正十一年までに、外観がタイル
張りの洋風に改築されますが、内部の客席は升席のまま
で、回り舞台もそのまま使われていたようです。


解説文の脇に、昔の白黒の写真がある。

明治、大正、そして昭和と3代の写真である。



ストリートビューを見ると、まだ解体前の旧鶴川座の画像が残っていた。

3枚の写真の一番下の写真とほぼ同じである。



新型コロナウイルスの影響で、街歩きをしないでいるうちに、街の様子は変わっていた。

(2020/11/15 追記)

コメントに寄せられた、和守(みこもり)煎餅で検索すると、解体まえのお店の様子が紹介されているブログがありました。

日本隅々の旅  全国観光名所巡り&グルメ日記

リンクはご自由にとありましたので、お言葉に甘えさせて頂きました。

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コメント一覧

川越原人
ありがとうございました
教えて頂き、ありがとうございます。
私の記憶があいまいでしたので、助かりました。
また、市によって強制解体されたことも、全く知りませんでした。
今後とも、よろしくご教示お願いします。
川越市民
駐車場のところには「和守(みこもり)煎餅」がありました。後継者が無く廃業し、建物が荒廃していた為、市によって強制解体されました。
土地は蓮馨寺の借地と思われます。
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