原キョウコダンスセラピー大阪WS「表現と癒しの間で」vol.8、無事に終了致しました。参加の皆さま、スタッフの皆さま、ありがとうございました。次回は来年の春を予定しています。
一昨日と昨日,原キョウコさんのダンスセラピーWSに参加してきました。今回はとても静かな,といっても,みんなが恥ずかしがったり遠慮したりというのでなく,ただただ静謐な落ち着いた時間でした。なので,今回は私自身,自分の内側にじっくり集中できたように思います。
今回の大きな発見の一つは,ここのところ感じていた不安が,私の中で胴体に血がうまく通っていない(語弊があるが本人としてはこの表現が一番しっくりくる)ことに原因の一つがあるらしいこと。そして,胴体も鳩尾のあたりで堰のようなものがあり,鳩尾の上下でうまく呼吸が通い合っていないことだ。
これは人の手でからだに触れてもらうことでよくわかった。ちょっと触れてもらうだけで胴体の鳩尾から上がホカホカと温まり始めたのだ。確かに胴体部分のケアが疎かになりがちだった気はする。脚はしっかり根差し,頭も冷静でいるのに何か虚ろだったのだ。胴体さん,ごめんなさい…。
もう一つ,ジャッジしたり居着いてしまったりしがちな私の癖が,一点凝視型の私のものの見方自体に起因するところが大きそうだということ。一点凝視と視野を広くとるのでは,呼吸自体のあり方も変わる。私の場合,一点凝視すると鳩尾から上で呼吸をし,視野を広くとるとお腹も呼吸をし始める。
一つの仮説だけれど,私の場合,一点凝視を日常でし過ぎる癖があり,そのため胸式呼吸優位になりがちで,お腹は動かず鳩尾から上と分断され,その呼吸のあり方,胴体の心許なさの結果,茫漠と不安になっていったのではないだろうか。
昨晩は梅田の街角から地下鉄の中まで、どくんごごっこ~日本語ラップ~維新派ごっこ~昭和歌謡思い出し歌いなど、バカなことをして遊んで楽しゅうございました。
梅田のポレポレでは突発的あまちゃんナイトになり、大友さんの楽曲聞いて、踊って、あまちゃんの録画見て、ハナレグミでしんみり。
@chika_buncho ちかよさん ご無沙汰です!今度一緒にどくんごごっこと維新派ごっこ、やりましょう~?
そして今回,魂の旅を体験するワークがあった。以前偶然ここでも書いた「小死」の体験にも繋がる気がする。「魂の旅」と書くと訝る人もいるかもしれないが,自分の原風景,自分の原イメージなども含めて,自分の「原」なるものとしての「魂」に向き合わせてもらえる作業だったように思う。
で,この魂の旅に入る時,私は再び7年前に死んだ従兄のことを思い出した。でも今回はそれに感情を揺さぶられることなく,従兄の死を私自身の死と重ねて追体験してみようと思えた。最初は無念や未練や後悔に涙が溢れてきたが,小死の恐怖を乗り越えた瞬間,私はなんと笑いながら飛んでいたのだ。
そして,私の死を悲しむであろう人たちのところに飛んでいき,笑顔で「気にすんな!大丈夫!大丈夫!」と声をかけて回ったのである。そして,そのまま私の魂は,私が過去に傷つけた人のところに行き,地震の被災地や戦地に行き,そこでも「大丈夫!大丈夫!」と言って回ったのである。
女神山での体験で従兄の死に対する罪悪感は克服したつもりだし,従兄は今でも私のそばにいるのだと感じることはできていたが,それが確信に変わった。従兄も今あっちこっちに飛び回りながら笑顔で「大丈夫!大丈夫!」と言って回っているのだ。
私は子どもの頃,ご近所の「無差別挨拶爆撃機」として(笑),近所の人みんなに笑顔で挨拶をしまくっていたらしい。その頃の魂が未だに私の中で生きているのだな,と思った。「三つ子の魂百まで」というのは本当である。それを押さえ込んでしまうのはきっと頑ななからだやこころなのだろう。
WSでの体験はその方自身のものであり、もちろん外に出すこともないのだが、
@animanma さんが貴重な、そしてとても大切な体験を書いて下さったのでRTしました。ありがとうございます。
@animanma ありがとうございます。かなりエネルギーを使われたと思いますので、今日はゆっくりなさいますよう。