峡中禅窟

犀角洞の徒然
哲学、宗教、芸術...

ジネット・ヌヴーのこと...生誕100年・没後70年に寄せて...

2019-10-28 06:00:00 | 音楽

 

Ginette Neveu plays Gluck - Mélodie (from Orfeo ed Euridice)

グルック:『オルフェオとエウリディーチェ』から『妖精の踊り』(メロディ)

 

10月28日は、夭折の天才ヴァイオリニスト、ジネット・ヌヴー(Ginette Neveu)の命日...

このクリップの演奏は、ヌヴーの遺した録音の中でも屈指の名演として知られますが、グルックの歌劇『オルフェオとエウリディーチェ』のクライマックスで、オルフェオが冥界に下る場面での音楽...泉下のヌヴーを思う時に、頭に浮かぶ演奏です。


ジネット・ヌヴー(1919-1949)...

今世紀前半を代表する女流ヴァイオリニスト...その活躍が圧倒的な熱狂を巻き起こして生ける伝説となり、僅か30歳で悲劇的な最期を遂げてしまいましたから、さらにその名はヴァイオリン演奏史の中に深く刻み込まれています...


カール・フレッシュ、ジョルジュ・エネスコ...名だたる先生の弟子としての修業時代にも有名なエピソードがいくつもあるのですが、この人が一番名をあげたのは、1935年に参加したヴィエニャフスキー国際コンクールのことです。


この時、16歳のヌヴーは断トツの差をつけて優勝をするのですが、何と、第2位がダヴィッド・オイストラフ! 3位がアンリ・テミアンカ、7位がイダ・ヘンデル、9位はブロニスワフ・ギンペル...

オイストラフ(1908-1974)は、言わずと知れた、20世紀を代表するヴァイオリンの巨匠です。

3位のテミアンカ(1906-1992)も、ヴァイオリン好きの人ならば知っている人。パガニーニ弦楽四重奏団での活躍が有名ですが、ソリストとしても名を馳せました。

7位のヘンデル(1928-)は、ヌヴーと同じフレッシュ、エネスコの弟子ですが、女流ヴァイオリニストといえば、この人、というほど有名ですね。

9位のギンペル(1911-1979)は、お兄さんも有名なピアニストですが、この人は、ベンジャミン・ブリテンのヴァイオリン協奏曲の改訂後の初演をした人です。

要するに、綺羅星のごとく才能が集まった空前のコンクールだったわけです。
実は、この時のヴィエニャフスキーコンクールは、ヴィエニャフスキーの生誕100年の年にあたり、その記念として開催された第1回目のコンクールですから、それだけ凄い人材が集まったということもあるのでしょう。その時の様子は、下のクリップに...

1st International Henryk Wieniawski Violin Competition - 'A Tournament of Giants'

『巨人たちのトーナメント』とクリップにある言葉は、誇張ではありません...


残念ながらヌヴーは、1949年の10月28日、演奏旅行のために乗っていた飛行機がアゾレス諸島サン・ミゲル島に墜落し、帰らぬ人となりました...


いつもピアノ伴奏をしていたお兄さん、大ピアニストイーヴ・ナット門下のピアニストであるジャン・ヌヴーも一緒に亡くなったのですが、ジネットの楽器だけは、壊れながらも、焼けずに奇跡的に残っていたそうです。
お兄さんの亡骸はとうとう見つからなかったそうなのですが、ジネットの方は、愛器ストラディヴァリウスをしっかりと抱きかかえていたからわかったといいます...


実を言うと、この話はあくまでも伝説で、実際にはジネットの亡骸が別人と間違えられて届いたり、その後のジネットの楽器がどうなったのか誰も知らないという点からしても、真相は闇の中、といった方がよいのでしょう...


ヌヴーは国内外で熱狂的な人気を誇っていましたが、特に母国フランスではその死の衝撃があまりにも大きく、亡くなった後にはフランス政府から勲三等レジオンドヌール勲章が授与され、パリ市議会はパリ18区の通りに彼女の名を冠した通りを作りました。

私事ですが、遙か昔、パリのサル・プレイエルを訪れた時、舞台に向かって右手側だったか左手側だったかは忘れましたが、ヴァイオリンを弾くヌヴーのレリーフがはめ込まれているのを目撃した記憶があります。

 

Ginette Neveu & Bruno Seidler-Winkler play Chopin Nocturne No. 20 (arr. Rodionov)

ショパン(ロディオノフ編):ノクターン第20番嬰ハ短調遺作

 


素晴らしいヴァイオリニストだった、イヴリー・ギトリスが、ヌヴーについて、面白いことを言っています...


...ジネットはフランクの曲の第3楽章の最後でCシャープ音をやや低めに弾いた。これが“色”です。

おそらく今日では、こういう弾き方はしません。音が外れてるから。でもそれが何でしょう?

ティボーも同じでした。「クロイツェル・ソナタ」 第3バリエーションでDフラット音をやや低めに弾いた。

正しい音はこれ。(弾いてみせる。)

カザルスも同じ事をしました。音に“色”をつけるためです...


こうしたことは、教えて貰って身につけるんではないんですね...自分で感じなくてはできないんです。

今の例で言えば、フランクのソナタの第3楽章の最後で、Cシャープの音をそういう風に感じなければできないんですから...

そう感じなければ、「正しい」音で弾けば良い。自分が、そういう「色」を音に感じることができるから、そう弾くだけのことなんですね...

それぞれの音をどう感じるのか、その音に、どんな「色」を感じるのか...それはその人次第なんです。

それが、解釈というものなんですね...音楽の世界は、奥が深いですね...

 

先のコメントの中で、イヴリー・ギトリスが「ティボーも同じでした...」と言っているティボーというのが、この人...

ジャック・ティボー(1880-1953)20世紀を代表する大ヴァイオリニストです。

 

Thibaud plays Intrada-Adagio by Desplanes

 

デプラーヌ(ナシェ編):『イントラーダ』


この人はヌヴーと同じフランス人で、接触もあったのですが、ヌヴーの訃報を聞いたときに、

      「自分も、最後はそうありたい...」

と漏らしたそうなのですが、その言葉は本当になってしまいます。


1953年の9月1日、三度目の来日の途中、乗っていた飛行機がアルプスに激突...

乗っていた飛行機の方は、ヌヴーと同じエールフランスの、同じロッキード・コンステレーションだったそうです...
ヌヴーの事故の時とは違い、この時には生存者も結構いたと言いますが、ティボーのストラディヴァリウスは失われてしまったそうです。
この人、戦前はウイーン生まれのフリッツ・クライスラーと並び称された人です。

 最後に、ジャック・ティボーと言えばこの演奏はとても有名です...わたしも、初めてティボーを聴いたのが、この曲...

Jacques Thibaud plays Henry Eccles Sonata in G minor (arr.Salmon) 1930

ヘンリー・エックレス(1672-1740):ヴァイオリン・ソナタト長調

とても美しい曲に、美しい演奏。こんな風に弾ける人、もういないと思います。

ヌヴーは、おなじフランス人ということもあり、ジャック・ティボーの後継者と目されていたといいますが、エレガントなスタイルを考えると、最高の賛辞だったと思います。

先ほどのヴィェニャフスキー国際コンクールの時に競ったオイストラフは、ヌヴーよりも10歳以上年上...

ヌヴーは事故に遭わなければ、ちょうどアイザック・スターンやヘンリク・シェリングと同世代です。

わたし自身も、スターンは60代の演奏を生で聴いています。

飛行機が今から見れば、まだまだとても危険であった時代...運命とは言え、喪失したものの大きさを思います。


ジャン=フィリップ・ラモー:クラヴサン曲集から...『ミューズたちの語らい』『サイクロプス』『ガヴォットと6つのドゥーブル』

2019-10-17 18:40:58 | 音楽

ジャン=フィリップ・ラモー(Jean-Philippe Rameau;1683-1764)の『クラヴサン曲集』第2巻(第3組曲ニ長調・ニ短調)から、

 

第6曲『ミューズたちの語らい』

  続いて、

第8曲『サイクロプス』

 

Natacha Kudritskaya - L'Entretien des Muses, Rameau @ OCMF

 

もとのクリップには『ミューズたちの語らい』としか記載されていませんが、6:11からの早いパッセージの作品は、おなじ曲集の第8曲『サイクロプス』です。

 

ピアノは、ナターシャ・クドゥリツカヤさん。

 

クラヴサンのための作品ですが、ピアノの特性に合わせて現代ピアニズムの精華のような演奏をしています...とても見事...

ロマンティックな演奏ですが、精妙でよく歌っています。この人に独特の、ゆったりたっぷり呼吸するようなフレージングがとても美しい...

 

「クラヴサン (clavecin)」はフランス語の名称で、英語では「ハープシコード (harpsichord)」。ドイツ語では「チェンバロ(Cembalo)」、イタリア語では「クラヴィチェンバロ(clavicembalo)」です。

ピアノもチェンバロ(クラヴサン)も、ともに鍵盤楽器でかたちが似ていますから同じような楽器のように思われるかも知れませんが、ピアノはもともと「ピアノ・フォルテ」という名前の楽器で、それが縮まって「ピアノ」と呼ばれるようになったことからもわかるように、チェンバロとは異なり、音の強弱を精密に自在につけられることが売りだったわけです。反対に、チェンバロは濃やかな音量の強弱をつけることができません。

これは、鍵盤を叩いて演奏するところはおなじでも、鍵盤から弦に力を伝え、音を発するやり方が、ピアノではハンマーが叩くメカニズムであるのに対して、チェンバロでは「プレクトラム(plectrum)」という「爪(pick)」が弦を弾く構造になっていて、鍵盤から指を離すとダンパーが降りてきて弦の振動を抑えて止めます。

叩くメカニズムだと、叩き方の強弱で音量はかなり自在につけられますが、ピックで弾くやり方だと、濃やかな強弱は難しい。

その代わり、音量や音色を変えるために「レジスター」あるいは「ストップ」と呼ばれるメカニズムが仕組まれていて、複数の弦を同時に鳴らしたり鳴らさなかったりといったかたちで強弱のコントロールをつけています。それにしても、メカニカルなコントロールでつけられる強弱ですから、デリケートな強弱をハンマーを通じて行うピアノには、繊細さにおいてかないません。

チェンバロにはチェンバロの魅力がありますが、よく歌うためには、ピアノの精妙なタッチに軍配が上がるでしょう。もちろん、演奏家の技量でそこはかなりの幅が出てきますが...

ともあれ、とても良い演奏。

 

もう一つ、クドゥリツカヤさんの演奏で、

 

『クラヴサンのための新しい組曲』第6組曲『ガヴォットと6つのドゥーブル』

 

Rameau - Suite en la Gavotte et six Doubles / Natacha Kudritskaya

 

これも、格調高く良く歌うとても美しい演奏...

 

追記【2021/09/12】

 

ちなみに、この美しい作品、クラヴサン以外の楽器でもよく演奏されるようですが、それぞれの楽器の個性が生かされていてとても良いですね。

まずは、アコーディオン♪

 

Gavotte et six doubles - Jean-Philippe Rameau (1683-1764)

from "Nouvelles Suites de Pièces de clavecin" (1728), suite en la Acc...

youtube#video

 

 

そして、木管アンサンブル♪

 

Rameau: Gavotte With Six Doubles | Fresco Winds

Bryan Guarnuccio, Kip Franklin, Audrey Destito, Genevieve Beaulieu, Li...

youtube#video

 

 


西風はかえり...春を告げる音楽。

2018-04-04 02:25:08 | 音楽

寒さの厳しい冬だった...

そう思っている間にも、一転、思わぬ陽気が続き、あっという間に桜の季節が到来...

ということで、春を告げる音楽...

 

*モンテヴェルディ:『西風はかえり...』...


タ・ター・タ・ター・タ・ター・タ・ターという、軽快なシャコンヌ(チャコーナ)のリズムに乗せて、春を告げる西風の到来を喜ぶ歓喜の曲です。

春になり、西風がかえってくる...あるときは荒々しく、またあるときは優しく...
日本では、西風は冬の厳しい寒さを運ぶイメージですが、地中海世界では、春を運んでくる「そよ風」のイメージが近いといいます。

それよりも何よりも、西風(ゼフィルス)がやって来ると、命の燃え立つ春の到来なのです...


下の画像、ほっぺたを膨らませ、誕生するヴィーナスに息を吹きかけているのが西風の神「ゼフィロス」。抱き合っている相手は、奥さんの1人で花の神フローラ...春を告げる西風の神に相応しい伴侶です。

 

 

クリップの作品、歌詞はこのような感じです...

 

西風(ゼフィロス)がかえってくる、おお、甘美な調べとともに...
すると大気は喜びに満ち、海の波も逆巻く...
そして、緑の木立の囁きにまじって、草原の花々がダンスを踊り、優しい音をたてる...



作曲は、イタリア・ルネサンスから初期バロックへの転換点に立つ作曲家、クラウディオ・モンテヴェルディ(Claudio Giovanni Antonio Monteverdi;1567-1643)...このクリップの作品は『音楽の諧謔』に入っている二声の作品、歌詞を書いたのが、モンテヴェルディと同時代の詩人、オッタヴィオ・リヌッチーニ。

因みに、上肖像画、有名なものですが、確かにモンテヴェルディを描いたと言える画像としては、唯一のものだといいます。


さて、同じタイトルの曲がモンテヴェルディにもう一曲あり、それは『マドリガーレ集第6巻』に入っている五声のマドリガーレ。

こちらが、同じモンテヴェルディの五声の方...

 

*モンテヴェルディ:『西風はかえり...』...

 

実は、この両曲、歌詞も違います。この五声の方の歌詞は、一四世紀ルネサンスのフランチェスコ・ペトラルカ。

歌詞としては、ペトラルカのものの方が遙かに有名で、こちらの歌詞にはルカ・マレンツィオも有名な曲を書いています。

 

西の風がもどり 好天をもたらす
そのやさしい家族の花や草をも
つばめ がさえずり
うぐいすが鳴き
春は白と赤につつまれる。
草原は笑い 空は晴れ
ジョーヴェ (ジュピター) はその家族を見てはしゃぎ
空気も水も大地も 愛に満ち
すべての動物はふたたび愛を交わす


最初の二声の作品の方は、「シャコンヌ(チャコーナ)」の代表的な例だったのですが、こちらも同じリズムパターンです。

「シャコンヌ」と言えば、バッハの『無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ』第二番のイメージで、荘重重厚な技巧的作品のイメージを持つ人がいると思いますが、確かに、シャコンヌはそういった作品へと発展していったりもしているものの、もともとは陽気で快活、騒がしい踊りの音楽です。

 

西風の神「ゼフィロス」は、実はルネサンス絵画でもよく姿を見かけるものです。たとえば、冒頭のクリップ、サンドロ・ボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』と並ぶ有名作品『春(プリマヴェーラ)』にも、画面の向かって右上に登場しています。

 

 

画面の一番右、肌の色が青黒いのでわかりにくいですが、ニュンファのクローリスを攫っていこうとしています。

『ヴィーナスの誕生』も『春』も、どちらもゼフィロスは一陣の突風のイメージです。春を告げる西風は、あるいはそよそよと吹く穏やかな微風であったり、あるいは突然強く吹き付ける強風であったり...風の神は気まぐれなのです。


ギリシアでは、ホメロスの『オデュッセイア』に登場する風の神「アイオロス」が有名ですが、そのほかにもこの『オデュッセイア』のなかで「アイオロス」の厩舎に繋がれた「馬」として描かれている四柱の風の神「アネモイ(Ἄνεμοι, Anemoi)」が代表的です。アネモイは、ヘシオドスの『神統記(テオゴニア)』のなかでは、星空の神アトライオスと暁の女神エーオースの子供だとされています。

アネモイたちは、それぞれ東西南北の各方角を司っており、その方角からの季節風に対応して、それぞれが様々な季節・天候に関連付けられていました。たとえば、

「ボレアース」は冷たい冬の空気を運ぶ北風、

「ノトス」は晩夏と秋の嵐を運ぶ南風、

「ゼピュロス」は春と初夏のそよ風を運ぶ西風、

「エウロス」は東風ですが、このエウロスだけはどの季節とも結びついていないといいます。

アネモイにはこのほか、北東、南東、北西、南西の風を表現する下位の4柱があるといいます。


さて、もう一つ...
『西風はかえり』といえば、これも有名な、
モンテヴェルディの一世代上、一六世紀初期バロックのイタリアの作曲家、ルカ・マレンツィオ(Luca Marenzio:1553-1599)の作品...

歌詞は、ペトラルカの作の方を用いています。


*ルカ・マレンツィオ:『西風はかえり...』...


 

締めくくりに、サロン的な作品を...

 

*フバイ:『ゼフィール(西風)』...

 

あるいはそよそよとそよぎ、あるいは突風となって人を驚かす、気まぐれな春の西風をとても良く表現する、優雅で洗練された佳曲です。



作曲者のイェネー・フバイ(Jenő Hubay;1858-1937)は、19世紀後半から20世紀前半にかけて活躍した、ハンガリーの作曲家、ヴァイオリニスト、音楽教育家。門下からは、ティボール・ヴァルガ、ヨーゼフ・シゲティが出ています。

演奏は、20世紀を代表するヴァイオリニスト、ヤッシャ・ハイフェッツ...見事な演奏...


ハインリッヒ・イザーク没後500年...

2017-12-31 22:24:35 | 音楽

手遅れになるほど遅ればせですが、はじめに、こちらを...

 

 

*タリス・スコラーズが歌うイサークの『いと賢明なる乙女よ...』...

 

 

「今週日曜日にやってくるハインリッヒ・イザークの没後500年を祝うために、このヴィデオをシェアしてください...」と書いてあるとおり、後三時間ほどで終わる2017年は、ルネサンス期フランドルを代表する作曲家、ハインリッヒ・イザークの没後500年...

このクリップのモテット『いと賢明なる乙女よ...』、演奏も抜群に良いのですが、とても素晴らしい作品ですね...

歌詞は、カトリックのウィーン司教だったゲオルク・フォン・スラトコニア(Georg von Slatkonia ; Jurij Slatkonja:1456-1522) まさしく、イザークの同時代人、宗教改革の時代の人です。

 
 
ハインリッヒ・イザーク(Heinrich Isaac;ca.1450-1517)は、同時代に活躍したジョスカン・デ・プレ(Josquin Des Prez; Josquin des Prés, Josquin des Pres, Josquin Desprez;1450/55-1521)の巨大な影に隠れてしまいがちですが、双び立って同時代を代表する作曲家です。
 
パリ、ローマを中心に広く活躍したジョスカンと異なり、イザークはインスブルックを皮切りに、ドイツ、フィレンツェを中心に活動した人です。イザーク自身は、遺言状で自らをUgonis de Flandria(フランドル出身のHugoの子)と書いているといいますから、出身はフランドル。いまでいうベルギーとオランダにまたがる地域、ブラバント公国の出身ではないかと言われています。

 

フィレンツェでは、「豪華王(イル・マニフィコ)」と呼ばれたメディチ家全盛期の当主、ロレンツォ・デ・メディチ(Lorenzo de'Medici,Lorenzo il Magnifico;1449-1492)の宮廷音楽家となり、宮廷楽長兼オルガン奏者、そしてロレンツォの子供たちの家庭教師も務めています。

1495年1月に、ピエロ・ベロ(Piero Bello)が娘バルトロメア(Bartolomea)の婚資をイザークに贈ったという記録が残されているそうですが、このピエロ・ベロという人物はメディチ銀行の有力な顧客のひとり。

それゆえ、このピエロ・ベロの娘とイザークの結婚を仲介したのは、ロレンツォ・デ・メディチではないかと言われています。いずれにしても、ロレンツォとの付き合いはプライベートでも相当深いものであったであろうと推測されます。

 

 

ロレンツォの死後、息子ピエロ・デ・メディチはフランス王シャルル8世のナポリ王国侵攻に対して抗戦せず、独断でフィレンツェを開城してしまい、フィレンツェ市民の怒りを買ったメディチ家は追放されてメディチ銀行は破産...
 
 
 
イザークはここでフィレンツェを離れて神聖ローマ帝国皇帝マクシミリアン1世(Maximilian I;1459-1519)に仕え、ドイツ語圏での活躍を開始します...
 
マクシミリアン1世はハプスブルク家繁栄の礎を築き「マクシミリアン大帝(Maximilian der Große)」と讃えられる名君。武勇に優れるだけではなく、芸術にも深い理解を示し、「中世最後の騎士」とも称される人物で、ローマ王、オーストリア大公を兼ねてもおり、イザークの名声はこの時に一気にイタリア、ドイツ、オーストリアと広まったことだと思われます。
じっさい、イザークは Arrigo d'Ugo、 Arrigo il Tedesco (ArrigoはHeinrichのイタリア読み、Tedescoはイタリア語でフランドル人またはドイツ人の意) 等の名でも知られ、イザークという名前に関しても Isaak、Ysaac、Ysaakといったスペルでも記録が残されているといいます。また、イザーク没後それほど時を経ていない16世紀に、スイスの音楽理論家ハインリヒ・グラレアヌス(Heinrich Glarean;1488-1563)が、イザークのことをドイツ人ヘンリクス・イサーク(Henricus Isaac Germanus)と紹介していると言います。

イザークは、ドイツ音楽の伝統や習慣を取り込みつつ、ドイツ語テキストにも数多く付曲しており、音楽史上、本格的なドイツ語歌曲を創作した最初の人物でもあると言われています。

ロレンツィオ・イル・マニフィコといい、マクシミリアン大帝といい、イザークは良い君主に仕えています。

結局イザークは1514年にフィレンツェに戻り、フィレンツェで亡くなりました。
 
 
同時代のあらゆる技法、あらゆる形式に通じていた、とされるほどの恐ろしいほどの幅の広さを誇ったジョスカンには及ばないものの、宗教作品から世俗音楽、声楽、器楽とイザークも多彩な作品を残す多作な作曲家です。
 
さて、
そのイザークの代表作と言えば、リート『インスブルックよ、さらば(Innsbruck, ich muß dich lassen)です。
 
 

*ハインリッヒ・イザーク:『インスブルックよ、さらば...』...

 

インスブルックよ、さらば
我は 遠く異国の地へと向けて 旅出つ
我が喜びは失われ
もはや得るすべを知らない
この惨めさよ

いま、大いなる悲しみに耐えざるを得ず
その悲しみを分かち合えるのは、
最愛の貴女のみ
ああ愛しき女よ 惨めなる我を
その情深き心もて包み給え
離れなければならぬこの身を

あらゆる女にも勝る 我が慰め
我は永久に貴女のもの
誠実に、誉高くあれ
御身に神のご加護あれ
徳高く保たれんことを
いつかわたしが帰る日まで...

 

この美しい作品、歌詞は、マクシミリアン1世が、1493年8月、父フリードリヒ3世(在位:1452-1493)の崩御によって神聖ローマ帝国皇帝に即位することになり、愛する都インスブルックを去ってウィーンへ赴かなければならなくなった悲しみを、自ら作詞したものとも言われています。

因みに、この肖像はアルブレヒト・デューラーが描いたマクシミリアン1世...

誤って、イザークの肖像画とされている場合がありますが、実はイザークは肖像が残っていないようです。

 

一方、メロディーはイザークの作曲ではないと言います。楽譜も二種類が伝わっており、当時の流行歌、民謡のように人口に膾炙した音楽を編曲したのではないかと言われています。

しかし、心に残る旋律だからでしょうルター派のコラール『おお世よ、われ汝より離れざるを得ず(O Welt, ich muß dich lassen)』に用いられ、さらに、J.S.バッハのカンタータ『我がすべての行いに(In allen meinen Taten, BWV 97)』(1734) や『マタイ受難曲』に引用され、ブラームスによってもオルガン作品に引用されています。


イザークの作品、こちらは縁の深かった、ロレンツォ・イル・マニフィコの死を悼む音楽...荘厳、痛切な作品です。


*ハインリッヒ・イザーク:『ロレンツォ豪華王の死を悼むラメント』...

 

一方、こうした世俗作品ではガラッと異なる貌を見せています。

 

*ハインリッヒ・イサーク:『さあ、戦だ...』...

 

少し長いですが、本格的なミサを...

 

*ハインリッヒ・イザーク:『使徒たちのミサ』...

 

最後に、こちらも...

 

*ハインリッヒ・イザーク:『絶望的な運命』...

 

こちらは、本当はイザークの作品ではなく、弟子のルートヴィッヒ・ゼンフル(Ludwig Senfl;1486-1542)のものだといいますが、とても美しい作品です。



このゼンフルは、イザークのライフワークにして最大の作品である『コラリス・コンスタンティヌス』の写譜を担当し、未完の内にイザークがこの世を去ると補筆して実用版をまとめ上げた人物です。ルターとも親交があり、プロテスタントに改宗するまでは行かなかったものの、プロテスタントに寛容であったミュンヘンに移り、そこで生涯を終えました。


クラシック音楽を越境する...?

2017-07-28 00:14:01 | 音楽

まずは、こちらを...

 

*コントかと思ったら楽譜通り!とある協奏曲のシュールすぎるオチ

 
 

元ページでは動画が見られませんから、問題のシーンはこちらから...
 
 

これは面白い...
しかし、こうした試みは、実はアートシーン全般から見ればそれほど新しくもないし、驚くようなものでもありません。
にもかかわらず、これが驚きを持ってむかえられるのは、いわゆる「クラシック音楽」というものの放つオーラが、「コンサート・ホールで演奏されるような音楽とは、こうしたものだ、こうしたものであるべきだ...」という暗黙の前提、見えない枠組みとして、いかに強力にわたしたちを呪縛し続けているか、ということの証にもなっていますね...

言わずもがなのことですが、確認だけはしておいた方が良いかと思います...
まずはじめに、カーゲル氏はいわゆる「クラシック音楽」の枠組みを解体したくて、あのような試みをしているのですね。
しかつめらしく「クラシック」スタイルでのコンサートを進行させていながら、最後にどんでん返しを食わせているわけです。
要するに「トロイの木馬」方式です。
正統派のクラシックファンは最後のところで激怒するはずです。少なくとも激怒したり、呆れたり、馬鹿にしたりする人が一定以上存在することを想像するはずです。そこが、問題提起になっているわけですね。聴衆の「あたりまえ」「当然」「常識」を揺さぶっているわけです。
音楽を愛し、真摯に音による創造の世界に向き合っているのであれば、様々な挑戦が生まれてくるのは当然です。その挑戦の歴史が「音楽史」として遺されてきたわけです。
リズム、和声、メロディ、楽器、編成、演出...あらゆる部分において、より効果的で創造的な語法が発見され、分析改良の上で理論化され、新しい時代の語法となる...この繰り返しが音楽の発展の歴史です。
その時代においては不快に響くものであっても、次の世代にとっては斬新で刺激的、創造性を喚起するものになっていったりします。J.S.バッハは、生前には余りに激しい技法を駆使することで「騒々しい」と言われていたのですね...あるいは、ジェズアルドの作品は、400年経った今日の私たちの耳にすら、とても挑発的に響きます。
「クラシック」と呼ばれるものが、「評価が確定したエスタブリッシュメント」ということを意味しているというのであれば、真に創造的な人々は絶対に「クラシック」なんかになれっこありません。クリエイティブな試みは、絶えず最前線を歩きます。要するに、創造性の世界においては「アヴァンギャルド」であることが必要なんです。
コンサートホールで、職業的音楽家たちが、交響楽団という伝統的な楽器を伝統的な編成と配置において聴取の前で作品を演奏する...
この伝統と常識の厚みの重圧と束縛の中で、伝統的な語法の縛りを遵守する...できることにも限りがありますね。
カーゲルの試みは、問題提起です...そういうことで、本当に良いのか...?
百年以上前に、シェ-ンベルクは「調性」つまり音階と和声の基本原理そのものが音楽的な創造を束縛する最後の呪縛だと考え、「無調音楽(アトナール)」と呼ばれる新しい骨法を考えました。しかし、当時の人々にとって...今日においてもなお、大多数の人にとって...調性の仕組みはとても肌に合ったものですから、調性の呪縛を解くためにはしっかりした方法上の仕組みが必要です。そこで音階そのものの解体には手を付けないで伝統的な音の響き(「機能和声」の原理)を解体する語法を体系化していきます...
クラシックの世界にも「冗談音楽」の伝統は存在します。特にイギリス人はかなり強烈なクラシックのパロディーを好んだりしますね。何しろ『モンティ・パイソン』の国ですから...デニス・ブレインも参加していた『ホフナング音楽祭』が有名ですね。
 
以前に佐村河内氏の代作事件が大騒ぎになりましたが、あれが大騒ぎになるのは、事件の舞台が「クラシック音楽」だったからなのです。
権威で聴き、評判で聴き、名声で聴き、前提と先入観、いわゆる常識で聴く...
そうすると、じっさいに鳴り響いている音楽ではなく、それを通り越していわゆる「クラシック音楽」いわゆる「バロック」いわゆる「ベートーヴェン」を聴いているだけになってしまいます。だから作者の真贋で揉め、騒ぎになる...
ダンス・ミュージックのファンだったら、「のれる」音楽かどうか...踊れる音楽かどうか...クラシックかぶれじゃない音楽好きにとっては、気に入るか入らないか、好きか嫌いか...それだけです。暗黙の枠組みさえなければ、音楽はとてもわかりやすいはずです...もちろん、だからこそ、自分自身の感性の質、センス、趣味が問われてしまうのですから...ここは、とても恐ろしい...
さて、マウリシオ・カーゲル先生は、いわゆる「クラシック音楽」を越境しようと試みた一人...先生に敬意を表して、いわゆる「クラシックらしさ」から自由になって見てみるべきですね...
さて、それでは、この作品、どうなんでしょう...(笑)