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曼珠沙華 あっけらかんと 道の端
夏目漱石の句です...
曼珠沙華は、何よりも血のようなその紅さ、その容姿、咲く場所、そして季節のせいでしょう、あるいは哀しく、あるいは恐ろしく、あるいは淋しく、あるいは妖しく...さまざまな思いを想起させてくれる花です。特に夕暮れ時に、西の空に傾きゆく陽の光りを受けて、畦に並ぶ沢山の緋い花が、いっそう赫赫と耀く姿は、何かこの世のものならぬ不思議な気配を辺りに漂わせます。
しかし、朝の爽やかな光りの中で見る姿は、とても可憐ですし、昼の強い日差しの中で見れば、意外なほどおとなしく、ポツンポツンと、むしろ控えめに咲いているように見えるのです。
漱石のこの句は、そんな控えめで、静かな佇まいの一瞬を、「あっけらかんと…」と見事に切り取って来ています。
妖しく私たちの心をかすかにかき乱すような不思議な魔力がかき消え、嘘のように楚々とした、呆気ないほど素直な素顔が垣間見得る一瞬です。
さて、妖しい魔法の気配を身に纏うのが、本当の姿なのか...それとも、あっけらかんと、何の神秘もなくひっそりと道の端に立つのが、本当の姿なのか。
漱石は、曼珠沙華の見せる意外な顔に驚きながらも、やはりその妖の世界の向こう側に、思いを馳せているのでしょうか...
思わしくない天候が続く中、曼珠沙華が今は盛りと咲きそろいました。
素敵な曼珠沙華の考察です。
可憐さと怪しさ、仏様を連想させる季節の花です。
曼珠沙華は、母が好きな花の一つでした。
私は曼珠沙華が怖いのですがね。
毒々しい赤と妖しい美しさで、うちの近所の裏山に自然に群生しています。
母の母は、勝沼出身ですが、小学校三年くらいで小石川の親類に養女にいきました。若尾銀行の頭取さんだそうで、祖母の読書中毒はそこから始まります。娘時代は東大の植物園や三四郎池によく散歩したそうで、戦後の苦しい時代を漱石や外国文学を読みながら家事をしていましたようです。
祖母にいわせると、ノーベル文学賞は漱石に取らせるべきだと川端康成が受賞したとき怒っていました。祖母の唯一の息子〈私の叔父〉府立一中から東京大学医学部に進学。しかし戦後の昭和21年肺結核のため20歳で亡くなりました。祖母は涙も出なかったと言います。ショックすぎると泣けないのですね。祖母は漱石の読書で人生にメリハリをつけていたようです。81歳で癌で亡くなるまでよくメガネをかけて読書していました。
人間もあらゆる面をもってますよね。
青竜と言う俳号をもつ友人に話したら、やはり、中村汀女の句より漱石は秀逸だと話していました。私も漱石に1票です。