正調読書之ススメ:001:『死の発見』(岩波書店)
松原秀一/養老孟司/荻野アンナ
推薦度:5
「死」の問題をヨーロッパに軸足を置きつつ、日本にも踏み込んで論じています。深く、しかも広い知識の饗宴です。
難易度:4
情報量が多いので読むのが大変ですが、論旨は明快。
本書、松原秀一、養老孟司、荻野アンナという一見異色の取り合わせによる、「鼎談」。しかもテーマは「死」。一見、おやおや...こんな本を出す企画の意図は...となるのであるが、どうしてどうして、これは見事な「知の饗宴」になっている。
「座談」「鼎談」といった書物の形式は、特に日本で「うける」ジャンルであるとされているのであるが、現実には、巷で店頭に並んでいる「鼎談」「座談」あるいは「対談」の類いは、残念ながら、全般的に見て雑駁なものがほとんどである。
しかし、本書はまったく別次元...これだけの内容であるのならば、真剣に読んでみる価値のある重厚なもの。
全体は3部構成。鼎談を担う3人がそれぞれ初めに短い報告と問題提起をし、引き続いてその内容について3人が語り合う...そんな構成となっている。
初めに中世フランス史の松原秀一氏...この人は「文献学」を専門としているので、一般の読者には余り知られていないのであるけれども、ヨーロッパ文化に興味のある人であれば当然知っているべき碩学。さすが、いきなり「ヨーロッパで死がテーマとして浮上する」のは12世紀のエリナン・ド・フロワドモンという詩人の「死の歌」から...そして大きな潮流になるのは14世紀、15世紀のことだ...と切り出してくる。「死」というテーマが重大になるのが、ヨーロッパでは、意外に最近のことなのだ...ちょっと驚きである。
ヨーロッパ中世の文化に浮かび上がってくる「死」...例えば『ロランの歌』や『死の舞踏(ダンス・マカーブル)』といったものを採り上げながら、ヨーロッパ中世における「死」というものが、今の私たちにとっていかに「異様」なものであるのかを明らかにしていく。そして、そうした一種異様な感覚は今でもまだ生きていて、例えば絵画で言う「静物画(ナチュール・モルト)」は、その名前からして「「死んだ(モルト)」「自然(ナチュ-ル)」であり、実際に「静物画」には必ず「枯れた花」が描かれ、あるいは鶏やウサギなどの亡骸が描かれている...そんな例を引きながら興味深い議論が展開される。
次が、解剖学者の養老孟司氏。中世の王侯や聖職者たちの墓に刻まれた石像...中に埋葬されているその本人が、朽ち果て、動物に食べられていく姿を精密に刻み込んでいるもの、これを採り上げる。「グランジ」と呼ばれるこうした彫像(アンリⅡ世、カトーリヌ・ド・メディシス、フランソワ・ド・ラ・サルのものが特に有名である)の「意味」を謎解きしていこうとする。
そして、文学から荻野アンナ氏。荻野氏は中世文学のラブレーを採り上げ、「死と笑い」の問題を切り口にする。
さて、こうして概観してみると、この3人、要するに「中世」をキーワードとした繋がりだとわかる。書名『死の発見』と副題『ヨーロッパの古層を訪ねて』というのは、要するに、ヨーロッパ世界が「死」の問題をはっきりと自覚し、意識して向き合い始めた「中世」こそがここでの「古層」であり、今日、改めて「死」の問題を考えようとする時、そもそもヨーロッパ世界、そしてヨーロッパで著しく発展した科学技術の思想的な「古層」であり「ルーツ」である「中世における死」をもう一度しっかりと洗い直して考えてみよう、ということなのである。
「死」をどう考えるか? という場合、どうしても私たちは科学的な観点に立脚して議論を推し進めがちになる。しかし、いざ実際に「死」が自分の事柄として、あるいは自分に身近な問題として迫ってくる時、科学的-合理的な考え方で割り切っていくことなど到底できないし、本書でも繰り返し指摘されているように「ヨーロッパ合理主義」と一口で括るものの、そもそもヨーロッパ世界は私たちが想像するほど「合理的」などではないのである。本書の冒頭で養老氏が「欧州というと、合理的だという偏見がどこかにないか」と開口一番問題提起しているとおりなのである。
さて、ヨーロッパ中世の宗教(キリスト教)、歴史、を専門とする文献学者、中世以後の日本文化にも造詣の深い解剖学者、そして中世文学と現代文学をまたぐ文学者...この3人の鼎談。歴史、宗教、絵画、言語、医学、数学...時間軸も縦横に、あらゆる分野を総動員しての「知の饗宴」、本書は極上の「食卓談話(プロポ・ド・ターブル)」。「食卓談話」と言うにはテーマが重いけれども、深く真摯な問題をこれほど知的な興味を引き立てながら一気に読ませる本もそれほどはない。決して気軽に流し読みにできるものではないけれども、読み甲斐のある書物とは、そうしたものなのである。
少し手強いけれども、読んだ、という充実感を得たい人、そしてそれ以上に、「死」の問題についてまともにものを考えてみようと思う人、本書は「必読」と言っても良いものである。
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