
まずは、こちらを...
ビル・ゲイツなど、大富豪の読書量は、年収300万円の人の38倍「でも、有名になりたくて、仕方がないミーハー著者の本を読んでも何も変わらない。」
本を読むことはどちらにしても良いことですし、どのような理由、どのような切っ掛けであれ、書物に触れることはその人にとって決してマイナスにはならないでしょうから、こうした記事であっても「活字離れ」が問題とされるような時代にあっては、基本的には歓迎すべきものであるとは思いますが...
それでも、この記事はどうも...
この記事は、その人の読書の習慣(例えば読書に割く時間や、読む書物の種類など...)から見えてくる「精神的な力」、「知性」「知力」あるいは「頭の良さ」と呼ばれるようなものを、「年収」「名声」といった社会的な成功とダイレクトに結びつけてしまっていますね。
もちろん、いわゆる「頭のよい人」が成功するとは限らない...とか、頭が良くないと成功は望めない、なんて暴論だ...という反論もあるでしょうけれども、そうしたことよりももっと問題なのは、読書の習慣をつける、知性を磨く、といったことを、社会的な成功...それも年収や名声といった観点からしか評価できない、というところにあるのです。
優秀な頭脳の人間は社会的に成功し、年収もアップする...じっさい、読書の習慣は、成功者に共通している...だから、本を読めば頭脳が優秀になり、あなたも成功して大富豪になれるのではないか...
この記事は、有り体に言えば、こんなことを言っているようにも響くのです...しかしそれは、とても陳腐で、安易で、敢えて言うならばとても卑しい思想であるように思えてなりません。読書を通じて、知性を高め、精神を鍛えることを、ただのキャリアアップの道具としてしまっています...読書の習慣を通じての、差別化のすすめ...とでも言うべきでしょうか...
書棚に並ぶ膨大な量の本の中には、命懸けの思索、命懸けの創造の歴史がぎっしりと詰まっています...私たちは、そうした損得抜きの、本物の思索、本物の創造...そうした人間の真摯な知の営みの一群を「古典」と呼んで尊んできました。そんな真摯な営みを、単なる自分のキャリアアップ、「成功」のツールとして使う...これはとても恥ずかしいことのように思えてなりません。
優れた知性を持った人たちが、真摯に求めた成果を前にした時、それが役立つかどうか、使えるかどうかを計算し、取捨する前に、まずは素直に向き合って、真摯に読み、頭を垂れるべきではないのか...言うまでもないことですが、この記事には、読書を語る場合には必ず出てこなければならないもの、つまり「古典」がまったく欠落しています...これは、たまたま、などではないのですね...
本来は、読書を通じて、根本からものを考える習慣を身につけ、自分という存在を精神的に磨き、深さと広さを持った人間になっていくことが大切なのではないのか...
学びとはそもそも、そういうものなのではないのか...まずはじめにそうした学びがあって、その学びを通じてこそ、その人のほんとうの個性が輝き、多くの人を惹きつけ、創造的な仕事が可能になるのではないのか...
金銭も、名声も、社会の中でしっかりとした活動をしていく上ではとても大切なものです。ですから、綺麗事ばかり言ってもいけませんが、人生には、成功して富豪になったり、有名になることよりもほかに、もっとやるべきことがあるのではないか...
この記事では、「自分の脳で物事を考え、価値観を決めていく」力を「精神力」だと定義していますが、ほんとうに自分の頭で考え、価値観を決めていくことができるのであれば、
私たちが生きていくことの意味は、一体どういったところにあるのか...
人生の意義とは、どういうところにあるのか...
幸福とは、一体どういうものなのか...
いまの社会において当たり前のように前提とされている価値観こそを根本から考え直さなくてはならないのではないのか?
年収や社会的な名声で人を評価しても良いのか...
金銭や名誉でその人の生き様を評価できるのか...
いわゆる成功者になることが、自分自身らしい生き方なのか...
そして、あなたの人生の目的は、ほんとうにビルゲイツのような大富豪になることなのか...?
残念ながら、この記事の底流に流れ、当たり前のような前提となっている価値観こそが、バブル期の価値観、消費社会にどっぷりの価値観なのです...これでは、いくら読書をしても、肝心の知の在り方についてはステレオタイプで雁字搦めになっています。
だから、一方で安易な「自己啓発本」を批判していても、やっぱり自分自身も、読書することを「できる人になる」という観点からしか評価できていないのですね...読書で得たものを、機知に富んだ会話ができるようになり、評価が上がる...的な、ビジネスの現場での応用からしか見ていない。
これは、知ではなく、一見、知のように見えるギミックです...そのギミックを駆使して、他人よりもできる自分を演出し、成功の階段を駆け上がっていく...途中で、[...のような本を読んでいると人にわかると自分のレベルが下がるから、読んでいても、はぁ、何それ、という感じで知らないふりをしますし...」なんて書いていますし、挙げ句の果てに、最後には「庶民から抜け出す...」とまで書いています(笑) 正直は美徳ですが、臆面もないにもほどが(笑)
読書を通じて人間の「品格」を高める...的なことを書いていますが、この記事そのものが、著しく品格を欠いていますね(笑)...そして、そんな品格を欠いた記事に、ムキになって噛みつく私の文章も(笑)
覆水盆にかえらずですが、せめてこのあたりにしておきましょうか...
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます