
春光堂書店さんについて、こちらを...
嬉しいですね...本好きのわたしにとって、宮川さんと春光堂書店の活動は、とても嬉しいのです...
地方の小さな書店に何ができるのか...
多分、周りにいるわたしたちが何もしないでただ傍観し、冷ややかに眺めているだけであるならば、できることにも限界はあるでしょう...
しかし、それはその書店の限界というよりも、その書店を取り囲むわたしたちの限界なのではないか? わたしたちが、傍観しているから生じる限界なのではないのか?
宮川さんが春光堂でやっている仕事それ自体は、決してちっぽけなことなんかじゃない...ちっぽけに見えるのは、その仕事を評価するときにわたしたちが持ち込む判断基準の問題に過ぎないのではないのか...
そもそも、書店の果たすべき役割を考えれば、経済的なパワーというのは、それほど重要なものではないのではないか? その重要なものではない、経済的なスケール、そんなもので書店のやっている仕事を測ってしまって、本当に良いのか?
何千冊もの書籍を売り上げる巨大店舗の仕事は、経済として見て、とても大きなことをしているわけですが、物事の大きさ、値打ちには、ただスケールの大きさだけでは測れないものもあるのです。
ひょっとすると、春光堂で交わされた会話が切っ掛けで、一生の友となり、杖ともなるような運命の本に出逢うことができるかもしれない....
ひょっとすると、春光堂さんが主催する読書会や、本の紹介イヴェントを通じて、人生の方向を変えるような書物との出会いを経験するかもしれない...
本がたくさん流通することは、それ自体としては良いことです。しかし、ただ、流通するというだけで、書物というものが果たして生きるのか...
書物というのは、人と人とが出会う場所...白と黒のごちゃごちゃとした記号を読み解くだけで、地球の裏側の誰か、2000年以上も前の、顔も知らない、その人の生活も、言葉もしれない誰か、そうした誰かと出会い、その息づかいを感じ、共感し、その人の喜び、悲しみ、苦しみに触れ、その人の精神を感じ取る...
書物の世界は、凄い世界なのです。それは、人間の精神の世界...だから、凄いのです。
現代のように、莫大な量の情報がつねに流通し、氾濫し、書物の世界でも新しい印刷物がどんどん出回る...そんな時代にあっては、一体どうやって書物と関わって良いのか、かえってわかりにくい。良書と出逢うこと、人生の一冊と出逢うこと、これはかえって難しくなっています。
日常的に必要な本は、誰でも自分で探すことができるし、実際自分で探せば良いのです。しかし、人生の一冊...そう言うことができるような書物、書物の中の書物というべきものとの出会いは、こういう時代だからこそ、良きナビゲーターを必要としているのです。
だからこそ、本と人とが出会う、その仲立ちをする...
そういう仕事は、ますますその真価を発揮していくべきだし、そういう仕事は、やはり基本は人と人とが触れ合いながらでなければ、濃やかな心配りなどできないはずです。
これは、ちっぽけな仕事じゃないですよ...
何百冊、何千冊ものもの本を、便利に大勢の人の手許に届ける...
これも確かに大切な仕事。
しかし、その中に、本物の書物との出会いを、いくつ生み出せるのか...
何百冊も本を売り上げるわけではなくとも、その人にとっての「この一冊」を縁結びする仕事...この両者は、そもそも測る尺度がまったく違うのです。「書店の仕事」として、ひとくくりに、同列に語ってはいけないのです。
地方の小さな本屋さんで、学校帰りにいつも立ち寄ってご主人と会話を交わしていた本好きの少年が、ある日、一冊の本と出会う...
彼はその本との出会いを大切に、その出会いに忠実に、世界中の人に希望と喜びを与えるような書物を書き始める...その書物がまた、第二第三の本好きの少年を生みだしていく....
いつか、そんな日がこないか...
これはおとぎ話、夢物語でしかない...それはよくわかっています。
しかし、つかの間でも、そんな夢を見させてくれる書店の存在は、わたしにはとても大切な宝物なのです。
*****
小さな街の本屋さんといえば、少し昔のものですが、
ノーラ・エフロンの『ユー・ガット・メール』という映画がありました(’98年:ワーナー・ブラザース)。
メグ・ライアンとトム・ハンクスのコンビに、監督と脚本がノーラとデリアのエフロン姉妹...こういったロマティック・コメディをお洒落に作るならば、これ以上はない最高の組み合わせです。
書籍の巨大な量販店に圧倒されてしまう、小さな街の書店のお話です。Eメール時代の物語ですが、いまもなお引き続く問題を先取りしています。
大規模量販店の敏腕社長が、トム・ハンクスの役どころ。小さな街の書店の女性店長が、メグ・ライアンの役回り。仕事の上では互いに競合する存在であり、好意を持つことなどできないものの、実はメール友達としてそれと知らずにつきあっていて...
ロマンティック・コメディーの基本は、「すれ違い」の設定の巧みさですから、メールを使ったこのすれ違いの演出が見せ所です。エフロン姉妹にしてはベタな感じがして少し切れ味の悪さを感じますが、それでも上手い演出です。今となっては、Eメールのガーガーいう音が懐かしく、図らずもそうした時代を感じさせる装置が新しい魅力を出しています。観ておかなければならないほどの作品ですが、観ても損はないでしょう。
惹かれ合う二人ですから、現実の衝突をどう回避し、ハッピー・エンドに持っていくか...この映画の結末は、めざましいものではありませんが、これ以上のやり方はあるのか...つまり、二十年近く前に描かれたこの現実は、未だに出口を見いだせないでいるのです。
さて、最後に、せっかくですから、もう一つ...この、『ユー・ガット・メール』は、半世紀以上前の作品のリメイクです。そのオリジナルをご紹介...こちらは、観る価値がある傑作です。日本では『桃色の店』(街角)という、全く考えもなくつけられたことが丸わかりのおぞましいタイトルですが、もう少し、なんとかならなかったのか...
『ショップ・アラウンド・ザ・コーナー』1940年のMGM作品。
エルンスト・ルビッチ監督、ジェームズ・スチュワートとマーガレット・サラヴァンのコンビ。こちらは、ブダペストの雑貨屋が舞台ですが、お店で顔を合わせては喧嘩ばかりの主人公二人を、相手をそれと知らずして互いに惹かれ愛ながら結びつけているのが、手紙...文通による恋愛劇です。
ルビッチ作品は、小説を耽読する若い女性が、小説の恋愛世界に憧れるあまり、現実でも同じような行動を取ってしまう、というところがポイントなのです。気が強く、難しい女性のように見えるヒロインは、男性と接するときに、小説の中の女主人公を手本にしているがために、そうなってしまう...だから現実には喧嘩ばかりになってしまうのです。このストーリーには背景があって、一九世紀に入って中産階級の女性たちが生活のゆとりを得て、一斉に読書の習慣をつける...そこで、そのような女性たちのためのロマンス作品がたくさん書かれ、出版されるのですが、当時、古典的な作品として存在していたものは、カリカチュアライズされた「コンメディア・デッラルテ」のもの、あるいは一八世紀終わりの、ド・ラクロの『危険な関係』のような、複雑で退廃した貴族階級の恋愛劇です。
左が、コンメデイア・デッラルテのストック・キャラクターの「コロンビーナ」。右は、ド・ラクロ:『危険な関係』の初版の挿絵。
こうした貴族社会の退廃を背景にした恋愛をひな形にして現実の男女の関係を推し進めてしまうと、遙かに因習的で厳格な市民社会のモラルと衝突せざるを得ないのです。そのようにして、自殺に追い込まれる女性像が、フロベールによって造形されたボヴァリー夫人です。
そこまで行かないにしても、上流社会のソフィスティケートされた恋の鞘当ては、市民の日常のコンテクストに置かれると、まったく機能しないのです。普通の一般市民の恋愛は、駆け引きや、躊躇いや羞恥があってもはるかにオープンで、ストレートです。
ブダペストの街の雑貨屋の若い女性店員が、同じ店員で、しかもまじめで誠実な店員仲間に対して、コンメディア・デラルテののりや、ド・ラクロの『危険な関係』ばりの駆け引きを仕掛けたら、それは滑稽を通り越して大惨事になります(笑)このちぐはぐ感が、ルビッチ作品の面白さです。
ジェームズ・スチュワートも素晴らしいですが、日本では残念ながらあまり知られていない、マーガレット・サラヴァンがとても魅力的...女性の魅力を描かせたらルビッチに勝てる人はいません。マーガレット・サラヴァンは、最後には悲劇的な人生の終わり方をしてしまいましたが、とても素晴らしい女優さんです...
京王線の北野駅前にある、三晃堂と言う本屋さんと、10年間お付き合いがありました。店主がとても本が好きな人で、買う本についてちらっと彼の感想を言ってくれたりしました、八王子の医療刑務所などへも本をいれたり、頑張っていた。しかし、駅内に京王系列の本屋ができて、客は激減。
私どもは、考えて、定期購読の雑誌含めて毎月2万円くらい配達してもらっていました。店主と息子さんの意見も食い違い、息子さんはパソコンショップに変えてしまいました。そして、本屋さんは潰れました。店主と楽しい本の会話することが、お客としては和みの時間でした。
小さな本屋さんが生き残るのが難しいのは、人間の営利主義が押し寄せた結果ですね。
残念です。