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初めに、こちらを...
*高知県立大学で蔵書3万8000冊焼却 貴重な郷土本、絶版本多数...
大学に限らず、公立の組織においては、備品の処分にはそれなりに煩瑣な手続きが必要で、簡単に売却、というわけにはいきません。
それはたとえば、横流しなどの不正があってはいけないからだったりするのですが...だから、燃やしてしまうぐらいならば、ブック・オフに売れ、という議論は、実はそんなに簡単にはいかないのです。
「焼却せずに活用する方策をなぜ取らなかったのか、議論になりそうだ」という指摘は、もちろんその通りです。
しかし、だから「活用」などと一言で言うのは簡単ですが、そんなに単純に何かができるものでもありません。この問題は、何も知らないからこそ、簡単に正論が言える、という典型例の一つでもあるのです。
今回の事件の概要を見れば、まずは大枠として、
(1)焼却したのは3万8132冊(単行本や新書などの図書2万5432冊、雑誌1万2700冊)。
(2)2014~16年度中に断続的に13回に分けて、業者に委託して高知市の清掃工場に運び込み、司書らが立ち会う下で焼却。
(3)焼却した図書2万5432冊のうち、複数冊所蔵本(複本)の処分が1万8773冊。残りの6659冊は複本がなく、今回の焼却で同大図書館からは完全に失われた。
ということになります。
そしてまず、特に問題となる「完全焼却された図書」つまりこの図書館に複本は存在せず、この処分によって読むことが不可能になってしまった書物のうち、「郷土関係」の資料は、
土佐藩の国学者、鹿持雅澄が著したものを大正、昭和期に発行した「萬葉集古義」(1922~36年)をはじめ、「自由民権運動研究文献目録」(84年)、10年がかりで全国の自然植生を調べた「日本植生誌」の四国の巻(82年)など年代やジャンルをまたいで多数。満州(中国東北部)やシベリア抑留、戦地などから引き揚げてきた高知県を含む全国の戦争体験者の話をまとめた連作もある...
とあります。
次に、処分された「複本」つまり複数冊重複して収蔵されていた図書資料1万8773冊については、
県内の他の図書館にほとんど残っていない郷土の希少本、戦前や戦中の古い本、自治体や大学、企業などの歴史をまとめた年史物、人気のある歴史辞典や国語辞典、市場で入手希望が絶えない絶版本などのタイトルが並ぶ...
と指摘されています。たとえば、その内訳としてあげられているものは、
幸徳秋水、植木枝盛、中江兆民、馬場辰猪、寺田寅彦の全集や日記のほか、高知市民図書館発行の「土佐日記の風土」(87年)と「西原清東研究」(94年)、県文教協会発行の「土佐及び紀州の魚類」(50年)、県内戦没学生の「運命と摂理 一戦没キリスト者学徒の手記」(68年)、岡上菊栄女史記念碑建設会の非売本「おばあちゃんの一生:岡上菊栄傳」(50年)など...
確かに、貴重なものだということはわかりますね。そして、この内訳から見ると、処分された複本も、郷土史、歴史関係の書物がもっぱらという印象を受けますね。これは、後述しますが、今回の措置が、書物を管理する大学法人の運営の方向性に関わる問題から理解されることです。
さて、記事は続けて、
同大は焼却前に教員が本を引き取る機会を設けたが、学生や地域住民は対象外だった。永国寺図書館を管理運営する同大総合情報センターは「新館が小さいがために除却せざるを得なかった。学内の承認を経て、大学図書館として必要ないものを中心に、教員に十分チェックしてもらって適切に処置した」としている。
と整理しています。
さて、こうした顛末に到ったおおきな理由の一つに、
それでは、どうすればいいのか...
となった時に、おそらくは議論百出で紛糾が目に見える...それは避けたい、ということがあるのだと思われます。
言うまでもなく、今回焼却された書物の扱い...場所は、予算はどうするのか...の問題もありますし、実は、その方向できちんと考えようとするならば、その先にはとてつもなく大変な問題が控えていることが明らかになるからです。
このケースをきちんと議論しようとすれば、同様に、さまざまな分野に於いて「貴重でかけがえのない資料」は、山ほど出てきます。そんなことを公にして話し合いなど始めたら、それこそ収拾がつきません。今回のケースでは、収蔵量が減ってしまうような新図書館のコンセプトそのものに対する異論までふきあがることでしょう。それは避けたい...さっさと処分してしまおう...そんな事情が垣間見えるように思います。
しかし、だからといって上の記事に「同大は焼却前に教員が本を引き取る機会を設けたが、学生や地域住民は対象外だった」とあるように、「学生や地域住民」を対象にするということが可能かといえば、それは簡単ではありません。どのように告知し、どういう手続きで行うのか、学生はともかく、地域住民まで対象にするとなると、さまざまな条件が立ち塞がってきます。公共の財産の取り扱いは最大限の慎重さを要求するものであり、だから焼却処分はけしからん、とはいっても引取先を考えることにまつわる煩瑣さと焼却処分とを比較するならば、どちらを選ぼうとするか...目に見えています。それじゃあ、ただのお役所仕事じゃないか、といえば、その通りですが、お役所的な煩雑さを飛び越えてしまうならば、それはそれでなし崩し的に別な問題が噴出してくるものなのです。
大事なことは、この問題においては、書物の処分方法がどうの、こうの...と言う以前に遡って問題を考える、ということです。本当の問題は、むしろそこにあります。
処分方法の適切さを当以前に、そもそも処分という措置そのものが良かったのかどうか...
今回の問題を、少し角度を敢えて見るならば、こうなるはずです。
学問とは、ある意味においては情報の管理・運用です。だから学術施設は情報の管理・運用を主要な課題としてもっていて、それはその学術分野の生命線に関わります。
情報の管理運用には、莫大なコストがかかり、与えられた予算では管理しきれなくなり、そこで図書館という根本のハード設備を改築する時に、何を残し、何を処分するかを決めた。処分する、つまり残さない、ということは、その学術機関が、その分野をもはや取り扱わない、という意思表示であり、これは学術機関としての方針そのものに関わることです。そこで、処分された書物のリストをもう一度見ると、複本がないものであるために、この学術機関(図書館)では、もはやアクセスすることすらかなわなくなってしまった書物が、
土佐藩の国学者、鹿持雅澄が著したものを大正、昭和期に発行した「萬葉集古義」(1922~36年)をはじめ、「自由民権運動研究文献目録」(84年)、10年がかりで全国の自然植生を調べた「日本植生誌」の四国の巻(82年)など年代やジャンルをまたいで多数。満州(中国東北部)やシベリア抑留、戦地などから引き揚げてきた高知県を含む全国の戦争体験者の話をまとめた連作もある...
幸徳秋水、植木枝盛、中江兆民、馬場辰猪、寺田寅彦の全集や日記のほか、高知市民図書館発行の「土佐日記の風土」(87年)と「西原清東研究」(94年)、県文教協会発行の「土佐及び紀州の魚類」(50年)、県内戦没学生の「運命と摂理 一戦没キリスト者学徒の手記」(68年)、岡上菊栄女史記念碑建設会の非売本「おばあちゃんの一生:岡上菊栄傳」(50年)など...
さて、
今回問題となっている「永国寺キャンパスの図書館」とは、2015年に県公立大学法人傘下の県立3大学(高知県立大、高知短大、高知工科大)法人が統合し、この3つの大学法人による共有となっており、運営は工科大を除く2大学で構成する「総合情報センター」が担当しているといいます。このうち、高知短大は廃止が決定しているとのことで、実質的な運営は高知県立大学。
そこに高知工科大学が「永国寺キャンパス」で授業を行うことになり、工科大の所蔵する一万二千冊の蔵書が新たに移管して所蔵されることになり、今回のような書物の焼却処分という事態が発生したというのです。
そして、図書館の運営を担っているのは高知県立大学なのですが、処分された書物には高知工科大学の書物は含まれておらず、高知県立大、高知短大名義のものだけが処分されたというのです。
私が今回知っているのは、あくまでも上記の記事で紹介されている限りのものでしかないのですが、処分された書物のラインナップは人文・歴史系のもので、新たな「永国寺キャンパスの図書館」は、少なくとも人文・歴史的な資料を切り捨てて、現代的な社会のニーズに応える工科大学のための図書館へと舵を切ってきている、ということは言えるでしょう。要するに、ここでも、人文科学の位置づけの低下が大きく影を落としています。
しかし、そうは言っても図書館の運営を担っているのは高知工科大学ではなく、高知県立大学であり、その高知県立大学が、郷土の歴史に関わる貴重図書を完全処分して閲覧できなくしてしまうことは、地方の県立大学として適切だと言えるでしょうか?
この出来事は、一つの地方大学が、膨大な量に上る書物の管理に困り、貴重な書物を横暴にも焼却してしまった、という単純な問題としては済ませることはできません。書物の廃棄は、この地方大学(県立大学)が、もはや郷土の歴史は取り扱わない、という姿勢を示したことになるのです。郷土の歴史を調べる時、その地の県立図書館がそうした資料を管理・運用することをやめて、書物を廃棄しました...あなたが資料の問い合わせをした時、そんな答えが返ってきたとしたら、どうでしょうか?
私事ですが、私が学者の道を進もうと決めて学んだ現役の学生の頃、早稲田大学が同様な問題に直面していました。
早稲田大学はマンモス大学ですから、新設図書館(文学部キャンパス)は巨大なもので、地下の閉鎖書庫にはかなりの書籍が収蔵可能となっていました。しかしながら、出版不況だ何だといっても、専門書籍は毎年かなりの分量出されているわけですし、専門的な学問の領域では洋書も膨大な量が入ってきます。そうしたものをまともに残そうとするならば、限られた予算、空間では、あっという間にパンクします。
一方、図書館で必要だと判断され、購入されたものつまり図書館に帰属する書物の他に、研究機関としての大学で、教授や研究室の裁量で購入された書物がまた年々増加していきます。これらの書物は、どう扱うべきか...
こうした書物を管理・運用する場所は、研究室単位で確保することは難しいのです。で、そうしたかたちで集められた蔵書はすべて研究室の判断に委ねられます。しかし、優れた学問的業績を重ねた方の研究室には、とうぜんそれだけの価値のある蔵書が管理されています。それをどうするか...こうした問題は、その時の同僚や研究室の見識に依存しますし、いずれにしても、一律どうするか、という措置で応対できることではありません。
ちなみに、新設図書館の書物の収蔵量が減ってしまう、というのは、私のような人文系で、文献学的なことをやっていた人間にとっては困ることなのですが、電子媒体が主流の現代においては「当然」という人がいてもおかしくありませんし、使いもしない書物を置いておくのならば、学生がパソコンを用いて学べるスペースを広くしたい、という主張だって出てくるはずです。
事実、私自身も現役時代、ほとんど人が行かない地下の書架コーナーに入り浸っていて、一日中そこで捜し物をしていても、だだっ広い場所でほとんど人に会わないことだって珍しくはありませんでした。その当時はインターネットはもっぱら電子メールやチャットが中心のツールで、調べ物をするという使い方はまったく一般的ではありませんでしたから、学生が図書館に書物の閲覧を目的として訪問することは当たり前だったのですが、関心を持つ人が少ない学問分野とは、そういうものなのです。そういう分野だって、学問には存在するのです。そして、そういう分野のためにも図書館は、それなりに大きいスペースを割いてくれていたのです。そこで、これは無駄なことだ...使われもしない書物に場所を占有させていては、図書館の機能が発揮しきれない、という意見が出てくることも、理解できます。
しかし、こうしたことをないがしろにしてしまうことは、最終的に学問の世界が自分自身の首を絞めることになりかねない、ということも忘れてはなりません。
たとえば「基礎研究」と呼ばれるものは、多くの場合、すぐさま大きな成果に直結するようなものではありませんが、ある時点ではまったく価値がなさそうな研究成果であっても、他のさまざまな研究が積み重ねられていくうちに、その時点では思いもつかなかったような繋がりや広がりが生まれることで新たな意味を持ち始め、後々大きな成果を生み出す基礎となる...などということは珍しくありません。
書物の管理・運用というのは、このように、重大な影響を及ぼすことであり、書物の廃棄、といった問題はこうした観点からも考えられねばなりません。
さて、ここで今回の問題に戻ります。
県立大学の図書館が、おなじ県立の工科大学との合併に当たって、工科大学の書籍を優先して、蔵書の整理を行った。
そのさい、郷土の歴史に関わる貴重な資料を大量に焼却処分にしてしまった。
スペースの問題があったから仕方がない、と言わんばかりですが、スペースに限界があるにしても、県立大学として、選択された書物の内容に大きな問題があったのではないか...永国寺図書館を管理運営する高知県立大学総合情報センターは、「学内の承認を経て、大学図書館として必要ないものを中心に、教員に十分チェックしてもらって適切に処置した」と言っているといいますが、郷土史の資料を焼却してしまう県立大学とは...やはり、異様な感じが拭えません。書物の処分が「焼却」であったと聞くとそちらのインパクトが強くなりますが、それ以上に、県立大学が地元の郷土史資料を「大学図書館として必要ないもの」と見なしていることの方が、異様ではないでしょうか...
ともあれ、初めに触れたように、じゃあ、これら郷土の歴史資料を保存せよ、と言っても、スペースの問題があってはどうにもなりません。ここで、こうした貴重ではあるが、一般的なアクセスが少ない資料のために、どれほどのコストをかけるのか...という問題が浮かび上がり、この問題に対してどう答えるか、ということが、その学術機関なり、地方行政なりの見識として問われてきます。ただ、そうは言っても、学術書の蔵書は増えていく一方で、どこまで対応してもきりがない、ということも事実です。県の予算で対応しきることには最初から限界があります。
増え続ける蔵書をどうするのか...
これは、どの大学機関にとっても深刻な問題です。何も、今回問題となっているこの大学だけのことではありません。
繰り返しますが、それぞれの専門分野にとって貴重な書物を、それぞれの分野すべてに目配せして保管、ということになれば、どれほど巨大な図書館を造ろうと、カバーしきれるものではありません。
しかも、紙媒体の書物へのアクセスは下がる一方で、ネット検索が当たり前になっている今日、莫大な面積の設備と維持管理費をかけて書物を保管するばあいに、コスト・パフォーマンスから見て割に合っているのか、という議論は必ず出てきます。
ここで、書物の電子化は...という声もあるかもしれません。
それも良いのですが、電子化するにしても、当然コストはかかります。それは金銭面でもそうですし、金銭的な負担を減らすために自前でやるとしても、自分でやってみればわかりますが、その労力にはなかなか凄いものがあります。それで、じっさい利用されるかといえば...確かに貴重かもしれないですが、多くの人に読まれ、活用されるかと言えば、正直なところ、難しいと思います。
いずれにしても.こうしたことを考えるならば、すぐに頭に浮かぶのは、この記事にも出てくる「郷土史資料」とか「歴史資料」といったものは、学生の就職に寄与するものではない...学校の評価を上げて入学希望の増加に寄与するものではない...という声です。資料として貴重と言えば貴重かもしれないけれど、価値があるかと言えば、そうではないのではないか...価値があるというのならば、もっと読まれているはずだ、ということになってしまいます。この場合、価値=有用性ということになります。
一方では増え続ける蔵書の問題があり、切り詰められていく大学の予算の問題があり、さらに人文・歴史的な学問が役に立たないものとして後回しにされ、隅に追いやられていく、という問題があります。場所もお金もないのだから、役に立たない人文・歴史書なんか所蔵管理している余裕はない...ということが本音としてあるならば、それはとても危険なことです。学問は有用性だけでは測ることができませんし、あくまでも目先の有用性、有効性だけを追い回すとするならば、基礎的な研究の土台が枯れて、いずれ独創的で生産的な研究すら出てこなくなっていくであろうことは目に見えています。
この問題は、とても深刻です。
現在、インターネット上には膨大な量の情報が存在し、学術的な研究の現場においても、紙媒体への依存は著しく低下してきてはいます。
しかし、たとえば今回問題となったような分野、郷土の歴史のようなものは、そもそもニーズが一般的に広くあるわけではないですから、依然として紙の書物のかたちで日本各地の図書館の書庫に眠っています。
図書館の利用者のために広いスペースを、というのは今日的なニーズです。それでは、図書館の書庫に眠る、貴重ではあるが一般の読者にはなじみがなく、そこから目に見える価値を引き出すことが容易でないような資料は、利用者が少なく、世間的な価値も出ないから、処分してしまおう...それで良いのか。
ネット検索にかかるように電子化して、活用しやすくしよう...それならば、こうした資料を電子化する場合に想定される莫大なコストを誰が引き受けるのか...
考えなければならない課題が山ほどあり、そしてその多くには、これといった打つ手も今のところはありません。そうこうするうちに、今回のような出来事が日本各地で繰り返されていくのではないか...答えが出ないような問題を考えることは気が滅入ります。しかし、そうした問題が存在することから目を背けていると、取り返しのつかない事態に到る...
学術書の適切な処分法を云々ではなく、学術書の管理・運用の現場が置かれている深刻な問題を、腰を据えて考える....
大切なのはそこではないか...