10月15日は哲学者フリードリッヒ・ニーチェの誕生日です。ニーチェは1844年の今日、プロイセンのザクセン州、ライプツィッヒ近郊の小村レッケン・バイ・リュッツェンで生まれました。
ニーチェが亡くなったのは、西暦1900年(明治33年)8月25日の正午です。専門家でもたまに間違えるのですが、西暦1900年というのは、20世紀ではないのです。20世紀が始まるのは、1901年からなのです。
新しい時代の「曙光(Morgenroete)」を遠望しながら、狂気の淵に沈んでいったニーチェは、まさしく19世紀の最後の年にその生を終わりました...
ニーチェは、最後の著作『この人を見よ(Ecce Homo)』を執筆中に発狂するのですが、その後ほぼ15年間、沈黙のうちに狂気の中に生きました...
音楽通であったニーチェは、自身でも作品を残しています。
ワーグナーとの愛憎劇は、とても有名です...
これは、ニーチェの残したピアノ曲の一つ...
フリードリッヒ・ニーチェ:『ヘルデンクラーゲ』
『ヘルデンクラーゲ』というのは、『英雄の嘆き』という意味ですね。綺麗な曲です...
もう一曲...こんどは、歌曲(リート)です。
フリードリッヒ・ニーチェ:『魔法』
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命あるものがすべて安らぎに沈む夜に、月の光が穏やかに墓石の上に差し込むとき、
その時に、安らぎのうちにあった墓たちがいっせいに開くというのが、本当ならば、レイラよ、僕は君に呼びかけよう...
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神秘的で、ロマンティックなリートです...
悪口を言えば、典型的な世紀末後期ロマン主義の典型...
しかし、イタリア的な透明感と晴朗、そして明瞭さをこよなく愛したはずのニーチェが、こんな作品を残すというのも、とても面白いのです...
ロマン主義的なニーチェのこうした部分は、ワーグナー崇拝にも繋がる要素です...
次は、室内楽作品から...これも、とても綺麗な曲です...
フリードリッヒ・ニーチェ:ヴァイオリンとピアノのための『大晦日の夜に』...
ニーチェ19歳の頃、シュール・プフォルタ(プフォルタ学院)でギリシア語の勉強に没頭している頃の作品です。
これを聴いても、ニーチェの音楽好きは、並のものではないことがわかります...
次は、ニーチェが激しく攻撃したキリスト教的な作品から、
フリードリッヒ・ニーチェ:『ミゼレレ』(5声のための合唱曲)
『ミゼレレ』...『(主よ)我を憐れみ給え』です。後の『アンチクリスト』の著者、ニーチェさんからは想像もできない作品です...
もっとも、ニーチェ自身は牧師の息子ですし、若い頃は敬虔なキリスト教徒そのものでしたから、わからなくはないのです。
ちなみに、『アンチクリスト』というのは、直訳すれば『反キリスト者』つまり「キリスト教徒」に「反対」しているのです。キリストその人に反対しているのではないのですね。 もしも、「キリスト」そのものに反対するのであれば、標題は『アンチクリストゥス』になるはずなのです。要するに、ドイツ語だとキリストは「クリストゥス」で、キリスト教徒が「クリスト」になるのです。
細かいことのようですが、ここのところは、とても大切なことなのです。ニーチェは「キリスト教批判」で有名ですが、キリスト教を批判すると言っても、「キリスト」そのものを批判したのか、「キリスト教徒」を批判したのか...
このあたりは、とてもデリケートな問題なのです。
「本当のキリスト教徒は、一人だけいた。その人は、十字架の上で死んだのだ...」などと、過激なことをニーチェは言っていますが、この言葉の真意は、どこにあるのか...
ともあれ、とても美しい作品です。
次も、声楽作品...
フリードリッヒ・ニーチェ:合唱と管弦楽団のための『生への賛歌』...
確かこの曲、歌詞を書いたのが、ニーチェの恋人だった、ルー・ザロメだったと思います。
ニーチェは思想的にはロマン主義的なものを乗り越えていこうとしていたのですが、この作品もそうですが、実はとてもロマン主義的な感覚の人です。ルー・ザロメと言えば、有名な写真があります...
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『三位一体』と名付けられたこの写真は、とても有名です。右から、ニーチェ、友人の哲学者パウル・レー(パウル・ルートヴィヒ・カール・ハインリヒ・レー(Paul Ludwig Carl Heinrich Rée:1849-1901)、そしてルー・ザロメ...
ルー・アンドレアス・ザロメ(Lou Andreas-Salomé:1861-1937)は、時代を代表する才女です。ニーチェは、この女性に求婚までしていますし、後にザロメは詩人ライナー・マリア・リルケの求婚も断っています。写真の三人はとてもきわどい三角関係になり、ルーが原因となってニーチェとパウル・レーは仲違いしてしまいます。後にパウル・レーは、哲学を断念して、医者になります。
ニーチェの主著『ツァラトゥストラはこう語った』のなかに、『老いた女と若い女』という章があります。その中に、
女のところへ行くなら、鞭を忘れなさるな!
という有名なくだりがあります。ここは、しばしばニーチェの女性蔑視の思想が現れた場所だとされ、マッチョなニーチェ像の形成の原因ともなっているのですが、まず第一にこの言葉はツァラトゥストラの言葉ではなく、「老女」が語った言葉なのです。そして第二に、その意味は、上の写真の中にあらわされているのです。つまり、鞭を持っているのは男ではなく女なのであり、「鞭を忘れるな」というのは、女性は鞭を持っているからそのことを忘れるな、という男に対する警告なのです。
脱線ついでに、ニーチェと音楽といえば、ニーチェの作曲家、ペーター・ガストのことを忘れることはできません。
ペーター・ガスト:『ヴェニスのライオン』...
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ペーター・ガスト(本名:ハインリッヒ・ケーゼリッツ)は、1854年に生まれ、1918年に亡くなったドイツの作家・作曲家です。二十代の後半でニーチェと知り合い、最後まで親しい関係を維持した人です。ニーチェの最後の著作、『エッケ・ホモ(この人を見よ)』は崩壊する精神の中で書かれたもので、テクストには様々な問題があるのですが、妹や母親に対する激しい攻撃を含む、最も決定的なものとされる原稿は、ガストの遺品から発見されています。それだけニーチェと親しい関係にあり、信頼をされていたということでしょう。そもそも、ペーター・ガスト(ピエトロ・ガスティ)という名前も、ニーチェがつけたというのです。
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このクリップの作品からはたいしたことは解りませんが、ニーチェはワーグナーに対抗してガストを持ち上げ、「主に向かって新しき歌を歌え...」と著作の中でガストに呼びかけたりしていますが、明らかに音楽史上屈指の天才であるワーグナーとは較べるまでもありません。ガストの作風が本当にニーチェの音楽の好みに合っていたかも、解らないのです。
さて、ずいぶん脱線しましたが、締めくくりに...ワーグナーの作品を、参考のために。
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ニーチェが完全にワーグナーと訣別したのが、この作品...
ワーグナー:『パルシファル』第一幕への前奏曲...
全体の前奏曲の部分です。
この作品は、題材もスペインのモンサルヴァート城の聖杯騎士団と、キリストの「聖杯」をめぐる物語ですし、台本も、音楽も、とてもキリスト教的です。
ちなみに、この「聖杯」というのは、イエスの十字架上の死にさいして、獄卒がイエスの脇腹を槍で突きます。その時に流れ出たイエスの血を受けたものなのです。これと、脇腹を突いた「聖槍」がもつ聖なる力がテーマです。
けれども、ニーチェが嫌ったことは、それにとどまらず、この作品、「歌劇(オペラ)」でも「楽劇(ムズィークドラマ)」でもなく、「舞台神聖祭典劇(ビューネンヴァイーフェストスピーレ)」とされているのです...要するに、この作品の上演は、宗教的な儀式になっているのですね。ですから、戦前のある時期までは、この作品はバイロイト以外の場所での上演が禁止されていたほどなのです。
ともあれ、とても美しい作品ですね。そして、ニーチェの音楽世界と、とても近いものを感じます。
追記:2017年8月25日
ニーチェの作品については、このブログを参考にしてください...
Keikoyamamoto.com:『ニーチェと音楽』:音楽作品一覧...