はじめに、こちらを...
記事のタイトルは『ギリシア人は本当に神話的なルーツを持っていた...古代のDNA研究で明らかになる』というものです。
この研究は、19人の人骨の歯から採取されたDNAの比較分析によってなされたと言うことです。その内訳は、
(1)紀元前2900年から1700年のものと同定される、クレタのミノア文明に属する10人の人骨。
(2)紀元前1700年から1200年のものと同定される、ギリシア本土のミケーネおよびその周辺の発掘された墓地から採集された4人の人骨。
(3)紀元前5400年から1350年のものと同定される、初期農耕時代あるいは青銅器時代の文化に属する、ギリシアあるいはトルコの人骨。
このサンプルから、ヒト・ゲノムのデータを抽出、さらに、このデータの中から、サンプルとして120万文字のゲノムの文字列を取り出して、それを世界中から集められた334体の古代人のデータ、および30名の現代のギリシア人を比較して、それぞれがどの程度の近縁関係にあるかということを整理しての結果ということです。
この記事には古代の民族移動の波がどこまで届き、ギリシアの現在の民族がどのような物語を経由して今日に到るか、ということに関して、とても面白い議論が書かれていますが、長くなりますので、それはもと記事を読んでいただくとして、重要なのは、ゲノム・データの比較から、
(a)現代のギリシア人は、ほんとうに神話時代の英雄、アガメムノンやオデュッセウス...神々に愛された英雄たちの末裔であるのではないか。
(b)古代のミノア文明の人々とミケーネ文明の人々との間は、遺伝的に極めて近親だ。
という結論が出されていることです。
記事には、
「古代人のDNA分析が示唆していることは、現存のギリシア人は、後世にギリシアに入植してきた人々とは僅かなパーセントのDNAしか共有しておらず、ほんとうにミケーネ文明の人々の末裔であるということです。そして、ミケーネ文明そのものに関しても、この文明に属する人たちは、紀元前2600年から1400年の間にクレタ島で繁栄した、偉大な先住文明であるミノア文明の人々(神話的な王、ミノス王にその名が由来します)と密接な関係にあるということが、研究によって明らかになりました...」
とあります。
ギリシア人は、自分たちの先祖が、ホメロスの『イーリアス』に登場するミューケナイ族である、という自負を持っています。
自分たちは、トロイア戦争によって小アジアのトロイア人を滅ぼしてそこに入植した偉大なアカイア人の末裔だ...アガメムノン、オデュッセウスの末裔だというのです。
この神話に遡る民族の矜恃は、シュリーマンによって、そしてアーサー・エヴァンズによって、歴史的事実との交錯点をもち、真実としてのインパクトを強く持ってきます...
それでも、例えば、
そうした考古学的な成果と神話は違う、神話で描かれる栄光はフィクションだ...
あるいは、
紀元前1600年から1200年にかけて、じっさいにギリシア本土を支配した栄光のミケーネ人は、ドーリア人によって滅ぼされ、歴史から人種としても消えてしまったのだ...
といった反論がなされ、議論が絶えなかった...
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現代のDNA解析の技術は、考古学的な資料の分析よりも、はるかに精密確実な知見を私たちに与えてくれます。
その成果を駆使した研究の途中報告が、この記事です。
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さて、ギリシア人といえば、私にはやはり古代ギリシアの神話世界です。
ムーサよ、怒りを歌え、ペーレウスの子、アキレウスの怒りを...(『イーリアス』プロロゴス)
ギリシアの神話、ギリシアの悲劇は、物語のインパクトが、凄いのです...
壮大な『イーリアス』の物語が、半神、神と人との間に生まれた類いなき高貴な存在であるアキレウスの、怒りを歌うことから始まるのは、古代ギリシアの世界にはふさわしいことです。
みすぼらしい姿の詩人たちが、半眼となって、キタラ琴をてに歌い始めるとき、ムーサが降臨する...
儚い肉体を借りて、ムーサ(女神)が歌うのです。それが、芸術の、歌の、音楽の秘密です...
『オデュッセイア』の中では、英雄オデュッセウスその人が、盲目の吟遊詩人デーモドコスの歌う、トロイの木馬の物語を聴き、涙を流すのです...
自分自身が携わり、その場に居合わせた、その物語を歌う詩人の歌に涙する...
歌が、現実を凌駕する瞬間です。
やむを得ぬこととは言え、自分自身の奸計がひきおこしたトロイア滅亡の大殺戮の、その現場において鬼神のように戦い続けたその男が、盲目の音楽師の奏でる朗唱に、涙する...
現実の世界を動かすものは何か...
どうしようもなく大きく動き、人々の計らいを押し潰し、多くのいのちを磨り潰しながら動いていくこの世界の物語は、眼に見えないわれわれ人間の『運命』を歌う...
実は、眼に見えないこの運命こそが、私たち人間の生きる意味を与えてくれる源ではないか...しかしそれは、人間自身を破壊し、破滅の淵へと引きずり込むほどの強烈なパッションの世界です。
人間のパッションが、神々を動かす...そしてそのパッションの巨大な炎が、人々を駆り立て、激しい争いを激発し、大規模な戦争となり、都市を焼き払い、民族そのものを破滅に到らす...
多くは、経済的な理由ではありません。名誉と意地の齟齬、情念と秩序の衝突...愚かと言えるほどの、死に到るまでの錯誤と狂気の物語...
普通の人間の普通の世界のものではない、別な領域の物語...神々と英雄の物語、と人は言います。神々も英雄も信じることのできない、いまの言葉で言えば、それは、過剰なものの物語です。
ホメロスの『イーリアス』は、伝説の『トロイア戦争』を描いた物語...世界最古と言われる、古代ギリシアの記念碑的作品です。
物語は長く、複雑ですが、大きな骨組みを言えば、ミューケナイの王アガメムノンと、アガメムノンの弟でスパルタを継いだメネラーオスを中心にするアカイア勢(ギリシア勢)が、イーリオス(トロイア)の王プリアモスとその子パリスを倒し、滅亡させる物語です...
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有名な絶世の美女ヘレネとパリス、アキレウスの死、オデュッセウスの苦難、トロイの木馬といった印象深い登場人物やエピソードは、その後の物語『オデュッセイア』とともに、巨大な神話的な物語群を構成しています。
これらの物語は、現実の世界とどう関わるのか...
神々と、半神、英雄たちの様な過剰なパッションを持たない、スマートで上品な現代人は、アキレウスやアガメムノンのような、人間離れしたパッションの代わりに、自然と人間、さらには世界そのものを思いのままに設計監理する狡知と、その精密無比な狡知とはおよそ釣り合うことのない、単純で粗雑、卑俗な欲望に突き動かされて、同じような悲劇の物語を、いまもなお、世界中で、倦むことなく編み続けています。
しかしそこには、偉大な人間も、神々の崇高さも存在しない...
現代の物語を歌うのは、ムーサ(女神)ではなく、欲望を実現するための計算を隠し含んだプロパガンダの魔神です...この魔神は、心理学と社会学、政治学と経済学を融合させ、科学と学問の名の下に現実の世界において権力として機能しています。それは、威力においては巨大であるが故に、神のごとき姿に映るかも知れない...
しかし、そこに、本当に偉大さはあるのか、崇高さはあるのか...
計算を外してしまったとき、そこには何が残るのか...
引き摺り倒され、唾を吐きかけられるレーニンやフセインの銅像は、火をかけられ、打ち砕かれたギリシアの神像たちと同じなのか、違うのか...違うのであるならば、何が違うのか...
偉大さとは、崇高さとは、聖性とは...
偉大なアガメムノンの末裔、現代のギリシア人は、いったいその何を持って偉大なのか...それは、DNAの問題なのか?
これは、ギリシア人だけの問題ではないのです...