おまたせしました!
いよいよ2010年春の開館です。
本年度最初の企画展のご案内
船尾修(ふなおおさむ)写真展「カミサマホトケサマ」
[第9回さがみはら写真新人奨励賞受賞記念]
協力:エプソン
2010年3月3日[水]~5月9日[日]
この作品「カミサマホトケサマ」は大分県の国東(くにさき)半島にある自宅周辺を約7年間にわたって撮影したものです。
歴史の表舞台からはいつのまにか消えてしまっていますが、半径たかだか二十キロに過ぎない小さな半島、国東にはかつて隆盛をきわめた時代が存在しました。今から千数百年ほど昔の話です。全国には八幡宮と呼ばれる神社が多数ありますが、その総本山が国東半島の付け根にある宇佐神宮であることは意外に知られていません。宇佐神宮の神領と位置づけられた国東半島には、往時六十を越える天台系寺院が建立され、六郷満山と呼ばれる古代仏教文化が華ひらきました。東の比叡山とならぶ日本文化発信基地であったわけです。
六郷満山の開祖、仁聞菩薩は、宇佐神宮の応化神でもあり、私はその点に日本独自に発達した神仏習合文化の萌芽を読み取ることができるのではないかと思います。日本に古来からあった原初的な山岳信仰や太陽信仰に大陸から渡来した仏教文化が融合し、さらには八幡神などのさまざまなカミサマを取り込みながら、渾然一体となった信仰が生み出されていったのです。
国東半島はつい最近まで「陸の孤島」と呼ばれ、開発や発展から取り残されてきた地域です。しかし、その結果、古来から伝承されてきたさまざまな民俗行事や祭礼、無数の祠や行場などの霊場が、現在でも色濃く残ることになったのです。半島に生きる多くの人たちは狭い耕地にたよる農民であり、作物の出来不出来は自分たちの生死にすぐさま直結したことでしょう。そんな民衆にできることはといえば、「祈る」という行為しかなかった。国東半島に点在するおびただしい数の神社や寺院は、そのまま民衆のカミサマとホトケサマに対する真摯な想いを反映したものだと捉えることができると思います。
日本人はよく自分ことを無宗教だといいますが、それは少しちがうような気がします。受験前には絵馬を奉納し、おみくじで恋を占い、正月には初詣。結婚式には教会に行き、葬式は僧侶にお願いする。「カミサマ、どうか……」とつぶやいたことは誰でも一度や二度ではないことでしょう。無宗教どころか、信仰するものが多すぎるのです。八百万の神とはよくいったものだと思います。
日本人は昔から、天候や運命といった人智ではどうすることもできないことが世の中には存在することを知っていました。何か目に見えない大きな力が人間界を包み込んでいることを知っていました。そういうものを「カミ」と呼び、たいせつに祀ってきたのです。それが日本人の心に深く刻まれている信仰の正体だと思います。東西の冷戦が終結したあとの世界は、キリストとイスラムという対立軸に置き換えられました。しかしそうした一神教的な価値観はあちこちで綻びを見せはじめています。唯一絶対神というのは、対立か服従のどちらかしか認めないからです。私はこういう時代だからこそ、日本的な、八百万の神的な価値観が必要とされていると強く感じます。多様なカミを認める感性は、そのまま多様な他者を認めることにつながるからです。そのためにも私たち日本人は今一度、自分の立ち位置というものをじっくり見つめなおす時期に来ているのではないでしょうか。
自分は何者なのか、という。 船尾 修
いよいよ2010年春の開館です。
本年度最初の企画展のご案内
船尾修(ふなおおさむ)写真展「カミサマホトケサマ」
[第9回さがみはら写真新人奨励賞受賞記念]
協力:エプソン
2010年3月3日[水]~5月9日[日]
この作品「カミサマホトケサマ」は大分県の国東(くにさき)半島にある自宅周辺を約7年間にわたって撮影したものです。
歴史の表舞台からはいつのまにか消えてしまっていますが、半径たかだか二十キロに過ぎない小さな半島、国東にはかつて隆盛をきわめた時代が存在しました。今から千数百年ほど昔の話です。全国には八幡宮と呼ばれる神社が多数ありますが、その総本山が国東半島の付け根にある宇佐神宮であることは意外に知られていません。宇佐神宮の神領と位置づけられた国東半島には、往時六十を越える天台系寺院が建立され、六郷満山と呼ばれる古代仏教文化が華ひらきました。東の比叡山とならぶ日本文化発信基地であったわけです。
六郷満山の開祖、仁聞菩薩は、宇佐神宮の応化神でもあり、私はその点に日本独自に発達した神仏習合文化の萌芽を読み取ることができるのではないかと思います。日本に古来からあった原初的な山岳信仰や太陽信仰に大陸から渡来した仏教文化が融合し、さらには八幡神などのさまざまなカミサマを取り込みながら、渾然一体となった信仰が生み出されていったのです。
国東半島はつい最近まで「陸の孤島」と呼ばれ、開発や発展から取り残されてきた地域です。しかし、その結果、古来から伝承されてきたさまざまな民俗行事や祭礼、無数の祠や行場などの霊場が、現在でも色濃く残ることになったのです。半島に生きる多くの人たちは狭い耕地にたよる農民であり、作物の出来不出来は自分たちの生死にすぐさま直結したことでしょう。そんな民衆にできることはといえば、「祈る」という行為しかなかった。国東半島に点在するおびただしい数の神社や寺院は、そのまま民衆のカミサマとホトケサマに対する真摯な想いを反映したものだと捉えることができると思います。
日本人はよく自分ことを無宗教だといいますが、それは少しちがうような気がします。受験前には絵馬を奉納し、おみくじで恋を占い、正月には初詣。結婚式には教会に行き、葬式は僧侶にお願いする。「カミサマ、どうか……」とつぶやいたことは誰でも一度や二度ではないことでしょう。無宗教どころか、信仰するものが多すぎるのです。八百万の神とはよくいったものだと思います。
日本人は昔から、天候や運命といった人智ではどうすることもできないことが世の中には存在することを知っていました。何か目に見えない大きな力が人間界を包み込んでいることを知っていました。そういうものを「カミ」と呼び、たいせつに祀ってきたのです。それが日本人の心に深く刻まれている信仰の正体だと思います。東西の冷戦が終結したあとの世界は、キリストとイスラムという対立軸に置き換えられました。しかしそうした一神教的な価値観はあちこちで綻びを見せはじめています。唯一絶対神というのは、対立か服従のどちらかしか認めないからです。私はこういう時代だからこそ、日本的な、八百万の神的な価値観が必要とされていると強く感じます。多様なカミを認める感性は、そのまま多様な他者を認めることにつながるからです。そのためにも私たち日本人は今一度、自分の立ち位置というものをじっくり見つめなおす時期に来ているのではないでしょうか。
自分は何者なのか、という。 船尾 修