星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

君の幸せ…

2022-08-25 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
8月のはじめに、 (つば広の帽子をかぶって古い小さなホテルで暑さをやり過ごす…)という憧れ(妄想?)を書きましたが、、 そろそろ つば広のお帽子は似合わなく……

代わりに本を読んでいました。 



『失われた時のカフェで』パトリック・モディアノ著。 でもきょうは読書記は書けそうもありません、、 ちょっとだけ 想ったこと…

 ***

モディアノ作品をまとめて読んでいたのが昨年暮れ。 モディアノ作品の共通点は 失われた過去、、 せつない記憶をたどる物語、、 とわかっていて、 そのノスタルジーを夏の終わりに味わうのも良いな、、と 承知で手にとったのですけれど…

ページをめくるたびに、 自分の過去の記憶がたちのぼってきてしまい…。 、、うしなわれた彷徨の記憶を持つ者には わすれていたいろんな扉がひらかれてしまって、、いけませんでした…… (苦笑)

モディアノ作品を読む人は そのかたのこれまでの来し方の違いで おそらく、、 全然ぴんと来ないという人と、 せつなくて堪らないと思われる人と分かれてしまうのではないでしょうか。。 


界隈、、 という言葉が今度の作品には何度か出てきました。 カルティエ(Quartier)… 地区、街区、という意味ですね。 ある特定の趣きを備えた、特定のひとびとが集まる地区、、 私にはパリの街のことはよくわからないのですけど、、 文学や芸術の世界でたびたび出てくる 「パリ左岸」とか「右岸」とか、 18区とか、 〇〇通りとか、、 街区が変われば住む人もお店の雰囲気も、治安も、、がらりと変わってしまうパリの街。

パリ、との比較にはならないですが、、 子供時代の生活圏と、 思春期になって行動範囲が少しひろがってきた時に、初めて足を踏み入れる地区と、、 そういう区別はやっぱり存在していた気がします。 東京ではなかなかそういった街区の区別はむずかしいですけど、、 地方都市のほうがはっきりとしていたのかも、、


この物語のヒロイン、ジャクリーヌ、、 夜、仕事に出ている母の留守に彼女がはじめて家をぬけだして通りへ出ていくのが15歳のとき。。 そうして 夜の町へ、、 書店へ、、 カフェへ、、 少女は足を踏み入れて行く……。 その頃を回想した記述が、 自分の記憶を同時に呼び覚まして……。(以下私的なことを…)

15の時に通い始めた喫茶店、、 そこの先輩に連れていかれた裏町のバーとか、、(スミマセン高校生デス)、、 可愛がってくれた19歳のおにいさんにいつも1杯だけおごってもらい、新しいレコードを聴かせてもらって、、 でも、(それ飲んだら帰るんだぞ)って ちゃんと諭してもくれた。。

はたちを超えた頃には 地方の雑誌や文芸誌など手伝っていたので、 自分より20歳以上も年上のかたがありとあらゆるお店に連れていってくれた。 そうやって街を、 夜を、 人を、 学んでいった。。 思えば、私はとてもありがたく庇護されていたのだと思う。。 守ってくれる大人と出会えた。。 友人関係や、 将来への悩み事で、 足を踏み外しそうになった時も何度かあったけれども生き延びた……

 
そういった過去のさまざまを、、 否応なく思い出してしまって、、 ジャクリーヌの回想がとてもせつなく、、 そして愛おしかった。。

 ***

すこしだけ、、 (にしては ちょっと長いけど) 引用させてください…


 クリシーの大通りの朝方の時間まで開いていた本屋/文房具屋。…(略)…
いつでも彼は自分のデスクの前に座って、なにか読んでいた。絵はがきや便箋の束を買うお客たちが読書をそのたび中断させていた。…(略)…

 そう、この本屋はただ単にひとつの避難場所だっただけでなく、私の人生のなかのひとつのステップでもあった。閉店の時間までよく私はそこに残ってた。棚のそばに椅子が一脚置いてあった。椅子というか、大きな脚立。それに座って本やアルバムのページを私はめくった。あるいは私がいることに彼は気づいてないのかしら。そう思っていた。何日かたつと、読み物をつづけたままで、彼は私にこうささやいた。そしてその後も。いつもおなじ。このことばだった。 「どう? 君の幸せが見つかった?」……。



少女の避難場所であり、、 人生のひとつのステップでもあったという書店、、。 15歳のジャクリーヌが 店主に声をかけられないのも、 もっといろいろ話すべきだったのに何もできなかったのも、 でも ひと言かけてもらった言葉が忘れられずにいることも、、 すごくよくわかります。。 その不安 臆病 虚勢 孤独…… これは私、、 と言ってもいいくらいに。


書店の彼の言葉、、 素敵ですね。 「どう? 君の幸せが見つかった?」 
、、 そう、、 15歳の少女にとって、 その書店は単に本をみつける場所ではなかったのです。。 どう生きればいいのか、、 何をしたらいいのか、、 何を求めているのか、、 誰を?、、。。 暗中模索の彼女がうけとめる言葉…


「どう? 君の幸せが見つかった?」



、、 これ、、 何にでも使えますね… (笑) 本屋さんでなくても、 一枚のお洋服をえらぶのでも、、 一枚のレコードでも、、。 あるいは、 一輪の花でさえも…。



「どう? 君の幸せが見つかった?」

 ***


15歳の少女には、 幸せ というのは とても重いものだから、、 そう言葉をかけてもらっても 曖昧に首をかしげて さびしく微笑むことしか出来なかったかもしれません。。



何年も、 何十年も 生きていくうちに、、 幸せというのは じつはとてもちいさなものなのだと 気づいていく。。


じつはとてもちいさなもので、、 


気づかないくらい身近に、、




そこかしこにたくさんあるものなのだと……





でも、 そのことに気づけるようになるには、 長い 長い 年月を 生きていくことが必要……



ジャクリーヌにも その時間があれば……


 ***


この物語については、、 まだ解けない謎があるので、 もう少しじっくり読み返してみたいと思います。。 今度はまた、 パリの夜の街の、、 ハードボイルドな(笑) ミステリを読み始めています。


、、 またね … 



ちいさな幸せが ありますように…