前回 ちょっと触れた本のこと・・・
カイ・ニールセン絵 岸田理生訳 『太陽の東・月の西』1979年 新書館
北欧伝説に材をとった絵本。 、、いまは絶版です。
右の本は、『挿絵画家 カイ・ニールセンの世界 (ビジュアル選書)』 平松洋監修 2014年 KADOKAWA/中経出版
***
19世紀末からのイギリスに興った 美しい挿画本。 ビアズリー、 アーサー・ラッカム、 エドマンド・デュラック、、などは見たり読んだりしたことありましたが、 このカイ・ニールセンという画家については名前の記憶がありませんでした。 絵などは、 もしかしたら昔、見たことがあるのかも・・・
、、かも・・・ というのは、 先日、やっとこの本を手に取り 絵を眺めた時、 とってもとっても懐かしい感じがしたのは、、 それは 昔見たことがあったからなのか、、 それとも、 1970年代の日本の少女漫画家さん、 特に美大系の 内田善美さん、 山岸涼子さん、 そして前にも書いた(>>) おおやちきさん など、 自分が子供の頃に見た絵の記憶と重なるからなのかもしれません。
特に、 内田善美さん(wiki>>)が 漫画というより ポスターなどのイラストレーションで描いた、 すごく細密で 幻想的な絵の雰囲気にとても似ていると思って、 それですごく懐かしさがあって…
、、本当は 逆なのですよね。 70年代の日本のこれらの漫画家さんが影響を受けたのが、 ラファエル前派の細密画であり、 アール・ヌーボーの曲線であり、 アール・デコの様式美であり、、 その影響下の少女漫画で育ったかつての少女が、 原点となった イギリスの挿画本の作家に遡って 同じ系統にある美しさと懐かしさを発見しているのですから、、、
***
この カイ・ニールセンの1979年の本の扉には、 荒俣宏氏の推薦文が載っていて、、
「…挿絵とは決して書物の下僕(しもべ)ではなく、活字の海の渡し守なのです。 なかでも、イギリスの挿絵黄金期は、夢の世界へ旅する筏を造る名匠たちの時代でした…」 と。
そして、 装丁を手掛けられた 宇野亜喜良氏による カイ・ニールセンの紹介文では
「かくも多き混淆を生活したイラストレーターも少ないであろう。
コペンハーゲンで演劇人の子として生まれ、パリで長い舞台生活していた母からはフランスやデンマークの古い唄を聴いて育ち、18歳のとき、パリで美術を学ぶうちビアズレーの様式美に感激し、北斎、広重、歌麿の版画に出会い、やがてニールセン独特の画風を完成させた後…」
、、と、 経歴が簡潔にまとめられています。 そうなのです、 演劇人の父の舞台美術の構図、、 それから 女優の母から聞いた伝説の物語の幻想、、 そして 貿易商だった祖父が持ち帰った日本の版画、、 それらが 1910年代のバレエ・リュスの舞台芸術などとも混ざり合って、 ニールセンの挿絵が生まれたのです。 絵を見ると、 まさにそのことがよくわかります。
北欧伝説の王子や姫は、 妖精族のようにすらりと長身で、 バレエ・リュスに似た衣装とポーズで立ち、、 背景の海は 北斎の富嶽三十六景の青い波、、
***
上の写真の右に載せた本でも、 ニールセンの挿絵と、 北欧伝説の物語はあらすじとして読めるのですが、 挿画のサイズが小さいのと、 物語はあらすじだけなので、 どうしても「言葉」と「絵」の美しさをセットで味わうには足りません。
『太陽の東・月の西』には 6篇の物語が収められていますが、 訳者の岸田理生さんの「語り口」が美しく、、
「さあさあ、ばあやの夜語りは、一人の兵士と姫君の、数奇な恋の物語。坊やも嬢やも、ねむうなるまで、おききなされ。」 (「青い山の姫君」)
といった感じに始まり、 途中には 物語が「詩」になり、、
「馬にのって なん日すぎた?
草の褥(しとね)にいく夜寝た?
ようやくついた 風の家
・・・・・ 」
(『太陽の東・月の西』)
、、このように語られていくのです。 寺山修司などの舞台戯曲を手掛けられた 岸田理生さん(Wiki>>)ならではの言葉の効果的な構成なのかと思います。
***
、、と、、 いろいろ紹介しましたが、、
ひとことで言えば、、 ただただ その絵と 王子と姫の恋物語に 心奪われただけ、、です。
こんな美しい絵と、 うつくしい物語の本が いまはなかなか読むことが出来ないなんて、、。
、、 あ、、 カイ・ニールセンという人は、 イギリスの挿絵本の時代やバレエ・リュスの時代が去っていくと共に、 仕事の場を失い、 ディズニー映画の隆盛の時代がやってきて 誘われてハリウッドへ行き ウォルトの元で働き始めましたが、 (想像しても明らかなように) 絵の傾向がまったく異なりますものね、、 意見の相違などでニールセンは去り、 晩年は忘れ去られて 大変困窮した生活だったと、、、。 悲しいことです。
でも、 日本の少女漫画家たちが 英国挿絵本の作家らの影響を受けた緻密で幻想的な漫画のブームを起こした70年代の終わりに、 こうして ニールセンの絵本が荒俣宏さんの紹介で復活していったというのも、 よくわかる気がしますね。
時代に取り残されても、 時代がどう変わろうと、、
自分が美しいと思う言葉を話し、、 美しいと思うものを求めて
そうして生きていたい。。
あ、、 前回の 「王子さま 助けにきてよ」、、 というのは わたしの独り言ですのでね、、
あの図像の姫さまは、、
「ひとしきり泣いたあと、 娘はようよう起きあがったのでございます」
「きっとまいります、 あなた」
、、太陽の東・月の西・・・へ
強い姫さまなのでありました。。
*こちらでカイ・ニールセンのイラストの一部が見られます。
Nielsen's Fairy Tale Illustrations in Full Color (Amazon.co.jp)
カイ・ニールセン絵 岸田理生訳 『太陽の東・月の西』1979年 新書館
北欧伝説に材をとった絵本。 、、いまは絶版です。
右の本は、『挿絵画家 カイ・ニールセンの世界 (ビジュアル選書)』 平松洋監修 2014年 KADOKAWA/中経出版
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19世紀末からのイギリスに興った 美しい挿画本。 ビアズリー、 アーサー・ラッカム、 エドマンド・デュラック、、などは見たり読んだりしたことありましたが、 このカイ・ニールセンという画家については名前の記憶がありませんでした。 絵などは、 もしかしたら昔、見たことがあるのかも・・・
、、かも・・・ というのは、 先日、やっとこの本を手に取り 絵を眺めた時、 とってもとっても懐かしい感じがしたのは、、 それは 昔見たことがあったからなのか、、 それとも、 1970年代の日本の少女漫画家さん、 特に美大系の 内田善美さん、 山岸涼子さん、 そして前にも書いた(>>) おおやちきさん など、 自分が子供の頃に見た絵の記憶と重なるからなのかもしれません。
特に、 内田善美さん(wiki>>)が 漫画というより ポスターなどのイラストレーションで描いた、 すごく細密で 幻想的な絵の雰囲気にとても似ていると思って、 それですごく懐かしさがあって…
、、本当は 逆なのですよね。 70年代の日本のこれらの漫画家さんが影響を受けたのが、 ラファエル前派の細密画であり、 アール・ヌーボーの曲線であり、 アール・デコの様式美であり、、 その影響下の少女漫画で育ったかつての少女が、 原点となった イギリスの挿画本の作家に遡って 同じ系統にある美しさと懐かしさを発見しているのですから、、、
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この カイ・ニールセンの1979年の本の扉には、 荒俣宏氏の推薦文が載っていて、、
「…挿絵とは決して書物の下僕(しもべ)ではなく、活字の海の渡し守なのです。 なかでも、イギリスの挿絵黄金期は、夢の世界へ旅する筏を造る名匠たちの時代でした…」 と。
そして、 装丁を手掛けられた 宇野亜喜良氏による カイ・ニールセンの紹介文では
「かくも多き混淆を生活したイラストレーターも少ないであろう。
コペンハーゲンで演劇人の子として生まれ、パリで長い舞台生活していた母からはフランスやデンマークの古い唄を聴いて育ち、18歳のとき、パリで美術を学ぶうちビアズレーの様式美に感激し、北斎、広重、歌麿の版画に出会い、やがてニールセン独特の画風を完成させた後…」
、、と、 経歴が簡潔にまとめられています。 そうなのです、 演劇人の父の舞台美術の構図、、 それから 女優の母から聞いた伝説の物語の幻想、、 そして 貿易商だった祖父が持ち帰った日本の版画、、 それらが 1910年代のバレエ・リュスの舞台芸術などとも混ざり合って、 ニールセンの挿絵が生まれたのです。 絵を見ると、 まさにそのことがよくわかります。
北欧伝説の王子や姫は、 妖精族のようにすらりと長身で、 バレエ・リュスに似た衣装とポーズで立ち、、 背景の海は 北斎の富嶽三十六景の青い波、、
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上の写真の右に載せた本でも、 ニールセンの挿絵と、 北欧伝説の物語はあらすじとして読めるのですが、 挿画のサイズが小さいのと、 物語はあらすじだけなので、 どうしても「言葉」と「絵」の美しさをセットで味わうには足りません。
『太陽の東・月の西』には 6篇の物語が収められていますが、 訳者の岸田理生さんの「語り口」が美しく、、
「さあさあ、ばあやの夜語りは、一人の兵士と姫君の、数奇な恋の物語。坊やも嬢やも、ねむうなるまで、おききなされ。」 (「青い山の姫君」)
といった感じに始まり、 途中には 物語が「詩」になり、、
「馬にのって なん日すぎた?
草の褥(しとね)にいく夜寝た?
ようやくついた 風の家
・・・・・ 」
(『太陽の東・月の西』)
、、このように語られていくのです。 寺山修司などの舞台戯曲を手掛けられた 岸田理生さん(Wiki>>)ならではの言葉の効果的な構成なのかと思います。
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、、と、、 いろいろ紹介しましたが、、
ひとことで言えば、、 ただただ その絵と 王子と姫の恋物語に 心奪われただけ、、です。
こんな美しい絵と、 うつくしい物語の本が いまはなかなか読むことが出来ないなんて、、。
、、 あ、、 カイ・ニールセンという人は、 イギリスの挿絵本の時代やバレエ・リュスの時代が去っていくと共に、 仕事の場を失い、 ディズニー映画の隆盛の時代がやってきて 誘われてハリウッドへ行き ウォルトの元で働き始めましたが、 (想像しても明らかなように) 絵の傾向がまったく異なりますものね、、 意見の相違などでニールセンは去り、 晩年は忘れ去られて 大変困窮した生活だったと、、、。 悲しいことです。
でも、 日本の少女漫画家たちが 英国挿絵本の作家らの影響を受けた緻密で幻想的な漫画のブームを起こした70年代の終わりに、 こうして ニールセンの絵本が荒俣宏さんの紹介で復活していったというのも、 よくわかる気がしますね。
時代に取り残されても、 時代がどう変わろうと、、
自分が美しいと思う言葉を話し、、 美しいと思うものを求めて
そうして生きていたい。。
あ、、 前回の 「王子さま 助けにきてよ」、、 というのは わたしの独り言ですのでね、、
あの図像の姫さまは、、
「ひとしきり泣いたあと、 娘はようよう起きあがったのでございます」
「きっとまいります、 あなた」
、、太陽の東・月の西・・・へ
強い姫さまなのでありました。。
*こちらでカイ・ニールセンのイラストの一部が見られます。
Nielsen's Fairy Tale Illustrations in Full Color (Amazon.co.jp)