星のひとかけ

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ミラン・クンデラ『不滅』のつづき… 

2023-08-29 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
8月もまもなく終わろうとしていますね。 前々回に書いたミラン・クンデラの『不滅』、 先週読み終えました。


30年近くぶりに読んで、、以前はほとんど気に留めなかった部分が強く心に響いたり、 逆に たぶん前に面白いと感じた部分が今ではどうでもいいようなことに思えたり、 それは時間の流れ、世界の流れ、あるいは自分の年月の流れ(老い…?) 何からくるのでしょう。。

読み終えてずっと気にかかっていることが。
おそらく、『不滅』を読んだ多くのひとがもっとも印象に残るであろう箇所、、


  彼女は考えた。いつの日か、醜さの襲撃がまったく耐えがたいものになったら、勿忘草を一茎、勿忘草をただ一茎だけ、ちっぽけな花を頭にのせた細長い茎を一本だけ花屋で買うとしよう。その花を顔の前にかざして、彼女にはもう愛せなくなってしまった世界から保っておきたい究極のイメージである、その美しい青い点より他のものはなにも見ないようにするため、花にじっと視線を定めて街へ出てゆこう。 


この部分は、アニェスというこの女性の繊細さや敏感さをもっともよく表している部分だと思いますし、勿忘草の可憐なちいさな青い花とこの世界の醜さとの対照が強くひびいてくる箇所です。 世界が耐えがたいものになっていくなかで、 美しさの最後の象徴であるような勿忘草を一茎かざして歩くアニェス。 とても心に残る箇所です、、 でも

なぜ「忘れな草」という名の花をクンデラは選んだのだろう、とどうしても気になって。。 ただこの小さな青い花の可憐さ、 ただそれゆえだったのか? それとも勿忘草という花だから? この花の名の意味や伝説をクンデラは知らなかったとは思えないし、、 文章がいろんな国の言葉に翻訳された時、たとえば英語だったら 文字通りの「forget-me-not」という花の名なのだから、 アニェスは自分の顔の前に「forget-me-not」をかかげて街を歩く、という文章になってしまう。。

アニェスが嫌悪した世界の醜さ、それを簡潔に言い表すことは難しいけれども、 めいめいが声高に自我をひけらかし主張し合っている世界、、 (少し後に書かれている、沈みかけた船の上で救命ボートめがけて押し合い圧し合いしているような世界) 、、そんな世界の醜さから逃れたいと「勿忘草」の小さな花のかげに身を隠して歩こうとするアニェス。

だけど、、 彼女を見る他者の眼には 「forget-me-not」(私を忘れないで)とやっぱり自我を主張して歩いているに過ぎないのだ、とクンデラは残酷な皮肉を加えているのだろうか。。 そうだろうか… わからない…

それで、、 クンデラが最初に執筆したチェコ語版を調べようとしました。。 チェコ語は全く読めないので多分、なのですが 「勿忘草」の部分は「Pomněnka」と書かれているみたい。 
アニェスは幼少期に父からドイツ語を習ったとされている。 ドイツ語の「勿忘草」=Vergissmeinnicht も文字通り「私を忘れないで」というドイツの伝説から生まれた言葉だという。 チョコ語の「Pomněnka」にも「忘れる」という語が含まれているみたいだから語源は一緒?…(それ以上はわからなかった)

 ***


でも、、

アニェスは結局、 勿忘草を花屋で買うことはなかった。 もう一か所、とても大事な部分を少しだけ引用させていただきます。


 (略) アニェスはこう考えた。
  生きること、生きることにはなんの幸福もない。 生きること、世界のいたるところに自分の苦しむ自我を運びまわること。
  しかし、存在すること、存在することは幸福である。 ・・・(略)



つづく文章はストーリーに重要だと思うので省略しました。

「生きること」と「存在すること」
ここには二種類の「不滅」がある。 この世界(社会)で人として生きていくという不滅(死なないこと) もうひとつは、 この世界に自然や光や水とおなじように「在る」という不滅。


・・・ドイツの伝説をふり返ってみましょう。。 
忘れな草を手に「forget-me-not」と叫んだのは若者(人間)。 愛すればこそ、 愛する人とこの世界でともに生きていたいからこそ、 忘れないで、と叫んだ人間の想いを、 醜い自我だとは私は思えない。。 でも、 その小さな青い花は、みずから「forget-me-not」と主張したりはしない。 名前があろうとなかろうと、花はそこにただ咲いている。。


 ***

『不滅』でクンデラが描く世界の醜悪さのことも理解できるし、 前々回に書いたように、 SNSの世界になってますます「私を忘れないで」と主張するひとびとはひしめき合って、 アニェスのような繊細な魂をもつ人の生きづらさは増すばかりかもしれない。。 けれど

著者(『不滅』のなかでこれを書いている著者)を魅了したアニェスの一瞬の仕草、、 その一瞬からアニェスという主人公が生まれたわけだけれども、、 そんな風に魔法のように一瞬で人を理解する、 ひととひととがわかり合える、 そんな魔法もこの世界には確かにあるんだと、、 やっぱり私はそう思っていたい。




お月さまが大きくなってきました…



秋ですね。


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