七月のとある日曜日、舞台は人けの絶えた猛暑の町リスボン
(『レクイエム』はじめに)
わたしは空を見上げた。考えてみれば不思議なものだ。若い頃はこの碧さが自分のもの、自分の一部のように思いつづけていた。それがいまは、あまりにも碧すぎて、遠い相手になってしまった。
(『レクイエム』6)
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ひさしぶりにアントニオ・タブッキを読んでいる。 ひさしぶりに、、 と言っても 前に読んだのは 『インド夜想曲』 『遠い水平線』(ともに91年)の頃だから、 なんと30年ぶり ということになる。
いま読んでいるのは、 インド夜想曲から7年後に書かれた『レクイエム』と、 タブッキの没後に刊行された『イザベルに:ある曼荼羅』という本。 、、でも 読書記はまたべつの時に書きます、 まだぜんぶ読み終えていないし。。
タブッキを読んでいると、 主人公の語り手(男性)のことが脳内で 俳優のジャン・ユーグ・アングラードにどうしても思えてきてしまいます。 もとはと言えば 『インド夜想曲』が映画化された時の主演がアングラードだったせいもあるのですが、、 30年前の当時 私がジャン・ユーグ・アングラードの映画ばかり見ていたせいなのかも、、
インド夜想曲の映画化は89年で 日本公開は91年だそう。。 ジャン・ユーグ・アングラードを知ったのはもう少し前です。 『傷ついた男』や『サブウェイ』から 『ベティ・ブルー』 『恋の病い』 そして『ニキータ』まで、、 80年代の後半から90年代の初めまでくらいでしょうか、、 彼の出ている映画はずっと観つづけていました。
30年ぶりに読んでいるタブッキの小説『レクイエム』と 『イザベルに』は、物語が繋がっていて、、 つながっている、というか 、、 『レクイエム』で作家が書かなかったこと、、 出版しないままタブッキは亡くなったのですが、 ずっとずっといつか書こうと気にかけていたらしいこと、 書き足りなかったことを、 草稿にしておいたものが 没後にまとめられ、出版され(てしまっ)た、、ということなのでしょう。 だから、 『レクイエム』を読んだ者には とてもとても興味深く感じられる『イザベルに』なのですが、、 果してこの物語を知ってしまうことが正しいのか、 正しくないのか、、 (正しい正しくない、なんて文学には無意味と思いますけれど…)
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『レクイエム』と『イザベルに』で リスボンの町を彷徨う男は、 もう若くはない(らしい)作家。 過去にのこしてきた思い出、 かつて明かせなかった謎、 忘れられない記憶のなかの人々、 喪った友、 決して忘れたことの無い消えた女。。 そんな 遠い夢で見たような面影と出会う、 断片的な彷徨いの物語。。
うしなったものを夢幻のなかに求め町を歩きつづける作家の男、、という姿がジャン・ユーグ・アングラードに重なるのでしょうね。。 30年前の彼が年をかさねて現在を生きている姿。。 ベティを失った彼は小説を書き始めましたね。 ニキータを失った彼はあの後どうしたでしょう、、 彼は船の設計者かなにかだったでしょうか、、 でもそれも定まっていない職業でした、、 大切な人を失ったあとの彼の人生は…? そんな姿が『レクイエム』の作家と重なってみえてしまうのです。。
物語のなかの男も年をとったでしょうし、 読むわたしも年を重ねました。
アントニオ・タブッキはイタリアの作家ですが、 ポルトガルを舞台にポルトガル語で小説を書く。 ポルトガルとタブッキとのつながりは今回はじめて知りました。
ポルトガルという国についても 知っているようでほとんど何も知らないことに気づかされました。 知っていたのはファドという音楽のことくらい。。 リスボンの夏の猛暑、、 町の地名やふしぎな名前の料理や お酒の名前も いろいろ初めて知りました。
タブッキの物語は夢の断片をみているようです。 長い長い 夢の続き。 それは『インド夜想曲』の頃から変わらない印象です。
とてもリアルなのに現実では無いような、 夢幻の街をさまよう物語を コロナ禍の猛暑のなかで読んでいます。 日よけのシェードをおろした部屋のなかで。。
できることなら、、 港がみえる街をそぞろ歩きなどしながら、 この物語を反芻できたら この夏のよい思い出となったことでしょう。 赤レンガ街とか…?
でも、 いまはじっとして夢を紡ぐ時。
物語の世界も、 この街でいま起こっていることも、、 どちらも現実の世界のできごとではないような。。 ほんとうに一日に一万人もの人が同じ病に罹患して、 病院が満員になって大混乱して、、 人々は厳重にマスクをして誰とも話さず離れて歩かなければならないの? まるで小説の世界。。 ふしぎな物語のなかを生きているよう、、。
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、、 嘆いているわけではないのです、、
いまは そうやって物語のような世界で 夢を紡いでいるべき時間(とき)。 状況が日々変化していくなかで 先を急ぎたい気持ちはもちろんあるのだけれども、、 いまは闘いを挑むときじゃない。。 月や星々の運行、 潮や風のうごきを見つめて出航するように、、 時を見究めること。。
物語のジプシー女がおしえてくれたような、、
ただしい時と場所で、、
そうしたら 待ち合わせは きっと叶うはず。。